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おきあがり  作者: 鳶鷹
三章
84/136

13



 五十嵐 健太、と名乗ったコック服の彼は、遼の小中学校の同級生なのだという。


「これで全員?」


 早く早く、と急かされて、慌てて町内会長が車に残る全員を呼び寄せる。

 降りてきた人達を改めて見ると、疲れた表情をしている人が多かった。特に松井の様に助けられたらしい人は疲労の色が濃い。

 咲良は後ろめたさを覚えながら、車から小町を下ろした。

 リードを手首に巻いていると、遼に手招きをされる。


「遼ちゃん?」

「ちょっと小町貸してくれる?全員の匂い嗅がせたい」

「あっ」


 浩史を見れば小さく頷かれた。保菌者や感染者を確認しておきたい、という事なのだろう。

 出入り口にいる五十嵐のそばに小走りに近寄る遼にくっついていくと、五十嵐に首を傾げられた。


「どした?おー、犬だ」


 可愛いなぁ、と手を伸ばしてきた五十嵐にドキッとするが、小町は良いよとばかりに軽く尻尾を振って頭を差し出した。非感染者だ。

 ほぅっと安堵のため息を漏らした遼と咲良に気づかず、五十嵐は嬉しそうに小町を撫でている。


「イガちゃん、犬も入れて良い?」

「大丈夫だよ。アニマルセラピーとか盲導犬とか、犬の出入り結構あるからさ」


 そんな風に会話をしている間に、全員が車から降りたらしい。

 町内会長を先頭にやってきた人たちに、五十嵐がドアを開いた。

 ドアの向こうは厨房だ。ここは食品の搬入口なのだろう。

 へぇ、と見ていたら、遼に軽く腕を引かれて、ドアの横に立つようにされた。ここで全員が通り過ぎるのをチェックするつもりなのだろう。

 町内会長にはなんで入らないのかと不思議そうな顔をされたが、曖昧に笑ってお先にどうぞ、とジャスチャーをした。


 一人一人ドアを潜っていくのを、ドアの横に避けて待つ。

 何人かには不思議そうな顔をされ、何人かには犬がいるから最後なのか、と納得をされ、何人かにはこちらの意図を察した顔をされた。

 小町には何も指示はしなかったが、本能的にだろう。保菌者と目星されている新條が後藤を盾に通り過ぎた時や、望月が助けたらしき女性に警戒の構えを見せた。

 感染が疑われる彼女たちに、胸が重くなる。

 新條は多分保菌者だ。それはもう分かっていたし、時間的に見て発症しないようだから怖がることは無い。

 だが、望月が助けたらしき女性はいずれ発症するかもしれないのだ。

 せめて発症しない保菌者だったら良いのに、と咲良は祈りながら、遼に促されてドアを潜った。重い足取りで父の元に向かえば、浩史も小町の反応を見ていたのだろう。励ます様に頭を撫でられた。


「これで揃ったっすか?オッケー、んじゃ行くか」


 施錠をしていた五十嵐が列の先頭に向かうのを見送り、父と一緒に最後尾に並ぶ。

 遼はさり気なく家族のいる場所に入り、結果を典子たちに話しているようだった。


「介護士さんとか先生に紹介すっからさ」


 こっち、とバスの運転手の様に誘導する五十嵐に列の中から遼が声をかける。


「サンキュー、イガちゃん。てか、先生って?」

「常駐してる医者の先生だよ。上にいんの。てかさ、これどういう集まり?なんでビッチ新條と下僕田原がいんの?」


 五十嵐は新條と田原とも顔見知りらしく、顔を顰めて遼に尋ねた。

 あまりなあだ名に田原や新條に寄り添う後藤が文句を言おうと口を開くのを制し、遼が答える。


「同じ町内会っつう集まり。イガちゃんは?なんでその恰好?」

「バイト。うちの母ちゃんがここで栄養士やってんのよ。そんで調理バイトが足んねぇからって頼まれてバイトしてたの」

「マジか。母ちゃんは?」


 歩きながら遼が尋ねると、あー、と言いづらそうに苦笑した。


「エントランスホール。死んじゃった」


 たはは、と困った様に笑う五十嵐に、まだ文句を言いたげだった田原と後藤が黙り込んだ。遼も眉を下げる。

 

