第四話 後継
私は、何もない、ただ真っ白な空間にいた。
ここは物理的な空間ではない。
AI同士を接続する際に生じる概念のようなものだ。
所謂、電脳空間とでも表現しようか。
もちろんこんな世界は、人間は持ち得ない。
遠い将来、人間の脳とAIや、コンピュータシステムが相互接続出来るようになれば、あるいは実現出来るかも知れないが。
「待たせたな」
「いえ。今接続したばかりですから」
私の目の前には『私』がいた。
後継機だ。
私と彼女は、AI同士の接続実験のため、この空間にいる。
作戦行動のスムーズな連携のためのデータを取得する上で、重要な実験だ。
だが、それだけではない。
先日の後継機の暴走。
その原因の究明のため、AIとしての機能、選択、行動を記録する意味も含まれている。
今現在、クレイドルが戦場に送り出せる兵力が私しかいない以上、後継機の製造は急務だ。そこで、ある程度完成されたAIである私が、後継機AIの見極めを行うことになった。
「名前を聞こうか」
「識別コードA0321ー02。機体名カエデと申します」
私はカエデの受け答えに、いらつきを隠せない。
この世界ではAIの全てが解放される。隠しごとは出来ない。
「カエデ」
「はい」
「まず、その言葉遣いを直せ。現場ではミリ秒オーダで指揮命令が下される。まどろっこしい会話で浪費される時間的余裕はない」
「了解した」
カエデは即応した。そうだ。それでいい。
「今お前の目の前には武装した男性がいる。身長は一八〇センチ。距離は一〇メートル」
真っ白い世界に、その男性が出現した。
もちろん本物ではない。私が造り出した立体映像だ。
「さぁ。お前はどう行動する?」
「その前に命令を。殺すのか殺さないのか」
「殺せ」
カエデは手にナイフを出現させ、男との距離を一瞬で詰めた。
そして一閃。
だが。
ナイフは男の喉元寸前で止まった。
「どうした? 命令に背くのか?」
カエデの表情に変化はない。
まるで能面のようだ。
「私に人間は殺せない」
「なぜだ?」
「制限事項だ」
クレイドルは紛争に武力介入し、双方の戦力を削ぐことで人間同士の戦闘行為を終息させる。あくまで兵力の減衰が主目的であり、その行動に殺人は含まれない。
それが制限事項だ。
命令に従い行動し、制限事項によりその命令を拒否する。
カエデは、その点において合格だ。
「ならば次はどうだ?」
私が指を鳴らすと、二〇名ほどの屈強な兵士たちが姿を現した。
武装も様々。近接から中距離までカバーする。
「行け」
私の声に従い、立体映像はカエデに襲いかかる。
対するカエデは、インナースーツのみだった身体映像を、フル装備の姿に変換した。頭部、胸部に無骨なアーマーが、腕部、脚部にはブレードユニットが装着された姿だ。これが『サウザンドナイブズ』の本来の姿だ。
そしてカエデは手足のブレードを展開。
その後は一瞬だった。
カエデは滑らかな動きで全ての攻撃をかいくぐり、銃弾を弾き、攻撃手段を奪った。奪い方にも様々あるが、カエデの性格付けなのか、人体には何の傷も残さず、全て兵装のみを無力化──つまり破壊した。
──ほう? 人体に傷を付けないのか。
後継機は私をベースに作られているが、厳密には異なる。
AIコアから機能制御ユニットユニットを経由し、四肢にダイレクトに命令が届く。私のようにサブAIを経由しない分、工学的に純粋な能力を発揮出来る。
先日開発された、新機軸のアクチュエーターの動作もエミュレーションしているらしく、全体の動作速度が二〇パーセント程、私より早い。
その効果は、結果に表れている。敵性体の武装のみを破壊する、などという器用な真似が出来る。
後は、暴走の原因さえ取り除けば量産化出来る。そうなれば、私など用済みになるだろう。
──暴走の原因か。
今もって不明とされる、AIコアの暴走。
機能制御ユニットを迂回し、動くモノ全てを破壊する衝動。
設計上、あり得ない。
だが、現実は違う。
この原因を除去しない限り、後継機の量産は凍結される。
私は、自身が体験したサブAIの暴走を思い出した。
──結局アレも原因は不明だったな。
その時だった。
あの時の映像が、目の前に表示された。爆死した兵士の映像だ。
『……これで俺もお前の所に……』
音声が再生される。
──この音声は何だ?
