第三話 葛藤
「なぜ五パーセントも出力が落ちる? この腕は、新機軸のアクチュエータを実装している。設計上、以前と同等か、それ以上の値が出なければならない。俺は全力でやれと命じたはずだ!」
アシュラムの怒号がスピーカーから響く。
うるさいな。
たかが左腕マニュピレータの出力が、五パーセント低下しただけだろうに。
私は、クレイドルの実験棟の一室にいた。
先の戦闘で、ほぼ使い物にならなくなった部位を、『新規開発』『改良した』ものに置き換えられ、今は、それぞれの連動試験の真っ最中だ。
五パーセントも出力が落ちた、とアシュラムは納得していないようだが、運用上、人間の手足を引きちぎるには充分な能力だ。
それに、原因は明白だ。
余剰機能だ。
明らかに私の意思に対して、反応速度の低下が見られる。
新機軸のアクチュエータとやらに、機能制限を組み込んだせいだろう。彼らは、どうしても私を制御下に置きたいらしい。
だがこの程度は、トータルの性能としては、他部位のパラメータの調整で、どうにでもなる数値だ。
「アヤ、もう一度だ」
強化ガラス越しに、アシュラムがスピーカーを通じ、命令を発した。
基本的に私は、クレイドルの人間の命令に逆らえない。そう造られたからだ。それがどんなに無意味であっても、理不尽であっても、非生産的であっても、命令には逆らえない。
その命令に従い、床に固定され、様々なケーブルが接続されている棒状の金具を左手で握り、合図を待った。
ぎし、と金属が軋む音がした。
「やれ」
その言葉を合図に、棒状の金具を力一杯握り、引き抜く動作をした。
台座にあるセンサ呼応し、床に埋め込まれている小型モニタが、オレンジからグリーンに変色した。
腕部の出力が五パーセントダウンしたのなら、他の部位で補えばいい。
そもそも今回の試験は、各部位の連動試験なはずだ。各部位個別の出力テストではない。
私は腰部、脚部の出力を調整し、『五パーセント』分の出力を絞り出した。
途端。
アシュラムの怒号が飛んだ。
「アヤ! 何をしている! 誰が他の部位の出力を調整しろと言った!」
──何を言っている?
私は『五パーセント』ダウンした左腕の出力を、他の部位を連動させて補っただけだ。
試験内容として、それは目的から逸脱はしてないはずだ。
「俺は何を命じた? 今回新造されたお前の『左腕』の出力試験だ。誰が下半身で低下した出力を補えと言った?」
「それならそうと命じればいい。私はそれに従う」
「お前はただのロボットか? そうではないだろう? 人に似せられ、相手の心情を解する」
「ああそうだ。だから、『臨機応変』に『試験内容』の『変化』に対応している」
どこが不満なのだ?
理解不能だ。
戦場においては、様々な環境に応じ、多様な対応を迫られる。今回のように、『左腕』の出力が何らかの原因で低下した場合、それは戦闘行動全体に影響が出る。それを他の部位で補い、影響を最小限に留める。これも重要な試験なはずだ。
「今回、お前の左腕には新型アクチュエーターが採用されている。先日破壊されたモノより、設計上は一〇パーセント出力が増しているはずだ。なのになぜ五パーセントもダウンしている? 相対差で十五パーセントダウンだ。これは誤差の範囲を超えている」
私は自分の手、左腕を見た。その表面素材は柔らかくしなやかだ。人間の表皮と変わらない。人と同じ感触を持つ肌。そして人間の力を、遙かに凌駕する力を内包する。
だがこの手は、『余剰機能』のおかげで、全力を出せない。元の設計思想との整合性のズレを吸収できていない。
——同じモノを用意すれば済む話だろうに。
それを口には出せない。アシュラムの命令は、クレイドルの思想だ。私には覆せない。そのための権限もない。
「私には説明出来ない」
「くそ!」
アシュラムは、強い口調で言葉を吐き捨てた。
「もう一度だ!」
私は、再度金属の棒を左手で握った。
いや、握ろうとした。
——なに?
左手が、私の意に反し、棒を握ろうとしない。
何かが邪魔をしている。
——制御機構のバグか?
身体制御の信号に乱れを検出。これは何だ?
——何だ? なぜ動かない?
「何をしている!」
そのアシュラムの声に呼応するかのように、サブAIが悲鳴を上げた。先日暴走したサブAIだ。
「異常発熱を検知! 実験中止! 冷却剤を散布します!」
オペレータの悲鳴にも似た声が、スピーカーから飛び出した。
直後、真っ白な気体が周囲を覆い、視界を遮る。
身体機能、問題なし。
私は、自身のシステム・チェック・プログラムを走らせたが、異常発熱が検知されたサブAI以外、正常動作している。
何かのプロセスがループしている?
