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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
69/136

33



 視線を受けた町内会長が困った様に頭をかく。


「……参ったな。俺はそもそも実家に戻る予定は無いんだ」

「え?ここに残るんですか?」

「いや、女房が隣町の特別養護老人ホームにいるからさ。ひと段落ついたらそっちに行こうと思ってたんだ」

「あぁ。奥さんが」

「合流したら特養の方針に従うつもりだったんだよ」


 だからなぁ、と弱った様に残りの一人へと視線を移す。


「後藤さんは?どうする?」

「俺は免許きれちゃってて……この辺交通の便が良いから車無くても不便じゃないんで、車自体、結構前に処分しちゃったんですよ。だから何とか歩いて避難所に行くしかないかなって……」

「それだ!」


 ぽん、と町内会長が手を叩く。


「消防とか警察は電話も繋がんないが、自力で避難所に行くって手があったな」

「え?消防とか警察駄目なんですか?」

「ああ。町内の防災訓練だと真っ先にそっちに連絡いれて指示仰ぐんだが、昨日、折り返し連絡するから待っててくれって言われて以降、梨の礫でな。町内会の役員だけで動こうかと思ったんだが、役員が戻っていない家もあるし、結局このザマだ」

「なるほど」

「俺以外にも動いてる役員に連絡して、他に避難所に行く人間を集めて連れてくよ。避難所まで行けば警察官の一人や二人はいるだろ」

 

 あ、と咲良は典子と同時に声を漏らした。

 綺麗に揃った声に注目が集まり、二人で目で譲り合ってから、咲良が口を開いた。


「あの、うちの高校、自衛隊がいます」

「は?!」

「警察署に派遣されてた部隊の一部が救助に来てくれて、そのまま避難所にするって言ってました」


 ね、と典子に頷きかける。


「うん。出来たら残って欲しい、って言われてたんですけどぉ、家が心配だったから、私たちだけ帰ってきたんですぅ」

「本当か!君らが行ってる高校、どこだ?近いか?」


 勢い込んで尋ねられて慌てて学校名を言えば、名前だけで場所も分かったらしい。

 

「昔PTAに呼ばれて行った事がある。道順も分かるから、後藤さん、と新條さんと田原くん?うちの車で連れてってやろう」

「ありがとうございます!」

「助かります」


 ほっとしたように後藤と新條が礼を言うが、田原は困ったような顔になった。

 

「田原くん?だったよな。名前違ったか?」

「あ、いえ、合ってます。そうじゃなくて……うちの親、まだ帰ってなくて……」

「それは……迷うな」


 田原は両親とすれ違う事を危惧しているらしい。

 咲良も父が帰るまでは、と思っていたから彼の気持ちはよく分かった。逆に新條が避難所という言葉に即断したのは、母親が避難所にいると思っているからだろうか。

 彼女の母親はもう、亡くなっているのに。

 そこで新條が母親の死について知らないのかもしれない、と気づいた。

 新條はずっとこの部屋にいた。外を見ていなければ、新條の母が起き上がった死者になって戻ってきたのも、咲良を襲うとしたのも、浩史に倒されたのも見ていないだろう。

 

 新條に言わないと、と口を開きかけた咲良の肩をぐっと誰かが掴んだ。

 驚いて振り返ると桐野だった。

 し、と口の前に指を立てて囁く。

 

「あの女、自分の母親が死んだのは知ってる」

「え?」

「二階の窓から俺たちを見てたから」

「どうして……だって、毛布」

「大方あいつが解いたんだろ」


 あいつ、と目線を向けた先は田原だった。

 そこから横に視線を移して新條を見れば、確かに毛布は緩んでいる気がする。少なくとも立った瞬間転びそうなほどではない。

 咲良たちが久佳の声に部屋を飛び出してから、毛布を解いたのだろう。

 確かにあの状況で何か異常があったらすぐに逃げられない体勢なのは、不安だったと思う。だがその後、何も言わずに何食わぬ顔でいるのにはあまり良い気がしなかった。

 

 もやっとした気持ちのままもう一度田原を見れば、話が纏まったらしい。渋々、といった様子で頷いている。

 励ます様に肩を叩いた町内会長がポケットから携帯を取り出すのを機に、ルイスが教師の様に説明を始めた。


「これから順番にお家まで送り届けます。避難所に行く人たちも荷物が必要でしょうから、ご自宅まで送りますね。その代わり、絶対にこちらの指示には従ってください。指示を無視して襲われたとしても、責任をとれませんから」


 神妙に頷く人々に、ルイスは笑顔で頷き返した。


「じゃあ、行きましょう」




 ルイスと桐野が上野家と孝志、咲良たち以外を引き連れて出て行くのを見送る。

 家の前にあったはずの新條の母の遺体は無く、裏庭に続く道にはいくつもの何かを引きずった跡が残されていた。出て行った人たちがそれらとルイスを交互に見ていたから、門を破って侵入した死者を倒して裏庭に運んだのはルイスなのだろう。