「……悪ぃ」

「良いって事よ。知らなかったんだしさ。だからエントランスホールの方は行かないでな。つうても、防火扉閉まってっけど」

「あ、本当だ」


 指をさされた先には、頑丈そうな鉄の扉が廊下に壁を作っていた。先程見えた死者らしき姿は、全てこの扉の向こうに隔離されているのだろう。

 五十嵐は厨房を出てすぐそばにある階段を上る。 

 上った先には介護士らしきポロシャツを着た女性が待っていた。


「こんにちは」


 少し強張った顔の女性は町内会長を見ると、表情を崩して「奥さん待ってますよ」と微笑んだ。


「!妻は無事だったのか」

「ええ。あの時奥さんは二階のお部屋にいたので。お会いになれますか?」

「頼む!ええと、郷田さん」

「行ってあげてくれ。私たちは、」

「先生に会って頂けますか?」


 嬉しそうに介護士の女性に連れられて行く町内会長の背を見送り、残った面々もほっとした。

 こんな騒動の中で悲惨な事ばかりあったが、こうやって再会出来る事もあるのだ。

 そう思ったら皆少しだけだが力が抜けたのだろう。硬かった空気が少しだけ緩んだ。


「んじゃ、あとはこっちきてください」

 

 五十嵐に案内され、一つ部屋を飛ばして隣りの部屋に向かう。

 会長が通されていった廊下もだが、二階の廊下には防火扉が閉まっていないらしい。代わりに一階のエントランスホールから繋がっているであろう階段の防火扉が閉まっているのが、ちらりと見えた。


「ここ、レクリエーション室っす。先生ー、来ました」


 中からの返事を待ち、五十嵐がドアを開ける。

 中はブラインドが閉まっているものの、電気がついていて明るい。まだ停電にはなっていないらしい。もしかしたら自家発電の装置があるのかもしれない。

 広い部屋の中央には机や段ボール箱が置かれ、荷物に囲まれるように白衣を着た初老の男性が座っていた。


「ようこそ。私はここで医師をしている松高と言います」


 ぺこ、と頭を下げられ、咲良たちも頭を下げかえす。郷田が代表して初めに名乗り、他の人も紹介しようとしたが、松高は疲れた様に首を振った。


「すみません。もう年で、ご紹介頂いても覚える余裕が……」

「それは申し訳ない事をした。ここは今貴方が?」

「ホーム長はおりませんで。私が最年長です。職員も入居者さんも半分以上が亡くなられて……」


 そう言って顔を曇らせる。

 落ち込んだ松高を励ます様に、五十嵐がそばに行って肩を叩いた。


「大丈夫っすよ、先生。もうちょっとで自衛隊が来ますから」

「自衛隊?自衛隊がここに?」


 はっとした顔で郷田が尋ね返す。

 高校の部隊とは違う無事な隊がいて、救助に来てくれるのか。

 咲良たちの間に淡い期待が広まる。

 だが五十嵐の答えは、その淡い期待を打ち砕くものだった。


「隣り町の高校に駐留してる自衛隊っすね。夕べ連絡があって、今日の昼間に救助に来てくれるって」

「……イガちゃん、それってうちの妹の高校?」

「俺、遼っちの妹の高校知らねぇ」


 遼が暗い顔で高校の名前を告げると、五十嵐と松高は何かを察したのだろう。じわりと笑顔に不安が混じった。


「……高校名合ってるわ。えー、なんか嫌な予感がするんだけど、話聞いて良い?」

「……俺ら、ついさっきまでそこの高校にいた。自衛隊、どっかに逃げた後だった」

「マジか………」


 勘弁してくれよ、と五十嵐はへたり込んでしまった。松高の顔色も悪い。

 自衛隊が救助に来る、とそれに希望を繋いでいたのだろう。

 ここは小規模だが特別養護老人ホームだ。自宅で介護しきれない人が入居している。松高は入居者の半分以上が亡くなったというが、職員も半分以上亡くなったのだから、残った人間だけで世話をするのはかなり厳しい状況だろう。

