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おきあがり  作者: 鳶鷹
三章
86/136

15



 二階の個室を回り、介護士たちに声をかけていく。

 初めに行った部屋が町内会長の奥さんの部屋で、先程見かけた介護士の女性がその後一緒に回ってくれたお陰で話は簡単だった。

 各部屋の入居者の性格や注意点を聞いたが、生き残った患者さんは大人しい人が多いらしい。あの騒動の日、元気に動き回ったり騒いだりする患者さんは騒ぎの起きた一階のエントランスに集まってしまい、亡くなってしまったのだという。

 噛まれてすぐに亡くなりはしなかった人も、出血や体調の悪化で隔離されていた部屋で死を迎えた。

 まだ二、三人は怪我人が生き残っているが、彼らは松高と同じように部屋のベッドに繋がれていた。時間が経つと何で自分が繋がれているのか忘れてしまうらしいが、介護士が治療の一環だと説明すると納得するので、そうやってやり過ごしているらしい。

 

「こんにちは」


 咲良たち顔を知らない人が顔を出すと訝し気な表情をする人が多かったが、大体が小町を見ると顔を綻ばせる。

 以前からアニマルセラピーのボランティアが来ていたからだろう、予想していたよりあっさりとどの部屋でも受け入れられた。


「可愛いわんちゃんねぇ」

「ありがとうございます」


 嬉しそうに小町を撫でる相手に、小町も尻尾を振って頭を差し出す。

 順繰りに部屋を回ったが、誰も感染している様子は無かった。

 小町は拘束されている人にも警戒はしなかったから、彼らは運悪く同じタイミングで怪我をしただけの人だったのだろう。それでも勝手に拘束を解くわけにはいかず、そのままだ。

 ただ、悦子たちは安心したらしく、話し相手を求める人の部屋にはそれぞれが残った。


 咲良は小町を連れてもう一回犬が見たい、と請われた部屋に行くため、桐野と小町と廊下を歩く。

 立地的な関係か周囲に喧騒は無く、廊下は静かだった。時折、各々の部屋から人の会話が漏れ聞こえるが、どれも穏やかなものだ。


「なんか、普通過ぎて、変な感じ」

「死体が歩いてるのにな」

 

 ぽつりと呟いた言葉に、桐野が淡々と返す。

 手には武器代わりの箒を持っているが、この状況だとただの掃除用具にしか見えない。この施設の箒を借りたせいか、入居者の方でも桐野に危険を感じたりする様子もなかったぐらいだ。

 

