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本能寺の変はなぜ起こったのか

 信長の撰銭令は永禄12年(1569年)に定められてている。


 そして信長は、浅井長政が行っていたような「破銭(欠け銭・割れ銭)や文字のない銭は使用禁止」という撰銭令を発令し、まず厳罰を課して撰銭の阻止を目論んだが、それは上手く行かなかったためその後、悪銭と良銭との交換レートを定める政策に改めている。


 この行為がむしろ信長の統治している地域においてより、通貨の信用を失わせて米本位制を完全復活させた。


 堺では文字のない無文銭が大量に作られ多くの撰銭令では、無文銭が排除の対象とされているが信長の統治した地域では通用したのだ。


 撰銭令は撰銭そのものをなくすためのものだと思われてきたが、それでは撰銭令は、大内や室町幕府などが自ら大量に所有する粗悪な渡来銭などを市民に押し付けるための、利己的な悪法に過ぎないことになる。


 まあ実際そうであると言ってもいいのだが。


 そして撰銭を禁じた大名から良貨を大量に仕入れ、これを融解して悪貨を作って、信長の統治地域に出これを使えば、莫大な利益が出ることになるし、実際にこれに信長というか畿内の統治権限を与えられた者たちは苦しんだ。


 実際、山科言継の日記では、永禄12年(1569年)に岐阜の町がモノ不足に陥って、商売が停滞し困っている様を記している。


 他の城下町では無価値で利用できないとされた質の悪い銭が、岐阜では信長の命令によって通用したし、信長が法で定めたことで悪銭だからといって、岐阜商人は悪銭での売買を拒否できなかったのである。


 そうなると悪銭を持った人々がほうぼうから岐阜に集まってきて、それで商品を買い漁った。


 そして、岐阜に悪銭が集まり、店先から品物が消えてしまったのである。


 そのため元亀2年(1571年)に至ると信長が禁じたにも関わらず信長の支配地域では米が取引の中心に戻り元亀2年から天正8年(1580年)にいたっては市場での信長の命令は無視され決済拒否される悪銭は使用されなくなり、やがて毛利の領土内通貨である石見銀の流通が活発化した。


 永禄年間になると、精銭と悪銭の貨幣価値にとんでもない差が生まれていたが、権力を持つ家臣は、作物の売買を悪銭での支払いを強要するようになるが、百姓などはせっかく作った作物を、その後まともに使えるかわからない悪銭で支払われるのは大損害となるわけで、しかも支払いに払われた悪銭を使おうとするとその相手はその受取を拒否する始末。


 そこで大名・領主層に対して、惣村の名主などは仕事を放置して解決のために押し寄せることになるのだが、信長はそれの対策に明らかに失敗し、結局物々交換になってしまい、貫高知行制の崩壊を引き起こしてしまった。


 その結果、信長は家臣に対して土地の支配権を与えるから、お前の才覚で経営し、兵を集めろって言う丸投げになって、しかもそこにあれはするなこれはするなと縛りをつけるという事をしたので当然不満も生まれた。


 その後も重度に悪銭が畿内に集中し、東国に良銭が流通したため畿内から東国での銭での決済拒否が続出することになる、これがおさまるのは本能寺の変で織田信長が死に豊臣秀吉が撰銭令を撤廃し、金貨、銀貨、銅銭を鋳造し始めた後であるが、豊臣政権が短命に終わったことで徳川幕府がそれを引き継いでいくことになるのだ。


 そして信長と本願寺との直接対決にけりがつくだいぶ前の天正3年(1575年) 設楽ヶ原で武田勝頼を破ったころ、信長は嫡男の信忠に、尾張・美濃を与え、織田家の家督を譲っている。


 もっとも家督を譲ったからyと言って楽隠居したわけではないのだが。


 天正7年(1579年)には安土城天守閣完成し信長はそこでの生活を始めた。


 柴田勝家は加賀に侵攻して陥落させ、明智光秀は丹波・丹後の平定を報告している。


 天正8年(1580年)には羽柴秀吉が播磨の三木城を落として、別所長治を切腹させ、それによりほぼ播磨が平定され、丹波は明智光秀に、丹後は細川藤孝に与えられた。


 中国・四国攻めの前に近衛前久を頼り、島津や大友と和平を図り、どちらとも友誼は結んでいる。


 もっとも島津による大友への攻撃はけっきょく続くのだが。


 そして林通勝親子と佐久間信盛親子を追放する。


 この船上での働きの悪さを、一旦許しても、それらが忘れらた頃に、信長の都合がよくなったら粛清や追放をするという行動が特に目立つようになってきている。


 天正9年(1581年)には高天神城を包囲する徳川家康を攻撃するため、武田勝頼が出陣すると聞き、信忠を清洲に出陣させ、安土城下で馬揃えの準備を明智光秀に命じ、宣教師ヴァリニャーノが黒人従者を連れて信長と謁見しそれを信長は譲り受けた。


