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月見に鬼  作者: 哀ノ愛カ
3/8

第二献

玉零ちゃんカムバック!!な話です。

玉零が伏見山に籠って三日ばかりが過ぎた。

当然だが隼も学校に姿を現さなくなっていた。

「今日も白木君は休みか・・・」

朝のホームルームで担任の白鷺は心配そうに肩を落とす。

あれからちょくちょく玉零と連絡を取り合っている中で知り得たことは、玉零は隼にも居場所を言っていないということだった。

隼が流に何か聞いてきても、答えるなと言われている。

隼自身には、式神を送って待機を命令しているらしいが、大人しく待っている従者でもないだろうに。

だが、隼は始業式以来、姿を消した。

玉零を探しているのか。

それとも大牙を退ける策を練っているのか・・・。

どちらにせよ、隼と合流できなければ事が進まない。

流が持っている大牙に関する情報は少なすぎて一人では何もできないのだ。

「そうだなぁ・・・神咲君」

突然、名前を呼ばれ流ははっとした。

「君は白木君と親しいらしいね。今日の帰りに今までのプリントを届けてくれないかな?」

「俺、ですか」

「そう、君に。頼まれてくれる?」

そんな申し訳なさそうな顔をされて断る勇気は出ない。

流は、その無意味さを知りながらも「はい」と答えるしかなかった。

「良かった。ありがとう」

白鷺はほっとした顔をして礼を言った。

「それじゃ、放課後英語科準備室に来てくれるかな?本当は僕が行けたらいいんだけど、ちょっとやることがあってね」

この通りという感じで白鷺は顔の前で両手を合わせた。

女子生徒の大半が「可愛すぎて死ぬ」と悶絶しているのも頷ける。白鷺は、本当に人から好かれる性分のようだ。

始業のチャイムが鳴る。

一時間目は英語だ。

「では、英語の授業を始めるよ。今日は、グループに分かれて―――」

白鷺は教師として有能だと思う。

外見だけではない。内面からでも生徒達の心を掴んでいる。

授業も面白いし分かりやすいし、何より親身だ。

わずか数日で誰もが白鷺に心を許していた。

それは流も例外ではない。

窓から吹く風が白鷺の髪を揺らす。

白鷺が紡ぎ出す流暢な英語は、意味を理解できなくても耳に心地よい。

数日会ってない誰かに雰囲気が少し似ている気がして流は授業中白鷺をずっと見つめていた。


「白鷺先生のとこに行くんか?」

放課後、峻介が話しかけてきた。

「ああ」

峻介は「そっか」と言ってニンマリと笑った。

「白鷺先生、めっちゃええ先生やろ?」

「何だよ、急に」

どうしてドヤ顔でそんなことを言っているのかと苦笑していると、「俺、あの人に家庭教師してもらってたことあるねん」と、峻介は打ち明けた。

「本当かよ、それ。いつの話だ?」

「春休みの間やな。専門は英語らしいけど、どの教科も教え方めちゃくちゃ上手かったで」

「どの教科も、って・・・」

「ああ、俺、一年の成績全教科赤点で留年しそうでさ、何とか四月の始業式前日に再追試受けさせてもらって、合格できたんやけど。おかんも俺が留年しそうなの知って慌てふためいて、その時に雇ったんが白鷺先生やったんや。本真、白鷺先生のおかげやで。流と同じ学年におられるんは」

