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織田信長は尾張統一前になぜ上洛して足利義輝に謁見したのか

 さて史実において信長の上洛といえば永禄11年(1568年)に足利義昭を奉じて行ったもののほうが圧倒的に有名だが、それに先んじる永禄2年(1559年)にも信長は上洛を行っている。


このときの織田信長の随行の者は100人程度とかなりの少数だったが、信長当人はもとより随行する者もみな金銀の飾りを施した大刀を差して派手な装いで意気揚々と上洛を行ったようだ。


 まあそんなことをしたら、堺はともかく京都では成り上がりの派手好きな田舎者と陰口叩かれそうではあるんだが、そういうことを知らないんだからしょうがない。


 で、この上洛の目的だが美濃・近江・京都・大和・堺などの商いを自分の目で見ることと、将軍足利義輝への謁見の両方だったようだ。


 美濃・近江・京都・大和・堺を見ることでおわり以外の商いやそこで行われていることの様子などを自ら確かめ、津島、熱田だけでなくその後に手に入れる予定の美濃でどういう事を行うかなどの参考にしたのだろう。


 よく言われる楽市楽座は信長よりも先に興福寺や六角・斉藤などが行っていて信長はそれを取り入れることで尾張や美濃の経済を活性化させていったのだろう。


 そして足利義輝との謁見で、信長は尾張守護として名実ともに尾張を支配する大義名分を整える筈だったが、当時、義輝は尾張守護の斯波家の邸宅を改修して住しており、信長はそこへ出仕したのだが、本来の尾張守護である斯波義銀も存命であったから、尾張守護就任は叶わ無かったようだ。


 そして、その後に尾張に戻った信長は岩倉城を陥落させて、尾張統一を推し進めた。


 尾張守護の地位は知多半島を巡って争っていた今川とやり合うためには必要なものだったろう。


 とはいえ桶狭間の戦いのときには信長はせいぜい尾張の半分程度しか掌握していなかったという者もいるが、実際は武力で一応統一はしたので、この頃は三河と扱われていたらしい知多半島を除く尾張はほぼ信長は掌握していたはずなんだな。


 もっとも尾張上四郡の国人がすぐに信長に従ったかどうかは別問題で斎藤義龍側についたものもいたかもしれないが。


 このときは幕府はともかく朝廷には謁見できていないのは信長に正式な官位などがなく、長尾景虎(上杉謙信)のように近衛家のような有力公家とのコネもなかったからだろう。


 長尾景虎が天文22年(1553年)と永禄2年(1559年)の2回にわたって上洛し、後奈良天皇に拝謁した折に、御剣と天盃を下賜され、敵を討伐せよとの勅命を受けたり、義輝から上杉の七免許という管領並の待遇を与えられたのに比べれば、ほとんど得るものがなかった信長とは明らかに違いが大きいが、コネのあるないというのは大きいのだな。


 朝廷とコネのあったはずの平手政秀もすでに失ってるし、彼を失った理由が信長にあったと思われていたのもあったろう。


 ただこの年には織田信長だけでなく斎藤義龍なども急遽上洛していて、前年の永禄元年に足利義輝と三好長慶の争いに三好長慶が正親町天皇の支持を取り付けて有利な形で和睦しているという事実があり、朝廷は京を追い出されてしかも朝廷に金を出さない室町将軍を見捨て、三好を武家の新たな棟梁と認める代わりに金を出すよういっていてまあ三好は新たな金づるとして見られたのだろうが、それにより足利幕府は権威を大きく落とし、室町将軍義輝との関係を維持することにメリットが無くなったのではないかということを確かめるために上洛に踏み切ったというのもあるようだ。


「ま、武衛様(斯波義統)が無事な以上は俺が大樹様に拝謁しようとする必要は特別ないんだよな」


 そもそもいま現在将軍義輝は近江朽木谷に追放されているしな。


 逆に今川義元は天文23年(1554年)に今川氏真へ北条氏康の娘である早川殿を縁組し、武田氏・北条氏と互いに婚姻関係を結んで甲相駿三国同盟を結成した北や東に対しての備えを一応心配しなくてもよくなった。


「やっぱ桶狭間になるわけか」


 俺の方も美濃との同盟は続いていて、伊勢の北部は国人同士の争いで忙しいからそっちから攻められる心配はないので、今川との正面対決になりそうだな。


 今川義元の片腕である太原雪斎は弘治元年(1555年)にすでに死んでるし、軍事の重鎮である朝比奈泰能のほうも高齢で弘治3年(1557年)のは死んでるんで、今川義元本人とやり合うことになりそうだ。


 最もこの世界は一般的な戦国時代のイメージが極端になった世界のようだから、今俺が京都に行って将軍に謁見したら、そこに三好長慶が攻め込んできて将軍と一緒に雑兵をバッタバッタとなぎ倒すとかなりそうだし、それはそれで面白そうではあるけどな。

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