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信長はなぜ楽市楽座を行ったのか

 さて、今川義元を倒して、徳川家康と同盟を結んで暇な俺は畑を耕したりしている。


「いやあ、畑仕事は楽しいぜ」


 なんで俺が畑仕事をしているかといえば、この世界ではまだたいしてやることがなくて、暇だからだったりする。


 それとも上洛して義輝と一緒に三好相手に無双してくるか?


 ちなみに那古屋城の城下に人を集めるためにいわゆる楽市楽座の令を出したり、無駄な関所の廃止例を出したりはしてる。


 関所については猿が


「退屈だ、チョットばかり美濃まで行って義龍殿と殴り合いでもしてくるか」


 などということを言っていたので。


「じゃあ、今現在、主な街道で勝手に関所を作って、そこを通るものから銭を取り立て懐に入れているものの関所をぶち壊してきてくれ、逆らうようならお前の戦国最高の頭脳を使って叩きのめしても構わん」


 といったら。


「承知した」


 と嬉々としてでかけていった。


 今頃街道の関所は猿の頭突きでみんな粉々になっているだろうな。


 それはともかく楽市楽座は、織田信長が戦国時代に初めてやり始め、その領国の経済発展を推進する政策をによりかれは力をつけ、天下統一への足がかりとした画期的な経済政策であると言われていたが、実はそうでもない。


 まず信長の祖父である織田信貞は、勝幡に城を構え、大永4年(1524年)に津島の豪族と揉めて津島の町を焼き払い、その後は娘を嫁に出して津島衆との和睦を計り、津島を武力と婚姻で支配下に治めた。


 そして父の信秀は同じように熱田を武力で支配した。


 信長はその権利を相続していたが、本来は寺社の介在する門前町は、その寺社に認められた不入権を盾にして、守護や国人などの武家の干渉を簡単に許さないものであった。


 津島や熱田が割と簡単に屈したのは神社の勢力が寺に比べてかなり衰退していたことも大きい。


 実際、伊勢神宮クラスでは、朝廷の供御人の系譜をひく人間が、朝廷から直接の禁制を得ているため、それに手を出せるものではなかった。


 まあ大湊なんかはそれをいいことに好き勝手していたりするが。


 それに対して武家の城下町に乗馬委任を呼ぶために行われたのが楽市楽座で、はっきりとしているものは天文18年(1549年)に近江の六角定頼が観音寺城の城下町に楽市令を発布し、永禄9年(1566年)には今川氏真が楽市令を出している。


 信長は津島と熱田の門前を抑えていたから当初はわざわざ楽市楽座を行う必要性がなかったわけだ。


 しかし、美濃の岐阜城へ本拠地を移動させたことで、津島や熱田は遠くなってしまったこともあって、永禄10年(1567年)に斎藤竜興の居城であった稲葉山城を攻略すると、二ヶ月後には岐阜城の城下町の新加納に「楽市令」の割札を掲げている。


 一般的には天正5年 (1577年) に織田信長が近江安土城下に発布した楽市楽座の法令のほうが有名だと思うが、それまでは寺社が持っていた商売の利益は、こうして武家に組込まれていったのだ。


 信長が永禄11年(1568年)に足利義昭を奉戴して上洛して実質的に足利政権の中枢政権を握った以降は、楽市楽座令の方向性が少し変わり、市場・宿場への往来者にたいして立ち寄りや宿泊の強制を行って銭を落とさせるようにもしていたりするが。


 また楽市では税金は納めなくても良いとされていたりもするが、実際には確かに間口に応じて金額が決めら、地子銭廃止されたが、信長は矢銭という形で上納金を納めさせたので実際無税になったとも言えない。


 なお、信長は港湾の商業都市に対して、矢銭を納めていれば、それまでに保有していた権利をほぼそのまま認めていたので、信長がやったことはそこまで先進的なわけではない。


 ついでに言えばそういった商取引の規制を緩和しまくることは弊害もあり、油や紙などの値段は下がったが、品質は保証されなくなり、高級なものは闇市場に並ぶようになったり、御用商人として大きな権力を持つ者も出てきた。


 楽市楽座にせよ関所の廃止にせよ信長は旧来は寺社や国人などが持っていた権利を奪って自分のものにしたに過ぎないという面はあるんだな。


 そして体中おがくずにまみれた猿が戻ってきた。


「少しは暇を潰せたわ、しかし我と互角に戦えるものはいなかったのが残念だ」


「まあ、そうだろうなとりあえず風呂には入っておけよ」


「承知」


 猿に関所を壊されて、それを止めようとしたら頭突きで頭蓋骨を粉々にされただろう連中は本当にご愁傷さまだ。

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