それは純粋に凄い。

留年確定だった峻介を春休みの短い間だけで追試合格に導くだなんて・・・。

「教師の鑑だな」

「やろ!まさか二学期から俺らの担任になるやなんてなぁ。本真ラッキーやで」

峻介は心底嬉しそうにそう言った。

「本真は隼のプリント俺も一緒に届けたいんやけどなぁ。隼のこと心配やし」

「いいよ。峻介は部活があるだろ」

峻介は小さい時から剣道教室に通っており、中学では迷わず剣道部に入部し、数々の大会を総なめにしてきた実力の持ち主らしい。  

彼女だった新庄莉子が死んでから部活は長らく休んでいたようだが、夏休みからようやく顔を出せるようになったそうだ。先日早希がそう言って喜んでいた。

「流は部活とか入らんのか?中学の時も帰宅部やったん?」

部活の時間が迫ってきているらしく急いで帰りの用意をしている峻介は何気なく聞いて来た。

本当に何気なく。

峻介は流の中学時代を知らない。その問いは峻介にとって他愛のない世間話の一環なのだろう。

だが、流にとっては、

「・・・中学は、弓道部に入ってたよ」

答えることすら重いことだった。

「へえ!宮古学園も弓道部あるやんか!入ればええのに。って、やばい、早よ行かな!じゃあまた明日な!」

「おう」

慌ただしく教室を出て行く峻介を見送りながら、流はゆっくりと鞄に教科書を詰めて行く。

「弓道部、か」

これから先、伏見山の時みたいに弓矢を使うことが増えてくるかもしれない。

弓道部に入り鍛錬するのも陰陽師として大切だろう。

が、それは言い訳だ。

今なら部活動で楽しく過ごせるかもしれないと思うのは、ただの幻想。

弓の腕は部活でなくても鍛えられる。

流はそう自分に言い聞かせ、英語科準備室の扉を開けた。

「すまないね。ここまで来てもらって」

「いえ。先生は何してるんですか?」

部屋では白鷺が大量のプリントをホッチキス留めしていた。

「明日の授業の準備だよ。いやー、六クラスも任されていると大変だね。今までこんな大人数教えたことないからさ」

教科書には載っていない英文――――恐らく白鷺はオリジナルの教材を作ったのだろう。

「大変じゃありませんか?こんなこと他の先生はしませんよ。教科書通りに和訳したり英訳したりで終わりです」

「まあね。でもそれじゃ、楽しくないでしょ?」

平然とそう言ってのける白鷺は本当に教師になるべくしてなった人物なのだと思う。

「手伝いましょうか?」

きっと、峻介がここにいたならそう言っただろう。だからというわけではないが、白鷺を助けたくなった。普段なら面倒だと無視していた流が手伝いを申し出るほどに、白鷺は良い教師だった。

