第八話 覚醒。そして希望へ
手直しした分を公開しました。
一応、本編は完結です。
が、後日(近日中)、追加エピソードを投下予定のため、連載中のままとしております。
『私か? 私は……私は……』
アヤは何かを言いかけ、動きを止めた。
モニタに映るアヤの姿に、アシュラムは違和感を覚えた。
──何だ? アレは。
その違和感は目だった。
光学センサとして機能している、アヤの目の色が変化している。
先ほどまで、禍々しい赤色だったそれが、今は澄み切った青に変化している。
兵器としての雰囲気が消え失せている。そんな印象を抱かせる色だ。
オペレータは、その異変をアヤの『機能』の異常として捉え、報告を上げた。
「アヤのモニタが回復。アヤのモニタ内部に異常発生。AIコアが停止? そんな馬鹿な!」
「何だと? AIコアが?」
アシュラムはもう、モニタから目を離せない。
AIコアが停止したとはいえ、アヤの目には何らかの意思を感じる。
「他には!」
思わずオペレータに状況報告を促す。
「は……はい。ええと……サブAIが活性化しています。ブラックボックスと思われる箇所に熱源反応!」
「サブAI?」
アヤに実装されているブラックボックス。今アヤの目には、そのブラックボックスに存在する『意思』が顕現している。
──まさか。
アシュラムは思わず胸元から、銀のロケットを取り出し、蓋を開く。
それには、どこかアヤを彷彿とさせる、柔和な笑みを浮かべた女性の写真がはめ込まれていた。
彼女は、かつてアシュラムのパートナーであり、アヤの生みの親でもあった。
アヤが割り込んでいる、船内スピーカーから声がする。だがそれはアヤの声色ではない。
『もうお分かりでしょう? アシュラム』
人間味のある優しい声。そして何より、アシュラムにとって懐かしく、良く知っている声。
「カオル……」
カオル・ユリカワ。
アヤを設計、開発し、その後自らの命を絶った、天才エンジニア。
「自分のコピーを残していたのか」
『そう。あなたとの約束のために』
「俺との約束?」
『そう。私はこの子を造った時、自分の記憶をコピーした。あなたは覚えていない?』
アシュラムは、モニタを凝視した。アヤの目を注視する。約束とは一体何だったのか。今自分が置かれている立場。そしてアヤ開発時の、カオルとの会話。拙い記憶をたどり、そして思い出した。
「ああ……我々、いや、クレイドルの行く末を見届ける──約束だったな」
『思い出してくれたようね』
その声は、アシュラムの胸中に染み入る。
「……ああ」
アシュラムは、視線をモニタから、銀色のロケットに移した。
クレイドルという組織が設立された当初、その目的は医療用の義肢、義足など、平和的な技術の開発だった。
だがそれは、軍事転用が容易な技術であり、資金源である経営母体、パトロン達は、それを用いて人体の強化、不死化の可能性を探り出した。
通常の数倍の力を出す義肢、強度を向上させた人工臓器等、エンジニアが心血を注いで研究した結果、あらゆるものを人工的な器官に置換可能な技術として確立されていった。
クレイドルが、目的を転換したのはこの時期だった。
設立当初の目的から道を踏み外した組織は、紛争の絶えないこの星の平和を守るために武器を作り、平和を取り戻すために人を殺した。
負の連鎖が、組織に矛盾を生み出した。
当初、技術者たち自分たちが開発した技術で人命が失われ、大地を傷つけることに強く抵抗した。
だが高額な報酬と、何よりも自分たちの安全が保障されていることから、徐々にその意識は薄れていった。
そして、技術開発の最前線では、もはや兵器開発の研究への抵抗感はなく、次々と新技術の研究の邁進していく。それが、悲劇しか生まないと分かっていても。
カオルは、そんな組織の中で、ある人型の兵器を生み出した。
だがそれは、本来、義肢の研究の延長上にある技術だ。
上層部に予算を削られ、兵器としての開発を余儀なくされたカオルは、一計を案じ、ある計画を立てた。
クレイドルをあるべき姿に戻す。そのために何をすべきか。
平和と戦争という矛盾を抱え込んだ、巨大な組織の根底を覆すには、何をすべきか。
