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おきあがり  作者: 鳶鷹
三章
92/136

21



 がらんとした駐車場を三人でひた走る。

 一番に車に辿り着いた桐野が、浩史から預かった鍵で車のバックスペースを開けた。


「急げ」


 桐野は自分が持っていたカゴを狭いバックスペースに置くと、咲良と典子からカゴを受け取り、どんどん積み重ねていく。

 バランスを崩して落ちてきそうになるカゴを押さえつけながら、バックスペースのドアを閉じた。

 そこでやっと浩史と安西が車に辿り着く。安西は腕が痛むせいか恐怖のせいか、足が上手く動かせないらしい。

 浩史に抱きかかえられるように助手席側に運ばれ、桐野が急いでドアを開けた。


「早く。二人も後ろに―」


 乗れ、という桐野の言葉は、ドオン!という爆発音にかき消された。

  

「?!」


 地面が微かに揺れ、いきなり強く吹いた風が嫌な臭いを運んでくる。

 咲良も典子も、すすり泣いていた安西ですら動きを止め、全員で音の発生源を振り返った。


「スーパーだ……」


 もくもくと白茶けた煙が上がっているのは、確かにスーパーの方だった。


「一体何が……」

「……分からない。が、ここで突っ立ってても仕方ない。特養に、」


 言いかけた桐野がハッとしたように薬局を振り返り、小声で叫んだ。


「乗れ!」


 桐野の視線を追い、咲良たちも慌てて車のドアにとりつく。

 薬局から、女性がふらふらと出て来たのだ。

 それも一人だけではない。後ろにもう一人、さらに自動ドアのガラスの向こうに薄っすらと人影がある。

 なるべく音をたてないように、けれど素早くそれぞれが車に乗り込んだ。

 運転席には浩史が、助手席には安西が。後部座席は真ん中に典子が乗り、運転席の後ろに咲良とその足元に小町がいて、桐野は安西の後ろだった。

 

「な、何が、起こってるんでしょう?五十嵐くんたちは……」


 安西がぶるぶる震えながら問うが、それに答えられる人間はいない。


「電話は、」

「止めた方が良い。電話に出る余裕も無いだろうし、着信に気を取られて何かあったらマズい」

「はい……」


 しょぼんとした安西に、桐野がバックスペースを振り返りゴソゴソと荷物を漁り、何かを取り出した。


「痛み止めと水だ。気休めにしかならないかもしれないが、飲んでおけ」

「あ、ありがとう」


 どうやら桐野か安西が市販薬も運んでいたらしい。

 安西に箱を手渡しかけ、震える手では無理だと気づいたのか、箱を開封しだす。


「車を出すぞ」

「ああ」


 パッケージに書かれている説明書を読んでいるのか生返事の桐野に、浩史が車のエンジンをかけた。

 軽自動車らしい軽いエンジン音がしてゆっくりと車が動き出す。なるべく音をたてないようにか、のろのろと駐車スペースから車を出していた浩史が、突然叫んだ。


「掴まれ!」


 ギュイっとタイヤが擦れる嫌な音がして、身体に負荷がかかる。何かを掴む余裕もなく、咲良は典子に、典子は桐野に、倒れこんだ。助手席で安西の悲鳴があがる。


「なに?!」

「やばいそ。走るタイプだ!」


 遠心力のせいで体勢を立て直す暇もなく、車が急発進した。今度は前から負荷がかかり、背もたれに背中が打ち付けられる。

 それでも何とか身体を起こして見れば、出て来たばかりの駐車場から男が追ってきていた。見覚えのある姿は、咲良を捕まえたあの男だ。

 首の付け根に近い肩から血を流しながら、痛みを感じていないかのように無表情で走っている。

 それだけでも不気味なのに、異常に足が速い。こちらも結構速度が出ているはずなのに、徐々に離れてきてはいても、振り切れる様子が無いのだ。


「どうする。特養まで追いかけて来られたら―ストップ!」


 後部座席から身を乗り出した桐野が制止の声をかけるより早く、浩史がハンドルを切った。

 また身体に重力がかかり、咲良と典子は左に倒れこむ。拍子に咲良の足に囲われていた小町が不満げに、わふと鳴いたが、それに構っている暇が無い。小町が車内を転がらないよう、柵代わりの足に力を籠め、咲良は身を起こした。


「どうしたの?!」

「後ろ!」


 後ろにはあの男がいると分かっている。もしかしてあの男がもっとスピードを上げて追ってきたのか、とぞっとして振り返ると、男はいなかった。

 代わりに血塗れだったり腕が折れているらしき歩く死者たちがいた。その後ろに見える風景に、あ、と気づく。

 この景色は、さっきまでの前方だ。さっきのハンドル操作で、車はUターンしていたらしい。

 