「え?いいよ。神咲君には白木君への届け物頼んでるし・・・」

「いいから。一人より二人の方が早く終わりますよ」

流は勝手にプリントの束を手に取った。

しばらく呆気に取られていた白鷺だったが「君は本当に優しいね」とにっこり笑って作業を再開し出した。

一時間ぐらいかかっただろうか。

全てのホッチキス留めが終わった。

「ありがとう。助かったよ。じゃあ、これお願いするね」

手渡されたのは分厚い封筒だった。

「三日休んだだけで何でこんなにプリントがあるんですか」

「あーそれは、全部の授業のノートのコピーも入れてるからだよ。宮根さんは板書も上手だからね。お願いしちゃった」

もう、脱帽ものだ。

「分かりました。じゃあ、行ってきますね」

「よろしく頼むよ」

白鷺はまだ何かやることがあるのだろう。流と一緒に準備室を出ようとはしない。

「先生」

小学校、中学校、そして高校・・・十年間学校という組織に生徒として属してきたが、今まで記憶に残った教師などいなかった。

だけど、

「また手伝いますんで。いつでも言ってください」

白鷺は今までの教師とは何かが違う。

そんな気がした。

白鷺は最上級に爽やかな笑みを流に向けて「ありがとう」と言った。

その笑顔は、流の心の奥深くに優しく浸透していくのだった。



「で、どうするかな。これ」

隼に渡しても無意味な代物を流は持て余していた。

「ってか、あいつがどこにいるかも知らねーし」

玉零と隼が住んでいるアパートへ来たものの案の定隼の気配はなく、駐車場で途方にくれる。

近くに雑木林があるためか、やたらとひぐらしの声がうるさい。もう、日も暮れる。

いつまでもここにいても無駄だと思い、帰ろうとした時だった。

「あんた!」

隼が現れたのだ。

「久しいな」

「久しいなじゃないだろ。あんた、シロオニの現状知ってんだろ!?」

「貴様よりはな」

相変わらず癪に触る物言いをする。

こっちは協力する気で聞いているというのに、迷惑そうな顔を隠しもしない。

「貴様、暇なのか?」

「はあ!?」

分かっている。

妖怪の問題に陰陽師が首を突っ込むなと言っているのは。しかし、ここで引くわけにはいかない。

「あの狼の妖怪、どうにかならないのか?ご主人様を取られるのはあんたも面白くないだろ」

嫌味を返せば、隼はムッとした表情で「黙れ」と低い声で怒鳴った。

「今こそ従者の出番だろ。あんたじゃ役不足なら、俺も手を貸してやるよ」

「貴様に何ができる?大牙殿に力で敵うわけがあるまい」

「だから、知恵を絞ろうって話じゃないのか?あんた、意外と頭悪いんだな」

「貴様!!」

残念なことに玉零がいなければ全く話が噛み合わない。

やはり、白鬼以外の妖怪と陰陽師が手を組むのは不可能なのだろうか。

「それより、玉零様はどこだ?貴様、居場所を知っているのだろう?」

「それを聞いてどうするんだよ。会ったところで何もする気ないんだろ?」

隼は一瞬言い淀んだ後、「いいから吐け!」と脅しに来た。

流と隼の身長差はかなりあるので、胸ぐらを掴まれればそれなりに苦しい。

「生憎、言うなって言われてるもんでね」

少し大人気ないかとも思ったが、玉零とそう約束したのは確かだ。

もし、隼がもう少し協力的なら教えてやっても良かったが、残念だ。

隼は腕を一層上へ上げ、流の首を締め上げた。

そして、

「伏見山にいないのは分かっている・・・どこへ隠した?」

氷よりも冷たい声音で驚くことを口にした。

「どう、いう意味だ!?」

流の反応を見て、何も知り得ていないことを悟ったのか、隼はパッと手を離す。

「おい、今のどういうことだよ」

流の問いに隼は喉の奥で笑い、歪んだ顔を見せた。

「貴様、案外玉零様に信頼されていないんだな」

「っ!」

玉零は伏見山家に匿ってもらっているのではないのか。

もし、隼の言っていることが事実なら・・・隼の言う通りだ。

「ならば、貴様に用はない。帰れ」

「おい、話は終わってないだろ!?あんた、これからどうするつもりだよ。何とかしてあの狼にシロオニを諦めさせることはできないのか?恋の鞘当てぐらい繰り広げる気概を見せろよ!」

そのまま去ろうとする隼の背中に向かって流は叫んだ。

何故だか頭の芯が熱い。

「馬鹿か。そんなことをしたら一瞬で殺される」

「あんな頭弱そうな狼にそんなことできるわけないだろ!」

流に子供のような嫉妬心を剥き出しにしていた大牙を思い出す。

しかし、隼は溜息をついて、腕を組み、流を見下ろすだけだった。後ろで一つに結んだ髪が揺れている。

「俺は、ただ従うだけだ」

相変わらず女々しい奴だ。惚れた女から虫を追い払うこともできない。

隼はツカツカと流に近づいたかと思えば、「お使いご苦労」と呟いて流が手にしていた封筒を奪い取った。

「担任にはしばらく休むと伝えろ。あと、こういったことも無用だとな」

「・・・そんな気遣いの言葉を俺に託すほど、あんたがあの学園を気に入ってくれているとは知らなかったよ」

「ほざけ」

隼は冗談だろといった風に肩を竦めた。

「あんた本当に何もしない気か?」

完全に背を向けた隼は何も応えない。

「随分と『待て』がお上手なことで」

流が皮肉を発すると同時に隼は一瞬にして姿を消した。

日もすっかり落ちた。

誰もいなくなった駐車場で一人空を見上げれば、半分欠けた下限の月が冷たく流を見下ろしていた。

携帯を取り出して、ある人物に電話をかける。

何回目かのコールでやっと出たその人は、クスリと笑って『なあに?知りたいことでもありますの?』と言った。

伏見山可憐は知っていると、流は確信した。

「シロオニは今そっちにいないそうですね」

『あら、耳がお早いことで。このことはわたくしと夏しか知らないのに』

「今、シロオニはどこにいるんですか?」

『残念だけど、それは知らないわ』

「それは、教える気がないってことですか?」

苛立ちが相手に伝わったのか『八つ当たりしないでほしいですわね』という溜息が聞こえてきた。

解っている。

苛立ちの原因がどこにあるのかを。

流は少し深呼吸をして気持ちを落ち着けさせた。

「すみません。シロオニは誰にも知られないようにしたってことですね」

『あの鬼にとってよほどの事が起きてるんでしょうね。伏見山では安心できないなんて』

大牙には伏見山の結界を破れるぐらいの強い妖力がある、ということなのだろうか。

それとも、やはり陰陽師には頼れず、知り合いの妖怪に助けを求めに行ったのか。

「状況は分かりました。夜分にすみませんでした」

自分でも分かるぐらいに弱々しい声で謝る。

通話を切ろうとすると、『待って』と可憐が止めた。

『伏見山を出て行くときに、言ってたの』

「何を?」

可憐が息を吸い込む音が聞こえた。僅かに空気が震えている。

『いいえ。それを伝えるのは今じゃないわ。ごめんなさい。ただ、あの鬼はまだ京都にいるはずよ。大牙っていう妖怪にまだ見つかっていないとすれば、必ず協力者がいるはずなの。検討は、貴方も付くでしょ?』

