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おきあがり  作者: 鳶鷹
三章
97/136

26



 壊れた自動ドアを潜り中に入れば、色々な物が散乱していた。

 

 大きな観葉植物の鉢が横倒しになって中身の土やチップが周囲に散らばり、スーパーによくある無料の冊子が入ったラックが転がっている。中の冊子は逃げる人か死者に踏みにじられたのだろう、破れて飛ばされ、エントランスのそこここに散らばっている。

 床には赤や茶色の血だまりや、引きずられたような跡があった。にも関わらず、人の姿は無い。

 いかにも何らかの事故が起きた後、という様相でありながら静かなエントランスは、どこか異常な光景だった。

 

「……おかしいな」


 前を歩いていた浩史が怪訝そうにあたりを見回して呟く。

 浩史につられたのか、静かすぎる場に飲まれたのか、遼が訝し気に小声で問い返した。


「浩おじさん?おかしいって何が?」

「社長の話だと、ここで望月さんや町内会長が亡くなっていたはずだ。だが遺体が無い」

「あ」


 言われて見れば、あるはずの人の姿が無い。

 あるのは血だまりや血痕だけだ。


「まさか……起き上がった?」


 おそるおそる言った遼は、すぐに首を振る。


「望月さんはともかく、町内会長の方は胸に弾痕があったって言ってた。心臓に穴空いても起き上がるものなんすか?」

「俺は、脳と心臓が駄目になったら動かない、と聞いていたが……」


 遼の問いに浩史は眉を寄せて思案する顔になったが、すぐに諦めた様に息をもらした。


「今じゃ話になかった走る死者もいる。聞いていた話の範疇には収まらない、と考えた方がいいかもしれない」

「……っす。気をつけてかないとっすね。安西さん、バックヤードの入り口って……安西さん?腕かゆいんですか?」


 ぼうっと周囲を見ていた安西がハッとしたように遼を振り返る。

 遼の言っていたように、包帯のある方の腕をもう片方の手でかりかりと掻いていたが、無意識だったのか、驚いた顔で手を離した。


「え、あ、いや、かゆいっていうか……気になって触っちゃう感じかな。痛くは無いけど、なんかじんわり熱くて」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫。えっとバックヤードだったよね。多分、野菜売り場の脇から入るんだと思う。前に取り置いて貰ってたものを持ってきた時、あそこから出て来たから」

「了解っす」


 こっちだよ、と先導する安西に、それぞれが視線を向ける。

 不安や心配、少しの恐怖。いつ安西の身に異常が起きるか、と探るような視線に、だが安西は気づいていないらしい。出血のせいか怪我で発熱しているせいか、それとも痛み止めに入っている眠剤のせいか、少し浮ついた足取りで歩いて行く。

 浩史とルイスは安西を守るような、何かあったらすぐ排除出来る様な位置に陣取り、咲良と典子は少しだけ前の三人から距離を取るように遼に腕を引かれ、少し離れて後に続いた。

 

 カートやカゴが転がるフロアを、物をかわしながら静かに歩く。

 エントランスから差し込む明かりのおかげで、奥の方は薄暗いが野菜売り場の手前は曇り空くらいの明るさは保っていた。

 幸い、野菜売り場は背の高い棚がほとんど無い。さらに台の上に陳列してあるはずの野菜は誰かがすでに持って行った後らしく、かなり見通しは良かった。

 奥の方は怖いが、安西の言っていたバックヤードへの入り口は、野菜売り場に入って少し行っただけの場所にあって、咲良はほっと息をついた。


「ここです」


 両開きのスイングドアの前に立ち、安西が言う。

 無防備にドアを開こうとする安西をとどめ、浩史が美容院から拝借してきた箒で片方のドアを押し開けた。

 キィ、と微かに軋み開いたドアの先は、暗い。

 

