第114話 総統誘拐 後編
「この万年筆を取ればいいのだな? ちょっとまて……よし、取れたぞ」
後ろを向いたアド総統が器用に、トオルの胸ポケットから万年筆型のEMPグレネードを取る。
トオルは後ろを向き受け取ると、手の感触を頼りにキャップを外した。
「……総統閣下、後ろを向いててくださいよ。……しっかし、切れ味悪いな」
ギコギコとペン先に擬態された刃先で、アド総統を拘束している縄を切る。
「……随分と便利な物を持っているのだな人類というのは」
アド総統の声が少し高くなり、感心して興奮したのだと分かった。
「これは、リゼッテから貰った物ですよ。……それで変なことを聞きますが、あの双子のことをどう思ってますか? 憎いですか?」
リゼッテとグレチェンを助けた手前、トオルはアド総統が言った"お前達を許せない"との言葉に一抹の不安と罪悪感を感じていた。
永久を生きる彼女にとって家族同然の部下を殺した張本人を、どう思っているのだろうか。自分と同じように、子どもの姿だから殺せないと思ったのだろうか。
「……君という奴は、余が先ほど彼女達を許せないと言ったのに訊ねるのか? ……いや、良い。その疑問に答えよう。余は彼女達を全く恨んでいないと言えば嘘になる。しかしな、悪いのは彼女達ではない。上に立つ者の責任だ。造り出した彼女達を物の如く扱い、命令し、使えなくなれば簡単に破棄してしまう。そんな彼女達の上に立つ者の責任だと余は考えている。よってな、憎むべきは彼女達の国の体制なのだ。使われているだけの彼女達を憎むのはお門違いという物だ」
アド総統が静かに続けた「……そのお門違いを余はしているのだがな」と。
トオルは彼女の言葉から、彼女が何故今日まで帝国を率いているのかを悟る。
彼女は根が優しいのだ。だからこそ、長く生きることで傷つき、自身より短い時を生きる部下や帝国民達を愛し、部下や帝国民を残虐に殺した敵までも許そうと考えるのだとトオルは思った。
そして、指導者としての責任も彼女は知っている。
守らねばと思わせる弱さもある。
彼女が六百年もの間、帝国の総統として君臨し続けているのは道理だと思った。
「なるほど、総統閣下がスレクトやマイヤーから愛されるのが解った気がします」
「……冗談は止めてくれ、いつ嫌われるのかと余は怖いのに。……うむ。縄が切れたぞ」
トオルの縄がようやくアド総統によって解かれた。
アド総統から万年筆型のEMPグレネードを受け取ったトオルは、ゆっくりと立ち上がると部屋の電気を点けるスイッチを手探りで探す。
「それで、どうするのだ? 脱出するにしても彼らを殺すのか? 余は出来れば、殺したくはないのだが……」
トオルが部屋の電気を点ける。
「最初は邪魔するものは排除しようと考えていましたが……奴らを殺さずに脱出しましょう」
アド総統がトオルに向かって微笑を浮かべる。
「そうか。君は余の意図を汲んでくれるのだな」
アド総統の微笑みは子ども然とした、無垢な微笑みだった。
「……総統閣下はそこで待機しててください」
トオルはアド総統を部屋に残したまま、さもボル族の味方のように堂々と廃工場の中を歩いていく。
探しているのは、さっきの見張りの男である。
運よくすぐに見張りの男を見つけたトオルは彼に提案した。
それは彼にとって最初だけは魅力的な提案だった。"最初だけは"である。
「お、さっきの兄ちゃんじゃねえか。聖女様とは何を話したんだ? 俺らの仲間になるんだろ? 気になるぜ」
見張りの男がトオルに接近する。
「まあ、あれだ。聖女様はボル族に国を与えるんだそうだ。それで手伝えとか何とか……でな、俺に"見えない壁"を張るボル族に挨拶してこいって命令されたんだが、生憎のところ、そいつのいる場所を知らなくてな。教えてくれないか? 教えてくれたら聖女様に目を掛けてもらえるように伝えておく。約束する」
見張りの男が晴れやかな笑みを見せた。
真夏のような暑苦しさはあったが、晴れやかな笑みだった。
「おいおいおい兄ちゃんよお。俺にそこまでしてくれるなんてなぁ……。嬉しすぎて気を失いそうだぜ。俺の名前はオンマハトっていうんだ。よろしくな兄ちゃん」
オンマハトがトオルに手を差し出して、トオルは固く握り握手した。
「それで、"見えない壁"を張っている奴はどこに居るかな? それと捕虜を移動させろって命令を受けたんだが、連れてきてもいいか?」
「ああ、良いぜ。聖女様の命令なら絶対だ。"見えない壁"を張っている男は、この先を真っ直ぐいったトイレにいる。そいつもおかしな奴でなトイレの中じゃないと集中できないんだとさ」
トオルは高笑いした。心の中での高笑いだ。
トイレにいるなんて、どうとでもしてくれと言っているようなものだろう。
「じゃあ、捕虜の移動に付き合ってくれ。出来ればそのトイレまで案内してくれれば嬉しいんだが」
オンマハトが「ああ、良いぜ。それよりよ、全部終わったら俺と一緒に酒でも飲みに行かないか? 俺が奢ってやるからよ」と上機嫌な様子だった。
彼は完全にトオルを信じ切っている。
トオルは、アド総統を連れてオンマハトに"見えない壁"を展開している男の元へ案内された。
「ここだ」オンマハトが爽やかに笑いながら親指でトイレを指す。
