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おきあがり  作者: 鳶鷹
三章
85/136

14



 は、と声を漏らしたのは遼だ。

 叫ばないようにか自分の口を片手で塞ぎ、視線を彷徨わせる。郷田が訝し気な顔をしてから同じ事に気づいたのか、ハッとしたように松高を振り返った。


「松高さん、もしかして、噛まれてはいませんか?」


 慎重に告げられた言葉に、松高は疲れた顔で苦笑した。


「ええ。噛まれております」


 白衣の袖を捲った腕には、浩史と同じように包帯が巻かれていた。よく見れば手の甲や指先にも肌と同系色の絆創膏が貼られている。

 それを見て何人かが息を飲んで後退った。

 彼らに松高は力なく笑い、首を振る。


「安心してください。私が死んでも飛びかかったりは出来ませんで」


 そう言ってズボンをめくって見せた足首には、頑丈そうなベルトの様なものが巻かれていた。ベルトの先はそばの机の脚に繋がっている。

 まるで鎖に繋がれた犬だ。


「それは……」

「安全対策です。もし私が死んで起き上がっても、これがあれば机の重さで機敏には動けないでしょう。ただでさえ動きが遅いですから、あの……死者たちは」

 

 淡々という松高の横で、五十嵐は苛立たし気に顔を顰める。


「俺らの誰かが先生のそばにいれば、こんなんいらないって言ったんだけどね」

「みんな忙しいんだ。これが一番良いんだよ」


 慰めるように五十嵐の肩を叩く松高に、遼が気まずそうに手をあげた。


「それ、パワータイプだと多分意味無いかも……」

「パワータイプ?」

「見た事無ぇ?滅茶苦茶力が強いやつ。三人がかりで押さえてたドア、こじ開けられたぞ、俺ら。相手、結構な年のおばあちゃんだったけど」

「うっそ……」

「マジマジ。てか、走るやつもいるぞ。イガちゃん見てねぇの?」

「見てねぇ!あ、もしかしてメールに書いてあった異常者ってそれか!」


 うわぁ、と絶句してしまった五十嵐に、遼は浩史を振り返った。浩史は頷き前に出る。

 それから昨日咲良たちにした説明を繰り返した。

 感染症らしい事、噛まれてからの生存率の事、保菌者の事。

 全部を話し終え、自分の服の袖をめくる。


「私は保菌者です。失礼ですが、先生が噛まれた時間を教えて頂いても良いですか?」

「……最後に噛まれたのは、おおよそ十時間前です」

「リミット超えたじゃん、先生!」


 ほっとした声をあげた五十嵐に対して、松高と浩史の顔は硬いままだ。

 二人の顔色に気づき、同じようにほっとしていた面々が不安そうな顔になる。


「先生?」

「……私は複数の人に、複数回噛まれている。そういうデータはありますか?」

「………今のところはありません」

 

 苦しそうな浩史と松高の応答に、部屋の空気が重くなった。

 データに無い、という事は、これまでの法則が当てはまらない、という事だ。五十嵐もそれに気づいたのか、明るい顔から一転、絶望的な表情になった。

 

「データ、ないんすか」

「今のところは。ただ、」

「ただ?」

「新しく更新されている可能性はある。遼くん」

「!あ、そっか。ネットで調べてみる!」


 慌てた様子で遼が背負っていた鞄からタブレット端末とノートパソコンを取り出す。


「イガちゃん、ここネットはどうなってる?」

「一応繋げるはず。けどパスワード知ってるの事務員さんなんだよ。あー、事務室行けばパスワードあるかも」

「事務室どこ?」

「さっき通過した部屋」


 こっち、と遼と遼に手招きされた孝志を連れて、五十嵐は足早に部屋から出て行った。

 残った人間の間に気まずい沈黙が落ちたが、場をとりなす様に松高が咳ばらいをし、口を開く。


「出来たら介護士さんたちに先程お聞きした話をしたいのですが……」

「でしたら誰かが部屋を回って呼んできましょう」

「ありがとうございます。それと申し訳ないのですが、女性を中心に回って頂けないでしょうか。入居者さんも女性の方が緊張しないと思いますので」

「それは、」


 郷田が振り返った先は悦子だ。

 この場にいる女性の中で一番年配なのは望月の妻と望月の車に同乗していた女性だが、同乗していた女性の方が老齢で、望月の妻は彼女の付き添いのようになっていて動け無さそうだったからだろう。