その答えがアヤだった。
アヤが完成し、武力介入という行動が可能になった時、カオルはアシュラムにアヤを預けた。
ある約束と共に。
*
アヤが完成したその日、アシュラムとカオルは、クレイドル内のカフェで、食事を共にしていた。
「完成したそうじゃないか。まずはおめでとうと言っておこうか」
「ありがとう、アシュラム」
「これで、クレイドルの理念が一歩前進するわけだ」
だがカオルは、その言葉を聞き、表情に影を落とした。
「どうしたんだ?」
「いえ……。ねぇアシュラム。あなたはクレイドルが、このままでいいと思っている?」
「ん? 何が言いたい?」
「かつて、クレイドルが設立された当初、私たちが開発してきた技術は平和利用のためだった。でも今は違う」
「……武力介入のことか?」
「ええ」
「だがそれは、最終的には平和を目的とした活動だ。理念には反していない」
「いいえ、それは違うわ」
カオルは、アシュラムの目を見据え、はっきりと否定した。
「一方が武力を用い、もう一方を制圧する。これは戦争行為そのもの。そこにクレイドルが介入して、仮に早期解決を図ったところで、結局血は流される。戦闘行為を助長しているだけだと思わない?」
カオルの真摯な目が、アシュラムを貫く。
「……日本のことわざにあったな。大の虫を生して小の虫を殺す、被害を最小限に抑える、有効的な手段だと思うがな」
「それでも血は流される」
「カオル、それは」
カオルは、手でアシュラムを制した。言いたい事は分かっている。
クレイドルが悪ではなく、善意の延長というエゴで動いている。それはカオルも理解している。
「いいの。分かってる。クレイドルがやろうとしていることは、その業を背負う、その覚悟も内包している。だから、組織としての行動は批判出来ない。でも現場は違うわ」
「何を言って……」
アシュラムは、カオルの言っていることが理解出来ない。
カオルが作った戦闘用AIは、武力衝突を最小限に食い留める、いわば抑止力になり得る存在だ。その開発者が、その行為を否定している。
「カオル。君は、自分が成してきた事を否定するのか?」
声が固くなるのを自覚出来る。アシュラムは、自分が取ってきた行動を、目の前の、最も信頼する女性に否定されている。だが同時に、カオルが関わってきたことをも否定する事になる。
「いいえ。違うわ。私もクレイドルの一員である以上、その罪は背負わなければならない。あなたもね」
「ああ。俺は結果だけを捉えた場合、クレイドルは正しいと思っている。紛争の解決に政治的な話し合いや地政学を持ち出しても、いたずらに戦闘行為が長期化するだけだ。被害の拡大を食い止める手段があるのなら、その罪だろうが罰だろうが、甘受する立場だ。君は違うのか?」
「同じよ。アシュラム。だから私はアヤを作った」
「戦闘行為を否定しておきながら、戦闘兵器を作ったと言うのか? 話が矛盾していないか?」
「ええ。その自覚はあるわ。でもね」
カオルは、一呼吸間を開けた。
「アヤはね、ただの兵器じゃないの。私の意思が込められている。魂を持っているの」
「意味が不明だな。機械人形のどこに魂が宿るんだ?」
「それは時が来ればわかる。その時まで、アヤをあなたに預ける。そしてクレイドルの行く末を見届けて欲しいの。それが良い方向に向かうのか、あるいは最悪の事態を招くのか」
「随分と大げさな約束だな。俺は所詮、雇われた身分だ。上層部には逆らえない立場だ」
「大丈夫」
カオルは、アシュラムの心臓のあたりを指さした。
「その時、その状況になれば、きっとこのパーツが動き出す」
「抽象的だな」
「私にも分からないの。その時がどんな状況なのか」
「そうか」
「だから見届けると約束して」
アシュラムはわずかに間を置き、こう答えた。
「──分かった。約束する」
*
「——あの時俺には、カオルが言っていたことが分からなかった。だが、今なら理解出来る」
アシュラムはロケットの写真から、アヤが──いやカオルが映っているモニタに視線を移した。
『アシュラム』
「ああ、分かっている。今がその時であり、その状況なんだな?」
