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斎藤利政(道三)との聖徳寺での会見の本当の目的はなんだったのか?

 さて、とりあえず対戦格闘(タイマン)で平手政秀を倒したことでか、那古屋城の壁のステンドグラスやらパイプオルガンやらは消え去って普通の屋敷に戻った。


「取り合えず状況を思い出しつつ確認するか」


 まず俺の名前は”藤原朝臣織田上総守三郎信長”……本当は上総は親王任国なんで親王以外は守を名乗れないんだがな、そして平朝臣を名乗るのはもっと後でこのときは藤原を称していたようだ。


 そして上総介を名乗るのは1555年で、それ以後はこちらが使われているがそれまでは上総守だ。


「なんつー恥ずかしい……」


 そして外を見ると普通に土壁で囲まれているようだ。


「変なところでまともなんだよな……」


 この時代の城はまだ石垣などを組んで作るようにはなっておらず、堀と土塀などに囲まれた居館であって、大河ドラマなどで石垣を組んである城が出てきた場合は、将軍、管領、守護などが本来していたはずの白粉やお歯黒をしていない、信長の新ボビはそのあたりちゃんとしていたが……、みたいに視聴者のイメージに合わせて歪曲したものだが、西洋甲冑やらステンドグラスやらが存在してるような世界だからなぁ……。


 この城がある那古野は、元々駿河の今川氏親が尾張東部まで支配領域を拡大していた時期に熱田台地の西北端に築城した「柳ノ丸」がもとで、その城主であった今川氏豊を享禄5年、天文元年(1532年)に織田信秀が追放して城を奪い、那古野城という城名へ改めたと言われる。


 そして天文3年(1534年)に信長は勝幡城か那古野城で生まれた可能性が高いらしいが、ぶっちゃけそこまで覚えてない。


 その後天文11年(1542年)に那古野城を与えられ城主となっているるが、元服前の吉法師に何かができるわけもなく、実質的には林と平手ら家老が政務などを取り仕切っていたわけだ。


 天文15年(1546)に吉法師は元服して織田三郎信長を名乗り、天文17年(1548)に信秀と美濃の斎藤利政の間に和睦が成立し、織田信長が斎藤利政の娘である帰蝶を娶ることになる。


 同年の天文17年(1548年)の第三次安城合戦もしくは、第二次小豆坂の戦いで織田氏は大敗、安祥城は孤立して、平手政秀は援軍に赴くが織田信広が捕縛され安祥城は陥落。


 翌年の天文18年(1549年)に尾張に抑留されている松平竹千代と織田信広を交換するがこれにより織田は西三河での勢力を完全に失った。


 そして天文20年(1551年)父の信秀が流行の悪病にかかり居城である末盛城で没し、弟の勘十郎信勝(信行)が末盛城城主になる。


 下尾張の西側が信長、東側が信行の土地となるが、東は田畑が多くて農業的に恵まれた土地、一方の信長が与えられた西側は田畑は少ないが津島などの商業の発達した場所。


 西側は確かに銭は入りやすいが、兵を集めやすいとは言えないというのが普通の人間の考えだろう。


 この時代はまだまだ鎌倉時代から引き継がれる一所懸命という考えが強かったわけだし、旧来の農業主的な武士としての目で見れば実質的な家督相続は信行が跡取りと周りには考えられていた可能性が高い。


 しかし同年の赤塚の戦いで離反した山口教継と引き分け、萱津の戦いでは信光と協力して、清洲織田氏の又代・坂井大膳を撃破し坂井甚介を討ち取ることで戦上手を世に知らしめた。


 だが、天文22年(1553年)には傅役の平手政秀が織田信長を諌めて切腹したとされる、その次に行われるのが斎藤山城守利政のちに隠居のため出家した後は道三と名乗るが、の濃尾国境に近い富田の聖徳寺での会見で、実際にしばらくして斎藤利政から俺に対面したいという知らせの手紙が届いたので俺はそれを読んだ。


”織田上総守殿もこれまで御出で候はば祝着に候、対面ありたき”


 大雑把に訳せば”織田上総守殿が会うために来てくれればうれしく思う”ってとこか?


