第74話 トオル
「ギルベルトぉぉおお!」
トオルは迎賓館の薄暗い一室にあるベッドから飛び起きた。随分と懐かしい愉快な夢を見ていた気がした。
トオルの大声に食器が割れる音がした。
食器が割れる音にトオルが振り返ると、キューが驚きのあまりさ湯の入ったマグカップを落としていた。
「……トオル様……良かった、目が覚めたのですね。すみません、突然のことでさ湯を落としてしまいました。すぐに片付けます……と、トオル様?」
キューが素手で片付けようと、割れたマグカップに触れようとしたのをトオルが止める。
「キュー、その手が傷ついたらだめだろ。俺が片付けるから、そこでちょっと待ってろ」
トオルは部屋から出て使用人から片付ける為の道具の場所を聞き、部屋に戻ってさっさと片付けてしまった。
「……あの、トオル様。キューはアンドロイドですからそのような些末な――」
トオルがキューに背中を見せたまま「何言ってんだ。恋人を使用人扱いする馬鹿がどこにいるってんだ。……ああ、なんか自分で言ってて恥ずかしくなってきたが……ま、まあそういうことだ」
トオルは恥ずかしくなったのか「それより」と話を変える。
「懐かしい夢をさっき見たんだ。夢って言うよりかは、昔の記憶か」
トオルは懐かしそうに、楽しそうに、夢の中で見た思い出を語った。
「ギルベルトがキューと女子達にボコボコにされてな。ブライが最終的に女子達を止めたみたいだが、あの時は俺まで営倉入りになる所だったんだ。今となっては笑える話だがな」
トオルが心底楽しそうに笑った。
「俺は、あんな般若みたいな顔したキューは初めてみたよ。将来、キューと家庭を持った時は尻に敷かれるのかなって思ったさ」
トオルはさっきから黙り込んでいるキューに「……さっきから黙ってどうしたんだ? キューは覚えてないのか?」と不思議がった。
「……いえ、トオル様」
トオルはキューの格好を見て一人納得した。
「あーその恰好じゃ人前に出れないよな。ちょっとキューの着る服、探してくる。待っててくれ」
トオルは割れたマグカップと雑巾を使用人に渡し、キューの着る服を探してナカジマ達の所へ向かった。
部屋を出る元気そうなトオルとは裏腹に、キューは一言も発さず立ち尽くしていた。
トオルがナカジマ達を訪ねるとナカジマが「トオル!? 大丈夫なの?」と駆け寄った。
「ナカジマ、頼みがあるんだが聞いてくれ」
ナカジマが怪訝な顔する。
「何の頼みよ? 言っておくけど、わたしが出来ないことは出来ないわよ?」
「いや、簡単な話だ。キューが着れる服を探しているんだが、ナカジマの服を貸してやってはくれないか?」
ナカジマが「はあ?」と声を出して何を言っているのと言いたげな顔をした。
「ごめん。トオルが何を言ってるのか分からないんだけど、何でキューに服が必要なのよ。キューはアンドロイドでしょ?」
ナカジマの"キューはアンドロイド"という言葉に、トオルが頭の痛みを感じて顔をしかめた。
「……ナカジマこそ何言ってるんだ。キューは人間だぞ。それに恋人があんな下着みたいな恰好でうろついてたら、誰だって何とかしようとするだろうが」
ナカジマが一瞬思い悩む。
「だからナカジマ頼む。この通りだ」
トオルが手を合わせて頭を下げ頼みこみ、そのトオルを見たナカジマは目をつむって息を吐いた。
ナカジマは、記憶に異常をきたしているトオルに話を合わせることを決心したようである。
「分かったわ。わたしの私服を一着貸してあげる。あまり可愛らしいものじゃないけど」
ナカジマが、エイトフラッグ号から持ち出したカジュアルな私服を四角いトラベルバッグから取り出した。
「……分かってはいたけど、こんな服しかないなんて、自分の女子力の低さが恨めしくなってくるわね」
ナカジマがカジュアルな私服をトオルに渡す。
「可愛いレース入りのブラウスでもあれば、キューに似合ったかもしれないけど……わたしって、そういう服を着たこと無いのよ」
「いや、いいんだナカジマ。キューと旅行に来た記念に、服でも買ってあげようか思ってたところだから外に出れる格好ならいいさ」
ナカジマがトオルと目を合わさずに「そ、そう」と呟くと扉を閉めた。
トオルが部屋に戻り、キューにナカジマから借りた服を手渡した。
「トオル様、これは……」
キューが手渡されたカジュアルな服を見つめる。
「俺は部屋の外で待ってるから着替え終わったら呼んでくれ。その後は観光でもしよう。折角来たんだから時間は有効に使わないとな」
トオルは私服に着替えたキューの手を握り、迎賓館を出て西ベルリナの街を歩く。
「……トオル様、どこへ向かうのですか?」
「取りあえず、キューに服をプレゼントしたいと思ってな。こうやって二人で街を歩くのも三年ぶりぐらいだろ?」
トオルは、黙って俯くキューの手を繋ぎながら街を歩き服屋を探した。十数分近く歩き続けて、ようやく女性物の服を売っている店を見つけた。
トオルはキューを連れてそこに入る。店員が「いらっしゃいませ」と社交辞令的な挨拶をしトオルが「キューに似合いそうな服を見繕って欲しいんだが……支払いは金貨でも大丈夫か?」と店員に聞く。
「もちろんですとも。海向こうのアネシア王国と国交が出来てから、金貨も入ってきていますからね」
店員がキューに似合う服を見繕い持ってくる。
「白いワンピースなんてどうでしょうか。貴方の妹様にとても良く似合うと思いますが」
店員がトオルとキューを兄妹だと勘違いしたようで、トオルに「恋人だ」と訂正され慌てて謝罪した。
「キューに似合うってのは同意だ。じゃあ、それを頼む」
買い物が終わったトオルとキューは二人で西ベルリナの街を歩いた。帝国の武装親衛隊や兵士達が、何時にも増して厳重に街を巡回している。
「……何だか物々しい雰囲気だな。近々、戦争でも起こるのかな。カルセムから俺達は生きて帰れたってのに、また戦争に巻き込まれるのはごめんだ」
黙ってトオルの手を握っていたキューが口を開く。キューの表情はどこか心悲しげであった。
「トオル様。また明日に日を改めて街を歩きませんか?」
トオルは悲しそうなキューの表情を見て「そうだな。カルセムでのことを思い出しちまうよな。……本当にあの戦場は悲惨だった」と顔を曇らせる。
あの戦場での自身に降りかかった悪夢が、まるで無かったかのように、トオルはキューの手を引き迎賓館へと戻った。