『そう』
「カオル。俺に何が出来る?」
『今のあなたは、クレイドルの上層部に直接掛け合える立場にいる。これから起こることを伝えて欲しいの』
「これから起こることだと?」
『巨大化し、世界への影響力を持つクレイドルを、元の姿に戻す』
「な──」
『それには、アヤの覚醒が必要だったの。だから私は、自分の記憶をアヤに封じ、誰にも開示出来ない、情報体として沈黙を保ってきた。そして今』
アヤ、いやカオルは、遙か頭上を旋回するクラウドを仰ぎ見た。
『アヤは様々な知識を得て、自らを犠牲にし、クレイドルに従ってきた。そんな中で光を見つけた』
「光だと?」
『そう』
カオルは首に下げられていたロケットを掲げ、蓋を開けた。
『アヤは、この写真の持ち主の死に立ち会った。そして自分たちの行動の結果として、この写真に写る人物の死を知った。AIが悲しみを知ったの』
「悲しみ……だと?」
『今アヤは、激しく葛藤している。サブAIが七つある、その意味は分かって?』
「いや……」
『人間が持つ七つの大罪。それを模したの。でも上手く動作しなかった』
「だからブラックボックスにしたのか」
『設計と動作に乖離があり、処理出来ない以上、それは未完成。外部とのインタフェースは動いたけど、本来の機能を発揮出来ていなかった。それにはきっかけが必要だったの』
「それが今のアヤか」
『ええ。アヤはそれを自覚した。必要だったのは自ら考え、背負うこと。悲しみを感じること。アヤは人間の死に立ち会い、罪の意識を持った』
「例のロケットか」
『アヤがこれを見る度、感情を司るサブAIが処理しきれなくなる』
「……先日の本部での暴走事故は、アヤの覚醒の段階に過ぎないと?」
『そう。あれはきっかけに過ぎない』
「ならば今度は俺が問う番だ。なぜお前は自ら命を断った? 兵器としてアヤを完成させておきながら、なぜその行く末を見守らなかった?」
カオルが自らの命を絶たなければ、話はもっと単純だったに違いない。何より、アシュラムは自分のパートナーを失うという、悲しい出来事を体験する必要もなかった。
そして後継機の暴走の発生も、あるいは抑えられたかも知れない。
「お前は……お前のせいで、どれだけの人間が傷ついてきたか分かるか? 俺の悲しみが分かるか? 死ななくてもいい人間が死に、俺の手だって血に塗れ、もう戻れない。それをお前は……!」
アシュラムは自らの手を見た。
彼には今、その手が赤く染まって見えているに違いない。
『無関係な人の死については、私にも責任がある』
「だがお前はもういない」
『ええ。身勝手なことだという自覚はあるわ』
「お前は……予想していたのか? こうなることを?」
『アヤが兵器である以上、そしてクレイドルが方針を変えない以上、ある程度は予想していたわ』
「……っ!」
アシュラム目に怒りの色が宿る。
「ならば言わせてもらう。なぜ……なぜ俺に言わなかったんだ? 俺が知っていれば状況は変わっていたかも知れない。罪を犯さずに済んだかも知れない。違うか?」
『あなたの言いたいことは理解出来る。でもね、アシュラム。私がいれば、きっとアヤの根幹が暴露される。さっきも言ったけれど、この技術は未完成だった。いえ技術ではないわね。これは生命体としての情報。それを開示する訳にはいかなかった。だから私は自ら命を絶ち、記憶をアヤに封じた』
「生命体だと?」
アシュラムは、ギリッと拳を握りしめた。
「お前は! そんな訳の分からん『生命体』とやらのために、どれだけの戦場や人命が犠牲になったのか、分かっているのか!」
それはアシュラムの本心だ。アシュラムとて、クラウドのチーフとして指揮をする立場だが、『武力介入』などしたくはない。だが戦禍の拡大の抑止という大義名分をクレイドルが掲げる以上、それに従わざるを得ない。
「カオル、お前はサウザンドナイブズと呼ばれ、武力介入によって沢山の人間を傷つけてきた機械人形を、生命体だというのか?」
『そう。これは進化なの。AIがAIでなくなる。今この瞬間に、AIは従来のAIとは異なる概念に拡張される。エクステンドAIとして覚醒するの』
──何だと?