何とも煮え切らない言葉だったが、問い詰めても可憐はそれ以上のことを話す気はないようだったので流は仕方なく通話を終了させた。

確かに、協力者の検討は付いている。

しかし、奴が玉零を助けるだろうか・・・。

無名――――かつて神咲家の者に封印された陰陽師が。



無名は流預かりになっているが、実際、伏見山の鎮魂祭以降その姿を見かけてもいない。どこで何をしているのか全く分からないし、呼んでも出てこないところを見ると、自力で見つけ出すのは不可能だろう。

念のため翌日大牙の様子を見に行くと、生き生きと迷惑な治療を繰り広げていた。

まだ、玉零を見つけ出してはいなさそうだ。

というより、玉零を探す気もないのではないかとさえ思える。

一体何のために大牙は宮古学園で養護教諭をしているのか・・・。

「楽しそうではある、な」

案外ああいう単細胞は恋よりも目の前の楽しいことに目が行きがちなのかもしれない。

「何をしてるんだい?」

中等部の中庭から保健室を覗いていると、突然声をかけられた。

まずいことに今は、授業中だ。

「すみません。すぐ戻ります」

素直に謝ってやり過ごそうとしたが、それはできなかった。

「神咲君」

「白鷺先生・・・」

自分の担任教師に見られては、言い訳もできない。そもそも本当のことも言えないのだが。

白鷺は困った顔・・・というよりは心配な顔をして流の目を見つめた。

「中等部への用事で二階の廊下を歩いてたら君の姿が見えたからさ・・・」

そう言ったきり白鷺は何も聞いて来ない。

ただ、

「もう、戻りなさい。それから、今日の放課後また僕の手伝いしてくれないかな?」

優しい笑みで流の背中を押すのだった。

罪悪感が、心に広がっていくのを感じながら、流は教室に戻るほかなかった。


放課後、英語科準備室に行くと、白鷺は既に作業を始めていた。

「先生・・・」

「悪いね。ありがとう」

しばらく無言でホッチキス留めをしていたが、とうとう白鷺が口火を切った。

「何か、悩み事でもあるのかな?」

作業を止めずに何となく聞いて来たその問いにどう答えるべきか悩んだ。 

何もない。

そう答えたところで白鷺が納得しないのは目に見えている。

悩みがあるのは事実なのだから。恐らく鋭い観察眼を持つ白鷺を誤魔化すことはできない。

「あります」

だから、流は正直に答えた。

「でも、それは白鷺先生に相談できないことなんです」

「僕のことがまだ信用できない?」

心苦しいがここは「はい」と答えるしかない。

白鷺は苦笑して「そっか」と言った。

その悲しそうな顔を見ていると胸が押し潰されそうになる。

「先生、あの―――」

だが、ここで諦める白鷺ではなかった。

「じゃあ、違う話をしよう。好きな食べ物は?」

「え?」

「だから、好きな食べ物!僕はね、カステラが好きなんだ。流君は?」

「・・・強いて言うなら饅頭ですね」

「へぇ!意外と渋いんだね!やっぱり京都人だからかな?」

「あ、いえ、もともとは東京に住んでて――――」

その後、ホッチキス留めが終わるまでの間、流は白鷺といろんな話をした。つまりは、あっという間に白鷺のペースに乗せられていたのだ。

最後のプリントの束のホッチキス留めが終わり、白鷺は隼のことを聞いて来た。

「白木君、今日も休みだったね。昨日はどうだった?今日の帰り家庭訪問に行こうかなぁ」

「いや、大丈夫ですよ!体調が悪いわけではないらしいので!電話したら家の用事で京都を離れてるらしくて、向こうで自主学してるからノートのコピーとかもいいって言ってました!」

