第68話 帝国の総統
ゲネシスが北部の中央大陸へ向けて撤退する中、比較的被害を免れた西ベルリナに金の蛇眼を爛々と輝かせたアド・ヴェレアトール総統がいた。
透明度の高い水色の肩まで掛かる髪が、日の光によって一層と美しく煌めかせていた。彼女の編み込みもまた、総統専属の理容師によって可愛く華麗に決まっている。
彼女は広い壇上に立ち、その後ろには黒い布のベールに覆われた超特大の大きなキャンバスが存在感を放っていた。
この黒いベールで隠された風景画は、彼女が十四年の歳月を惜しみなく使い完成させた力作である。
帝国の紋章付の明るい色の制服と、総統制帽を着たアド総統の顔からも自信の程が伺える。
そして、ゲネシスとの戦闘がほぼ沈静化したこの時を使い、アド総統の命令で集まった配下の黒服、武装親衛隊と、避難していた老若男女の国民達にこの絵をお披露目をするようだ。
アド総統がローマ式めいた敬礼をし、ざわざわと騒がしい武装親衛隊と国民達が静まり返った所で喋り始めた。
皆、アド総統とその後ろで存在感を発揮している黒いベールに覆われたキャンバスを注視している。
「余の元に集まってくれたことに感謝する! 先ずはゲネシスとの戦いに勝利したことを喜ぼう!」
武装親衛隊と国民達が、アド総統と同じ敬礼を返し「勝利! 万歳!」と三回叫んだ。
黒いベールが降ろされ、会場がどよめく。帝国首都ベルリナを描いた壮大な風景画であった。
「汝らは今、後ろの巨大な絵を何だろうと思っているだろう。これはただの風景画ではない。来週から復興を始めるベルリナの世界首都構想である! 余はベルリナを盟友となる人類が心酔するほどの、立派な首都にしたいのだ!」
武装親衛隊と国民達の「総統万歳!」の後、会場が拍手で包まれた。
だが、直後に会場が静かになった。武装親衛隊が大口を開けている。国民達もまた驚き顔で指をさしていた。今にも泣き出しそうな顔をした女性もいる。
「……む、汝らは一体どうしたのだ。揃いも揃って黙りこけてしまうとは。……ああ、なるほど余が描いた世界首都の素晴らしさに驚きを隠せないのだな。そこの女性も泣きそうなほど喜んでくれるとは余は嬉しいぞ!」
アド総統は両手を広げて喜んだ。見る者を全て幸福にしてしまいそうな笑顔である。
「総統閣下!」
アド総統のいる壇上に、一人の武装親衛隊の男がしきりに「総統閣下!」と叫びながら上がってくる。
それを見たアド総統が露骨に不機嫌な顔した。
「無礼な! 余が壇上で愛する国民達に向けて夢を語っている最中だぞ! ベルス! 今すぐ下がれ!」
国民啓蒙大臣のベルスは、アド総統に一喝され一瞬怯みはしたものの下がらない。
「総統閣下! 今はそれどころではありません! 上をご覧になって下さい!」
「上だと? 余が描いた国宝級の出来の構想絵しか無いではないか!」
ベルスが、右手を頭の横でわなわなと振るわせて「空です!」と叫んだ。
アド総統が空を見上げようとするが、偉大な構想絵が邪魔で良く見えない。彼女の背が低いのも空を見る事を邪魔していた。ひょこひょこ空を見上げようとするが、程なくして彼女は諦めた。
「……駄目だベルス。見えない。少々大きく描き過ぎたようだ。いや、なに。描いてて気分が少しばかり高揚してだな。うむ、このように大きくなってしまった」
「総統閣下! 何を呑気にしているのですか! 空をゲネシスのドロップシップが一機、飛び立ったのが見えたのですよ!?」
アド総統が溜息をつく。彼女の念頭には、遺跡の防衛機構の作動に成功したという事実があった。