「下からの声も聞こえない」

「うん」


 下のエントランスホールには起き上がった死者がいるのは、咲良たちも入る前に見ていた。

 だが彼らのあげる呻き声は二階にいるとまるで聞こえない。防音設備がしっかりしているのだろう。

 遼の危惧していたパワータイプもいないから、防火扉が破られる心配もない。

 どこか安穏とした空気が漂う中に安心より違和感を覚えながら、咲良は犬好きな入居者の部屋をもう一度訪ねた。


「こんにちは」

「わんちゃん!待ってたのよ」


 おいでおいで、と招かれるままに部屋に入り、尋ねられるまま小町の名前や犬の話をしていると、不意に桐野が部屋の入り口を振り返る。

 同時にドアがノックされ、先程見た介護士の一人が入ってきた。


「交代しますよ」


 疲れた顔になんとか笑顔を浮かべた介護士に、咲良と桐野は入居者に別れを告げて部屋を出る。介護士はすれ違いざま「松高先生の所へ」と囁いた。

 結論が出たのだろう。

 咲良たちも小さく頷き返し、廊下の途中で悦子や典子と合流すると、先程のレクリエーション室へと向かった。




 ドアを開けると、遼や孝志たちも部屋の中にいた。介護士の方も男性が一人だけ残っている。


「どうだった?」


 問いかけた桐野に、遼が肩を竦める。


「データはまだ無かった。自衛隊もどこ行ったか分かんねぇ」

「そうか」


 話す二人に視線が集まったのを感じたのだろう。遼が咳払いをして町内会長を見れば、頷かれる。


「えー、じゃあ全員揃ったんで説明します。今言った通り、松高先生に関するデータは無かったし、自衛隊の足取りも掴めてない、てのが今の状況です」

「自衛隊本体も?」

「うぃっす。警察にも電話してみたけど、繋がらなかったです。そんなわけで避難も救助も期待出来ない」


 言い切られた言葉に、部屋の中がざわつく。

 特養の三人は先に聞かされていたのか、顔色は良くないが騒ぎはしなかった。一番顕著な反応を示したのは、やはりというか望月だ。


「ならどうするんだ!」

「どうって。俺に言われても」

 

 えぇ?と辟易した顔の遼にさらに食ってかかろうとする望月の間に、町内会長が割り込む。


「選択肢は二つあるかな。一つは当初の予定通りここで別れて、それぞれが田舎や縁のある場所に移動する。上野さんとこは田舎に帰る予定だったろ?」

「うっす。でも……」


 言い淀んだ遼の視線の先には、五十嵐がいる。

 食料も薬もほとんど無い、救助の希望も薄いこんな状況下に友人を置いて行くのに躊躇いがあるのだろう。

 五十嵐は友人の気持ちを察したのか、困った顔で笑った。


「入居者さんの塩分とか糖質とかの制限ある飯作れんの俺だけだし、俺は先生たちと一緒に残るよ。母ちゃんが命張って守った場所だし」


 もう決めた、と言う五十嵐に意見を言える人間はいなかった。

 松高や入居者がどこかに移動するのは難しい、と誰もが分かっているからだろう。松高は噛まれている上に老齢だし、入居者の多くは認知症で自宅介護が難しい人間だ。人数の減った介護士たちでは、移動だけでも手が足りない。


「二つ目は五十嵐くんみたいに、ここに残って救助を待つ」

「来ない救助をか?」

「自衛隊同士で連絡が行っていたら、他の部隊が来てくれる可能性はある」


 まぁ望みは薄いが、と町内会長は頭を掻き、続ける。


「俺はここに残る予定だ。女房もいるし」

「私も残るつもりだ」


 町内会長に続き、郷田も居残りを告げた。


「親類ももういない身だし、護衛くらいにはなるだろう」


 護衛くらい、という言葉に、何人かが乾いた笑いを零す。十分すぎる程、郷田は強い。

 その郷田が残る、と言った事で、幾人かが迷ったような空気になった。

 咲良たちの方はルイスや桐野、浩史という、実際に『死者を殺せる人間』がいるが、望月や山下たちにはいない。郷田がいないと心細いのだろう。


「後藤さんたちには申し訳ないが、ここから離脱するようなら、どこかで車を調達してくるから、それで勘弁してくれ」

「調達、ですか?」


 訝し気に後藤が首を傾げる。


「ああ。悪いが私の車は渡せない。代わりにこれから食料を調達する時に、使えそうな車を探してこようと思う」

 

 運転は出来るだろう?と問われ、後藤は曖昧に頷いた。

 それを離れた所で見ていた田原がおずおずと手を挙げる。


「あの、俺、免許無いんですけど、運転出来そうな車ってありますか?」

「免許が無い?」

「えっと、教習所で何度か運転した事はあります。まだ最終試験受けてないんですけど、ほとんど過程は終わってて。それで、その、俺一人でも乗れそうなのがあればって」

「え?お前、一人で離脱するの?」

 

 新條と離れて?と言外に含まれた遼の言葉に、咲良も同じ感想を抱いた。

 田原はいつだって新條と一緒だった。なのになぜ、と思い、学校のグラウンドでの一件を思い出す。

 まるで後藤の代わりに田原を差し出すような事を言った新條に、流石に田原も心が離れたのだろうか。

 幾人かからの訝し気な表情を受け、田原は罰の悪そうな顔を隠す様に俯いた。


「……親と連絡取れてないし。だから、親父の実家とか、母親の実家とか、そういうとこを、見に行こうかと思って」


 言い訳の様な、取り繕うかの様な早口だが、言っている事はおかしく無い。家族と連絡を取ろうとするのは、至極当然の行為だ。

 