「くそっチキンレースだ!掴まってろ!」


 エンジンをふかす音に座席に座り直すと、正面にあの走る男がいた。

 男との距離は大分出来ていたが、真っ直ぐこちらに向かっているのは間違いない。

 さっきまで逃げていた相手に向かって、浩史は車を発車させた。どんどん近くなる男に、チキンレースの意味を悟る。

 色々種類はあるが基本は我慢比べ、度胸試しの様なゲームだ。今浩史がやろうとしているのは、二人の走者が一直線に互いに向かって車を走らせ、衝突寸前まで我慢し、先にハンドルをきって逃げた方がチキン(臆病者)と呼ばれるゲームをなぞったものだろう。

 だが当然男は逃げないだろうし、こちらは壊れやすい軽自動車。それでも直前まで避けない、という選択肢をしたのは、早く逃げたら男も方向転換をして追ってくるからだろう。直前に避ければ、そうそう方向転換も出来ないに違いないと浩史は踏んだのだ。

 父の意図は分かっても、恐怖はどうしようもない。

 ぐんぐん近づいていくる男と、スピードがあがる車に、咲良は息すら忘れて座席に爪を立てた。


「っ」


 ぶつかる直前、浩史がハンドルを切った。

 が、避けきる事が出来ず、ヘッドライトに男をかすめる。車に衝撃が走り、ドアミラーが壊れて窓にぶつかったらしい派手な音が聞こえた。

 それでも窓は割れず、車も大破する事も無く、多少よろけながらも持ち直し、薬局の方へと戻り始める。

 男は、と振り返ると、当たった拍子に飛ばされたのか道路脇に転がり、もぞもぞと動いていた。


「こっちに行って大丈夫なのか?」

「分からん。この辺はあんまり来た事が無いんだ。安西さん、特養への迂回路とか分かりますか?」


 ハンドルを握りしめた浩史が助手席の安西に声をかけるが、返事が無い。


「安西さん?安西さん!」


 安西はぐったりと頭を垂れていた。


「おい、大丈夫か?おい」


 桐野が身を乗り出して助手席の安西を覗き込み、舌打ちをする。


「意識が無い。頭を打ったか、出血のせいか……」


 苦々し気に言葉を切り、車のバックスペースへと身体の向きを変えた。何かを探しているらしい。


「桐野くん?何か手伝う?」

「……タオルか何か、口を覆えるものを」

「なんでぇ?」

「単に気絶してるだけなら良い。が、このまま死なれて起き上がられたらまずい」


 安西の腕は噛まれた傷だ。桐野の言う可能性は十分ある。

 ぞっとして咲良は車の中を見回した。一番はスポーツタオルなどだろうが、見当たらない。元々特養の社用車だ。余計なものは積んでいないのだろう。

 咲良たちも私物は持ち込んでいない。荷物を積むから、と身軽さを一番に選んだ結果だった。

 三人でバックスペースに頭を突っ込み入れたばかりのカゴを探すが、一番上は市販薬のカゴと食品のカゴで、この二つをどかさないと下のカゴが見られない。

 カゴを退かそうと桐野が手をかけたが、だしぬけに車が傾いた。


「揺れるぞ!」

「きゃぁっ」


 典子が咲良の方へと倒れこんでくる。


「おい!」

「さっきの爆発音で集まってきてる!」

 

 持ちこたえた桐野が浩史に怒鳴ると、嫌な答えが返ってくる。

 咲良と典子が互いに抱き起しながら顔をあげると、ガラスの向こうに、幾人もの死者の姿があった。

 後方には車が揺れた原因らしき死者が、横にはノロノロと歩く死者がいる。

 足の遅い死者たちも、エンジン音のせいか、さっきの動きで生じたタイヤの音のせいか、目標をこちらに変えたようだった。

 

「ナビを見てる暇もない!とりあえず一刻も早くスーパーから離れるぞ」

「安西はどうする!」

「俺は手が離せない!頼んだ!血には触るなよ!」


 怒鳴るような応酬に、桐野がまた舌打ちをしてバックスペースに向き直ろうとし、典子に慌てて止められる。


「こここ、これぇ!」


 はいぃ!と典子が差し出していたのは、マスクの箱だ。お徳用の五十枚入り。


「く、口隠れるから良いかなぁって」


 受け取った桐野は、クマだかウサギだか何だかよく分からないキャラクターが『ウィルスにも』とマスクをしてにっこり笑っているパッケージを見て微妙な顔になった。 


「………まぁ、良いんじゃないか」



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