自分のことで頭を悩ましている挙句、妖怪のことで要らぬ心配を掛けさせるわけにはいかないと、流は咄嗟に嘘をついた。

「そうは言っても僕の生徒だし心配だよ」

千歳とかいう妖怪に頼んでさっさと退学届なり転校手続きなりしてほしい。

「何か分かったらその都度白鷺先生に伝えますんで!」

「そうかい?ありがとう」

無邪気に笑う白鷺を見ていると心が痛むが、これで良かったんだとホッとしている自分もいる。

「流君」

「何ですか?」

部屋を出る直前、白鷺に声を掛けられた。

「また、いつでもおいで。それで、いろんな話をしよう。言いたくないことは言わなくていいからさ」

本当に頭が下がる。

「仕方ないなぁ。俺で良ければいつでも手伝ってあげますよ」

「あ、バレた?」

なんて、舌を出しておどけてみせるところも――――誰かの笑顔と被って見える。

「先生、また来ますね」

「待ってるよ」

そして、放課後になれば白鷺の手伝いをすることが流の中で日課になっていった。



最近の玉零は既読スルーを連発しており、電話にも出ない。直球で伏見山を黙って出たことを詰ったのがいけなかったか。

無名の居所も掴めず仕舞いだ。

このままでは何も進展しないのは明白なので、流は大牙と接触することにした。

否、本当はその決心をつけたのはもうだいぶ前のことだった。可憐と電話した翌日には、一度大牙と話し合わなければならないと思っていたのだが、白鷺にサボりが見つかってからは授業中に実行できず、放課後は放課後で白鷺の手伝いや文化祭の実行委員の会議やらで全く大牙に会うことができなかったのだ。

だが、今日こそは・・・。

「どひたん?そふなむふかしそうなかおして」

扇が朝食のパンを口に咥えながら居間にやってきた。

「そんなん大牙って妖怪が現れてからずっとやん。なあ、優衣?」

楓には全てお見通しだったようだ。

「あ、ああ。そうやね」

同意を求められた優衣はまだ眠いのかちょっと反応が遅れたものの、楓に同意した。

「わたし、そろそろ時間やし行くわ」

「はあ?まだ朝ごはん残ってるやんか!」

優衣は扇の言葉に耳を貸さず、鞄を持って足早に家を出て行った。

「最近、優衣さんも変ですわよね」

流の横で百花がボソッと呟く。

「そうか?」

優衣が朝慌ただしいのはいつものことなので別段気にはならなかったが。

「ま、何かあればうちらに言うてよ」

「せや、狼か何か知らんけど、陰陽家が集まった地に来たのが運の尽きや」

パンを全て飲み込んだらしい扇は盛大に笑って台所に去って行った。いつものように食後のアイスでも食べるのだろう。

「絶対、他人事やと思うてるよな、兄貴」

楓の溜息に百花と苦笑しながら、流も朝食のパンを飲み込む。

「行くか」

「はい」

二人して立ち上がると、楓が冷やかしてきた。

「本真に夫婦みたいやね」

ニタニタと笑う楓とは裏腹に百花の顔は真っ赤だ。恐らく流も百花と同じ顔色をしているに違いない。

「行ってきます!」

少し硬い声でそう言うと、流は百花の手を引いて玄関へと向かった。

外へ出れば、九月も半ばに差し掛かろうとしているのに、容赦ない朝日が流と百花を照らした。でも、そんなことは些細に思えるほどに頰は熱く、胸を焦がしていた。

穏やかだ。

本当に穏やかで、幸せな日常を百花と二人で歩く。

だが、非日常に思えていた玉零のバカ元気な声が聞こえて来ないことに一抹の寂しさを感じるのも事実だった。

「百花」

「何ですか?」

「・・・いや」

その寂しさを百花も感じてくれているだろうかと考えて、確かめるのを止める。

「早く、涼しくなってほしいな」

百花は一瞬キョトンとしたが、すぐに笑顔になって「そうですわね」と言った。直前で話題を変えたことに気づいたのだろうか。しかし、こういう時、百花は追求しないことを知っている。その優しさに甘えて、流は心に抱いた思いをそっと仕舞い込んだ。