 この年には天正伊賀の乱が集結し織田信雄らが伊賀平定。


 前田利家が能登を与えられ、羽柴秀吉は鳥取城を兵糧攻めの末落とすと共に、淡路島を平定した。


 そして天正10年(1582年)織田信忠は信濃高遠城を落として、武田勝頼は滝川一益に見つかり民家を包囲され切腹して甲斐の武田は滅びた。


 そして東北では、伊達・最上・蘆名といった主な大名がすでに信長に恭順する姿勢を見せており、関東では後北条氏が傘下に入っており、東国で表だって信長に逆らうのは越後の上杉だけだった。


 羽柴秀吉は高松城を水攻めし安芸から毛利軍が出陣し秀吉軍と対陣。


 信長は自ら出陣して中国を平定し、九州まで攻め入ることを決意したと言われる。


 この時に明智光秀・細川忠興・池田恒興・高山右近・中川清秀・塩河吉大夫らに先陣を命じ、明智光秀は坂本に帰る。


 そして起こるのが本能寺の変である。


 何故か俺は燃え上がる本能寺で寝ているところを叩き起こされた。


「なんだこれは謀叛か、首謀者は誰だ?」


 それに対して森蘭丸が答える


「明智の者とみえまする」


「む、是非も無し」


 そして人生50年と、炎に包まれながらも敦盛を舞う信長というやり取りがあったりするのだが、この「是非も無し」は「もうだめか」とか「それなら仕方ない」いうような諦めではなく「なにそれ? 全然意味わからん」という意味合いらしい。


 なおこの年、織田信長が京都に滞在したのは本能寺での3日間だけで、それまでは基本的に安土城にいた。


 さらに家康の接待のため堺に行く予定だった嫡男信忠が予定変更して京に滞在したのも偶々。


 秀吉からの救援要請来て急遽光秀が軍勢を組織したのも偶々。


 まあ偶然が重なりすぎたわけだが、ここには武田を滅ぼしてあとは毛利だけということで信長の油断もあったろう。


 浅井長政のときもそうだが信長は空気を全く読めないことも結構ある。


 そしてこの時期は織田家の重臣たちの軍団は羽柴秀吉は中国地方、柴田勝家は北陸地方、滝川一益などは関東地方、丹羽長秀は四国地方でで戦っており、畿内に残って大きな兵力を有している明智光秀の立場は、近衛師団趙のようなものであった。


 なおこの頃の明智光秀は正確には惟任日向守光秀であり、惟任という名前はおそらく秦氏系列の名前で、島津や長宗我部などと系列的に近い。


 しかし明智は清和源氏頼光流土岐氏の傍流であり、惟任という名前を光秀はあまり好まなかっただろう。


 ちなみに丹羽長秀は惟住長秀と名を変えており、惟任と惟住というのは、鎮西九党(ちんぜいきゅうとう)と呼ばれた、九州における9つの有力武士団の名称に含まれる名前だ。


 それはともかく明智光秀は織田の軍団では近衛師団長戸でもいうべき立場で、一般的に言われる怨恨などは俗説であり、信長公記では光秀が叱責されたことを恨んでいるという記述はなく、光秀に何か信長がひどいことした系の話の多くが江戸期の軍記物であったりする。


 またかと思うかもしれないがそれが事実なので仕方ない。


 しかしながら、この時に僅かな供廻りで京に滞在する信長と信忠を襲う手段と機会があったのは、光秀だけだったのは事実。


 ここで本能寺の変は明智光秀の単独行為ではなく、彼を扇動していた「陰の黒幕」がいたとされ、その背景には、明智光秀の行動があまりにも手際がよく、「用意周到に準備されていたのでは」と思われる節が散見されるということで、黒幕とされる主なものは朝廷、足利義昭、徳川家康、豊臣秀吉、安国寺恵瓊、教如、イエズス会など。


 ただこれらは拡大解釈したものに過ぎない。


 じゃあ本当の理由はなんだったのか?


