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おきあがり  作者: 鳶鷹
三章
78/136

7



 ワオーン、と尾を引く大きな声が響いた。

 

 途端に全員が振り返る。

 ぎょっとした顔、怯えたような顔の人達に咲良が謝ろうと口を開くのと同時に、望月が怒鳴った。


「おい!犬を黙らせろ!」

「すみません!」


 小町、駄目だよ、と頭を抱え込むと、嫌そうに頭を振られた。まだ吠える気なのだ。

 それを見て取ったのか、望月が激しく舌打ちをする。


「何考えてんだ!大体犬なんか連れてきて!頭おかしいんじゃないか!犬乗せるスペースがあるなら、人間を乗せるのが筋だろ!」

「望月さん、声が大きいよ!」


 慌てた様に町内会長が望月の腕を掴み、浩史が咲良たちを守るように前に立った。


「小町はうちの家族だ。あなたにとやかく言われる筋合いはない」

「何だと!」

「それにうちの犬は無駄吠えはしない。吠えるなら吠える理由があるはずだ」

「じゃあそれは―」

「……どっかでもう一頭鳴いてないか?」


 黙って見ていた長谷川が注意を引くように手を挙げて言い、首を巡らした。


「ほら!また聞こえた」


 どこからだ、と彼がきょろきょろするのにつられ、咲良たちも耳を澄ませる。

 すると長谷川の言う通り、微かに遠吠えが聞こえた。車の向こう、校舎の方向だ。

 怯えたり訝し気な顔で咲良たちを遠巻きにしていた人たちも、校舎じゃない?いや体育館だ、と口々に言い始める。

 ざわめき始めた場を、望月の苛立たし気な声が遮った。


「犬がいたら何なんだ!それより今は安全な場所を探すのが先だろ!」

「でも望月さん、避難者がどっかに残ってるなら、ここがどうしてこうなってんのか、自衛隊がどこ行ったかだって分かるかもしれない」


 郷田さん、と町内会長が振り返って呼びかけると、自衛隊の備品を見ていた剣道の師範代の男性が紙を片手に持ったまま頷く。


「生存者がいるなら助けるのが優先だな。私が行くか」

「郷田さん、校内分かりますか?」


 ルイスの問いかけに、いや、と郷田は首を振る。


「ここの高校は来た事が無い」

「でしたら――」

「先生!」


 言いかけたルイスを遮った声に、その場の視線が集まった。

 昇降口に、誰かがいる。


「先輩!」


 走り出てきた人影に、咲良が思わず声をあげれば、人影―白鳥が両手を、渡瀬がキナコを抱えていない方の腕を大きく振った。


「中原さん!上野さん!」


 二人は足を縺れさせて転びそうになりながら、駆け寄ってくる。


「白鳥さん、渡瀬さん、怪我はない?」


 グラウンドに止まった車を避けて駆けてきた二人にルイスが声をかけると、ようやく足を緩めて、白鳥たちは頷いた。


「はい。私たち、ちょうど外に、いたので」

「外?」

「はい」


 荒く息を吐きながら頷く白鳥と渡瀬に、町内会長が労わるように肩を叩く。


「ちょっと休ませてあげた方が良いな」

「会長さん!いつあいつらが来るか分からないんだぞ!」


 異を唱えた望月に、息を整えていた白鳥が顔をあげた。


「あの死者は、今は、あんまり、いないと思います」

「白鳥さん?」

「今朝早く、ちょっとあって、みんな、逃げた自衛隊についていったみたいで」

「逃げた?それはどういう、」


 問いかける町内会長を遮るように、郷田が手をあげた。


「ここが安全かどうかだけ、まず知りたい。安全そうなら正門を閉めてこよう」

「門を閉めちまったら、いざという時すぐに逃げられないよ、郷田さん」

「だが開きっぱなしだと外部からの侵入がある」


 難を示した町内会長に郷田が言い、ルイスも頷く。


「僕らが車で来たのに寄ってくる死者はいませんし、ある程度この敷地内は安全だと思いますよ。むしろ外から来られる方が怖い」

「うーん、一理あるか。なら一回閉めてしまおうか」


 どうだろう、と見回され、反対する声は出なかった。望月は渋い顔をしているが、否定も無い。


「なら、閉める、という事で。他にはいくつ門があるんだ?」


 郷田に問いかけられたルイスが、咲良と典子に視線を投げかけてきた。分からなかったのだろう。


「え、えっと、さっき入ってきた正門と第二駐車場脇の通用門と……」

「グラウンドの脇にある裏門、かなぁ」

「多分」


 典子と二人、思い出した門を指をさして告げれば、ルイスと郷田は三か所のうち正門だけが開きっぱなしなのを確認し、頷く。


「正門は僕が閉めてきます。郷田さんは」

「グラウンドの方に行こう。駐車場の方は、」

「ちょっと待て!」


 言いかけた郷田を遮ったのは望月だった。


「あんたらがいなかったら、なんかあった時どうする!」


 あんたら、と郷田とルイスを睨んだ視線に、何人かが顔を顰めた。