 悦子もそれが分かったのか、望月の妻と視線を交わしてから頷いた。


「私は大丈夫ですよ。親族で慣れてますし」

「お願いします。それと、出来たらそちらのわんこ君もぜひ」

「小町も、ですか?」

「おや、わんこちゃんだったか。はい。わんこちゃんは感染者が分かるようですし」


 自分に対する小町を見て遼たちが様子を変えたので察したのだろう。松高は疲れた顔に笑顔を浮かべて頷いた。

 その言葉に、壁際に佇んでいた女性が息をのんだ。

 小町が警戒していた女性だ。入り口で小町が自分に対して他と違う反応を取ったのを覚えていたのだろう。

 カタカタと震えだした。


「わ、私、私も……?」


 蒼褪め、震える彼女に、しまった、と思うが、どうしようも無い。

 郷田が何か声をかけようとしたのか一歩踏み出すと、彼女は飛び上がって後退った。


「わ、私、違、違う、ゾンビになんか、」

「お嬢さん、」

「こっ殺さないで!」


 いやぁ!と叫んで足を縺れさせる。

 郷田が転んだ彼女に手を差し出すが、それすら彼女にとっては恐怖だったのだろう。泣きそうな顔で逃げ場を探す様に視線が彷徨い、望月に止まる。車に乗せてくれた望月なら自分を助けてくれる、と思ったのだろう。

 だが、縋るような視線を受け、望月はさっと視線を逸らした。

 彼女の顔が絶望に染まる。

 その場で尻もちをついたまま、ボロっと涙を零した彼女の前に、ゆっくりと浩史がしゃがんだ。


「落ち着いてください。俺の様に保菌者の可能性もある」

「でも……」

「あなたが噛まれたのはいつですか?」

「……分からないんです。分からない」

「分かる事だけで大丈夫です。アレらとはじめて会ったのはいつですか?」

「だ、大学にいる時です。授業が終わって外に出たら、アレが襲ってきて、逃げて……はじめは友達と一緒だったんです。でも友達が襲われて。二人でコンビニに逃げて、そこで友達がおかしくなって……」

「噛まれたのはお友達からだけ?」

「多分……でもほんのちょっとだけなんです。大きい絆創膏で大丈夫なくらいで……」

「噛まれた時の空の色は分りますか?暗かった?明るかった?」

「分からない。ずっとコンビニのバックヤードにいたから……」

 

 鼻を啜りながら、ぽつぽつと思い出した事を話していくが、詳細な時間は分からなかった。スマホはどこかに落とし、腕時計は無く、明かりの壊れかけたコンビニのバックヤードは薄暗くて、籠城していた時間すら定かでは無いのだという。

 それでも浩史と話して少し落ち着いたのだろう。無暗に逃げようとする仕草は無くなった。 


「大学生か。差し支えなければ大学名を聞いても?避難所になっている可能性は、」

「無いです。さっき、車の中で壊滅してるって、望月さんに聞きました」


 郷田の問いに首を振る。

 

「そうか……あなたは、名前は?」

「加納です」


 女性―加納は松高から差し出されたティッシュで鼻をかむ。


「なら加納さん、今から十時間みましょう。それまでは……」


 浩史が松高を振り返ると、松高は思案するように自分の足を見た。

 

「加納さんが嫌でなければ、私と同じように足に拘束具をつけてください。先程彼が言ったようにパワータイプ?だと困るから、つける先は私も柱に変えますが、大丈夫、長さもあるから歩けますし、取り外せるのでトイレにも行けます」


 初老の医師の穏やかな顔に、加納は迷ったようだったが頷いた。

 その事に全員がほっとし、郷田が仕切り直す様に口を開く。


「では上野さんたちと中原さん、だったか。介護士さんたちと代わってきてもらってもいいでしょうか」

「はい。あ、あと、その前に松高先生にお聞きしたいんですが、ギプスを外す事は出来ますか?」


 ずっと気にしていたのだろう。悦子が勇の足を見ながら言うと、松高は納得したように「あぁ」と頷いた。


「道具があれば出来ると思います。私も以前骨折して友人に外してもらった時に、あれこれ聞いた事があるので」

「良かった」


 ほっと悦子は息を吐く。

 安心したのか心なしか表情が緩んだ悦子に手招きをされ、咲良は小町を連れてそちらに向かった。浩史も一緒に来ようとしたが、介護士への説明にいて欲しい、と請われて足を止める。

 代わりにとでもいうように桐野が咲良たちの方へ来ようとするのを、浩史が腕を掴んで引き留めた。

 まだ父の中で桐野は要注意人物なのだろう。

 間に入った方が良いか、と咲良が逡巡しているうちに、浩史が桐野に何か耳打ちし、桐野が言い返す。

 その様子をハラハラと典子と悦子と見ていたら、久佳と彼女の同乗者が近づいてきていた。


「吉田さん?」

「私も一緒に行きます。嫁いでから暫く大姑の介護してたから。だから多少はお手伝い出来ると思うので。こっちの人も去年までお姑さんの介護してたから一緒にって」

「それは助かるわ」


 久佳と同年代くらいのその女性はぺこ、と頭を下げて挨拶をしてくれた。彼女は久佳と家が近かった女性なのだという。

 自己紹介をしていると、桐野と浩史の間でも話がついたらしい。

 渋々といった様子で浩史が桐野の腕を話し、桐野がこちらにやってきた。


「行こう」



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