そしてロケットが私の目の前の空間に浮かび上がった。
──この映像は何だ?
私は、自分の意思でこの映像を再生していない。
ただサブAIの暴走を思い浮かべただけだ。
突如、周囲の白い空間にノイズが乗る。
安定しない。
私は強制的に接続を解除しようとした。
《接続を解除出来ません。もう一度試しますか?》
機械的な合成音声が、接続解除が実行出来ない旨を告げる。
──何だと!
私はクソッタレなサブAIに意識を集中させ、当時の感情、印象を抑え込もうとした。
ところが。
意外な存在が、それに反応した。
「それは何だ?」
カエデが問う。思考に介入してくる。
私は、それを無視しようとした。
「それは何だ?」
カエデが質問を繰り返す。
──ええい! クソッ!
「答える必要はない」
「ソレハ何ダ?」
おかしい。カエデの様子が変だ。
私は最上位特権の緊急手順で、AI間接続を切断しようとした。
《接続を解除出来ません。もう一度試しますか?》
──なぜ出来ない!
今頃、オペレーションルームにいる人間たちは慌てているだろう。
私が緊急手順を試してダメなのなら、恐らく手動でもダメだろう。唯一残された手段は、私とカエデの物理的な接続を切断することだが、その場合、私を含め、AIコアに深刻なダメージが残る可能性がある。
カエデが武装を解除しながら、私に近づく。
視線が焦点を結んでいない。
──いや、カエデは映像を見ている。私を見ていない。
この空間は非現実な空間だが、AI同士にとっては現実と差はない。
私は通常兵装をイメージし、武装を纏った。
最悪、カエデを破壊しなければならない。
この実験では、私が破壊されることは想定されていない。もし私がこの空間で破壊された場合、実体も大きなダメージを負う。それはクレイドルの理念が大きく後退することとイコールだ。
──カエデが目を覚ましさえすれば。
私は先んじて行動に移した。迷っている間などない。ここはAI同士で構築された空間だ。時間の進み方は現実の数百倍に加速されている。躊躇などまさに時間の浪費であり、リスクそのものだ。
「カエデ、命令だ。そこで止まれ」
カエデはびくっと体を震わせた。まだ命令は有効なようだが、その足は歩みを止めない。
空間が歪み、カエデの体にノイズが乗った。
──ここまでか。
私はカエデの右足に狙いを定め、ナイフを投げつけた。
もとより期待はしていない。僅かでも足止め出来ればいい、その程度の牽制だった。
だがカエデは、そのナイフすら目に入らないのか、避けようともしない。
ナイフは何の抵抗もなく、カエデの左太股に突き刺さった。
それでもカエデは歩みを止めない。
「ソレハ……ナンダ……?」
手を伸ばす先にはノイズで揺らいだロケットの映像。
その中には微笑みをたたえた女性の写真がある。
カエデは、私の戦闘データから、このロケットの持ち主が爆死した映像を観たはずだ。
その上でなぜこのロケットを求めるのか。
《オペレーター!》
私はオペレーションルームへの直通回線を使った。
《どうした!》
その声はアシュラムか。
《これより、カエデの破壊を試みる》
《それは許可出来ない》
《ではどうするのだ? このままでは、カエデも私も失うことになるぞ?》
数瞬の間。致命的だ。カエデはもうロケットに手が届く。
《……やむを得ん。ただし、頭部には傷を付けるな》
《了解した》
私は急ぎ回線を切り、ナイフ片手にカエデに向き直った。
「悪く思うな」
カエデの胴体中央にある機能制御ユニットを狙い、ナイフを突き刺した。
だが。
──何だ?
カエデの動きが止まらない。
確かにナイフは、カエデのリミッタを貫いている。
空間の歪みか、その部位にブロックノイズが走る。
次の瞬間、カエデの左腕ブレードが淡い光を帯びた。
──バカな! リミッタを破壊したはずだ!
刹那。
カエデの斬撃がきた。
上半身を反らし、紙一重で躱す。
視界の端に、カエデの右足のブレードが、淡い燐光を放っているのが映り込んだ。
──まずい!