早く、シロオニに戻ってきてほしい――――


流の日常には、もう、玉零がいて当然になっていた。



まだ朝のホームルームまで時間がある。

人の出入りが激しい時間だったが、もうそんなことを気にしてはいられなかった。百花が中等部の校舎に向かうのを見送って、流も中等部へと赴く。

目指すは保健室だ。

中等部も高等部も男子の制服は学ランなので、それほど目立つことはなかった。

流はスタスタと歩いて行き、保健室の扉をガラッと開けた。

「よう」

目当ての人物は堂々とベッドで寝ていた。

「おい、起きろ」

肩を揺らせば、目をこすりながら大牙は目覚めた。

「ハクロおはよう。もう仕事の時間なのか?でもまだ眠、い・・・」

誰と勘違いしているのだろう。

「違う。俺は神咲流だ。あんたに話があってきた。って・・・起きろ!」

布団の中に潜り込もうとした大牙の耳元で大声を出す。

「ひゃあ!」

途端に大牙が飛び起きた。

「な、何しにきたんだよ!お前にモーニングコールは頼んでないぞ!」

「まさかとは思うけど、あんた、ここで寝泊まりしてるのか?」

「当たり前だろ。俺は保健室のセキニンシャってやつで・・・えーっと、トジマリカクニン?しなきゃいけないからな!」

だめだ。

こいつとまともに会話を成立させられる気がしない。が、流は深呼吸して気持ちを落ち着けてから本題に入った。

「シロオニが困ってるんだ。一旦諦めてくれないか?」

だが、その言葉は大牙の逆鱗に触れてしまったようだ。

「諦められるか!やっと会えたんだぞ!?今度こそ俺は玉零と結婚するんだ。それで、幸せな家庭を築くんだい!」

歯をむき出しにして大牙は威嚇した。口の両端から鋭い犬歯が覗いている。人の姿をしていても、狼の妖怪というのは伊達じゃないらしい。

だが、ここで怯んではいられない。流は噛みつかれるのを覚悟で攻め立てた。

「だったら尚更シロオニと話し合えよ!今のままだとただのストーカーだぞ!?」

「ストーカーじゃないもん。玉零だって、俺のこと好きなんだ。俺から逃げてるのはただの照れ隠しなんだい!」

「馬鹿か?あんたが現れてあいつは姿を隠した。あんたに会いたくないのは明白だろうが!」

図星を突かれたからだろうか。大牙の瞳が一瞬揺れた。

「な、何も知らないくせに・・・俺はずっと・・・玉零のことが好きで、欲しくて!やっとハクロの許しも出たんだ。玉零の気持ちなんて関係ない。無理やりにでも俺のものにするだけだ!」

純粋なのか。歪んでいるのか。大牙の目には大粒の涙が浮かんでいた。

(ガキか・・・)

流は呆れて物も言えなかった。

それよりも、大牙がさっきから言っている『ハクロ』という人物が気になる。

「なあ、『ハクロ』っていうのは――――」

「お前なんかに・・・お前なんかに玉零は渡さないんだからな!ハクロに言いつけてやる!」

とうとう、ポロポロと涙を零し始めた大牙はいきなり走り出した。

『ハクロ』について聞こうと思っていたが、大牙を追えば直接その人物に会えそうだ。

本当なら構っていられないような茶番だが仕方ない。

登校してきた生徒達が何事かと泣きじゃくりながら走る大牙に目を向ける。目立って仕方ないものの、背に腹は変えられず流も必死で追いかけた。

そして、息も絶え絶えに走り続け、辿り着いた先は――――

「何、で」

高等部の英語科準備室だった。

つまりは――――

「聞いてくれよー!ハクロ」

流は目の前の光景に息を飲んだ。

大牙は白鷺の膝に擦り寄って泣いている。

『白鷺』は『ハクロ』とも読めることに今更ながらに気づいた流はか細い声で「先生」と呼んだ。

教師だと思っていた目の前の男は溜息を吐いて苦笑した。

「すまないね。騙したみたいになっちゃって」

「どういうことですか?」

いや、違う。まずはこの男の正体を確認しなければならない。

神経を尖らせても、妖力を感じないが、この男は恐らく――――

「白鬼、ですか?」

流は核心をついた。

「んー、厳密には違うね。僕は白鬼と――――」

「白鬼と妖怪のハーフ、ですね」

白鷺は「ほう」と言って目を細める。その切れ長の目の形だけが彼女と違う。

が、

「妹から聞いたんだね」

人を見定めるような瞳も、固い意志を秘めたような顔つきも、確信めいた物言いも、彼女と同じだった。

彼女――――玉零と。

「やっぱり、シロオニの縁者でしたか」

白鷺は開き直ったようにニコッと笑う。その変わり身の早さと笑顔までもが、玉零にそっくりだ。兄だと言われて驚きもしない。何より、人間に親身になり過ぎるところなど、玉零そのもののように思えた。それが、白鬼の性だと言われればそれまでだが。

