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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
68/136

32



「はぁ?!」


 素っ頓狂な声をあげたのは遼だが、他の人間の動揺も遼とさほど変わらない。

 混乱して顔を見合わせ、最終的に浩史の顔を見る。

 国立感染症研究所。

 インフルエンザやデング熱などの感染症が国内で発症すると対応する、国の直属の機関。少なくとも咲良はそう認識していた。

 その研究所が認定したのなら、もっと大々的に発表されているはずだ。今までだって感染力が強い感染症の患者が出たら、すぐにニュースで取り上げられていた。

 咲良たちがテレビやネットを確認していない間に公表されたのだろうか?

 首を傾げて他の面々を見るが、どの顔も困惑している。

 いち早く我に返ったらしい町内会長が注意をひくように片手をあげた。


「どういう事だ?テレビではそんなのは言ってなかった」

「公式の情報ではありません。国は、公表を躊躇った」

「躊躇ったって……」

「国立感染症研究所がこのウィルスらしきものの情報を掴んだのは、一週間ほど前です」

「そんなに前?!」


 咲良たちが学校でこの混乱に遭遇したのは二日前だ。全国的にもそう変わらないだろう。一週間前には、テレビにもネットにもどこにもそんなウィルスについて出ていなかった。

 ひとたび感染症が発生したら、インターネットで情報が駆け巡っていてもおかしくないのに。

 疑問を持たれたのを感じたのだろう。浩史は情報を明かしていく。

 

「アメリカ疾病管理予防センターからの情報だそうです」

「パニック系映画でよく出てくるとこだ……」

「遼くんよく知ってるな」

「そらまぁ、ゾンビ映画よく見るし……。あれですよね、世界中の感染症とか疫病の研究所で、エボラとかあると動くとこ」

「そう。感染症のスペシャリストだ。そこから未知のウィルスらしきものに感染した人間が出たようだ、と連絡があったらしい」

「でも公表されてないっすよね?」

「その段階では確実に新種のウィルスだ、と判断出来るだけの検査が終わってなかったらしい。症状も曖昧で、狂犬病の様なものという表現で注意喚起と情報を求めて連絡が来た、と言っていた」

 

 だが、と続ける。


「その時点で日本での患者はいなかった。国立感染症研究所が日本での発症者を確認したのは四日ほど前だったらしい。空港で体調を崩した夫婦がいて、病院では風邪と診断したものの不安が残ったため、国立感染症研究所まで報告があがった。この時はまだ疾病管理予防センターからの情報と合致していなかったため、なんらかの感染症かもしれない、程度だったが」

「その人たちは……?」

「職員が訪問した時にはそろって寝込んでいたため、一応研究所に搬送した後、死亡したそうだ」

「……起き上がった、んすか?」

「あぁ。職員が血液や体組織をとっている最中に」

「ま、さか」

「何人か襲われ、感染した。その中に所長を含む責任者数人がいたらしい」

「だから国に報告がいってない、とか?」

「いや。報告は出したが、国から報道機関への連絡は無かった」

「なんで?!」

「大衆に知らせればパニックになるから、と政府が渋ってるようだった、と聞いたよ。空気感染では無さそうだから、爆発的に増える事は無いだろう、と考えたらしい」


 はぁ?!とまた遼が声を上げた。


「増えてんじゃんよ!滅茶苦茶!」

「あぁ。それで責任問題になるのを恐れたのか、未だにゴーサインが出ないらしい」

「後手後手!」


 馬鹿なの?と呻く遼に、浩史は苦笑した。


「研究所の方は必死になって解析を続けてるよ。公表もしたいらしい。だが、あそこは国立だ。勝手に動けば後々問題になるし、そもそも政府と交渉出来るだけの責任者がもういない」

「あー……襲われたっていう」

「そう。一般の所員たちは、その襲われた上司たちの指示の元、その上司たちを被験者としてウィルスの解析や行動の観察をしている」

「え………」

「遺言、だと言っていた。自分たちを使い、原因を探れ、と」

「………」

「血も肉もすべてを検証の道具にし、未知のウィルスを解き明かすのが研究者の使命である、と生き残った所員に厳命したらしい」


 昨日まで上司として接していた人間を、実験の道具にしろ、と告げたのか。

 尊敬していた上司や仲の良かった友人。彼らの死を見るだけで無く、理性無く人を襲おうとする様を、残された所員は見続けているのだ。今この瞬間も。

 見て、時には体組織や血液を採るために傷すらつけるのだろう。

 それはどんなに辛い事か。


 想像を絶する状況に、咲良たちは何も言えなかった。

 十人を超す人間がいる部屋に沈黙が満ちる。

 浩史はその空気を変えるように咳払いをし、懐からスマートフォンを取り出した。


「そんなわけで残った職員は手一杯で、とてもじゃないが報道機関と連絡を取り合う余裕が無いんだ。この状況じゃ、テレビ局なんかは善意の通報と悪意のあるデマとを分析して選り分ける余裕が無いだろうから、きちんと放送してもらえる保証もない」

「あぁ、はい」

「それで所員たちは知り合いを通じて情報を流すのを選んだ」


 これ、と浩史はスマートフォンにどこかのページを表示した。

 覗き込んだ遼が「あ!」と声をあげる。


「知ってます、これ!俺らもチェックしてる掲示板」

「遼くん、知ってたか」

「はい。でもこれ、投稿型っしょ?色んな人が書いてるからめっちゃ玉石混交で」

「これ。このNIID-H、ていうのが、俺の友人だ」

「NIID?」

「国立感染症研究所の略称。所員と直接繋がっている人間は、頭にNIIDをつける取り決めになってる。判別しやすいように。Hは書き込んだ人間の頭文字だ」

「浩おじさん、国立感染症研究所に知り合いいたんですか?」

「いいや。このHは保健所に勤めてる友人。彼は保健所の講習で知り合った国立感染症研究所の所員と親しくしていて、情報源はその人」


 浩史の言葉に、咲良は早瀬だ、と気づいた。

 早瀬は二十三区のどこかの区の保健所で働いている。H、というのはHayaseの頭文字だろう。この混乱が始まった日、父は早瀬と昼食をとる、といっていた。もしかするとその時、父は早瀬といたのかもしれない。