 確かにルイスも郷田も腕が立つし、特にルイスの方はここに来るまでずっと助けてくれていたから、頼りになるのは同じ班にいた人間は皆知っている。

 だが、ルイスは専属の護衛では無いし、もちろん金銭の報酬だって無い。言ってしまえばルイスの善意で成り立っている関係で、それは郷田もそうだろう。

 それなのに何かあったら彼らが守って当然、という望月の態度は幾人かに不快感を与えたようだった。遼などはあからさまに顔を顰めている。


「望月さん、そりゃ俺たちには武器は無いけど、いざとなれば車に逃げ込めば良いんだから」

「会長さんの車は広いから良いけど、うちは人助けもしてるんでね。そんなにすぐに乗り込めない」


 人助け、という言葉を強調しつつ、咲良たち同じ班にいた車の持ち主を見渡したその視線に気づかない人間はいなかっただろう。

 事情を知らない一班の人たちもこちらでいざこざがあったのは分かったのか、何人かがうんざりした顔をした。もしかしたら一班の方でも似たようなやり取りがあったのかもしれない。


「そんなに怖けりゃ、ずっと車に乗っとけっての」

「こら!」


 ぼそっと呟いたのは遼だろう。悦子が小声で諫めるが、望月の耳にも届いたらしい。

 きっと睨みつけて文句でも言うつもりなのだろう、口を開きかけた。

 が、望月の口から言葉が出るより早く、浩史が手を挙げて遮る。


「駐車場脇の方は俺が行きます」

「お父さん」


 思わず咲良は父の服の裾を掴んだ。

 咲良も誰かが行かなければいけないのは分かる。分かるが、不安なのだ。

 縋るように見てくる娘の手をぽん、と軽く叩き、浩史は口を開く。


「すぐ戻る。大丈夫だ」

「でも」

「もし死者がいた場合、躊躇なく手を下せるのは郷田さんかルイスさんか、桐野くん、だったか。それと俺だ」

「………」


 言って浩史が周囲を見回すと、望月は苦虫を噛み潰したような顔で、長谷川や勇は申し訳なさそうな顔で俯いた。


「いえ、責めてるわけじゃないんです。俺もはじめは無理でした。そのせいでこのザマですから」


 視線が浩史の腕に集まる。浩史は苦笑して、腕を軽く掲げて見せた。


「相手を殴るのを躊躇したら、力に押し負けました。やるなら思い切りやった方が良い。ですが、やらなくて済むならやらない方が良いと思います。正当防衛だ、なんて言っても、罪悪感はやっぱりありますから」

「確かに」


 浩史の言葉に同意したのは郷田だ。


「中原さんには申し訳ないが、手を汚す人間は少ない方が良い。私は若い頃から鍛錬をしてきたが、人の形をしたものにとどめを刺すのは、やはり中々割り切れるものじゃない」


 郷田と同じ班で行動していた人たちがその言葉に俯いたり、視線を彷徨わせた。移動中に何かがあったのだろう。


「とはいっても、一人での行動は危険が多い。門に行く人間は、それぞれ誰か連れて行ってくれ。ルイスさんはその子を連れて行くか?」


 その子、と視線を向けられた桐野が頷く。


「では私は、後藤さん、ちょっと来てくれ」

「え、俺、ですか?」


 新條に寄り添うように立っていた後藤が、ぎょっとした顔になった。

 行きたくないのか、もごもごと口ごもるのを見て、郷田が眉をひそめる。


「横にいてくれるだけで良い。異常があったら残った人間に教えるために走ってもらうが」

「俺、あまり足は速くなくて……」


 何とか回避したい、と言いたげな後藤の横にいた新條が、おずおずと口を開いた。


「達也君、足早かったよね?どうかな?」

「え?」

 

 いきなり話を振られた田原が愕然とした顔になる。

 それはそうだろう。郷田は横にいるだけでいい、と言ったが、まるきり安全というわけではないはずだ。その役割を振られたのだから、驚くのも無理はない。

 まして新條は田原にべったり、とまではいかなくても、そばにいるのが当然という状態だったのだ。咲良が小学生や中学生の頃、新條の周囲にはいつも数人の友人がいたが、その中には田原もいるのが当たり前だった。

 その田原に、後藤の代わりに行け、と言うのだから、田原も驚いたのだろう。


「瞳、なんで、」

「体育祭で一位だった、て言ってたよね?」

「一位って言っても、そんなの、高校生の時の話で……」


 絞り出す様に答える田原と新條のやり取りに、遼が舌打ちをした。


「後釜が見つかったら、お古はポイかよ」


 クソ女、と吐き捨てた遼に、新條の事を言っていると察したのだろう。後藤は顔色を変えて食ってかかろうとしたが、遼に睨まれた。


「んじゃ、あんたが行きます?後藤さん」

「そ、れは、」

「俺が行きますよ、郷田さん。さっさと終わらせて話聞かねぇと」

「……ああ、時間が惜しい。中原さんは、」

「槙田くんに頼みました」


 いつの間にか話をつけていたらしく、浩史の横に並んだ槙田が頷く。

 それに郷田は頷きを返した。


「くれぐれも気をつけて。では」


 三人がそれぞれ門へと行くのを見送り、町内会長が全員を見回す。

 