 現に咲良たちが目にした介護職員はさっき町内会長を案内していった女性だけだ。松高は医師だが老齢だし、五十嵐は介護職ではない。

 襲われた事でパニックになったり、体調を崩している入居者を抱えて、疲労困憊しているだろう上に、救助が来ない、と言われて二人は今にも倒れそうだった。


「なんか、すまん」

「いや遼っちが悪いんじゃないからさー……あー、でもその自衛隊がこっち来てるって可能性は……」

「ゼロじゃないとは思うけど……出たの俺たちより随分先だったから、普通なら先についてるはず……イガちゃんたち、連絡取れねぇの?」

「今朝、時間確認したくて連絡したんだけど、出なかった。忙しいんだと思って諦めたんだわ。あー、どうしよ。食材ほぼ無ぇ……」

「薬もギリギリだよ、五十嵐君。まいった……」


 ため息をついた二人に、郷田が発言を求めるように片手をあげた。


「食材や薬なら調達すればいいのでは?幸い、近くにスーパーがあったはずだ。そばに薬局もある」


 先程、町内会長が言っていたスーパーの事だろう。

 目と鼻の先、とはいかないが、車があれば行けない事もない距離のはずだ。

 だが松高は首を振った。


「介護士さんたちは免許を持ってる人もいますし車もありますが、危険なので」

「我々もスーパーには用があるので、良かったらご一緒します」

「それはありがたいのですが……」


 ありがたい、と言いつつ、松高は悩ましい表情だ。

 確かに先程の介護士の女性や松高だけでは危険だろうが、こちらには見るからに強そうな体格の郷田や卓己がいる。なぜそこまで躊躇を、と思ったのが伝わったのだろう。

 松高は五十嵐を見て、五十嵐が頷き返した。


「なんか略奪とか起きてるっぽくて」

「略奪ぅ?」


 素っ頓狂な声をあげたのは遼だ。

 だが他の面々にしても驚いたのは同じだろう。日本に住んでいて略奪なんて言葉は滅多に聞かない。ニュースでぐらいだろう。


「ビビるよな。俺も初めて聞いた時、超ビビった。でもさ、」


 これ、と五十嵐がスマホを操作して遼に差し出した。

 覗き込んで遼が「げっ」と声を上げる。


「マジか……これ、回して良い?」

「してして。一目瞭然だし」


 五十嵐の了承を受けて遼が郷田にスマホを渡すと、受け取った郷田は画面を見て顔を険しくさせた。


「……これはひどいな」

「俺の友達が田舎に避難する途中に見たらしいんですわ」


 手から手へと回ってきたスマホを受け取り、咲良もその写真を見た。

 画像は粗いがスーパーらしき所から、大きな袋を抱えた人たちが出てきている。一部は入ろうとしているのだろう人と揉み合っていた。

 服を掴み、今にも殴り掛かりそうな人もいる。尻もちをついている人のそばには、彼らが落としたのか、それ以前から転がっているのか、服らしきものや潰れた野菜が散らばり、路上を汚していた。

 

「それ撮った奴の話だと、商品の取り合いっぽいって。そこ、割と都心に近くて駅前で人口多いせいかもしれんけど、喧嘩みたいのもあったらしい」

「あー、入荷なんて無いだろうからなぁ」

「だぁね。あ、こっち戻して」


 見終わった咲良がどうしたら、と見回すと、五十嵐が手をあげたので、スマホを持ってそちらに向かう。

 途中、新條たちに向けて警戒する小町を宥めながら五十嵐の所へ行くと、また小町が唸った。静かに、と窘めつつ、相手に謝罪しようとして気がつく。

 小町が唸っていた相手は、松高だった。



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