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おきあがり  作者: 鳶鷹
三章
73/136

2



「はい注目」


 眠い目を擦りながら、遼が全員の前に紙の束を置く。

 時刻は早朝四時。まだ日も昇っていない。


「地図配りまーす。こっちが田舎までのやつで、こっちが高校付近の拡大コピーな」


 夕べ話し合った結果、咲良たちは避難所まで同行する事になった。

 浩史が言ったように自衛隊には政府からの情報がある可能性が高い。このウィルスについて新しい情報が得られるかもしれないし、もし無くても田舎までの安全なルートについて教えてもらえるかもしれない。

 浩史が東京から戻ってきた時、高速道路は殆ど使えなくなっていたという。事故や車の乗り捨てが原因だ。

 下道から死者が侵入したのか、サービスエリアで発生したのか、もしくは同乗者が死んだ後起き上がったのか。高速道路の壁に激突したまま炎上していたり、ドアを開けっぱなしで置き去りにされた車が多々あったらしい。

 場所によっては完全に道が塞がれていて、下手をすれば袋の鼠だ。実際、追い詰められたと思しき血の海を見たようだった。

 

 ならば下道で、と思ったが、こちらはこちらで似たような事が起きている、と勇が言った。

 タクシー運転手仲間の話によると、車がガードレールや民家に突っ込み道を塞いでいる場所もあるらしい。

 ただ、高速道路と違って脇道裏道を使えば、追い込まれる事は少ない、という話だった。もちろん行き止まりに追い込まれたら袋の鼠なのは変わらないが、高速道路と違ってそうそう高所にある道は多くないから、横に逃げたら崖、という事はあまり無いはずだ。

 だから疎開自体は高速を使わず下道で行けば大丈夫だろう、という結論になったのだが、それでも出来るだけ安全な道を選びたい。 


 ゆえに自衛隊を頼ろう、という話になった。

 自衛隊は各地に部隊があるし、特に今は事態の収拾のために日本全国に散っているはずだから、安全なルートに関しては詳しいだろう。うまくいけば移動中のどこかの部隊に便乗する事も可能かもしれない。

 訓練された自衛隊は銃火器も持っているだろうし、警察とも連携をとっているはずだから、彼らを頼るのが一番安全だろう。

 遼や孝志も迷ったようだったが、最終的には同意した。


「車一台につき、一部づつな」


 分厚い紙束を差し出され、それぞれの車の運転手が受け取る。

 

