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おきあがり  作者: 鳶鷹
三章
91/136

20



 ワン!と答えるように鳴いた愛犬は駆けてきた勢いのまま、男に飛びかかったらしい。

 すぐさま男の悲鳴が響く。


「ぎゃあ!痛ぇ!こっの!どこだっ!」


 男の声に小町のウ~と威嚇する声が聞こえる。

 薄暗いせいで姿は見えないが、男の罵声から小町が噛んでは離れ、を繰り返し、男を翻弄しているのは分かった。

 

「咲ちゃぁん」

 

 典子が体勢を整え横に立ち、彼女の足が解放されたのに気付く。小町に噛まれ、男が手を離したのだ。


「小町!」


 おいで!と小町に声をかけて典子の手を引き桐野の声が聞こえた方へと歩を進めると、その先でドアが勢いよく開いた。

 桐野と浩史らしい人影がバックヤードへと踏み込んでくる。


「咲良、上野!」

「桐野くん」

「二人とも無事か?!」

「お父さん!」


 声の方へ飛び出そうとし、バチン!という音に足を止め、振り返る。

 その瞬間に目の前が真っ白になった。

 目を刺す白さに瞬きを繰り返す。じわりと浮かんだ生理的な涙の幕の向こうに見えたものに、あ、と咲良の口から声が漏れた。


 バックヤードの明かりがついている。

 煌々とした照明の下、ブレーカーの操作盤らしきものの前に、男が立っていた。鼻血が出ているから、咲良が平手を見舞った男かもしれない。

 居た堪れなさに彼から視線を外せば、その男の斜め前に、もう一人が何かを構えて仁王立ちしている。

 だが、彼の手に何が握られているかを見るより早く、彼らの足元へと焦点が合った。


 幾人もの女性たちが横たわっていた。みんな何も着ていない。

 裸のまろい肩や腰にある痣や、身体にかかったぬめり気のあるものを、電灯はすべて照らし出していた。

 ぐ、と傍らの典子が喉を引きつらせ、口を覆う。

 咲良は自分も吐き気を覚えながら典子に手を伸ばしかけたが、男に怒鳴られた。


「動くな!」


 桐野がキレそう、と咲良はひやっとして横目で彼を伺い、息をのんだ。

 銃を構えている。

 桐野が死者ではなく人に向けて銃を構えているのは初めてだ。なんで、どうして、と銃口が狙っている先へとちらりと視線を移し、顔面が蒼白になるのが分かった。

 男も銃を持っていた。

 桐野が持っているものとは多少形状が違う気がしたが、どう見ても拳銃だ。どこからそんなものを、と思い、先程遭遇した中年の夫婦の言葉を思い出した。

 ―スーパーに拳銃を持った男の子たちがいる。

 おばさんは桐野と同年代くらいと言ったが、男たちはもう少し上、二十代くらいに見えた。それでも二十代前半ぐらいだろうから、きっと彼らがスーパーにいた『クソガキ』なのだろう。郷田の予測よりも早く、男たちはこちらに来ていたのだ。

 

「くそっ動くなよ。犬もだ!動かすな!」


 拳銃を持った男に言われ、咲良は震える声で足元の小町に「待て」と指示した。

 小町は気に入らないようで唸ったが、それでも指示に従い咲良の横にぴったりと張り付く。


「それで良い。手をあげろ、いや、やっぱり動くな!」


 男は言いかけて銃を持った桐野と、半身がスイングドアに隠れている浩史を睨んだ。

 彼にしたら桐野が銃を持ってるだけで予想外だったのに、さらに浩史がいる。咲良たちは浩史が銃を持っていないのを知っているが、彼らは知らない。迂闊に桐野を撃てば、浩史が反撃してくる可能性を考え、撃てないようだった。

 日本ではまず持ちえない、殺傷能力の高い銃を所持している時点で絶対的に優位に立てると踏んでいた自信が揺らいでいるのだろう。


「動くなっつってるんだ!」


 ヒステリックに叫ぶ男に、桐野は黙って相対している。

 膠着状態に陥った場で、男がもう一度「くそっ」と呟いた。


「おい、どうすんだよ!」


 ブレーカーの前に立つ男は垂れてくる鼻血を乱暴に手で拭き、答える。


「知らねぇよ!間違って俺まで撃つなよ!」

「偉そうにすんな!おい、動くなっつってんだ!」


 桐野が身動ぎしたのに目をとめ、拳銃を持った男が怒鳴る。


「動いたら女を殺すぞ!おい、結束バンド持ってこい!」


 銃口を咲良たちの方に微かにずらし、男がもう一人に指示した。鼻血を流している男は忌々しそうに舌打ちし、車の方へと向かう。

 拳銃の男を信用しているのか、男はこちらに背を向けてバックスペースに頭を突っ込み、積まれている段ボールを漁り出した。結束バンドで何をするのか、なんて言われなくても分かる。咲良たちを拘束するつもりなのだろう。

 分かっていても、銃口を向けられていては迂闊に動けない。

 咲良は焦燥にかられながら棒立ちになっていたが、ふ、と違和感を覚えて視線を動かした。

 