「どこ行くの?」

「え?え、と………」


 後藤の後ろから顔を覗かせた新條の問いに口篭もるまでは、遼でさえ微妙ながら納得していただろう。

 だが、新條の問いにあからさまに言いたくなさげな様子を見せた事で、やはり言い訳だったのか、という空気になってしまった。

 当然新條もそれを感じ取ったのか目を潤ませて「なんで?」という態度を見せる。

 それに怒ったのは後藤だ。


「田原くんだっけ?君、一人で逃げるつもりか?」

「え、そんなつもりは……」

「だったら答えれば良いだろ?瞳ちゃんは傷ついてるぞ。君、彼女の友達じゃなかったのか?」


 言いながら新條を守るような仕草を見せる後藤に、遼があちゃー、というジェスチャーをした。

 高校にいた時から薄々感じていたが、完全に、後藤は以前の田原と同じ位置にいる。誰が何を言っても、新條の味方、という立ち位置だ。

 田原もそれに気づいたのか、顔色を悪くさせながら、もごもごと口ごもった。自分が以前そうだったから、後藤の頑なさは予想がつくのだろう。


「いや、親父の実家とか、母親の実家とか、住所、ちゃんと覚えて無くて、」

「嘘をつけ!君、今、自分で行くって言ったばっかりじゃないか」

「や、住所は本当、分かんなくて、車での行き方は、なんとなく覚えてる、て感じで」

「何県の何市ぐらいは分かるだろ」

「えっと、それは、」

「プライバシーだろ」


 口ごもる田原が哀れになったのか、後藤の強硬さにイラッとしたのか遼が口を挟んだ。


「上野くん」

「なんでお宅らに一々住所まで話す必要あんだよ。一人で行くっつってんだから、ほっときゃいいだろ。大体、そいつ一人の住所を云々言ってる場合じゃないだろ、今は。各々がどう動くんだって話じゃねぇの?」

「君のとこは田舎に帰るんだろ?だったら口を挟むのは、」

「保留」

「は?」

「だから、うちは保留。先生に父さんのギプス取ってもらわなきゃならないし、そもそもギプス取る機械探しに行かなきゃならんし。だから、即移動出来るわけじゃない」


 な、と強い調子で勇に同意を求めると、勇も頷いた。


「これを取って貰うまでは、置いて頂けたら、と思っています。その間、手伝える事があれば手伝うつもりでいます。まぁ、俺はあまり役に立てないんですが……」

「上野さんは怪我をしてるんだから仕方ないよ。それにそれで全員残って手伝って貰えるなら、正直助かる。な、郷田さん」

「ああ。さっきも言ったが、食料の調達を考えているんだが、私一人では荷が重い」

 

 言葉通りの意味で、と言う郷田の言葉に、施設に残る人間の数を数えたのか、咲良を含めた数人が頷いた。

 何日ここでの籠城が続くか分からないが、出来るだけ長くいようと思ったら、食料はなるべく沢山確保したいだろう。だが自由に動けるのは郷田と五十嵐、町内会長ぐらいだ。三人で運べる量では限りがある。


「それに薬も必要だ。安西さん」


 問いかけられた介護士―安西というらしい男性が頷く。


「毎食薬をのんでる人が多いので、減りが早いんです。供給も期待出来ないですし、薬局に行って薬を頂けたら、と思っています。郷田さんが先程言っていたスーパーの近くに大きめの薬局がありますから」

「そういうわけだ。もし残るなら、手を貸してもらう事になる。離脱するならするで、車の無い人間には車を探してくるから、名乗り出てくれ」



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