 おそらく光秀の過去の境遇と年齢によるものだろう。


 明智光秀はもともと将軍義昭に使えていた幕臣あって、信長とは同格だった。


 松永久秀が何度も信長から離れたのも、時分と信長は同格だと思っていたからだろう。


 更に光秀の年齢が67歳ときわめて高齢であったことにくわえて、嫡子の明智光慶が10歳代前半ときわめて若年であった。


 さらに対四国政策の失敗もあって、佐久間信盛・林秀貞・安藤守就・丹羽氏勝といった重臣が信長の期待に背いて、過去の過失や些細な科を理由に放逐されている様子を見れば毛利を倒したあとで自分や嫡子がどうなるかという不安もあったろうし、統治や徴兵を丸投げするだけの信長に内心の不満もあっただろう。


 そんな状態の光秀に信長と信忠をまとめて打ち取れる機会が来れば魔が差してもしょうがない。


 というより信長が油断し過ぎであるといったほうがいいのだろうが。


「猿は中国で毛利と戦っていて、犬も能登、帰蝶は安土。

 俺自身が戦うしか無いというわけか、行くぞ蘭丸!」


「はい、信長様!」


 俺と蘭丸は襲いかかってくる雑兵をバッサバッサと切り倒しまくり、三段重で撃ち倒しまくった。


「最近は犬猿帰蝶ばかり闘っていたからな。

 こうやって自分で戦うのはなんかひさしぶりだ」


 そして雑兵を倒しまくった


 雑兵をなぎ倒しまくった結果、首謀者の明智光秀が俺の前に出てきた。


「おのれ信長! 

 良くも私のかつらを公衆の面前で剥ぎ取って金柑頭(ハゲ)と笑いものにしてくれたな!」


「え、謀叛の原因それなの?」


「馬鹿野郎、ハゲをばかにするやつは全世界のハゲを敵に回すんだよ!

 この謀叛の協力者も全員ハゲだからな」


「一体誰だよそれは?」


 そこに出てきたのはザビエル。


「おー、ハゲを馬鹿にする者を神はお許しになりませーん!

 私のことをハゲエルとか言ったお前は死ぬべしでーす」


「俺はそんなこと言ってねえ!」


 さらに黒幕はザビエルで俺がハゲだと言ったことが原因かよ、いやたしか後世日本でザビエルは散々ハゲハゲ言われてるけどさ。


「ハゲをばかにするやつは許さん!」


「そのとおりだ!」


 とやっぱりハゲな大友宗麟やハゲな上にクリーチャー顔な結城晴朝、立花道雪、堀秀政なんかまで乱入して来てもう意味わからん。


「ちっ、数が多いが蘭丸行くぞ!」


「はい、信長様!」


 とそこへダンと跳躍して飛び込んで来たものがいた。


「前田利家只今推参っすわ」


 ドゴンと壁を粉砕してはいってくるものもいた。


「くくく、強者が集っているな、我が戦国最幸の頭脳が滾るぞ!」


 更に普通に走ってはいってくるのは息子の信忠。


「父上お助けにまいりました!」


 そしてパラグライダーに乗った帰蝶も到着。


「はーい、貴方様、貴方の愛しい帰蝶が助けにまいりましたわ」


 そして帰蝶が携帯ミサイルランチャーを構えてそれを寺に向けて打ち込むと……。


 ”カッ! ドカーーン!”という轟音とともに本能寺は白い閃光に包まれて大爆発をおこしたのだ”


「最後の最後で爆発オチかーい」


 そこで俺の意識はそこで途切れた。


 そしてしばらくして俺は目を覚ました。


「おお! やっとお目覚めになられましたか。

 この世界でもっとも邪悪な大魔王ノッブ様」


 蘭丸っぽい従者がいきなりそんな事を言いだした。


「なにそれ怖い、ちょっと鏡で俺の顔に見ていいか」


「どうぞこちらに」


 生まれ変わったらしい俺の頭には悪魔というか魔族のような山羊のような角が生えていて顔も青い膚になっている。


「こりゃ完全に大魔王だわ」


「うーっす、ようやく目覚めたっすか? 寝すぎっすよ」


 そういうのは犬ではなく狼の獣人っぽい前田利家。


「ククク、もはや我が体に傷をつけるものなどおらぬ」


 そういうのは岩猿というか、なんかよくわからん合金のゴーレムっぽい木下藤吉郎。


「ああ、貴方様がようやく目覚められて安心しましたわ」


 そういうのは背中に蝶の羽と頭に悪魔の角を持つ帰蝶。


「父上!よかった」


 そういうのはなんかめっちゃ普通の人間な信忠。


「大魔王ノッブ様に蘭丸はずっとついてまいります」


 なんかちびっこ美少年になった蘭丸もそういう。


「たいへんです!

 勇者キンカン・アターマおよび僧侶のフランシスコ・ハゲテルらパーティーが攻めてきました!」


「ならば返り討ちよ! いくぞ!」


「うーっす」「承知!」「わかりましたー」「了解です父上!」「が、がんばります!」


 俺たちはよくわからん異世界に転移だか転生だかしてしまったようだが、この世界を征服し天下統一と行こうか。


 俺達の戦いはまだこれからだ!

というわけでこれでこのお話は終わりです。


まあ本能寺の変の本当の理由は魔が差したじゃないかと思いますよ。

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