 何かが動いている。

 まさかもう一人仲間がいる?と違和感の元を探して視線を彷徨わせたが、違う。男たちの仲間ならもっと分かりやすく堂々と動き回るはずだ。微かな違和感を覚える様な動きなんてする必要はない。

 なら何に違和感を覚えたのだろう、と探そうとしたが、それは必要無かった。

 車の横で、ふらりと女性が立ち上がったのだ。

 身体中に痣があり、所々に切り傷がある。それでも致命傷になりそうな傷は見当たらないから、男たちに暴行された後、気絶していたのかもしれない。

 ふらふらと身体を揺らす彼女に、生存者がいた事への安堵と体調への不安、男たちに気づかれはしないかという恐怖を咲良が抱いていると、不意に彼女の動きが止まった。

 車のバックスペースを覗き込む男に気づいたのだ。

 悪態をつきながら段ボールを漁る男をじっと見、それまでの動きが嘘みたいに男へと飛びかかった。


「うわっ!て、なんだ、こ―ぎゃああああああ!」


 男の肩に彼女が顔を埋める。

 振り払おうとした男は、だがすぐに大声で悲鳴をあげた。

 

「どうした!がっ」


 拳銃を持った男は仲間の悲鳴に振り返り、なぜか弾かれた様に拳銃を投げ出して太腿を押さえた。

 

「行くぞ」


 何が起きたのか分からず硬直していた咲良の腕を桐野が掴み、耳元で囁かれる、と同時に強引に腕を引かれた。

 転びそうになる前にスイングドアを潜り、店舗へと戻る。

 ドアの向こうで男の「痛ぇ!くそっ!やめろ!」という悪態を背中で聞きながら、桐野に引っ張られるまま、カートの隙間をすり抜けた。

 前方には同じように浩史に腕を引かれた典子が、足元には小町がいる。

 と、典子が一つの棚の前で「あっ」と叫んで足を止めようとし、よろけた。


「典子ちゃん?!」

「浩おじさん、カゴ!カゴ忘れてるぅ!」


 思わずだろう大きな声を出してしまった典子に、桐野が「静かに」と小さいが鋭い声で注意する。


「え、え、」

「さっき起き上がった死者がくるぞ」

「死者……」

「男に噛みついてた女だ」


 咲良が生存者だと思った女性は起き上がった死者だったのか。

 桐野の言葉に浩史も頷く。

 

「拳銃を持った男が追いかけてくる可能性もある。大声を出すと他の死者も、」

「こっちです!」


 浩史の言葉を遮り、大きな声が店舗に響いた。

 ぎょっとして全員が顔を見合わせ、それから慌てて棚をすり抜けて声の聞こえた方、店舗の出入り口へと走る。


「安西さん!」

「カゴ運んでおきました!」


 自動ドアの前に、カゴに囲まれた安西が立っていた。

 桐野が運んだらしい食料品が満載のカゴや、咲良や典子が準備したカゴもある。

 そういえば彼だけバックヤードに来ていなかったが、カゴを運んでくれていたのか。

 咲良たちを見てホッとしたような表情で微笑む安西に、典子と咲良はお礼を言おうと口を開きかける。が、あ、と言いかけた所で遮るように桐野が叫んだ。


「伏せろ!」

「え?」


 桐野は叫びながら銃を構えていた。

 安西がぎょっとした顔になり、それから何故か後ろを振り返った。桐野の銃口が向いている先を確かめようとしたのだろう。

 それが仇になった。


「いっ、あああああああ!」


 自動ドアの向こうにいた男が、身を乗り出して安西があげかけていた腕に噛みついた。

 血塗れの男は安西が叫んでも逃げようと身を引いても、ぴったりくっついて離れない。

 銃を構えていた桐野が小さく悪態をつき、駆けていく。安西とカゴを回り込み、側面から至近距離で男の頭を撃った。

 パン、と乾いた音がして、男の後頭部から何かが噴き出す。

 途端に男は力を失ったのか、ぐらりと傾いで後ろにひっくり返った。つられて安西も一緒に倒れこむ。


「安西さん!」


 咲良たちは急いで倒れた安西に駆け寄った。

 

「怪我は!」

「う、腕が、腕が、」


 安西が泣きながら掲げた腕は、無残にも前腕が抉れていた。腕の肉を食いちぎられたのだ。

 ダラダラと流れる血に、浩史が急いで脱いだ上着を被せる。


「痛い!」

「止血しないと。少し我慢してください。急いで特養に戻るぞ!」

「分かった。車の鍵を」


 浩史が桐野に車の鍵を投げ、おろおろとうろたえる咲良と典子に口早に指示を出す。


「二人はカゴを持って彼の後に!桐野くん、頼んだ」

「了解した。あんたは、」

「止血したら、安西さんを運ぶ。お前たちは触るなよ」


 浩史は安西の腕に巻きつけた上着をきつく締め直した。呻く安西を励ましながら、無事な方の腕をとり、肩を貸す。

 

「咲良、上野、行くぞ!」

 

 自分も片手にカゴを持ち、片手に銃を構えながら、桐野が店の外に踏み出した。咲良と典子も慌てて残ったカゴを持ち、後に続く。

 ほとんど走る勢いの桐野に遅れないように、咲良は必死に足を動かした。

 


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