「わかった、その話を受けると伝えよ」


 俺がそういうと小姓が不思議そうにきいてきた。


「なぜ手紙は詠まれないのですか?」


「ん、なぜだ?」


「ですので手紙を詠まれていないのはなぜなのかと」


 ああ、そうか。


 現代だと本や手紙などを読む場合は声を出さすに黙読するのが普通だが、この時代は音読が普通で手紙の内容というのは詠み上げるのが普通だったんだな。


 それが変わるのは明治期に図書館が建設されてそこでの音読が禁止されていってかららしいが、その後も新聞などを音読する習慣はのこっていたらしい。


「別に俺がわかればいちいち詠み上げる必要はなかろう」


「そのようなことをなされるからうつけと言われるのでございますよ」


「で、あるか」


 かといっていちいち声を出して読んでいたら時間もかかり知られたくないことも丸わかりなのだがな。


 それはともかく、1549年に一度、斎藤利政とは織田家として会見を行っているはずだが、それは1548年の第三次安城合戦もしくは、第二次小豆坂の戦いでの織田の大敗に対して、斉藤と織田の連合により今川に対しての侵攻を牽制をするため兵をそれぞれ集めて行軍させているわけだな。


 そもそも織田と斉藤の同盟は、主に今川の脅威に対抗する手段であればこそその同盟関係が強固であるを伝えるために、会見を行うと称して武器を携えた兵を引き連れて国を横断することには間違いなく意味があった。


 とはいえ帰蝶と婚姻してから約5年、それまで俺は斎藤利政には一度も会ったことがない。


 婚姻の話をまとめたのはあくまでも平手の爺で当時は織田信秀の息子であるだけの俺に合う必要がないのもあるが、戦国時代では他国に嫁ぐ娘に父親が付き添うわけでもないからこれも特に珍しいことではない。


 それはともかく実の娘である帰蝶にも話を聞いてみることにした。


「これはどのような意味があると思う?」


「父上もこの後尾張に対してどうするか決めかねているのでしょう。

 それ故に貴方様が噂通りのうつけなのか、天才なのか見極めたいのでしょう」


 俺に対して帰蝶がそう言った。


「そして、俺がうつけならば暗殺して、尾張をそのまま奪うつもりか」


「それも十分ありえることでございますね」


 おれは帰蝶の言葉にフット笑う。


「うむ、では俺という人間をはっきりわからせてやるとしよう。

 犬!」


「某はここに!」


 動物の毛皮のような褌一丁の、体中傷だらけの野生児といった風体の男が答えた。


 のちの前田利家で幼名は犬千代なので俺は犬と呼んでいる。


「猿!」


「我はここにおりますぞ!」


 身の丈身長210cm体重145kgと天を衝くような巨体と真っ赤な鎧を身につけたさるというよりどう見てもゴリラという男が答えた。


 後の豊臣秀吉こと木下藤吉郎で、自称戦国最高の頭脳の持ち主だが大猿(ゴリラ)のようなので猿と読んでいる。


「そして帰蝶」


「はい、私もいっしょにまいりましょう」


 両手に自動拳銃オートマチックピストルを持つ俺の妻、帰蝶。


 持ち変えられる武器は自動小銃(オートライフル)狙撃用小銃(スナイパーライフル)対物小銃アンチマテリアルライフル小型多銃身機関銃(ミニガン)携帯誘導弾(ミサイルランチャー)榴弾砲などの大砲などなど。


 ぶっちゃけ帰蝶一人で各地に戦略拠点をぶっつぶせる気がするが深く考えないでおこう。


「うむ、富田へ向かうのはたったの4人だが我らが天下無双と知らしめてやろうではないか」


「うっす」


「我が力見せてくれるわ!」


「ええ、我が父にもきっと理解できるでしょう」


 ちなみに一番怖いのは犬でも猿でもなく帰蝶だったりするがな。


 ・・・


 一方の利政は「信長が大うつけ」であり、それによってすぐさま滅びるのであれば早めに婚姻と同盟を解消したほうが良いと考えていたがそれにより他の織田家と同盟するかどうかはまだ思案しかねていた。


 もっとも利政はそうではないと口では言い、事実として信長が戦上手であることは親である信秀の若い頃を彷彿させることもあり、どちらが信じるに足りる情報なのかを自ら見極めたかった。


 利政は800人ほどに折り目正しい肩衣・袴姿の正装をさせ正徳寺の御堂の縁へと並んで座らせ、その前を信長が通るよう準備し信長の度肝を抜こうとした。


・・・


 俺は両手を組んで十傑集走り(ダッシュ)で街道を疾走している。


 犬は四足で地を駆けながら俺に追随し、猿は川を驀進しているし、帰蝶はパラグライダーで空を飛んでいるが、お前ら自由だな!


