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私たちが校舎の中に逃げられたのは本当に偶然なんです、と白鳥は集まる人を見回してから、口を開いた。
「騒ぎが起きたのは今日の早朝で、本当に少し前、一時間くらい前、だったかな」
渡瀬が校舎の時計を見て確認するかのように頷き、抱き上げたキナコを撫でた。
「うち、犬がいるんで、起きてる時間はほとんど外で過ごしてたんです。白ちゃんと一緒に。キナコが時々吠えたっていうのもあるけど、避難してきた人の中に犬を嫌がる人がいたから」
ちらり、と数人が望月の方を伺う気配があったが、望月は無言だ。
咲良もつい望月を伺い、他の人が睨まれたのを見て慌てて視線を渡瀬達に戻した。
「一日目は良かったんです」
こちらの動きに気づかなかったのか、白鳥がため息をついて続ける。
「皆、助け合おう、て空気がありました。ただ、二日目になって怪我とか病気で自衛隊に搬送される人が出てきたら、文句を言う人が出てきて」
「具合が悪いなんて仮病じゃないのか、とか、大げさに言って自分だけ安全地帯に逃げるのか、とか。ひとりやたら声が大きいおじさんがいて、周りも引きずられて不満を言い出すようになったんです。うちもその流れで、犬なんて連れ込んで、て文句を言われるようになって」
「案外忍耐力が無いな」
ぽつり、と卓己が呟く。
周りの視線が自分に集まったのに気づいたのか、ああ、と補足するように続けた。
「今までも地震なんかの大規模災害はあったが、一日でそこまで切羽詰まったのか、と意外でな」
確かに、という同意の色が周囲に広がる。
日本人の大規模災害時の落ち着きぶりは、ニュースになった事もあるぐらいだ。咲良は実際にそういう場に遭遇した事は無かったが、それでも話には聞いた事がある。
たった一日を避難所で過ごしたくらいで、と不思議に思う面々に、白鳥も同意するかのように頷いた。
「普通の、って言ったらおかしいですが、普通の地震だったら大丈夫だったんだと思います。でも自衛隊の人達は銃を持ってすぐそばを行き交うし、その、噛まれていないか確認するって言って、全員が身体検査をして……」
「その手伝いに私たちも駆り出されたんですけど、それがまた気に食わないって」
「気に食わない?」
ルイスが首を傾げると、白鳥と渡瀬は気まずそうな顔になった。
「高校生なんて子供が自衛隊の手伝いをしてるのが、気に食わない、んだそうです」
「でも君たちは開設の時からいたからこそ、手伝いを任されたんだろう?」
「そうなんですけど……篠原、えっと生徒会長をやってる男子生徒なんですけど、彼が優等生っぽい見た目なんです。その取り澄ました顔がむかつくって、おじさんに絡まれてしまって。完全に言いがかりなんですけど……」
「それで片平っていう生徒がキレちゃって。一日中ねちねち言われてたのもあって、殴り合いになりそうになって、さらに空気が悪くなっちゃったんです」
片平は悪くないけど、と渡瀬がため息をうく。
「二人の怒鳴り合いに小さい子供は怖がるし、おじさんと片平はいつまでも睨み合ってるし。その上、あの起き上がった死者たちに発砲する音が何度も聞こえてたので、精神的にきつかったんだと思います」
「ここにも襲撃が?」
「はい。初日に自衛隊の人達が学校の敷地はどうにかしてくれたみたいなんですけど、搬送のヘリとかトラックとか大きい音がすると、周囲から集まってきちゃうみたいで。何度か応戦してました」
思い出したのか暗い顔になった白鳥の肩に、渡瀬が励ます様に肩を寄せる。
「私たち、体育館から出てる事が多かったから、そういうの何度か見てて……。でも学校の門を破って入ってくる事は無かったから、安心してたんです。でも、今朝になったら、変なのが来て」
「変なの?」
はい、と白鳥が頷く。
「はじめはまた誰か避難してきたのかなって思ったんです。遠くで車のエンジン音がしたから。でもしばらくしてから、車じゃなくて人が集団になって駆けてきたんです」
「集団?」
「はい。その集団の先頭にいた人が「助けてくれ!」て門を叩いて、自衛隊の人は慌てて門を開けました。助けを求めてきた人たちだと思ったんでしょう。でも違った」
ぎゅっと目をつむった白鳥の肩を、交代とばかりに渡瀬が軽く叩き続けた。
「先頭の人は人間だったけど、後ろはあの起き上がった死者だったみたいなんです。なんでか走ってたけど。先頭の人が門を閉めろ、て言うより早く、頭から突っ込むみたいに進入してきて。……門を開けた自衛隊の人は襲われて、そのまま……」
それは昨日咲良たちが遭遇したのと同じタイプの死者だろう。
