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桶狭間の戦いの戦力比が今川4万VS織田2千は本当なのか?

 さて、尾張を俺が統一し、甲斐の武田、相模の後北条と甲相駿三国同盟を締結し、西方の三河・尾張方面への領土拡張を図ろうとしていた、今川義元と正面から激突するのは時間の問題となった所で。年も変わって弘治3年(1557年)になった。


「まあ結局は今川とはどう合ってもやり合わなきゃならんわけだよな。

 斯波や親父の信秀の代から争っていたわけだし」


 そしてそれは織田信長の行った最も有名な戦いである永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いだな。


 従来は上洛を目指し45000もしくは20000の兵を率いて尾張に侵入してきた、今川義元が桶狭間で休んでいたところを信長が2000もしくは5000の兵で、梅雨末期の豪雨に身を隠しながら迂回して後方から奇襲し打ち破ったとされており、本来ならば絶対に勝つことの出来ないはずの兵力差での大逆転として、北条氏康と上杉憲政、上杉朝定、古河公方などが戦った川越の野戦や毛利元就と陶晴賢が戦った厳島の戦いなどと共に少数が大軍を打ち破った日本三大奇襲とされていたが、実のところはどれもそそこまで劇的な戦力差で無かったり、負けた方側の自滅だったりする。


 小瀬甫庵の信長記の記述をもとに帝国陸軍参謀本部が編集した説が 一般に流布していたが、最近は最近は今川義元は上洛の意図など無かったし、太田牛一の信長公記の内容のほうが注目され、その内容に沿った状況に従った説が主流になっている。


 これによれば信長は桶狭間山に陣取った今川義元に対して、真っ正面から突っ込んでいったことになっており、そもそも今川義元は谷間にいたわけではなくいたのは山の上で、迂回することもなく、ただひたすら一直線に桶狭間山の本陣を信長は目指して進軍しているとされる。


 かといって太田牛一の信長公記が本当に信頼できるかというとこれも怪しい。


 なぜなら信長公記での桶狭間合戦は双方の兵数は織田が2000に対して今川が45000とされていることと、桶狭間合戦は天文21年(1552年)に行ったことにされているからだ。


 天文21年(1552年)といえば父親の信秀が死んだとされる翌年で鳴海城主、山口教継・教吉親子が織田家を裏切り尾張領内へ侵攻したのを迎え撃った赤塚合戦と、坂井大膳らが松葉・深田城を占領したため叔父織田信光と共にそれを奪還した安食の戦いがあるが、当然そこでは今川義元とは直接戦っていないはずなんだが、そのときに今川義元は八事に出兵しているという記録が残っていたりもする。


 なので”実はそのときに今川義元は討ち取られていたんだよ!””な、なんだってー!”という意見とかもあったりするわけだが、その後も発給文書があったり官位を授けられていたりしてるので、それはないはずだ。


 そして今川義元が尾張へ攻め込んだ理由の1つは永禄1年から3年は永禄飢饉の真っ最中で、このときは上杉謙信が関東になだれ込んで小田原城を包囲したのも、名目は関東管領上杉氏に敵対するする北条討伐だったが、本当の侵攻目的は、関東の食料を奪うことだった。


 同じことは今川義元にも言えており、実際尾張に侵入した今川の兵は苅田狼藉乱妨取りに夢中になり統率が取れていなかったとも言う。


 だから今川の兵が本当に2万とか4万のような数だとしても、それには飢えた領民の次男や三男などかなり含まれていただろうが、彼らはいわゆる一族郎党からなる武士ではなかったので、言うことを聞かずに全体の統率は取れなくても仕方ないだろうし、買って勢いに乗っている間はいいが、危なくなったら逃げ出すやつも大勢いただろう。


 大軍であれば余計だし、今川義元自身陣頭指揮の経験があまりなく、それまでは太原雪斎などに任せていたから、義元の指揮官としての能力自体がそこまで高くなかった可能性も高い。


「で、まあそういうことに関係なく、公家かぶれでおしろいお歯黒の馬にも乗れない今川義元は上洛のために4万以上の兵を率いて尾張に攻めてくるんだろうなぁ」


 この世界においては少し古い一般的なイメージが反映されている……はずだ。


 俺が魔王っぽいとかな……猿こと秀吉のイメージはよくわからんが。


 そもそも今川義元にすれば、尾張守護の斯波義達が、合戦で義元の父の今川氏親に大敗して捕縛され、そのときに那古野を明け渡し、今川氏豊を城代として入れたもので、本来は那古野今川が領有していたものを信秀に騙されて失ったものだと言う認識もあった。


  天文19年(1550年)頃には、今川軍はとうとう尾張国下四郡の知多地区への侵攻を開始したが、翌年天文20年に将軍足利義輝や近衛家による織田と今川の和睦要請があり織田との和睦に応じた。


 しかし織田信秀が死去すると、尾張にすぐさま攻め込んでいるのだが、最終的には村木砦の戦いで信長が村木砦を陥落させたことで尾張侵攻計画は頓挫してるのだろう。


 そして今川義元がもし上洛をしようと考えていたなら、前年の織田信長や斎藤義龍、上杉謙信が上洛しているが、それらと同じように権威を低下させた将軍にあうのではなく、朝廷つまり今上陛下に謁見することが目的であったって、それにより本来征夷大将軍職と云うものは坂東の鎌倉にあるべきとといて、後北条を管領として自分が将軍になるという構想を持っていた可能性もある。