「ああ、ありがとう。助かったよ。……それでな、俺も今すぐあんたに奢りたくなったんだ。黙って貰ってくれると嬉しいんだが……な……!」
「……何だよ。俺達は既にズっと……モ゛ッ!」
トオルの拳がオンマハトの顎を捉えて彼を一撃で気絶させた。
哀れなオンマハトは廃工場の床に沈んだ。
一発ケーオー。ウィナートオル。
そんな機械音声がトオルの中で流れると、アド総統の方へ向き直った。
「総統閣下。俺に捕まったふりをして付いてきてください」
アド総統は静かに頷いてトオルの後を歩く。
トイレに入ったアド総統は顔をしかめた。
「……男子便所はなぜいつも汚いのだ」
男子トイレは確かに汚かった。
トオルも男ゆえにアド総統の苦言には苦笑をするしかなかったが。
「誰か俺の城に入ってきたのか?」
男子トイレを俺の城と言ってのけた"見えない壁"を展開しているボル族を発見した。
彼は、立ち小便用の便器に座っている。
立ち小便用の便器に座っている。
「……ああ、えっとあんたに聖女イリーナから贈り物があるんだってさ。それを渡して来いと頼まれたんだ」
立ち小便用の便器に座る男が怪訝な顔をする。
トオルは俺の方が訳が分からねえよと心の中で突っ込むが、今はそれどころでは無い。
「後ろの帝国の総統はどうしたんだ? 俺達が安全に包囲を突破できるように交渉材料にすると聞いていたんだが……」
男が更に怪訝な顔をするが、トオルの「贈り物は万年筆と聖女の愛を受ける名誉だそうだ」という言葉に騙された。
トオルは万年筆型のEMPグレネードの尻軸を捻る。
すると、ピッピと電子音が鳴り響いた。
トオルが「ほら」と男に投げ渡たす。
男が、それを手に取った瞬間にEMPが半径二メートルほどの範囲で発生した。
トオルが一気に男に詰め寄って男の右腕に装着されたサイコテックデバイスから血液が入ったシリンダーを抜き去ると、そのまま男の腕を掴んで引き倒し、首を締めあげて昏倒させる。
「……スレクトやマイヤーから優秀な兵士だと聞いてはいたが……見事なものだ」
トオルが見せた近接格闘は、アド総統が評価をひっくり返した契機にもなった。
「出口へ急ぎましょう。あくまでも俺に捕まっているように見せかけて」
トオルと後ろに続くアド総統が小走りで廃工場の出口まで行く。
だが、そこにはフェオドラが立っていた。
フェオドラは悪戯な笑みを浮かべて言った。
「……貴女の兵隊さんはぁ暴走一歩手前って感じなんだけどぉ……どうやって収めるつもりなのかしらぁ? 諦めて捕まってぇフェオドラ達を安全に逃がす交渉材料にぃなってもいいのよぉ?」
アド総統がトオルの後ろから歩み出て、フェオドラを真っ直ぐ見据える。
「余が説得する」
フェオドラが「そう」と頷き、壁に背中を預けて道を開けた。
トオルとアド総統は廃工場から出た。
二人の眼前に広がるのは、トオルが入った時より人数が増えた武装親衛隊や帝国兵達の銃口を向ける姿であった。
「総統閣下ご無事ですか! ……良し! あの男の策は成ったぞ! ……総員……着剣!」
帝国兵が着剣する。一糸乱れぬ着剣に緊張感が最高潮に達する。
総統の命令を待たずに廃工場へボル族を皆殺しにせんと、陰惨とドス黒く殺気立った帝国兵達の前にアド総統は歩き始める。
彼女は小さな体を精一杯に大きく見せようとし、子どものような両腕を少しでも長く見せようと真横に広げた。
彼女は廃工場を庇って命令した。宣言した。
唯一の不老の力を持った彼女が、指導者としての責務を全うせんとする。
「聞け! 余の忠実なる臣下よ! 余の子らよ! 余はボル族を許す! 彼らが国を創ることを許す! 何故と思うならば聞け! そして思い出せ! 我々が何故、かようなまでに軍拡を進めたのかを! それはボル族を憎しみが赴くくままに殺戮する為では無い! いつか襲来するゲネシスと、銀河を喰らい尽くす者共から家族を守る為であったはずだ! それゆえに国民が強くなることを余は強制した! だが、強さとは武力だけではない! 憎い相手を許すことの出来る精神にこそ、真の力を秘めたヴァイツ族の強さだ! だから、余にお前達の真の強さを見せてくれ! …………さあ、アド・ヴェレアトールが命令に従え! 銃を降ろせ!」
その場に居た武装親衛隊も、帝国兵も、彼女の後ろに居たトオルでさえ思わず跪ずいた。
それほどの威力だった。アド・ヴェレアトールという女性の強さは、それほどの強さだったのだ。
トオルは、これほどの女性を見たことがなかった。
見た目こそ少女だが、恐ろしいまでに指導者としての才覚を秘めていた。
まさか、本当に残忍なボル族を許してしまうとは。
許した結果、数年か数十年かは予測不可能だが地殻プレートのひずみがいずれは地震を起こすように、必ず起こるであろうボル族の国との衝突の責任も彼女は小さい体で背負うつもりなのだ。
そうまでして、そこまで分かったうえでアド・ヴェレアトールという美しい少女は銃を向けた帝国兵達の暴走を止めたのである。
「……やべえな」トオルはアド総統に惚れそうになった。胸が痛いほどの高揚感に支配された。
幸いにも事案案件だと理性が止めたが。
アド総統の命令によって帝国兵が銃を降ろし、廃工場から退去するボル族を見送った。
アド総統誘拐事件は、確実に歴史を動かすほどの強烈な終わりを迎えたのだった。




