浅井長政はイケメンの戦上手だったのか?
さて、浅井長政、正確に言えば本来はこの時点では賢政か……を先鋒として細川と六角の連合軍がとうとうやってきそうだ。
そういえば浅井長政はスラッとしたイケメン扱いされることが多いんだが、実際には縦にも横にもでかい……一般的にはありがちな今川義元的な体格であったようでイケメンとは言い難い。
実は浅井三姉妹には、彼女らが美人であると書かれた同時代や江戸期の記録は実は存在しないことや、実際は身長はやや低めで、髪の毛が薄めで、よく見ればあばたがあり、ちょっと出っ歯という贔屓目に見ても美男子とは言えない義経が歌舞伎などの影響で美男子扱いされたのと同じように、浅井長政のイケメンイメージは現代人による勝手なイメージだったようではあるんだ。
なので、信長の忍びの浅井長政はプロレスラーのような巨体の筋骨隆々な体格だったりするあたりよく考証されてると思う、信長の忍びは本当はギャグ漫画だけど。
そして浅井長政の一般的なイメージはお市の夫で夫婦仲がよく、浅井三姉妹の父でもある、織田信長の義弟で信長も目をかけていたが、その信長と朝倉の板挟みに苦しんで、結局は父久政の意向で信長を裏切った義に厚い勇将というイメージが強いんだが、斉藤義龍の正室の近江の方が浅井の出であるにもかかわらず、義龍が死んだ途端に美濃を攻めたり、観音寺騒動後の六角氏との境目協定を結んだにもかかわらずそれをあっさり破り南下して三郡を支配下に置くなど、実際は義に厚いとは言い難い行動も多い。
そして戦上手と言われる浅井長政なんだが、実は浅井長政が関わってる合戦はあんまり多くなく、初陣の野良田の戦いに斎藤義龍死後の稲葉山侵攻からの六角や六角斉藤連合との戦いに、姉川の戦いとその後の志賀の陣くらい。
そして野良田の戦いだが戦略的には失敗していて、佐和山城が落ちて百々内蔵助が戦死し、肥田城が包囲されるまで彼は行動を起こさなかった。
姉川の戦いでも浅井方は本来ならば横山城を守りきれば良かったのだが深入りし過ぎて、弟の政元、遠藤直経、今村氏直、弓削家澄、浅井政澄など長政派の主要な武将が全滅している。
だからその後は父に久政が主導権を握り返したのだ。
その後の志賀の陣では浅井は朝倉の後詰としてしか扱われず、小谷城では長政は戦わずに降伏した。
それを考えると戦上手という評価もどうだろうかと思うんだが。
「さて、長政は実際はどんなやつなのかな」
俺がそんなことを漢がていると猿がワクワクしているのがよく分かる。
「くくく、豪のものと拳を交えることは最高よ!」
戦いたくてウズウズしてる猿に俺は言う。
「うん、じゃあ長政と戦うのはお前に任せるわ」
嬉しそうに猿が答える。
「承知!」
そして先陣を切ってやってきたのは白と赤を基調にした某光の国からやってきた特撮の超越人をモチーフにしたような甲冑をまとった白い歯が眩しいイケメンの浅井長政だった。
「闇あるとこりに光あり! 悪あるところに正義あり!
悪は即座に削除なりッ!
浅井長政、ここに見参!」
おお、なんつうかものすごく間違った方向でイメージ通りだな。
「うぬが北近江の支配者の浅井長政か」
「そういうお前はなにものだ」
「我が名は木下藤吉郎、戦国の世の拳王よ!」
「ふん、貴様からは戦いを楽しむ邪悪な匂いがする。
故に即座に削除する!」
「ならばかかってくるがいい!」
”ラウンド1、ファイト!”
「とおっ」
浅井長政が垂直にジャンプしてから叫ぶ。
「正義は我にあり! 我が蹴りを受けて消え去るがいい!」
といって斜めに猿に向けて飛び蹴りを放ったが、どうやってんだあれ?
それを迎え撃つ猿の方はというと……。
「ふっ、ごちゃごちゃとうるさいわ。
男ならば拳で語れ!」
と言いつつ猿はその戦国最高の頭脳で迎え撃った。
そして長政の蹴りが秀吉の頭にもろに命中した!
「おい! 猿! 大丈夫か!」
しかし、その後で痛みにのたうち回ったのは長政の方だった。
「ぐあああ、足が、足がぁ!」
「ふん、そんな柔な蹴りでは、この戦国最高の頭脳に傷一つ残すことはできんわ!
この若造が!」
そして猿がのたうち回る長政に追い打ちのストンピングを加える。
「ぐわあああ。
わ、私の正義は……間違って……いない…… 」
そういって長政は意識を失った。
「ふん、つまらぬ。
我より強いものはどこにおるのだ」
そういうと猿は長政に背を向けてさっていった。
のだが。
「おい?! 猿?! まだ戦いは終わってねーぞ?!」
その後、襲いかかってきた六角と細川連合の雑魚を主に帰蝶がなぎ倒して、六角義賢を犬が、細川晴元を俺が倒すのは結構大変だったぜ。
まあ奴らはそんな強くなかったのが救いだったけどな。