 彼らは出る前に勇と浩史で色々と話し合いをし、咲良たちは彼らが出ている間に疎開の準備をする事に決まった。

 護衛が二人で大丈夫かという不安はあったが、残った面子で戦力になれそうなのは浩史だけで、こちらにもいざという時に戦える人員は必要だから、と浩史が残ったのだ。


 と、咲良は聞いていた。だが、


「聞いて欲しい事があります」


 ルイスたちを見送り戻った上野家のリビングで、浩史が上着を脱ぎ、シャツの袖をまくり上げた。


「お父さん!」


 腕に巻かれた白い包帯に、咲良は悲鳴をあげる。

 そういえば父と顔を合わせた時に桐野が、怪我をしてないか、と言っていたのを思い出した。桐野はこれに気づいていたのか。


「大丈夫?消毒とかしないと」

「してあるよ。大丈夫だ」


 慌てて飛びつこうとした咲良を制し、父はくるくると包帯を解いていく。

 現れた傷跡に、悲鳴と呻き声が漏れた。

 肘から手首までの間、前腕に歯型の傷があった。血は流れていないが、痛々しい傷跡は明らかに人の口の形だ。


「俺は、保菌者です」


 淡々と言い、ガーゼと包帯を巻き直す。


「噛まれたのは出張に出た日の夕方。昼食時に社長と早瀬―保健所に勤めている友人と三人で食堂にいたら発症者が現れて」

「卓己も?」


 震える声で尋ねた勇に、浩史は首を振った。


「社長は無事です。実は俺が早瀬に会ったのは、彼にこの感染症について話を聞きたいと言われていたからなんです。出来れば社長にも会いたい、と言われたので、三人で保健所隣りの食堂に行っていて、あの事態に」

「え?なんで?」

「感染症だから、動物に先に影響が出てないか、と思ったらしい。うちはペットフードを扱う関係で市内の動物病院とも懇意にしてるから、都内以外の場所で何か出てたら知りたかったんだと」

「なるほど。あ、でも逆に良かった感じ?早瀬さんてさっきのHていう投稿者さんですよね?」

「ああ。だから情報がすぐ手に入って助かったよ」


 遼の言葉に浩史は苦笑し、咲良に向き直った。


「発症時間についても早瀬が知ってたから、大事をとって一日拘束されてたんだ。帰りが遅くなって悪かった」

「う、ううん。帰って来られて良かったよ」


 本当に、と咲良は呟く。

 発症時間について知らなければ、いつ自分もあの死者たちの様になるか、と父は用心のあまり帰って来なかったかもしれない。

 早瀬には感謝だ。


「あ、早瀬さんは?こっちに来るの?」

「いや。あいつは俺の血液と体組織の検体を持って国立感染症研究所に行ってる。さっき研究所の人間とは友人同士だと言ったが、実際は恋人なんだ。その恋人が心配だから、そのままあちらに残る予定だと言っていた」

「え?大丈夫なんですか?」

「緊急事態だし、何とか潜り込ませてもらう、と言ってたな。早瀬も保健所で似たような仕事をしていたから、多分大丈夫だろうと思う」

 

 それに、と浩史はため息をついた。


「あちらも人手が足りないはずだから、むしろ喜ばれるかもしれない」

「あー……襲われて人数が、て話っすか?」

「初めに起き上がったのは夫婦のどっちかで、そちらに気を取られていたら時間差でもう片方が起き上がったらしい。その上、後から救急で運び込まれた感染者もいたらしくて、分室の方でも被害が甚大なんだそうだ」

「うわー……それでも逃げないのはすげぇわ」

「本当にな。俺みたいな保菌者も見つかって、サンプルの回収も少しづつだが出来初めてるようだから、もしかしたら薬やワクチンも案外早くに出来るかもしれない」

「そりゃ朗報だ」

「だがそれまでは各自で注意するしかない。発症者にも保菌者にも」

「保菌者も?」


 悦子が訝しそうに問う。

 煮沸消毒すればウィルスが死ぬなら、それほど恐れる事は無いはずだ。

 なのになぜ?と首を傾げるのに、遼が頭を抱えた。


「母さーん、新條みたいのがいるからだろ。本人が無自覚でウィルスまき散らすような」

「あ。……やっぱりあの娘ってそうだったのかしら?」

「じゃない?あいつの食器、使い捨てにしといて良かったわ。あん時は食器貸すのも嫌だったから紙コップにしたけど、今思うとナイス判断じゃね、俺」


 ふひひ、と笑った遼に、調子に乗らないの、と悦子が苦笑する。が、すぐに真顔になった。


「でも実際問題、私全然気づかなかったわよ。中原さん、見分け方とかあります?」

「感染者との粘膜接触からの感染だと傷も無いですし、俺にもちょっと……ただ、小町なら嗅ぎ分けられるんじゃないかと」

「小町?」


 予想外な言葉に、全員の視線が咲良の足元に座る小町に集まった。



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