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浩史の予想通り、前の車は人影が駆け寄るたびに立ち止まった。
起き上がった死者にも止まりかけ、慌てた様にスピードを上げて発車する。
死者は狙いを定めた相手を失い、代わりに後ろを走る咲良たちの車の方へ来るのだから堪らない。
浩史もスピードをあげたり、時にはバックして車にぶつからないようタイミングをずらすからそうそう接近される事は無かったが、咲良はその都度助手席で悲鳴をあげない様に口を押さえて震えた。
「大丈夫か?」
尋ねる浩史の台詞も緊張からか強張っている。
「だ、大丈夫」
窓に張り付こうとした死者を間一髪で避けたが、まだ後ろから追ってきていた。
車列の速度は速くないから、前の車にぶつかりそうで怖い。
「咲良、勇さんに電話。うちだけそこを右折する。ちょっと迂回して振り切るからと」
「分かった!」
急ハンドルを切られて傾きそうになる身体をグリップで支え、咲良は言われた通り勇に伝える。
『分かった。気をつけて。今はどこら辺?周りに目立つ家とか建物はある?』
「今ピンクの壁をした三階建ての家を通り過ぎました。紫陽花っぽいのがある家です」
『そうしたら真っ直ぐ行って小人の人形がいっぱいある家の横を左折して。そこから三つ目の角を左折するとこっちに戻れるはずだ。公園と空き地の間の道。公園が道路の左右にあるけど、空き地の方を、え?』
「おじさん?」
『ああ、なるほど。咲良ちゃん、悪いけど公園のあたりで待っててくれるか。先生がそっち行くって。もし危険があったらまた電話を』
じゃあ、と切られた通話に首を捻りながら言われた通りに伝えると、人気の無い道を睨むように運転していた浩史は「なるほど」と呟きながら了解をした。
指示通りに道を辿り、公園の横に車を止める。
死者か来ないかと緊張しながら周囲を警戒していると、公園と空き地の間の道からルイスたちの車がやってきた。
前で止まるかと思ったら公園の周りをぐるっと回り、咲良たちの車をぎりぎりで避け、斜め前に同じ向きで止まった。発車しやすいようにだろう。中原家の車の横は、二台目と三台目がくる形になった。
ルイスが無造作に車から降りてくる。手には学校から持ってきたモップを持っているが、あれだけで大丈夫だろうか。咲良と同じように不安を覚えたのか、二台目と三台目の車の運転手が窓を開けてあわあわと何か言いたげに口を開いては閉じている。
だがルイス自身は特に危険も感じていないのか、車の間をするりと抜けて、四台目―人を乗せた車の窓をノックした。
何か話があるらしい、と咲良も助手席の窓を開くと、四台目の車の運転手も窓を開け、ルイスを睨んだ。
「こちらの言いたい事は分かってるみたいですね」
いつもより少し冷ややかな声で言ったルイスに、相手の運転手が怒鳴り返す。
「そっちこそ頭おかしいんじゃないか!」
「静かに。囲まれたいんですか」
「っ偉そうに!人でなしが!」
明らかな喧嘩腰に二台目と三台目の運転手を見ると、二台目の運転手が顔を顰めて後ろを指さした。
「あのおっさん、うちらにも人を押し付けようとしたんだ」
うちは断ったけど、と言う二台目の後部座席には定員通り人が乗っているが、よく見れば三台目の方は後部座席が狭そうだった。代わりに三台目が乗せたのだろう。
三台目の運転手は気弱そうな顔で俯いていた。助手席の女性は不安そうに後ろを振り返っている。
「人が困ってるんだぞ!助けるのが人間ってもんだ!」
「でしたら人でなしで結構です」
「これだから外人は!助け合いってもんを知らん」
悪態をつく運転手に、二台目の運転手が顔を覆って呻く。
「こんな時に人種差別かよ」
「あのおじさん、どういう人なんですか?」
ルイスが何でもない顔で久佳を脅しつけたのを知っている咲良はひやひやしながら二台目の運転手に尋ねるが、彼もよく知らないらしい。
変な形の住宅街だからか、端と端に住んでる人間なんかは顔を合わせるのも稀なのだ。咲良もこの運転手の名前すら知らなかった。相手もそうだろう。
返事をしようとして、それに気づいたのか「長谷川って言います」と名乗ってくれた。咲良も慌てて名乗り返す。
長谷川は運転席の浩史にも会釈し、後ろの車をちらりと見やった。
「俺もよく知らないんだけど、年齢的に退職したばっかの人じゃないかな」
頭を掻く長谷川の後ろの窓が開き、二人がそちらをみれば年配の女性が顔を出した。
こちらは悦子と話をしていたのを見た事がある、婦人会の女性だ。
「こないだ町内ボランティアに入ったばっかりの人よ。確か望月さんて名前の。退職する前は役付きだったらしくて、偉そうにするから皆困ってたわ。後ろの車の人は同じ会社の元部下なんですって」
ね、と彼女が話しかけたのは隣に座る女性だった。小さな子供を抱えて不安そうに後ろをちらちら見ていたが、声をかけられたのに気付いて慌てて頷く。
「はい。聞いた話だと会社の上下関係がまだ続いてるみたいで、嫌になるって奥さんが保育園で半泣きになってました。引っ越し考えてたらしいんですけど……」
「逃げ損ねたって事ですか。迷惑なおっさんだなぁ」
