表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/31

信長の弟である秀孝が射殺されたときの信長と信行の態度や行動の差はなんだったのか

 さて、年が変わり弘治元年(1555年)となった。


 年が変わると年始の挨拶だのなんだの面倒なことも多いが、なんやかやで清須の守護一家は一応おとなしくしている。


「わーんのぶえもーん、ジャ今川といスネ倉に遠江と越前を取られちゃったよー。

 とりかえしてよー」


 と言われても。


「よし太くんは馬鹿だなあ、今はそれどころじゃないってわかるだろ」


 としか言えないのだが。


 自分で取り返したくても直属の戦力もなければ、俺たちのような一人で大人数の兵を蹴散らすことができる、個人的な馬鹿みたいな強さもないので結局は指示を出してもそれに従うかどうかは俺次第ということだ。


 息子の義銀も、子実では傀儡に甘んじるのが嫌で吉良氏と結んで信長の追放を画策したが、結局は追放されてる、


 それはともかく弘治元年(1555年)の6月に、織田信長の同母弟である弟の織田秀孝が馬で一騎駆け中、川遊び(川狩り)をしていた織田信次の家臣である州賀才蔵の放った矢に当たり、命を落とした、


 織田秀孝は、織田信秀の五男か七男か八男だと言われてるが生まれた歳や、亡くなったときの年齢も実はよくわかっておらず、亡くなった時は15~16歳であるとすされるが、そうすると信長の3番目の弟で秀孝の兄であるはすの信包の生まれが天文12年(1543年)あるいは天文17年(1548年)とされてるので明らかにそれよりも年齢が高くなってしまうのでよくわからんというのが実情。


 亡くなった年齢を信じるならば、信長のすぐ下の弟である信行(信勝)とその次の信包との間という事になる。


 でまあ、この弟が生きてる間の記録は殆ど無いわけだが、死んだ時の記録はちゃんと残ってる。


 守山城主の織田信次が家臣を引き連れて、庄内川付近の松川の渡しで、川狩りに興じていたが、その目の前を供回りもつけずに単騎で下馬もせずに、ただ一騎で通り過ぎる者がおり、それに対して無礼者!馬を降りぬか!と、信次の家臣である州賀才蔵が、弓を引いて矢を放つと、それが命中し落馬して即死してしまった。


 そして、その死体の顔を顔を見て、信長の同母兄である秀孝である事に気がついた確認した信次は逃亡した守山城は、攻撃を受けるのだが……。


 そもそも、その2か月ほど前の4月に信光が清州城を落として織田信友を自刃させ、それにより信長の居城は那古野城から清州城へ、信光は守山城から那古野城へ、そして空いた守山城へ信光の弟の信次が城主となって入ることになったので、信次もあまりこのあたりのことに詳しくなかったんだろう。


 それはともかく秀孝が殺されて、真っ先に軍事的な行動を起したのは、信長ではなく信行(信勝)で、信行(信勝)は守山城下にすぐさま攻め入ると火を放ったが、清州城から後を追った信長は単騎で守山の入り口まで来ると、「我が弟ともあろうものが、共も連れずに単騎で下僕のように駆け回るとは情けない。弟にも非がある」と言い、その場は信次を不問にし清州へ帰った。


 しかし信行は信長の言葉には従わずに城攻めを続け、守山城も信次の家臣らがこもって抵抗しつづけた。


 最終的には佐久間信盛の調略で、城内に残った家臣のうちの角田新五と坂井喜左衛門が寝返り、信時が引き入れられて守山城主としてそのまま居続ける事になった。


 なぜ、信長や信行がそんな判断をしたのかといえば秀孝は信行派であり、信光の弟である信次は信長派だったから、秀孝のせいで信次がいなくなるのは信長にとっては困ることだし、信行には守山城を奪い取るいい機会だった、そして清州城から守山城は遠く末森城から守山城は近かったからだな。


 とはいえ結局は家臣の間からも、実の弟が亡くなったのに、この処置はあまりにも冷たすぎるのではないか?という声も出たらしいけどな。


 とはいえ信次は、この後も信長の配下として働き、子実では長島一向一揆の討伐で討死するまで戦っている。


 まあそれはともかく秀孝を無駄に殺すのもどうかと思うので俺は秀孝を那古屋城に呼んで話をしたのだ。


「所で最近お前は短期で馬に乗り駆け回ったりしているそうだが」


「はい、僕は兄上にようになりたいのです!」


「は?!」


「兄上のように常日頃から自らと馬の調練を怠らず、河原での走り込みや水練などの鍛錬を行って、いずれは戦で功績を上げ、城持ちになりたいのです!」


「なるほど。

 で、あるか」


 この時代では織田という家に生まれたから必ずしも城が持てるわけではなく、兄の家臣といういわば部屋すみの身分に甘んじたりすることも少なくはないのだが、だからといってまさか俺の真似をしているとはな。


 たしかに俺は馬に毎日のように乗り、いざというときでもすぐに馬が動けなおかつそのときにバテないようにしている。


 河原での走り込みや相撲で足腰の鍛錬や水練もしているが、それを理解するのはわずかだ。


 しかし、多くの家臣の馬は日頃は厩に繋がれっぱなしなので、いざというときにすぐにバテてしまい、いろいろな場面で信長に追いつけなかったりもする。


 馬に乗って遠くまで走らせ続けるというのは乗り手も実はかなり体力を使うので意外ときついのだ。


「うむ、お前は見どころがあるようだ。

 だがそれはともかく外を出歩くときは供回りくらいはつけて行動するようにせよ」


「兄上にそれを言われてもあまり説得力はありませんが」


「それはそれ! これはこれ!」


「わかりました。

 でも、僕には供回りをつけてもらえるほどの地位がないのです」


「そ、そうか、では俺の名前でなんとかしておこう」


「わかりました!」


 とりあえずわかってもらえたか?


「まずは兄上自ら強くなるための方法を教えていただけますか」


「まずは官舎の正拳突き1万回! さらに腕立て伏せ100回、上体起こし100回、スクワット100回、ランニング10キロを毎日行うことだ!」


「わかりました! 早速これから毎日やってみます!」


 美少女と見紛う同母の弟をそばに侍らせてるとか言うと、それはそれでいろいろ誤解は受けそうだし、未来で風評被害が広がらないことを祈ろう。


 その前に髪の毛をすべて失う代わりに最強の力を付けちまうかもしれないけど。


 それはともかく史実の信長は森蘭丸だけでなく前田利家なども夜の相手だったわけだが、俺に男色趣味はないからな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