咲良たちの方はルイスや桐野が素早く反応したから被害は無かったが、見た目に普通の人間とそう変わらなければ、うまく対応できなくても不思議は無い。
「私たちはちょうど昇降口の前にいたから、校庭にいた自衛隊の人に校舎内に逃げろって言われて、調理室に隠れてたんです」
「でも体育館の方は………」
苦し気に黙り込んだ二人に、沈黙が落ちる。
調理室は体育館と近い。きっと体育館が襲われた時の騒動や悲鳴を聞いてしまったのだろう。
咲良たちがグラウンドに車を止めて大分たつのに校庭の様子や体育館から人が出てこないのを見れば、中が壊滅しているのは予想がついた。
「何人かは、いえ、もっと多くは逃げられたと思います」
篠原たちもいないし、と白鳥はグラウンドにぽつぽつと倒れ伏している人たちを見て呟く。篠原や片平、杉山たちのその後を彼女も知らないのだろう。ただ、見知った姿が無かったのに少しだけほっとしているようだった。
「グラウンドに車を止めてた人が結構いたんですけど、今は無いですし」
「ここにも車があったの?」
「はい。自衛隊の車ももっとあったんです。でも人数に負けたのかな……途中から叫び声に、逃げろ、集まれ、て怒鳴り声が混じるようになったから。多分、連れてける人だけ連れて行ったんだと思います。車のエンジン音とかすごかったから」
ルイスが、急いで撤収したようだ、と言っていたのは当たりだったらしい。
「それでかぁ」
周囲を見て納得したかのように零した遼を振り向けば、ああ、と何かに思い当たった顔になった。
「俺らの方、多分逃げてく自衛隊一行見たわ」
「えっ」
「迷彩柄のごつい車の後ろに乗用車とゾンビ引き連れてた。それ見て、ルート変えたんだよ。ゾンビ軍団と鉢合わせしたくなかったから。結構な数のゾンビだったから、ここら一帯の歩けるのは全部くっついてったのかも。さっきの道、ゾンビ少なかったっしょ」
「あ。それで」
なんでだろう、と思っていたが、咲良たちが登ってきた坂とは逆方向に死者たちは流れていっていたのだ。
「今こうやって悠長に話してられるのもそのおかげだから、まぁ感謝すべき、か?」
「自衛隊と合流出来るのが一番ありがたかったけどね」
ルイスは仕方ない、という風に肩を竦めてみせた。
「それで、君たちはどうする?」
突然の問いに、渡瀬はペットボトルの蓋を開けながらちらりと背後を振り返る。グラウンドの向こう、第二駐車場へと視線を走らせた。
「白ちゃんも一緒に、車でうちの田舎に行くつもりです」
「車残ってるんだ」
「はい。うちの母親、弟の持病の関係で結構早い段階で弟と一緒に自衛隊の病院に搬送されてるんで、いざとなったら車使って田舎行きなさいって鍵貰ってたんです」
「そっか。あれ、でも免許は?」
「無いですけど、運転は出来るので」
「うん?」
「私、先月誕生日だったんです。だから夏休みに合宿行って免許取るつもりで。それをお正月に田舎で話したら、じゃあ敷地内で練習してけって」
「日本は私有地なら無免許でも良いんだっけ」
「はい。うちの田舎、東北で農家やってるんで、敷地が広いんです」
「東北?」
思わず、と言った風に口を開いたのは長谷川だった。
「東北の何県?」
「え……と、」
渡瀬と白鳥は目を見かわし、不審そうに長谷川を見る。確かに全く知らない成人男性に住所を聞かれたら警戒するだろう。
長谷川もそれに気づいたのか、はっとして慌てて背後を振り返った。
「俺たちも東北に避難するつもりなんだ!田舎がそっちで」
「えぇ。私とこっちの奥さんも同じ県だから、長谷川さんの車に乗せて貰ってるの」
長谷川の慌てっぷりに、長谷川の車に乗っていた婦人会の女性と小さい子供を連れた女性が笑いながら県と市を伝えれば、渡瀬達の警戒も解けたらしい。
「うち、隣りの市です」
「あら。じゃあ」
女性が長谷川を振り仰げば、長谷川が頷く。
「良かったら途中まででも一緒に行きませんか?」
「良いんですか?」
「はい。その、賢そうな犬もいるし」
指さされたキナコが尻尾を振る。
「さっき聞いたんですけど、犬がいればゾンビがいるのを教えてくれるって」
「あ、らしいですね」
「うちら、成人してる男が俺だけなんで、正直犬がいたら心強いっていうか」
ははは、と眉を下げて苦笑する長谷川に、渡瀬たちもほっとしたようだった。
避難所では悪態をつくおじさんに色々言われたようだし、女性が多い集団のが安心感があるのだろう。長谷川も高圧的なところが無いし、接しやすいと感じたようだ。
「あの、じゃあ、お願いします」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
彼らが頭を下げ合うのを見、じゃあ、とルイスが郷田たちを振り返る。
「僕らはどうしますか?」