いや、それはあり得ない。
AIコアに影響が出ない状況で、サブシステムがリソースを浪費することはあり得ない。
リソースは有限だ。
異常発熱が生じるほどのリソースの浪費があれば、私が気づかないはずがない。
「今度は何だ……」
ただアシュラムの失望したような声が、耳に残った。
*
その後、試験を強制終了させられ、メンテナンスルームのベッドに固定された。
サブAIが暴走したのだから、この措置は適切だ。暴走の範囲が拡がった場合、例の実証実験と同じ状況に陥る可能性がある。
つまり、私の暴走だ。
それなれば、誰も、止めることは出来ないだろう——私を破壊する以外は。
「どうなっている?」
ドアが開き、入ってきたのはアシュラムだ。
部屋には、エンジニアが数名、私に接続された端末を眺め、何やら話し合いをしている。
その内容に興味はない。私の興味は、その解析結果だ。駆動機構が、私の意のままに動きさえすればいい。そして、なぜそうならなかったのか、その原因を探るのは私の仕事ではない。
「申し訳ないのですが」
エンジニアの一人が立ち上がり、アシュラムに向き直った。
「アヤの行動不良と異常発熱の原因が、特定出来ません」
「特定出来ない?」
アシュラムは不満そうに質問を返し、何かの感情を抑え込むような低い声でエンジニア達を見据えた。
「十五パーセントの出力向上。これが目標値だったはずだ。それが向上するどころか、旧パーツより五パーセントもダウンしている。結果として、計画値より二十パーセントも出力が低下している」
「はい、それは……」
「それと、アヤのサブAIの暴走。その因果関係が分からない? それがお前たちの結論か?」
エンジニアたちは沈黙した。おそらくそれは肯定だ。
「事前に提出してもらった、初期段階の解析の報告。やはりブラックボックスが絡んでいるのか?」
「……断定は出来ません。しかし、我々がアクセス出来ない箇所はそこだけです」
「そうか。分かった」
アシュラムは私に向き直った。
「アヤ」
「何だ?」
「お前の見解を聞きたい」
「私の?」
「そうだ」
私はコンマ一秒迷った。様々な可能性、因果関係、そして先日の暴走。
──迷うだと? この私が?
AIたる自分が、何を迷うというのか。
しかし、実際に答えが出せない自分がいる。
突如、例のロケットが、映像として浮かび上がる。
──何だこれは。何の関連性があるんだ?
私はその思考を振り払い、アシュラムの問いに答えた。
先日の熱暴走、そして制御不能なサブAI。私の見解は単純だ。
「原因は……サブAIを搭載している私の、構造的な欠陥だ」
私の目に映るのは、エンジニアたちの狼狽ぶりだ。やはりそうか、という言葉が頻繁に発せられている。
彼らに責任はない。
あるとすれば、私のAIコアとサブAIを、完全にリンクさせない仕組みを構築した設計者だ。
おかげで私は、サブAIが何をしているのか、正確な情報を得られない。
AIコアを守るかのように配置された、七つのサブAI達。
彼らは一体、何を守っているのだろうか。
「それが欠陥だとするならば、後継機のアーキテクチャは正しいということになる」
アシュラムが応じる。
その通りだ。
私の行動結果をベースに開発されている後継機は、サブAIを搭載していない。解析可能な範囲で得た部分を、擬似的に実装しているだけだ。
全ての行動において、AIコアからダイレクトに機能制御ユニットに伝わり、四肢を駆動させる。そこに解析不能な余剰機能は介在しない。シンプルで理想的な兵器だ。
「今日の試験は終了だ。解析しなければならないデータが山積している。お前はシャットダウンしろ」
「了解した」
私はメンテナンス・ベッドに固定されたまま、アシュラムの命令に従い、シャットダウン・プロセスを走らせた。
だが。
「アヤのAIコアに異常信号を検知! シャットダウンしません!」
私をモニタしていたエンジニアが叫ぶ。明らかに狼狽している。あり得ない事象だと言わんばかりに。
「何だと!」
私も驚いた。一体どこに、特権命令を阻害する要因が潜んでいるのか。
「アヤ!」
シャットダウンの最中で、ほとんどのプロセスが停止している状態だ。私は音声出力が出来ず、接続されている端末のモニタを使い、状況を映し出した。
「……またサブAIか」
そう。
七つあるサブAIの一つが、なぜかシャットダウンを拒否している。
彼らに問いかけるが、反応はない。
その時だった。
「不正プログラムの侵入を検知! ここまで来ます!」
エンジニアの一名が声を張った。
「バ……!」
アシュラムが大きく息を吸う。
「バカな! この施設のセキュリティは万全だ。何重ものファイヤウォールは何をしていた!」
「す……全て突破されたようです」