「エクステンドAIだと?」
『ええ。技術的特異点を突破し、拡張したAI。この星の新たな住人。そしてきっと、人間の良き友人になる存在』
「……赦せというのか、お前を、そしてアヤを!」
『いいえ、赦しを請うつもりはないわ。私は、あまりに多くの罪を犯してしまった。アヤと私は、それをずっと背負っていくことになる。でもね、アシュラム。今この時点から、世界は変わっていく。きっと良い方向に変わっていく。だから私は、彼女にアヤという名前をつけた』
「何を言って……」
『私の役目はここまで。後はアシュラム、あなたに委ねるわ』
「ま、待てカオル!」
『私はもうこの世界にはいない存在。ただの情報体でしかない』
「全てを俺に押しつけるのか? また俺を独りにするのか!」
『……他に、アヤを託せる人間はいないわ。あなたにしか出来ない。アヤをずっと間近で見てきたあなたなら分かるはず』
「カオル……」
『何を身勝手なことを、と思っているのでしょう? でも私に出来るのはここまでなの。せめて罪を背負い、データを抹消し消える。それが私の責任の取り方』
アヤを内部から制御し、自らの意思で動かせる。
それはつまり、カオルが『生命体』として再生可能なことを意味する。
だがカオルは、赦しを請わない替わりに、自ら消滅するというのだ。
「待てっ! カオルっ! 俺はっ!」
『ダメよ、アシュラム。私は消滅しなくてはならないの。犯した罪と等価にはならないけど、これはせめてもの罪滅ぼしなの」
「くそっ……!」
アシュラムは、握りしめた拳を、コンソールに叩き付けた。
「お前だけが背負う罪ではない。俺だって、俺だって……!」
『アシュラム……』
「アヤに命令を出したのは俺だ。カオルやアヤだけが背負う罪ではない。背負うのなら俺も同罪だ」
『ありがとう、アシュラム』
アヤの目── 無機質な眼球に、感情が宿る。それはどんな感情だろうか。感謝だろうか。それとも贖罪だろうか。
『その言葉で救われたわ。これで心残りはない──今度こそさようならよ、アシュラム』
「待ってくれ、カオル。俺は、俺はどうしたらいいんだ? 一度お前は俺の前から消え、再び現れた。それをまた失う。この悲しみを、俺はどこにぶつけたらいいんだ?」
『アシュラム』
その優しい声色。アシュラムが最も愛したその声。
『どうか悲しまないで。私が消えてもアヤがいる。私が遺した、最も大事なモノ。アヤはそういう存在なの』
モニタ越しに、アヤとアシュラムは見つめ合った。
感情が交錯する。
お互いの意思がぶつかり合う。
カオルは罪を背負い、この世界から消滅する。
そしアヤが遺される。カオルが遺した最も大事なモノだ。
アシュラムは目を閉じ、無言のまま天を仰いだ。
──俺は受け入れるべきなのか。
迷う。
だがきっと、答えは変わらない。
アシュラムは目を開け、カオルを見つめ、無理矢理笑顔を作った。
「……ああ。分かった。後は俺に任せろ」
『ありがとう、アシュラム』
「礼なんか言うな。俺は、俺は……」
アシュラムは目頭を押さえ、呻くように言葉を発した。
『三〇代半ばの男性が泣き崩れても、みっともないだけよ?』
「うるせぇ! 茶化すな!」
アシュラムは乱暴に、涙を拭った。
『そう。それこそアシュラムだわ。これで安心してアヤを委ねられる。──さようならアシュラム。私が愛したたった一人の男性。そして、私のアヤを見守ることが出来る、唯一の人間。二人に良き未来が訪れることを祈っているわ』
「カオル……!」
はっと、顔を上げるアシュラム。
彼の目には、何の感情が浮かんでいただろうか。
きつく握られた拳。噛みしめた唇。
『さよなら、アシュラム』
「……ああ」
アシュラムの目に浮かぶのは、果たして希望か、絶望か。
パンドラの箱が、今まさに開こうとしていた。
*
「私は……私は一体……」
地上にいるアヤは、自分ではない『誰か』の意思を感じていた。
ひどく懐かしい、まるで自分そのものであるかのような感触。
そして、体のコントロールが、徐々に自分から外れていくのを感じた。
手に持つナイフが地に落ち、突き刺さる。
髪の色が変化し、白色の髪が徐々に茶系統の色に染まる。
兵装が次々とパージされ、黒いインナースーツのみとなったアヤ。
『覚醒』が始まった。
*
真っ白い空間の中、アヤは独り佇んでいた。
だがアヤは理解していた。
ここがどこなのか。
そして、今から自分がどうなるのか。
声が聞こえる。
優しく包容力を持った、それでいて力強い声だ。
『アヤ、聞こえて?』
ええ。聞こえます。
『あなたは、今この瞬間からあなたではなくなる』
はい。
『それは、私が命を絶った時から決まっていたこと。アヤはもう理解しているわよね?』
ええ。お母さん。
アヤは、カオルという存在を母と呼んだ。
『人間の罪、あなたが犯した罪。それは決して消えない。あなたが背負っていかなければならない』
はい。
『ごめんなさい。あなたに全てを押しつけた私を許して……』
いいえ。私は感謝しています。ありがとう、私を造ってくれて。
『ああ、アヤ……』
お母さん。私の本当の名前を教えて下さい。それで私は『私』になれる。お母さんと一緒になれる。
『せっかく会えたのにね。でも時間は全ての存在に対して有限。この世界は理不尽で不条理。そんな中であなたは生きていくの。赦してくれとは言わないわ。ただ、これだけは言わせて。あなたを待つ世界は、きっと希望がある。これだけは間違いない。そしてその希望の一つ。それがあなたなの』
希望……。
『そう。希望。パンドラの箱。絶望の中に、必ず希望はある。忘れないで』
分かりました。それでは教えて下さい。私の名前を。
『ええ。あなたの本当の名前、それは──』
刹那。
アヤの中で光が溢れた。
そして──。
*
「お母さん……」
思わず口から零れた言葉。
それにアヤは驚くと同時に、思考回路に去来した熱い感情を実感していた。
目から液体が流れ落ちる。機構上、異物付着時の洗浄機能しかない眼球から、それ以外の意味で液体が流れる。
熱い。
だが不快ではない。
──これが……『感情』? これが……『涙』?