 そして京の将軍義輝にしてみれば、自分が後援している越後の長尾と敵対する後北条家と手を組んで、三管領家の斯波が持っている尾張を併呑することは、中央の足利将軍家に完全な独立行動であったろう。


 最も今川が東海道を、後北条が関東を武田が信濃・北陸・越後をそれぞれ分け合ったとしても三好長慶tロ争うつもりはなかったとも思うが。


 それに対して将軍足利義輝は六角に信長を支援させて兵を増やし、六角義秀は甲賀の池田恒興を援軍として派遣したとされており、美濃の斉藤を一色と名乗るのを認める代わりに織田へのちょっかいや六角への妨害をさせず、今川義元を確実に撃退するようにさせていたかもしれない。


 桶狭間合戦討死者書上では討死した織田軍990人余りのうち272人が近江国の六角氏からの援軍だったと書かれていたりするしな。


 信長は単独で今川と戦ったわけではなく、半将軍勢力と認識されていた今川に対して共同であたり、桶狭間の戦いでは桶狭間がある名古屋市緑区と今川義元が討ち取られた本陣の辺りの豊明市に古戦場跡があり、桶狭間で本隊主力を撃滅した織田・六角連合軍がそのまま今川義元の本陣を急襲し討死させたらしい。


 徳川軍の物見に出たものが報告したときに、織田軍は大軍で、士気は高く、兵が5000以上いるといったが、20000の兵がいる義元はたかが5000かと侮ったか、一笑に付したらしい。


 しかし、功績を上げれば出世し、もし討ち死にしてもでも家族の面倒は見てくれる織田の足軽と飢饉で食うものがないからと略奪のためだけに加わった雑兵や金で一時的に雇った加世者の傭兵で水増しした今川軍は本体は、初戦の勝利に気を許して雑兵などが略奪に夢中になってる間に攻撃されて多くは離散して撃破され、そのまま本体は離散、そのころ中嶋砦の前衛に張り出していた、岩室長門守、千秋季忠、佐々政次の総勢300人が今川軍に突撃し、千秋、佐々は戦死して、岩室長門守が生き残って帰還したことで、織田家中で岩室長門守の武名は極めて高まったのだが、岩室、千秋、佐々の300が今川軍に突撃したのは今川軍本体を城に撤退させないためであったようだ。


 300人という数であっても撤退のために背後から襲われては逃げ散ってしまうし、そうなれば今川義元は逃げてしまったろう。


 結局義元を本陣に張り付けるために突撃は行われ、それにより今川義元は退却も逃げ出すことも出来ず討ち取られたわけだな。


 ではなんで太田牛一は兵数やら年やらにいろいろ小細工をしたかといえば、後々六角を信長は倒すことになるから織田が今川を単独で倒したことにしたかったからじゃないかな。


「大変です、今川義元が6万の兵を率いて攻めてきました」


「おいおい。6万かよ!

 とりあえず 敦盛舞っておくか」


 有名な”人間五十年”ってやつだな、そして舞い終わったらいつものように出陣だ。


「犬、猿、帰蝶、でるぞ!」


「うーっす」「承知」「わかりましたー」


 激しい雷雨が降りしきるなかを、俺はいつものごとく十傑集走りで、犬は四足で地を駆けながら俺に追随し、猿も地響きを立てながら疾走し、帰蝶は流石に今回ばかりはパラグライダーは無理なので俺の背中におぶさっている。


 そして戦場について早々に桶狭間にいる今川義元が言う。


「ほーほほほほ、マロが上洛するために織田など一捻りにするでおじゃるよ!」


 そして胸元から鏡を取り出していう。


「いやじゃのう、雨のせいで白粉が崩れかけているでおじゃる」


 そう言うと”ぽむぽむぽむ”と化粧直しをする義元に俺はがっくりと膝をついた。


「なんというか……予想を斜め上に上回ってたぜ」


 俺のことは一切気にかけずに真っ黒な歯を出してニット笑う義元。


「お歯黒は完璧でおじゃるな、ほーほほほ」


 そう言って踊ってる義元へ冷たく通告する帰蝶。


「さーあ、今回は榴弾祭りですよー、桶狭間にむかって榴弾砲、集中砲撃開始!」


「了解!!」


 帰蝶がいつの間にか複数用意していた150mm榴弾砲をにっこり笑って部下に指示を出して砲撃を開始した。


 6万の人間がひしめく桶狭間に榴弾の雨が降り注ぎそれが着弾するたびに敵兵は爆発で吹き飛び、凪ぎ払らわれ、破片や爆風でミンチが大量生産されていく。


「うぎゃあああー!」


「ぐえええええええええ!」


「たすけて! かーちゃーん!」


「ふっ、こいつは流石に手が出せんな」


「うむ」


 さすがの犬と猿も今の桶狭間に突っ込むほど酔狂ではないらしい。


「あれ、やっぱ俺も出番ない?」


 か細い声で”ニーサン……”という声が聞こえる妖刀村正(ストームブリンガー)も気まずいのか沈黙したままだ。


 義元が使っていたはずの輿も義元左文字モ影も形もなくくこっぱミジンコのミンチまみれになっててもう俺はそれを直視できない。


 そして手に入れるはずだった義元左文字を俺は手に入れられなかったのだ。


「ちょっとやりすぎちゃったかな」


 そう言って”てへぺろ”する帰蝶に俺はなんというべきか言葉が見つからなかった。


 とりあえず今川義元を倒したことで歴史は新たなステージに進む……はずだ。

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