三章の序章です。
なんで『さくら』なんてつけたの。
そう咲良が母親に抗議したのは、小学生の頃だ。
学校で同じクラスの男の子たちにからかわれたからだった。
秋生まれなのに、さくら、なんて変なの。さくらは春だろ。
字が違うもん、と言い返したが、男の子たちは笑って囃し立てるばかりで謝ってくれなかった。それで悔しい気持ちでいっぱいになりながら家に帰り、母親に訴えたのだ。
母親は咲良の抗議にきょとんとし、それから笑った。
お母さんね、昔から女の子が生まれたら、咲良って名前にしようって決めてたのよ。
なんで?お母さんが桃花だから?
母が桃の花の咲く頃に生まれたから、桃花、だという名前なのを咲良は知っていた。桃と桜の花の時期が被るから、二つの花がよくセットみたいに扱われる花なのも。
母親の名前に由来しているのは嫌では無かったけど、なんとなく良い気持がしなくて不貞腐れて聞いた咲良に、母は首を振った。
お母さんの名前は単純に花の時期だからってつけられたけど、咲良はちゃんと意味があるのよ。花が咲くたび良い事がありますようにって。
そうなの?でも、冬はお花咲かないよ。
日本で咲いてなくても世界のどこかで咲いてるわ。日本がどんな季節でもね。だからいつも良い事があるのよ。
初めて名前の由来を聞いて驚いた咲良は、しかめっ面を忘れて母親を見上げた。
良い名前でしょ?
ぽかんとした我が子の顔が面白かったのか、母はにっこり笑って言った。
だが、ふ、と笑顔を消して咲良の頭を撫でた。
でも……そうね、知らない人には秘密よ。
なんで?
ほら、揶揄う子もいたでしょ?それに知らない大人には詳しく言う必要も無いの。だから知らない相手には、春生まれです、て言いなさい。春生まれだから、さくらですって。
……嘘つくの?
嘘をつくのは悪い事だ、と学校でも言われるのに、と母に聞き返すと、母は少し困った顔をしながら、それでもしっかり頷いた。
良いのよ。何か言われたらお母さんにそう言いなさいって言われた、って言えば良いんだから。
だから、知らない人には、咲良の誕生日は秘密、と囁き、咲良を抱きしめた。
抱きしめた母の腕の力はすごく強くて、そしてなぜか少し震えていた。