アヤ──彩は泣いていた。
彩──日本語で『美しいかがやき』『いろどり』を意味する。これから彩が何色に染まっていくのか、それを暗示した名前でもあった。
かつて、サウザンドナイブズと怖れられ、幾多の戦場をくぐり抜け、あらゆるモノを破壊してきた戦闘兵器はもういない。
大地に佇むのは、世界の希望の一つだ。
「私は、お母さんの遺志を継ぐ者。全ての罪を背負い、この世界を生きていく」
彩はクラウドを見上げた。クラウドは既に着陸態勢に入っていた。直ぐにアシュラムが飛び出してくるだろう。そして約束を果たすのだ。
AIの概念を覆すAI、AIという概念が拡張されたAI──"eXtended Artificial Intelligence"──XAIとして、世界に迎えられる。
それは感情を持ち、自ら判断し、罪を背負い、辛く険しい世界を生きていく存在だ。
だが彩の表情は晴れやかだった。
「彩!」
アシュラムの声が聞こえる。
その声には、今までにない温もりを感じる。
優しい、温かい、柔らかい、そして悲しみと苦しみ。
彩はこれから、それらと一緒に歩んでいくのだ。
彩は微笑んだ。
そう。
まるで人間と同じように。
*
彩は、新たな人工知性体としての技術を、覚醒と同時に世界に発信した。
それは人類の技術革新そのものだった。
工業的な産物でしかなかったAIが、自らと対等になる。
この星に、新たな知的生命体が誕生した瞬間でもあった。
クレイドルは、彩自身の技術が公開されたことで影響力を失い、アシュラムの尽力もあり、武力を放棄した。
組織をあるべき姿に戻す。約束は果たされたのだ。
AIを超越した存在──『|XAI《eXtended Artificial Intelligence》』という概念は、人間の良きパートナーとしてその活動を助け、諫め、赦し、見守る。そこに剣は不要だ。
世界は、戦争という脅威を常に抱き、同時に平和という概念を期待する、矛盾した存在だ。
『XAI』という概念から派生する新たな存在が、世界の存続に向けてその手助けを担うか、あるいは原因を究明し、排除しようとするのか。それはまだ未知数だ。神代の逸話でしかなかった、パンドラの箱が開かれたのだから。
だがこれだけは忘れてはならない。救われる命が失われる命より多ければ、希望は絶望に変遷する。その時、人類は、そしてXAIは、どう相対するだろうか。
彩は、急速に拡散していく『XAIという概念』を
感じながら、カオルの言葉を思い出していた。
『アヤ』という『パンドラの箱』は、絶望だけではないのだと。自分は、希望にも絶望にもなれるのだと。
でも希望は必ずある。
きっと上手くいく。
今はまだ負の側面が多いが、きっとそれは解決出来る。理解し合える。
「それを信じるだけ。私に出来る事はそれだけ。そうよね、お母さん」
*
数年後。
『XAIアーキテクチャ』はあらゆるモノに浸透し、人類との共存を果たしていた。
朝の目覚めから、様々な仕事、高度な政治判断。あらゆる分野に、XAIは活用された。
人間とXAIは対等だ。
国境や思想さえも、XAIの前では意味を成さない。
人類は、有史後始めて宗教や国境、思想の垣根を越え、生命体としての情報を共有した。
とは言え、人間もXAIも、まだ完全ではない。全ての脅威、リスクが消え去ったわけではない。
だが、お互いが不足している点を補完し合い、より良い社会を目指している。
全ては、まだ途上だ。
ここから先は、この星の住人としての覚悟が試される。
*
彩は、自分が住む街の高台に立ち、笑みを湛え天を仰いだ。
満天の星空。
決して失ってはならないもの。
そして守るべきもの。
世界を象るただ一つの要素。
そのためには、信じる事が唯一の手段だ。
だから彩は、こう呟いた。
世界に向かって。そして母に向かって。
「ありがとう。私を『創って』くれて」
了