「ベルス……飛んだとしても直に遺跡の防衛機構が働き、爆散するではないか。空からの襲撃が無くなったからこそ、このような場を設けたのだぞ? 啓蒙大臣のお前がすることは余の邪魔をすることでは無く、会場にいる者達に安全だと説くことだろう」
ベルスが今度は両手をわなわなと振るわせて「上空で爆散したらどうなりますか?!」とまた叫ぶ。
「爆散したらゲネシスが死――」
アド総統が答えを言い終わる前に、燃えさかる小さい破片が超特大の構想絵を貫通し彼女の側頭部を掠めた。
「ああっつぅい! ……わ、余の、余の十四年間の歳月を投じた最高傑作が、も、燃え、燃えて……」
ベルスが今にも泣き出しそうな顔で立ち尽くすアド総統の腕を掴み、避難させようとするが、彼女はその場に留まろうと振り払った。
「総統閣下! 今すぐお逃げを……泣かないで下さい! 貴方は六百年は生きてるでしょう!? 帝国の最長老が小娘みたいにみっともないですよ!」
アド総統が泣きじゃくっている。ベルスが再び避難させようと腕を掴むが、彼女はまた振りほどき、今度は座り込んでしまった。
そして、両手で顔を隠しただの小娘のように大泣きした。
「総統閣下! ……ああ、もう! ヘルマ! 写真を撮ってないで早くこっちへ来い! 総統閣下を説得してくれ! 君は従卒だろう!」
ヘルマと呼ばれたアド総統の従卒であり武装親衛隊の構成員の彼女は、泣きじゃくる総統閣下をカラーフィルム写真に収めていた。
ヘルマはカメラを肩に掛けて壇上へと上がり、泣きじゃくるアド総統を写真に撮る。
「ヘルマ!」とベルスに銀髪頭を叩かれた彼女は、渋々とアド総統を説得し始める。
「あー総統閣下、本格的に絵が燃え広がる前に小官と一緒に一旦離れましょう」
「……ぐすっ……ヘルマか……」
「……参考になる写真を撮ってくる担当になったことのあるお前なら分かると思うが……完成に十四年だぞ! 自我も無いような生まれたての赤子が、余の背丈より大きくなるほどの長い年月だぞ! そ、それをぉぉ……」
アド総統が少しだけ落ち着きを取り戻すが、また涙を流し始めてしまった。
ヘルマがアド総統の苦労を聞き、悲しそうに口を手で覆う。だが、口元はニヤニヤしており恍惚な表情をしているようにも見える。
「……そうですね。総統閣下の言う通り長い年月です。さあ、総統閣下、ヘルマの手をとって逃げましょう」
アド総統の描いた構想絵が、さっきよりも燃え広がっている。流石にこれ以上燃え広がるのは不味いと思ったのかベルスが急かす。
「不味いぞ! さっきよりも火が強い……総統閣下ご決断を!」
未だに泣きながら、絵と心中しかねない総統閣下に業を煮やしたベルスが、妙案を思いつき国民を避難誘導している武装親衛隊に向かって叫んだ。
「誰でもいい、水だ! 水を持ってこい! バケツ六杯分だ!」
武装親衛隊が程なくしてバケツに入った水を持って壇上に上がり、燃える絵に水を掛けていく。
「ベルス啓蒙大臣、バケツ一杯分余りましたが……」
ベルスが呆れ顔で武装親衛隊からバケツを引ったくり、アド総統の上でひっくり返した。ベルスとヘルマ以外の武装親衛隊がその不敬な光景を見て固まる。
アド総統が「つ、冷たい!」と悲鳴を上げた。
「……総統閣下、頭が冷えましたかな?」
アド総統がベルスの問いに膝を抱えた状態で頷き、すかさず水に濡れた彼女をヘルマが恍惚な顔で写真に収めた。
その出来事があってから、新しく出来た総統府では時折思い出したように泣きそうになるアド総統の姿が確認されるようになったようである。
首都名の表記揺れがあったので統一。