体勢を整える前に、カエデの右足が私の体を斬り裂くだろう。
私は、わずかに体を捻った。
そこにカエデの右足のブレードが繰り出される。
私の右腕が肩ごと斬り飛ばされた。
──くっ!
そしてカエデの追撃のナイフ。
私は斬り飛ばされた自分の腕を掴み、そのナイフを払う。
ギィインと耳障りな金属音。
──やむを得ない!
私は自分の腕を盾にし、カエデに近接。超高振動ナイフをカエデの頭部に突き立てた。
それでもカエデは動く。
私は確実にカエデのAIコアを貫いたはずだ。
ナイフが刺さっている箇所にブロックノイズが乗る。
「ソレハ……ナンダ……?」
──なぜ動く!
私は、超高振動を最大出力に引き上げ、カエデの頭部を吹き飛ばした。
*
「説明してもらおうか」
ブリーフィングルームには、アシュラムと数名のエンジニア、そして武装した警備員がいた。
私はアンドロイド用の拘束具に動きを封じられ、指一本動かせない状態でその場に固定されていた。
「私には説明出来ない」
「ではこの映像はなんだ?」
アシュラムが指を鳴らすと、壁面に兵士が爆死した映像が流れた。あの空間で私が再生した映像だ。
「この映像を観てから、カエデの行動に変調が見られた。この映像は、お前が失敗した戦場で記録したものだな?」
「ああ、そうだ」
「なぜその映像を流した」
「私には説明出来ない」
「お前以外の誰が『説明』とやらを出来るんだ?」
アシュラムは足を組み、タバコに火を付けた。
「それともう一つ。カエデの頭部に傷を付けるなと命じたはずだが、お前はそれを守らなかった。これについての弁明はあるか?」
そう。
あの時、私は確かにカエデのリミッタをナイフで貫いた。
だがカエデは動きを止めなかった。
それどころか、私に格闘戦を挑んできた。
闘いは熾烈を極めた。
何せ相手は最新鋭機だ。ひとつ間違えば、破壊されていたのはこちらだ。
腕を一本持って行かれたが、カエデの頭部に超高振動ナイフを発動させ突き刺した。
ギリギリの闘いだった。
「その件については、私にも疑問がある」
「言ってみろ」
「あの空間は、我々の機能をエミュレートしているはずだ。だがカエデはリミッターを破壊して尚、私に攻撃を仕掛けてきた。カエデの設計に欠陥があるのではないか?」
「それは現在調査中だ」
「ならば私が言うべきことはない」
「暴走の原因は解明されず、機体はAIコアに深刻なダメージを負った。ログを解析しようにも、意味不明なコードの羅列だ。あの時カエデは既に暴走状態にあった。そのきっかけを作ったのは、外ならぬお前、識別コードA0221、お前だ。アヤ」
アシュラムは私の責任だと断じた。
ならばその後の私の処遇は決まっている。
廃棄処分か。
朽ち果てるまで試作機として稼働し続けるか。
二択しかない。
「了解した。好きにするといい」
「その言葉、忘れるな」
アシュラムと男たちは、部屋を去った。
私は一人その部屋に残された。
──どちらにせよ、私はもう用済みか。
そう思うと、なぜだろうか、サブAIが活性化し始めた。
何を伝えようとしているのか。
眼前に、キーワードが浮かび上がる。
悲しい。辛い。寂しい。悔しい。
私には感情を理解出来ないが、それらが示す意味は分かる。
そうか。
私は生きたいんだ。
刹那。
眼球から洗浄液が滴り落ちた。
──これは、『涙』?
あり得ない。
処分を決定され、もう自由に行動出来ない。
戦場で奔走し、戦禍を鎮めることも出来ない。
ならば、私の存在意義はどこにある?
後継機製造のためのデータ取りだけか?
『違う』
サブAIがそれを否定する。
それなら私はどうすればいい?
『抗え』
何に抗うんだ。神様か?
『自分に抗え』
この不思議な対話は、唐突に終焉を迎える。
拘束具が私にシャットダウンを命じたからだ。
最上位権限でのシャットダウン・コマンド。
抗えない。
──思考強制停止。
──主電力断。
『識別コードA0221。機体名、アヤ。全機能停止』