「やっぱ停電してんのか」


 ぼそりと遼が呟き、腰に手をやる。


「先生、投げて良い?」

「良いよ」


 暗がりに向けて銃を構えたルイスにゴーを出され、遼は腰にぶら下げている袋から発煙筒を取り出した。車の備品だ。

 蓋を取り、こすり合わせる。

 途端に着火した発煙筒を、暗がりに向かった投げ入れた。

 シュー、という音をたてて、発煙筒が転がっていく。


「遼くん、音を。女の子たちも準備を」


 ルイスに促され、遼がこちらも美容院から持ち出した物の一つ、プラスチック製のブラシを放り入れた。

 カツーン、と予想外に高い音をたててブラシが床に跳ね返り、転がっていく。

 これで扉のあちら側に残っている死者がいたら、音に惹かれてこちらにやってくるはずだ。

 足の遅い死者でも一分くらい待てば充分だろうと、タイムを計る役目をふられていた咲良と典子は、腕時計を見つめる。

 二十秒、三十秒、急く気持ちでいつもより回転が遅い気がする秒針を見つめていると、ふ、と足元で小町が身体の向きを変えた。そして小さく唸る。


「眞?」

「ネイト。何か来る」


 最後尾でエントランスの方を警戒していた桐野が、声に緊張を含ませて告げる。


「二人とも、今何秒?」

「四十秒です」

「私もぉ」

「眞、あと二十秒、待てるか?」

「分からん」


 いつになく緊張感を含んだ返答に、咲良は背筋が冷えた。桐野がこんな声を出したのは初めてだ。

 一体何が来るというのか。

 咲良は時計から目をあげて桐野の見ている方を見て、後悔した。


 エントランスの方から歩いてきている影は、背が低くて華奢で、逆光だから顔は見えないが女の子だった。それも多分、咲良よりも年下の。

 スカートからのぞく足はほっそりというより棒のようで、小学生か中学生だろう。

 年下の女の子がこんな場所を普通に歩いているとは思えないし、軽い足取りはあののろのろとした死者とは明らかに違うが、生きている人間のものとも何かが違った。

 彼女は死者だ。だが違和感の元が分からず、けれど動きの奇妙さに言い難い気持ちの悪さを覚えていると、背後で「あと十」というルイスの声が聞こえた。

 慌てて自分の時計を見れば、確かにあと十秒で目安の一分だ。

 咲良たちの返事から自分でカウントをしていたらしいルイスが、小声で「眞」と呼びかける。

 桐野は微かに頷くと、女の子を見張ったまま、じり、と咲良たちの方へと後退してきた。その背に押されるように、咲良たちもじりじりとバックヤードへと下がる。

 ドアを押し開けている浩史の横を通り、バックヤードに足を踏み入れた。

 ルイスの姿を探せば、彼は発煙筒の光が届かない場所を警戒しているらしく、奥の方に背中が見えた。

 二人に続いて入ってきた遼に腕を引かれ、スイングドアの横へと移動させられる。


「二人とも手貸して。あれ動かそう」


 遼の視線の先には、品出し用らしい大きなカーゴやカートがいくつも並べてあった。どうやらスイングドアの片側は台車置き場らしい。

 空のカーゴやカートの向こうにはシャッターが見えたが、普段から使っていないのか、畳んだ段ボールやカゴが積まれて封鎖されていた。

 手前の棚付きの大きなカーゴをそっと引けば、意外に重い。金属製だからだろう。それでも下についてる小さな車輪がコロコロとスムーズに動いてくれるから、動かすのは意外と楽だ。

 咲良と典子が一台を、遼がもう一台を引っ張り出して振り返ると、桐野がバックヤードに入ってくる所だった。

 片手に箒を、その手を支えにしてもう片手に銃を構えながらゆっくり下がってくる。

 発煙筒を踏まないようにと桐野が足元をちらりと確認した時だった。


 出し抜けに暗がりにいた安西が、ドアを抑えていた浩史に飛びかかった。

 浩史が床に押し倒される。

 まさか安西に襲われた、と悲鳴が口から漏れるより先に、ひゅっと風を切る音がして、床に転がった二人の上を、桐野の持った箒が掠める様に振るわれた。

 その軌道に、ドアの向こうから伸びてきたものが弾き飛ばされる。

 

「浩おじさん!」


 遼がカートから手を離し浩史と安西に駆け寄っていくのを見て、咲良も慌てて父に走り寄る。と、彼らが来るのと交代するかのように、桐野がスイングドアから表に飛び出していった。

 

「中に!」

 

 早く!と叫んだのは安西だった。

 ならば彼はまだ正気なのかと見れば、安西は一生懸命無事な方の手で浩史を引っ張ってバックヤードにいれようとしていた。

 ほっとしたのも束の間、


「俺は大丈夫です。それより彼を!」

 

 安西の手を借りて起き上がった浩史に言われ、スイングドアの向こうを見る。

 桐野が女の子相手に箒を振るっていた。

 本気で振り回しているのだろう、風を切る音にぎょっとする。当たったら大怪我だ。

 咲良が見ている間にも彼女に箒があたり、軽い身体は野菜売り場に転がっていく。が、すぐに跳ね起きるのを見て、ぞっとした。

 よほど桐野が本気を出しているのか、手がぶらぶらしている。折れているのだ。

 なのに頓着せずに、また桐野に飛びかかってくる。


「咲良!中に入れ!」

「眞!」


 呼ばれて振り返るのと同時に、パン、と乾いた音がした。銃声だ。

 慌てて桐野の方に向き直ると、足元にあの女の子が仰向けに倒れていた。


「やった?」


 遼が首を伸ばしてフロアを見て誰にともなく聞くと、桐野が「ああ」と答える。


「心臓だ。ネイト、よくあんな小さい的に当てられたな」

「練習すれば当たるようになるよ。だから遼くんにも後で教えてあげるね」

「藪蛇だった!」

 

 ことさら大袈裟に振る舞うのは、遼も気まずさを覚えているからだろう。相手は妹より小さい女の子だったのだ。

 ルイスは特に思う事は無いのか、それより、と同じ調子で続ける。


「今の銃声で他のを呼び寄せてたらまずいね。移動を―眞!」


 注意を促す様に鋭い声をかけられ、全員の視線が倒れ伏している女の子に向かう。

 息をつめて見つめていると、ピク、と女の子の指が動いた。


「嘘だろ……先生、だって心臓……」

「命中したはずだ。眞」

「穴は開いてる。血も出てる。間違いなく心臓の位置だ……だが、これは……」


 女の子を見つめながら、桐野はゆっくりと後退し、咲良のいる位置まで戻ってくる。


「ドアを閉めるぞ」


 ここにいたら挟まれる、と肩で押され、ようやく咲良は我に返った。促されるまま、典子のいる方へと下がる。

 二人が完全に中に入ると、ドアを抑えていた浩史が静かにドアを閉めた。遼が待ち構えていたのか、ドアの前に棚付きのカーゴを置く。

 これでスイングドアをこちら側に開こうとしても、カーゴにぶつかって止まるだろう。

 カーゴのストッパーを止める遼を避け、ルイスがスイングドアについている透明の窓から外を覗き込んだ。


「……完全に起き上がったよ。心臓じゃ、駄目みたいだ」



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