第62話 宿屋で
トオル達にとってロネの街はついこの前までは過ごしていたので、久しぶりと言うほどでは無いのだが、度重なる極度の緊張状態が続いたのもあり、ある種の数年ぶりの帰省のような懐かしさを感じていた。
「ロネの街はまだ本格的に戦場にはなっていないのか?」
トオルの言葉通り、ロネの街並はズーニッツ帝国へ出立する前のように破壊されてはいなかった。綺麗な白壁に赤色の木組みの家々が立ち並び、この街を写真に収めればそのまま買い手が付きそうなほどの美しさを保っている。人通りは前よりは少ないが、少なすぎるほどでもない。
ここだけ見る限りでは、ゲネシスとの戦争が起きていないようであった。
しかし、少し路地裏を覗くとやはり戦争状態にあるという現実が顔を覗かせる。
路地裏には手足の無い負傷兵や死体袋が並んでいた。
それらは帝国兵のものであった。おそらくは帝国の輸送艦の甲板上から見た艦隊に乗っていた上陸部隊だろう。あの時の壮観な艦隊にいた者達の末路か。
アルバのいる宿屋へ向かう途中に見かけた教会の中は、さらに酷い状況であった。
「……死体と負傷兵で溢れかえっているわね。しかも帝国兵ばかりだし、この国の人達は戦っていないの? ねえ、セーズどう思う?」
ナカジマの問いかけにセーズが答える。
「そうですね。ラナリの種族である彼らを詳しくは存じませんが……この状況を見る限りでは、アネシア王国は表立って戦ってはいませんね。推測ですがゲネシスの侵略からまだ二日ほどですから、帝国が王国に武器を供給し訓練をする前に強襲され、仕方なしに帝国が前線に立って戦っているのでしょう」
セーズの推測が正しければ、ズーニッツ帝国の当初の思惑は完全に破綻していると言える。ゲネシスとの戦争に巻き込もうとした人類の艦隊は大損害を受けた。
そして、アネシア王国を急速に軍隊を近代化させ、帝国の軍事力の一部とする前に戦場になり、彼らを守らざるを得なくなっている。
帝国は王国を見捨てる選択肢もあっただろうが、宇宙からゲネシスのドロップシップによる大規模強襲で指揮系統が寸断され、最初の命令通りに動く事しか出来なかったのだろう。
「なんとも皮肉と言うか、帝国の総統閣下とやらは頭を抱えているだろうよ」
「トオル、ナカジマさん……ここが私の家の……はず……なんだけど……なんだけど」
ラナリが自分の家である、アルバの宿屋の前に立ち口籠る。ラナリの目が混乱からかぐるぐると泳いでいた。
この絶句するほど変わり果てたアルバの宿屋を見れば、そのような反応になるのも当然といえた。
「あー、何ていうか……ラナリの家って防犯は完璧っていうか盗人は目に入り次第、絶対に殺す的な凄みを感じるわ……」
ナカジマが言葉に詰まりながら変わり果てたアルバの宿屋を見上げた。
アルバの宿屋が人類や帝国の銃火器を持った男や、土嚢で守られた機関銃座で厳重に武装されていた。もはや小さな要塞である。
娘が実家に帰ったら軍事基地になっていました的な異様な光景だった。
「おい、キュー。これってお前のせいじゃないだろうな?」
トオルはアルバさんの納屋が脱出艇から使える物資や設備を回収していたキューによって、武器庫に模様替えしていた事を思い出した。あの時は小型の弾薬製造機だけだったが、キューの事だからトオルの知らない内に使える物を集めていたはずだ。
「すっかり忘れてました。帝国に渡る事になったのも急でしたので、借りていたアルバさんの納屋は片付けず、そのままにしていました。ですが、そのまま何も言わず宿屋を去るのもあれでしたので、設備や銃火器の使い方のメモ書きも添えていたのです。よってキューに落ち度は無いはずです」
トオルはそれを聞いて頭を抱えた。ここにあるものは中古ではあったが、それなりに値が張っていたものだ。それを半ば他人に譲った形になっているのだから頭が痛い。
だが、安心したのも事実である。それはきっと、この中で父親の事を一番心配していたラナリもだろう。
「ラナリ! 無事か!」
厳重に補強された宿屋の扉から勢いよくアルバが飛び出した。
その恰好は汗にまみれたアルバの筋骨隆々な体によって、パツパツになった黒いタンクトップの上に弾帯を両肩に巻き付け軽機関銃を抱えていた。まるでどこかのベトナム帰りである。
「そのタンクトップ、俺のじゃねえか……」