 

「何で直接所員が流さないんだ?」

「後々を考えての、ワンクッション、だそうです。直接書き込んでしまえば情報漏洩で罰せられる可能性が高い。ですが家族や友人を心配して送ったメールを、受け取った側が流した、という態にすれば多少はマシではないかと」


 ですので、これは内密に、と浩史は疑問を発した町内会長に念押しをする。


「そりゃまぁ、正確な情報が貰えた方が助かるし、ちゃんと仕事してる人が罰せられるのは違う気がするから俺は言わないっすけど」

「ありがとう、遼くん」

「あの……」


 おずおずと手を挙げたのは、夫婦らしき中年の女性だ。


「怪我しても、発症、しない可能性もあるんですよね?」

「そうです」

「薬、は無いんでしょうか?」


 おい、と彼女を制しようとした夫らしき男性の手には包帯が巻かれていた。

 それに視線が集まったのに気づいたのだろう。彼は慌てて、もう片方の手で包帯を隠した。


「か、噛まれたわけじゃありません」

「主人は引っ掻かれたんです。だから大丈夫だと、思うんですけど……でも薬があるなら」


 祈るように見上げる彼女に、浩史は顔を曇らせた。


「……まだ、無いそうです。ただ、感染から発症までにかかる時間は今のところ短くて数十分。長くて十時間。それを過ぎれば発症しない保菌者タイプだろう、という話でした」

「それは本当ですか?主人が怪我したの、昨日の朝なんです」

「傷口に体液や唾液が触れて無ければ、多分」

「良かった」


 ほぉ、と彼女は床にへたり込んだ。

 ぐすぐすと泣き出すのを、夫が慰める。

 仲の良い夫婦の姿に、少しだけ場の空気が緩んだ。

 その空気を裂くようにきつい声が上がる。


「保菌者はどうなるの?」

 

 久佳だ。彼女は睨みつける様に浩史を見る。


「どう、とは?」

「人間のまま?キスしても大丈夫なのかしら」


 あざけるような表情になって、久佳は新條をちらりと見た。

 視線を向けられ、新條がびくりと肩を震わせ、涙目になって睨み返す。


「!だから、私関係無い!わ、私がおじさんとキスしてたとか、おばさんが言ってるだけじゃない!」

「キスしたのはお義父さんもでしょ。うちの台所で、うちの旦那とそれ以上の事もしてたわよね?ゾンビになって死んだ、うちの旦那とお義父さんと!」

「ちがっ」

「動画あるのよ!スマホの中に。家に置いてきちゃったけど」

「!う、嘘、さっき、そんなの言ってなかった」

「……お義母さんの前で夫と息子が尻軽女と浮気してる動画がある、なんて言えるわけ無いでしょ」

 

 言い返せず黙り込んだ新條は、久佳の台詞を肯定しているようにしか見えなかった。

 気まずい沈黙が満ちる。

 その中で一番に口を開いたのは浩史だった。


「……保菌者は、十分に気をつけて欲しい。粘膜や傷口などが触れ合わないようにするのはもちろん、食器の使い回しにも注意を。ただ、ウィルス自体はそんなに強いものではないから、煮沸消毒をすれば殺菌出来るようだ」

「え?そうなの?」


 驚いたような声が方々で上がる。

 それに浩史は頷いた。


「今分かっている限りでは、温度変化に弱いらしい。どうも人の体温と同程度の温度でないと存在出来ないようなんだ。だからくしゃみなんかの飛沫も、直接口に入らず時間が経てば死ぬんじゃないかと」

「えええ?案外、弱ぇ」

「が、身体に入ったらあっという間に増殖するらしいから、気をつけてくれ」


 うえぇ、と遼があげる声と同じような声が聞こえるが、それでもそこにさっきほどの緊張感が無いのは、まるで得体の知れなかったものに、多少だが説明がつけられたからだろう。

 噛まれてからのタイムリミットも分かったから、それ以上の時間が経っていれば大丈夫、と分かったのも大きいに違いない。怪我をしている夫婦は安心したように手を繋いで寄り添っていた。


「それじゃあ行きますか」


 緩んだ空気に窓際のルイスがパン、と手を叩いて注意を引く。


「行く、とは?」

「それぞれのお家に帰るんでしょう?送って行きますよ。あ、あと、誰かこの子引き取ってあげてくださいね」


 この子、とルイスが指さしたのは新條だ。

 保菌者だと名指しされている相手に、夫婦の妻が真っ先に手を振った。


「うちは無理です。夫婦二人きりで子供の世話なんてした事無いし」


 断りながら自分の背中に夫を庇う様に立つ。

 怪我をしている夫に保菌者だと言われた相手を近づけたくないのか、それとも久佳の言葉に別の事を警戒しているのか、絶対に連れて行かない、と態度で示された。

 つられるように他の女性たちも断りの言葉を述べる。


 うちは小さい子供がいるから。車が二人乗りだから。名前も知らない相手だし。


 女性陣がきっぱりと断りの言葉を述べる中、残ったのは町内会長と独身らしい壮年の男性だった。



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