「んで、ルートの変更とかあったらスマホで連絡な。うちは母さんか典子で、浩おじさんとこは咲ちゃん。孝志のとこは桐野くんで、先生は、」

「僕はスピーカーにするから大丈夫。慣れてるし」

「了解っす。んじゃ、電話番号交換な」


 ほい、と言われて咲良は慌てて赤外線通信を起動させた。


「んー。オッケ。バッテリ減ったら充電難しいから、無駄なお喋り禁止な。あと使わないアプリは強制停止させてエコモードにしたら結構持つからよろしく」


 慌てて設定を変更するのを見ていた悦子は「何言ってるんだか、さっぱり分かんないわ」とため息をついて、渡された地図だという紙の束を広げた。


「遼、これすごい大きくて嵩張るんだけど。何枚使ったの」


 コピー用紙の束、だと思っていたものは、器用にセロハンテープで張り合わせられた地図だった。広げるとかなりの大きさになる。


「分かんね。けど、拡大しとかないと見づらいっしょ。スマホなら簡単に拡大出来るけど、電池切れたら最後だし」


 結局最後はアナログだわー、と遼は元になったらしいロードマップを片手にため息をついた。


「これのコピーと張り合わせで超眠い。安全地帯に辿り着いたらすっげぇ寝るからよろしく」

「俺が運転出来ればなぁ」

「それは言ってもしょうがないっしょ。ギプス取れてもしばらくはリハビリしないとだし」


 勇の足はずっと使ってなかったから筋肉が衰えているはずだ。本来ならそろそろ病院でギプスを外し、通院する予定だった。

 すぐに運転は難しいのは自分でも分かっているのか肩を落とす父親に「ナビよろしく」と笑いかけ、遼は首を鳴らした。


「うし!そろそろ行きますか。じゃあ昨日話した事忘れないでなー」


 遼の号令を受け、全員でぞろぞろと玄関へと向かう。

 他の人の背で見えないが、先頭にいるルイスが玄関を開いたのが音と空気で分かった。

 少しひんやりした朝特有の澄んだ空気が漂ってくる。それを肌に感じながら、咲良は浩史に続いて靴を履き、上野家の玄関をくぐった。


 空はうっすらと明るい。

 遠くの方で日が昇り始めているのだろう。

 嫌な事件など何も無かったかのように静けさに満ちている空の下、対照的に庭にあるすべてのものが暗かった。

 影が濃いのか、写真にしたらひどく芸術的に映るかもしれない。静寂が美しいと思える光景だった。

 

 だが、今はただただ影の濃さが恐ろしい。

 どこかに何かが潜んでいても判別が出来ない暗さだ。門は昨日男性陣が補強したのを知っていたが、咲良は不安を隠しきれなかった。新條の母が飛び出してきた事を思い出し、ぎゅっと手を握りしめていると、不意に足元に柔らかなものが寄り添う。


「小町」


 こちらの様子をうかがう様に見上げてくるまん丸の黒い目に、少しだけ力が抜けた。

 何でもないよ、というように手を伸ばして鼻の頭を掻いてやれば、ふすん、と鼻を鳴らして、先を行く父の後を見る。


 小町の鼻は浩史の匂いにいまだ異常を感じているのか一定の距離までしか近づかなかったが、気持ちの方は浩史を群れのリーダーとして認めているらしく、慕う様な様子をこうして覗かせる。

 戸惑いつつも慕わしい気持ちを見せる小町に、咲良はほっとしながら父の後に続いた。

 浩史はいつか自分が人でなくなったら、と言っていたが、小町がこうして慕わし気な態度を示しているうちは、きっと大丈夫だ。

 父はウィルスなんかに負けたりしない。

 大丈夫、と胸の内で呟きながら、車へとたどり着けば、父が後部座席のドアを開けてくれた。


「小町、おいで」


 小声で言いながら足元の小町を抱き上げる。

 そのまま後部座席に設置した犬用のメッシュのキャリーケースに入れれば、小町は大人しくその中に座り込んだ。

 キャリーの周りは荷物でいっぱいだが、小町はさほど気にならないらしい。いつもと変わらない様子で咲良たちが乗り込むのを待っている。

 良い子、と頭を撫でてから、なるべく音をさせないように後部席のドアを閉めると、咲良は自分も急いで助手席に乗り込んだ。

 足元どころか膝の上まで荷物が詰まって狭苦しいが、ドアを閉めれば車は閉じられた空間になる。いつどこから何かが飛び出してくるか分からないような開放的な外から隔離され、ほっとした。


「忘れ物無いな?」


 運転席に乗り込んだ浩史に尋ねられ、咲良はうんと頷いた。


「昨日あれだけ見返したもん。大丈夫だよ、多分。あとはもう、持って行けないし」


 膝の鞄を抱え直し、自宅を振り返る。

 小学生の時に越して来て以来ずっと住んでいた家は、いつもと変わらずそこにあった。

 今は雨戸を閉められ、ブレーカーを落とされ、厳重に戸締りをされている。 

 次にあの玄関を開くのはいつになるのか。もしかしたら意外とすぐ戻れるかもしれないが、ずっと先、もしくは戻ってこれない可能性だってある。

 この異常事態が収束しない限り、この家に帰ってきて平和に暮らす未来はないだろう。

 名残惜しむ様に家を見ていた咲良に、浩史が静かに声をかけた。


「前の車が出た。行くぞ」

「うん」



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