トオルはアルバの肉体によってはち切れんばかりに張っている自分の黒いタンクトップを見た後、恨めしそうにキューを睨んだ。
「……さあ皆さん感動の再開ですよ。お静かに」
「ああ、そうだな。宿屋に立て籠もった親父を娘が説得する感動のシーンだ」
トオルは呆れ顔で腕を組み、責任追及から逃れようと話を変えるキューに皮肉を込めた返しをする。
「……父さん、その、随分と変わったね」
ラナリは半笑いで両手を広げ父親と挨拶の抱擁を交わそうとしたが、汗にまみれている上にタンクトップを着ているとはいえ半裸に近い格好に耐えられなかったのか、アルバがにっこりと両手を広げて近づくと両手を広げたまま後ずさった。
「……ごめん。やっぱ無理」
愛娘に嫌がられたアルバは背中を丸めて落ち込んだ。心なしかアルバの筋肉がしぼんだように見える。
「ラナリのお父さんって色々と強烈ね」
ナカジマが若干引き気味である。そんな和らいだ場の空気がセーズの発言で引き締まった。
「あなた方は戦闘に参加したのですか? 見た所軍人では無く民兵のようですが」
セーズの指摘通り、彼らはロネの街の自警団の一員だろう。よく見るとトオルがこの惑星に不時着して最初に彼らと会った時に見た顔ぶれもいた。
「あんたは初めて見るな。キューの嬢ちゃんのような装束を着てるから同類か? あんたの隣にいる青い鎧を着た姉ちゃんもよく見ると初顔だな。だがまあ、その通り俺達は臆病なロネの領主の代わりに帝国兵と一緒に、あの馬鹿気た軍勢と戦ってる。家族や友人を守るためにな」
アルバの言葉に宿屋の中にいる若い男達が「おうよ!」と威勢のいい声を上げた。
よくよくあの不時着した夜の事を思い返して考慮すれば、彼らが見ず知らずの少女の死体を見て烈火の如く怒るほどお人好しがデフォな種族なのだろう。
その少女の死体とは正確には無く首が取れていたキューの事であるが。
「ここで立ち話もなんだから、中に上がって自室で休むといい。夜になったらラナリ達の無事の帰還を祝って大宴会といこうや」
トオル達はアルバに施され宿屋の中に入ると、一八名ほどの若い男達に歓迎された。
彼らはキューが大破した脱出艇から持ち出していた自動小銃や、帝国から貸与された小銃を装備している。
若い男達のラナリへの熱烈な歓迎や好意の混じった眼差しを見るに、若い男達から人気なのが伺える。当の本人のラナリは愛想笑いに終始していた。
「おい! お前ら! 散りやがれ! 娘に手出そうもんならその腕圧し折るぞ!」
アルバの怒声で若い男達が文句を言いながらラナリから離れていく。
若い男達の熱気で別の意味で疲れたトオル達は割り当てられた部屋に入り、それぞれ思い思いに束の間の休息を取ることにした。
トオルが上半身を濡れたタオルで体を拭いていると、ノックもせずにナカジマが入って来た。
「……ノックぐらいしろよ」
「ごめん、ごめん。いつもの癖でやっちゃった」
ナカジマがわざとらしく舌を出して軽い謝罪をする。
「わたし達帰れなくなったでしょ。それで今後の方針を決めようかと思って」
「だからってな……そこに居座れると困るんだが。というか恥じらいを持てよ恥じらいを」
半裸を前にして恥じらいを微塵も見せないナカジマにトオルは溜息を付きながら、しっしと手を振って追い払おうとする。
だが、ナカジマは何食わぬ顔で「部屋に椅子も無い宿なんてしけてるわね」と文句を垂れながらベッドに腰掛けた。
「おーい、ナカジマ。遠まわしに出ろと言ったつもりなんだが伝わってなかったのか?」
眉根をひそめて抗議するトオルにナカジマが鼻で笑う。
「みみっちいわねぇ。男なんだからいいじゃない、減るもんじゃないし」
トオルはナカジマに対してイラッとしたが、体を拭くのを諦め黒いインナーを着ようとバックパックの中から黒いインナ―を探す。ふと、先ほど見たパツパツの黒いタンクトップを着たアルバさんを思い出す。
あれは果たして返してもらえるのだろうか。返してもらった所でゆるゆるに伸びていそうだ。
「わたしはこの惑星に基盤をを築こうと思ってるわ。まあ、基盤と言っても大それたものじゃなくてここで生活するのに不自由しない為にね」
トオルは黒いインナ―を着ながら静かに聞いていた。
「トオルも意見を言ってもいいのよ? わたし達の一員なんだからね」