「白鷺、何笑ってるんだよ!こいつ、俺をいじめてくるんだ!」

依然白鷺の膝で豪快に泣いていた大牙がキッと流を睨む。

『シラサギ』改め『ハクロ』は、小さい子を宥めるように大牙の頭を撫でると、溜息を吐いた。

「大牙、君のせいだよ。彼に僕の正体がバレたのは。分かってる?」

「だって、こいつが―――むがっ!」

そして突然大牙の顎を掴んで己の膝から引き離し、顔を上に向けさせた。

「ごめんなさい、は?」

「ご、ごめんなさい・・・」

大牙はしゅんとして白鷺から離れ、その場にへたり込んだ。

もし今、大牙が狼の姿をしていたなら、確実に尻尾が垂れ下がっているだろう。

それにしても、すごい躾けられ様だ。玉零の従者である隼もなかなかの忠犬っぷりだが、あれは元が良いのだ。大牙のような駄犬をここまで飼い慣らすには主人の力量がものを言うだろう。

この男――――玉零以上に侮れない。

すると突然、白鷺が声を上げて笑い出した。

「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。僕と大牙がここへ来たのはね、玉零と話をしたかったからだよ。元より君を巻き込むつもりはなかったんだ。僕の正体を君に明かすつもりもなかった。でもこのポンコツがヘマをしちゃったから・・・ね?」

白鷺に笑顔を向けられた大牙はバツが悪そうに視線を逸らした。

「貴方達が玉零に会いに来たのは分かりました。でも、」

「でも、どうして玉零が僕達を避けているか、だね?」

「・・・はい」

こうして心を読まれると玉零を前にして会話をしているかのようだ。

「玉零は恥ずかしがってるだけなんだ!本当は俺とけっこ・・・いや、何でもない」

大牙が口を挟もうとしたところを白鷺はまたしても笑顔で黙らせた。

そして、

「僕はね、玉零に嫌われてるんだ」

そう切り出した。

「玉零は大牙から逃げてるわけじゃない。大牙ぐらいなら気配を完全に断つほどの隠れ方はしないだろう。玉零は、僕から逃げてる。僕の顔を見たくもないのさ。かつて、将来を誓い合った恋人との仲を引き裂いた憎い兄の顔なんて、ね」

白鷺は淡々と、そう言った。

掛ける言葉が見つからない。そのまま沈黙に身を委ねていると、白鷺は意を決した様に口を開いた。

「もう百年以上も前のことだよ。二人は心から想い合っていた。そんなことは百も承知だったけどね、当時の僕は許せなかった。だって、玉零の相手は人間だったんだから」

衝撃が脳天を突き抜ける。初めて知る玉零の過去に触れて、流の鼓動は早鐘を打つ様に脈打っていた。俄かには信じられないが、何百年という時を生きてきた玉零に恋の一つや二つあっても何もおかしくない。それが人間との恋であっても、玉零ならば納得がいった。

「白鬼の務めに忠実な妹のことだ。人を深く愛するなんてことは、むしろ当然のことだった。でも・・・だからこそ、二人を一緒にはできなかったんだ。なにより、寿命が違いすぎるからね」

そう。人を愛する妖怪、白鬼ならば――――その情愛を恋と勘違いしても、おかしくはない。

「だけど、あの時の判断は間違いだったと今にして思うよ。例え仮初めの恋だとしても、最後まで向き合わせるべきだった・・・僕が変に介入したばかりに妹に憎まれ、絶縁状態になってかなりの年月が経った。過ぎたことは仕方ない。けれどこのまま家族が離れ離れなのは忍びないんだ。僕はあの時のことを妹にきちんと謝って、家族に戻りたい。それが・・・僕の悲願なんだ!・・・今回、この学園に来たのは、そういう理由だよ」

朝日に照らされた白鷺の目は、力強く輝いていた。

白鷺の言葉は衝撃的だったが決して嘘ではないだろう。

それに兄弟との蟠りがどれだけ辛いことかは重々知っている。

解けるなら、そして再び結び直せるなら、それに越したことはない。

だから、

「本当に君を巻き込むつもりはなかったんだ。でも、僕達だけじゃ玉零の居場所さえ分からない。もう、手詰まりなんだ。もし・・・もしも、君さえ良ければ、協力してくれないか?」

その申し出を流は承諾した。

想像通りだったと思います。先生、お兄ちゃんでした。白鷺先生・・・良い人ですよ(笑)

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