「さて。ちょっと片づけちまおうか。ああ、君たちは休んでいなさい」


 白鳥と渡瀬に自衛隊の備品らしい箱に座るように促し、町内会長はグラウンドに落ちている紙やペンを拾い出す。

 咲良は父が心配で遠ざかる父の背中を見ていたが、典子に肩を叩かれ、我に返った。


「咲ちゃん、大丈夫ぅ?」

「ん……大丈夫、多分」


 そう返して振り返れば、もう父の背中は見えなかった。


「中原さん」

「白鳥先輩?」


 こっちに、と座ったままの白鳥に手招きされ、咲良は慌てて近寄る。


「どうしました?」

「第二駐車場の方、早い段階で封鎖してたから、大丈夫だと思うわ」

「え?」

「バリケード作るって、なんか色々やってたみたい。だからそんなに心配しなくて大丈夫だと思う」

「そう、なんですか」

「ええ」


 ずっとここにいた白鳥の言葉に、咲良はようやく少し安心した。

 それから周囲の人たちがグラウンドに落ちているものを拾ったり、倒れた椅子を直しているのを見て、慌てる。

 白鳥や渡瀬はともかく、自分たちだけ突っ立っているのは気まずい。何か手伝わないと、と町内会長に視線を送れば、目が合って笑って首を振られた。

 押しとどめる様なジェスチャーをされ、白鳥たちについててあげなさい、という意味だと分かり、典子と一緒に頭を下げてその場に留まった。


「あの、先輩たちは、大丈夫ですか?」

「ありがとう、大丈夫よ」

「全力で走ったから、疲れちゃって」


 はぁ、と渡瀬が脱力し、腕の中からキナコが滑り落ちる様に降りる。

 すぐに小町が近づき、キナコの方もさっき互いに遠吠えをした相手だと気づいたのか、ととと、と歩み寄ってきた。

 二匹とも威嚇する様子は無く、ふんふん、と互いの匂いを嗅ぎ合う。相性は悪くないらしい。


「可愛いね。あの写真の子?名前なんだっけ?」

 

 この騒動が始まった日、スマホで見せた写真を覚えていたのだろう。渡瀬が頬を緩めて小町に手を差し出す。


「はい。小町っていいます」

「小町ちゃんね。日本犬って感じで良いわね」


 白鳥も手を差し出すと、小町は二人の指の匂いを嗅いで尻尾を振った。


「お利口さんだね。キナコはもう、大変。吠えちゃって吠えちゃって」

「?こんなに大人しいのに、ですか?」

 

 同じように咲良と典子もキナコに手を嗅がれていたが、渡瀬が言うのとは裏腹に、懐っこい様子でぶんぶん尻尾を振っている。

 疑問に思い首を傾げると、渡瀬がため息をつく。


「今はね。嫌いな相手には容赦ないからさ。避難所の中でも大変だったの」


 困っちゃった、と言う渡瀬に、咲良と典子は目を見合わせた。

 浩史の言葉を思い出したからだ。

 個体差があるが、感染者を嗅ぎ分けられる犬もいる。実際小町も疑いのある相手にはひどく威嚇したし、キナコも死者になった飯尾に向かって吠えていた。

 キナコが吠えた相手というのも、感染の疑いのある相手だったのではないか。

 恐る恐る咲良がそれを伝えると、白鳥が目を眇めた。


「……片平もそんな話してたわね」

「片平先輩、ですか?」


 そういえば初日に死者たちが音に反応する、と自説を展開していたのは片平だった気がする。細かな所に気がつくタイプなのだろう。

 その片平はどこに、と咲良が視線を彷徨わせたのに気づいたのか、白鳥が沈んだ表情になった。


「どこにいるかは、分からないの」

「それって」

「さっき言った通り、ちょっと混乱があって……」


 目を伏せた白鳥にキナコが近寄り、心配そうに伺う。

 見上げてくる黒い目に気づいたのだろう、白鳥は手を伸ばしてキナコを撫でた。


「……無事だとは思うのよ。片平は要領良いし、篠原も一緒だと思うから。多分、大丈夫」


 多分、ともう一度呟く白鳥の肩に渡瀬が寄り添う。

 二人とも何かを思い出しているのか、それとも不安を押し殺しているのか、無言になってしまった。

 咲良も典子も何も言う事が出来ず、黙り込む。ここで何が起きたのか。知りたいけれど聞くのが怖い。

 誰も喋らない中、パタパタと走り寄ってくる足音に気づき顔を上げると、悦子がペットボトルを持って立っていた。

 白鳥と渡瀬に、という悦子の向こうには、戻ってきた浩史やルイスたちの姿があった。


「お待たせしてごめんね。話してくれるかな?」



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