「む?! 来い! 我が装備よ!」


 俺は視線を感じて念のために装備を呼び出した。


 全身を西洋甲冑で身を包みボロボロのマントをたなびかせ、右手には明らかに凶悪な印象の剣、左手にはショットガンというあれだ。


「どうしやした?」


 立ち上がった犬がひょうひょうと聞いてきたあとでざっぱあっと猿が河から上がってきた。


「わが殿の覇道を阻むものはすべてこの頭脳で打ち砕く!」


 猿は大岩へ頭突きを放って岩を粉々に粉砕しあたりを見回した。


 そして帰蝶の小銃から赤いレーザー光線が小屋へ向けて放たれている。


「む、暗殺者か?」


 俺が帰蝶にそう言うと希少はにこやかに否定した。


「いえいえ、危険はございませんでしたよ。

 ちょっとした茶目っ気でしょう」


「で、あるか」


 これが斎藤利政にコイツラうつけとかそういう次元じゃねえ、敵にしたら間違いなくやばい……と思わせた瞬間だったそうだ。


 ・・・


 俺は正装で身構える利政の家臣らの前を平然と通り過ぎて境内に入った。


 そしてすぐさま屏風でついたてを作り、呼び出した装備を解除。


 兜に押しつぶされていそうな髪の毛もきちんと整い、正装はシワひとつない褐色の羽織長袴となり、身に付けているのは小刀という普通の「若武者」姿へと変身し、何食わぬ顔で聖徳寺の御堂の縁に上がったところで、斎藤家の重臣、春日丹後と掘田道空の2人の出迎えを受けた。


「ほ、本日はご足労頂き誠にありがたく、対面所はこちらでございます」


 と案内された。


「うむ……舅様はいずこかな?」


「少々遅れておりますゆえ、ど、どうか、座敷の方でお待ち下さい」


「うむ、済まないまたせたな」


 そういって斎藤利政は屏風を開けて会見場に姿を現した。


「これは、舅様。

 ご尊顔を拝し奉り祝着至極に存じまする。

 上総守参上いたしました」


 おれは座り、親指を広げ、人差し指と中指を揃えて、三本の指でひし形を作りながら、そのひし形の真ん中に顔を伏せて、ゆかに鼻を擦り付けるかのようにして、平伏する。


 親や舅は尊属扱いだからな。


「うむ、婿殿。

 この山城守、今日は婿殿の晴れ姿を見ることが出来、祝着至極ぞ」


 そういう斎藤利政は何故か冷や汗をかいているが、式三献の盃をかわし、七膳を食し、その後は当たり障りのない会話を続けある程度時間が過ぎたところで俺は言った。


「舅様、日も低くなってまいりましたゆえ、本日はこの辺で、失礼したいと思います」


「うむ、そうであるな。

 ぜひまた会いたいものだ」


「は、またいずれお目にかかることもあるかと」


・・・


 会見が終わった後物思いにふける道三に、猪子兵介が声をかけた。


「くくく、上総守をこの場で名乗るとは。

 やはり奴はうつけ殿でしたな」


「貴様の目は節穴か。

 残念だが、美濃は織田の手に落ち、我が子やそなたらは信長の家来とり門前に馬をつなぐことになろう」


「はて?」


「わからぬならばそれでよい」


・・・

 俺は行きと同じように両手を組んで十傑集走り(ダッシュ)で街道を疾走し終わりへと戻ったている。


 やはり犬は四足で地を駆けながら俺に追随し、猿は川を驀進しているし、帰蝶はパラグライダーで空を飛んでいる。


「とりあえず会見は成功と考えていいだろうか?」


 俺が帰蝶にそう問うと帰蝶はニコリとうなずいた。


「はい、少なくとも父上にはおわかりいただけたかと」


「で、あるか」


 であれば暫くの間は尾張の織田家による内乱の収束に全力を注げそうだな。

信長も道三も国内や今川などの敵との対応が優先であったのでうつけた格好から正装へ着替えたあたりはフィクションだと思いますが信長に十分兵を集めて従わせる能力があることは道三にも理解できたのでしょう。

よく鉄砲500と言われますが実際は弓・鉄砲500なので500丁はおそらく持っていなかったと思いますがすでに戦場に鉄砲は投入されていたようですね。

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