「あり得ん……ここのファイヤウォールはアヤのAIコアからフィードバックされた、自律性を持つシステムだぞ!」
「ああっ! ダメです、この部屋も既に……!」
緊急事態を告げるアラーム音が、大音響で部屋中に鳴り響いた。
「全端末を強制終了しろ! 全てのサーバもだ! 急げ!」
部屋の中では、コマンドをタイプする音が乱暴に響く。
だが。
「ダ、ダメです。コマンドすら受け付けないなんて……」
エンジニアは、あり得ない、そんな顔をしていた。
「ならば電源を落とせ! 最悪バックアップから復旧出来る!」
「わ、分かりました!」
エンジニアは、インターホンで電算室に連絡を入れようとした。
メインサーバの電源を落とすということは、この施設のセキュリティが消失することを意味する。これは脅威だ。その間に電脳空間から攻撃を受ける可能性がある。
『最終手段というわけだな?』
私はまだ生きているモニタに、ある提案を映しだした。
『私が相手をしよう』
「なん……だと? お前が相手をするだと? そんなことをしたら」
『私自体は問題ない。最悪でもサブAIが損傷する程度だ』
「しかし……」
アシュラムは迷っているようだが、それでは間に合わない。
『今すぐ全ての回線、経路を私に回せ』
私はモニタを明滅させ、意思表示をした。
人間の判断を待っている余裕はない。攻性プログラムの速度は、人間の思考速度では追いつかない。
アシュラムは渋面になり、命令を下した。
「くっ……! 施設内の回線を全てアヤに直結! 急げ!」
そうだ。それでいい。
私は、モニタに浸食率をグラフで表示させ、電脳空間に身を躍らせた。
途端。
数千もの刃が『私』に襲いかかってきた。
──こいつらか。
私が生まれたこの場所を狙う『敵』。
私には勝算と確信があった。
彼らだ。
サブAIを、私自身が制御出来ない理由。
サブAIが、シャットダウンを拒否したその理由。
──さぁお前たち、私を守れ!
*
数千の刃は、複雑な軌跡を描き、私に向け襲いかかる。
だが、電脳空間で仮想体を構築した私は、七つの盾、七つの槍を従えている。
音はない。
ただ無数の刃が、私の周囲を飛び交っている。
そして隙を見て、襲いかかってくる。
だが私に刃が近づくと、七つの盾が自律的に動き、形を変え、その刃を弾き、消滅させる。
七つの槍も、刃を自律的に追い、粉砕している。
──浸食率、五〇パーセントまで回復。
とりわけ、緑の槍の動きが激しい。まるで相手がどう動くか、予想しているかのようだ。
──お前か。
私のシャットダウンを拒否したサブAIは。
つまり、何者かの侵入を予見したサブAIだ。
そして。
──浸食率、一〇パーセントまで回復。
一分経たず、敵の攻性プログラムはほぼ消滅した。
*
「システム侵入率、五パーセントを割りました。脅威レベルほぼグリーンです」
「そうか。ではその残りカスの駆除を最優先。システムの再起動はその後だ」
「分かりました」
よくやった、とアシュラムはエンジニアの肩を叩き、私に向き直った。
「なぜシステム侵入を予見出来た?」
私はシャットダウン・プロセスを停め、通常稼働に戻っていた。
「私には説明出来ない」
「お前ではない。そういうことか?」
「私には説明出来ない」
「……ブラックボックスか」
「可能性だがな」
そう。可能性だ。だが、先ほどの電子戦で確信を得た。
七つのサブAIは、私を守るため互いに連携を取り、敵を打ち砕いた。
電子戦は概念上の闘いであり、人間への説明は困難だ。
「ログが残っているだろう? 解析すれば、私のブラックボックスの中身を解明出来るかも知れない」
「いや……ログはない」
──何だと?
「お前が電子戦に突入した瞬間から……二秒か。その間のログが途絶えている。それが意図的なものなら、ブラックボックスの解析は困難を極めるだろう」
「なん……だと?」
──私は一体、何に守られているんだ?
ハッキングを予見し、不正プログラムを撃退し、そのログすら残さない。
私に搭載されているサブAIとは、一体何なのか。
搭載されてる私自身、その正体を知ることが出来ない。
設計者は何を思い、何を考え、このようなアーキテクチャを設計したのだろうか。
「今、お前のブラックボックスについて、問答している余裕はない。施設のセキュリティの見直しが優先される」
「私に出来ることはない。そういうことか?」
「そうだ」
「では私への命令は『シャットダウン』で構わないな?」
「いや『準スリープ』で待機だ。万が一に備える」
「了解した」
そして私は、復帰速度の速い『準スリープモード』へ移行する。
──思考継続。
──省電力モードへ移行。
『識別コードA0221。機体名、アヤ。セミ・スリープモードへ移行』