四人で声を潜めて話をしていたら、急に怒声が上がって咲良たちは飛びあがった。
「脅すつもりか!」
「いいえ。事実を言っただけです」
ルイスは車から顔を覗かせ見ている咲良たちを振り返り、「彼らもでしょう」と言う。
何が、と首を傾げていたら、四台目の運転手―望月と目が合い、咲良はぱっと目を逸らした。
野次馬の様に二人のやりとりを見ていた事や、内緒話染みた話を交わしていた事が後ろめたかったのもあるが、何より壮年の男性の睨みつける視線が怖かったのだ。
あのくらいの年の男性とは口をきく事すら普段は無い。その上ひどく怒っている。
冷や汗をかきながら二台目の車を見れば、彼らも後ろのやり取りから視線を逸らしたらしく、目が合った。
目線だけで「どうしよう」と会話していると、それが望月の癇に障ったらしい。
「お前らも同意見か!」
怒鳴られて飛びあがる。
同意見も何も何の話か分からない、と困惑していると、運転席の浩史がいきなり車外に出て行った。
「お、お父さん?!」
「今の話が見ず知らずの人間を車に乗せろ、という事なら、うちは断りますが」
「なんだと!」
激高する相手に浩史は淡々とした態度を崩さず、車の間をすり抜けて、ルイスの横に並んだ。
「うちの車は定員いっぱいです」
「嘘つけ!娘と荷物しか載せてない癖に!」
ルイスと浩史の二人が外にいるから安全だと思ったのか、望月も車のドアを乱暴に開けて出て来る。そのままの勢いで浩史に手を伸ばした。
胸倉を掴まれた浩史に咲良は悲鳴をあげかけたが、浩史の方は冷静に相手を見据える。
「放せ」
「なんだと!偉そうに!お前みたいな自己中がいるから、世の中腐るんだ!」
今にも殴りかかりそうな勢いに、浩史はため息をつき、すっと腕をあげた。
「なんだ?やるのか?!やるなら……っ!」
喧嘩を売られたと思ったのか、キレかけた望月だったが、浩史が服の袖をめくったそこに包帯が巻かれているのを見て、弾かれた様に胸倉を放して飛びのく。
「それ、」
「俺は保菌者です」
「っ聞いてないぞ!」
「言う必要が?」
一歩前に出た浩史に、望月は怯えた様に下がった。
「避難所まで一緒に移動するだけの相手に言う必要は無いでしょう。万一、俺が発症しても、あんたは違う車の中だ。危険は無い」
「それはっ、そうだが、でも……」
「うちは車列の一番後ろだから、事故ったところでお宅に迷惑はかけないはずだ。うちは散々迷惑をかけられたが」
「はあ?」
「お宅のせいで車列からはぐれた。お宅が無責任に引き寄せた死者に追いかけ回されたからだ」
「…………」
「偽善をやりたいなら好きなだけやればいい。だが一塊になって移動している以上、他の車には迷惑をかけないでくれ」
「人助けだ!」
「後ろにいるうちには、ただの迷惑だ。どうしてもさっきの様な真似がしたいなら、最後尾に移ってくれ」
「あんたがおかしくなって事故りでもしたら、うちが巻き込まれるだろうが!」
叫んだ瞬間、ルイスがぱっと周りを見回した。
その動作に他の人間が凍り付く。周りに死者が来たのか、と。
緊張で全員が息を潜めて身を強張らせる。
「……大声は控えてください」
密やかなルイスの声だったが、息を潜めていたから全員の耳に届いたのだろう。注目が集まる。
「中原さんは車に。あなたも。それと先程も言いましたが、僕らが気に入らないのなら、車列を離れて貰って構いません」
「それが脅しだと……っ」
大声をあげかけて、ルイスの忠告を思い出したのだろう。運転手は悔しそうにしながらも声を潜めた。
「脅しじゃありません。方針が合わないのなら離れた方が良い。これから言い争いをしている余裕は無くなる」
え、とルイスの言葉に声を漏らしたのは誰か。
強張った顔で長谷川と三台目の運転手は周囲を見回した。すぐそばに死者がいる、と思ったからだろう。
彼らの怯えた表情にルイスは首を振った。
「学校の近くには住宅が多いんです。つまり人も多いはず」
「え、でも、帰る時は全然、大丈夫で……」
咲良は学校からの帰り道を思い出して困惑した。
あの時、ルイスの軽自動車から見た景色は、むしろ人気の無いゴーストタウンめいていた。それがなぜ?と問いかけると、ルイスは苦笑いを浮かべる。
「時間の関係だよ。この騒ぎが起きた日は雨も降ってたし、外に出てた人も少なかった。でも雨が止んで異常事態に気づいた人たちは外に出始めただろうし、そうすると噛まれる人も増える」
「聞いてないぞ!ならなんで俺たちはそんなとこに向かってるんだ!」
また叫んだ運転手を浩史が一瞥し、ため息をついた。
「自衛隊が何とかしてくれている可能性があるから、学校周辺は安全だろう、という見込みで向かってる。そのあたりは町内会長が説明したはずだ」
運転手がぐっと黙り込む。町内会長から説明があったのを思い出したのだろう。
「危険は承知の上での同行。違いますか?」
追い打ちをかける様にルイスが笑顔で問う。
言い返せずに黙った運転手に、ルイスは駄目押しをする。
「文句があるなら離脱を。車列を離れるのはあなたの自由です。ただし、同行するのなら他の車への干渉はやめてください。良いですね?」