「それでいいんじゃないか? どうやら本格的に帰れなくなったようだし、永住確定だろうしな」
ナカジマから聞いた話では、無差別に上空を飛ぶ宇宙艦艇や航空機を破壊するらしい。
その防衛機構とやらがどのような仕組みで誰がやったのか分からないが、あの思考回路がぶっ飛んでいる金色の一つ目から詳しい説明を聞く必要があるだろう。
アルバがトオル達を呼ぶ声が聞こえた。
どうやら宴会が始まるらしい。トオルは久しぶりに豪勢な食事にありつけることに、少しだけテンションが上がった。それはナカジマも同じなようで目を輝かしていた。
トオルとナカジマは一階に降りると、ラナリとキュー、セーズが豪勢な食事をテーブルに並べていた。特にキューとセーズの格好が、何と言うか煽情的である。
キューは両脇に黒と緑のラインが入った白のボディスーツの上にエプロンを、セーズは長い黒髪をポニテに纏めており、両脇に黒と赤のラインが入った青いボディスーツの上に、大破した脱出艇からキューが持ち出した割烹着を着ていた。
よく見るとラナリが頬を染めた顔で、キュー達の方を向かないようにしていた。
周りの若い男達の視線は、そんなキュー達に釘づけであった。
「おい、キューその格好はどうしたんだ……」
前から見ると何も色々と危ないキューに対して、トオルが目のやり場に困っていると若い男達の歓声が上がった。キューの後ろではセーズがせっせと若い男達に給仕をしている。どうやら、セーズはアンドロイドという素性が知られていないおかげか男達の間で人気なようだ。
キューがトオルの声に気が付き、トオルの方を向くとまた男達の歓声が上がった。
「トオル様、これはアルバ様から得た情報を元に考えた結果です。ゲネシスの惑星揚陸艦を撃沈し、ドロップシップによる強襲も無くなった今でもゲネシスはこの国を占領する事を完全に諦めた訳ではありません」
「それとその破廉恥な格好に何が関係しているんだよ……」
「いつまた戦闘が起きるか分からないので、脱ぎにくく動きにくいメイドの装束を着るより、いつでも脱ぐことが出来るように考慮した結果です」
キューが僅かに微笑んで自信満々に説明した。
「あのセーズの割烹着は何だ」
「あれはキューがトオル様と宇宙を旅していた時に良くキューが着ていた物ですよ。メイドの装束が一着しかなかったので仕方なしに貸したのです」
トオルは、キューに言われてその光景を思い出した。確かにキューが良く着ていた気がする。だが、購入した日の記憶は無かった。
「……そういや、そうだっけ。詳しく思い出せないがそんな気はする」
キューは、若干苦笑を交えた微笑に変わった。
「……トオル様は良く忘れますからね。なんせキューがトオル様に最初に出会った時に下した評価は最低ですから。最近はその評価を少しだけ上げました」
トオルは諦めた表情で「左様で」と言うと、空いている席に座った。
「あなた様も降りてこられたのですね。食事は人類の物とあまり変わりがないようで、セーズは安心しました。ナカジマはあの年で好き嫌いが多いので、何も食べられず餓死するのではと心配しておりましたから」
セーズが料理を置いていく度に長いポニテが揺れる。キューより世代が一個上の希少なアンドロイドである事は、ナカジマから聞いていたが確かに近くで見るとより人間らしさに磨きが掛かっていると、トオルはまじまじと観察した。
「なあ、セーズ。その"あなた様"って言うのはこそばゆいから、普通でいいぞ」
「これはセーズがトオル様の事を気に入った証ですから、お気になさらず」
トオルはセーズに気に入られる事をしただろうかと、記憶を辿るがそれらしい事を思い当たらなかった。
「気に入られるような事をした記憶が無いんだが……なんかしたっけ? 俺は対して活躍もしてないだろう」
セーズが人差し指を口の前に出して横に振る。
「いいえ、あなた様は英雄の類ですよ。少なくとも過去を見る限りでは」
トオルにはセーズの言葉の意図が判らなかったが、褒められて悪い気はしなかった。
トオルがそんなやり取りをしていると、アルバが中央に立ちミード酒の入った金属のグラスを持ち上げた。
「ラナリとトオル達の帰還に! 家族を守るために立ち上がった男達に乾杯だ!」
若い男達がアルバと同じように金属のグラスを持ち上げて声高々に乾杯した。
「乾杯!」
ちょっとだけはっちゃける話。




