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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
65/136

29



「どんだけいるんだよ、これ」


 窓の外を見て遼が呻く。

 門扉の前にはいくつもの人影が倒れ伏していた。彼らの下のアスファルトには血だまりが広がり、ひどい惨状をなしている。まるで血の海だ。

 走る死者は最初の数人だけだったが、音を聞きつけたのか、あののろのろと歩く死者たちが幾人もやってきてはルイスに撃たれた。

 開いた窓から風にのって血の匂いが入ってくるような、そんな錯覚を覚え、咲良は気分が悪くなった。典子はすでに貧血を起こし、部屋の隅にうずくまっている。


 吉田家の二人は部屋にいない。

 おばあさんが精神的に限界に達したのか気絶寸前の顔色で倒れそうになったので、久佳に連れられて一階のソファで横になる、と早い段階で部屋を去っていた。今は二人とも居間で休んでいるだろう。

 新條はルイスが目を放すのを嫌い、部屋の片隅で毛布に包まれて座っていた。

 どうしても縛られたくない、という意見を汲んで、すぐに立ち上がれない、立ち上がると包まれた毛布を踏んで転ぶような包み方をされた。その上で、連帯責任だと田原がすぐ横で彼女の様子を見ている。 

 

「さっきの門扉の音が予想以上に響いてるね」


 ルイスは淡々と言いながら、また銃を構え新たな人影を撃った。

 ど、と倒れたのを見て、ルイスが桐野と場所を代わる。弾がきれたのか、銃を弄って弾倉らしいものを出し、新しい弾をこめる。

 窓に腰かけて外を警戒していた桐野が新手を見つけたのか腕を上げかけ、止まった。


「どした?」


 情け容赦なく撃っていた桐野の躊躇した動きに反応し、遼が窓の外を見て「あ」と声をあげる。


「あれ――」

「助けて!」


 きゃー!と悲鳴が響き、惨状から目を逸らしていた咲良たちも慌てて窓の外を見た。

 道路の先から、複数の人が走ってきている。幸い、なのか、彼らを追うのは足の遅い死者たちのようだ。

 先頭を来るのは小柄な、きっと小学生くらいの子供。その後ろを保護者なのか大人がついて逃げている。中には子供を抱えていたり、互いに肩を貸しながら走っている姿もあった。

 彼らは一様に後ろを気にしながら走っていたが、先頭の子供が門扉の前の死体の山と血の海に気づいたのだろう。急ブレーキをかけて足を止めた。

 後続が先頭の停止に気づいてたたらを踏む。

 風にのって「なにこれ!」「駄目だ、他に―」という声が咲良たちの耳に届いた。


 桐野が勇を振り返る。

 どうすべきか迷ったのだろう。

 彼らの後ろから追ってきている起き上がった死者たちを撃とうとすれば、前にいる彼らに当たりかねない。それに彼らはこちらに銃があるなんて知るはずもないから、発砲に驚いて逃げ惑い流れ弾に当たる可能性だって十分ある。

 

 どうしよう、という空気が流れる中、先に決断をしたのは外にいる彼らだった。

 殿にいた一人が血の海に竦んだ子供を抱き上げ、死体の山の横を血を避けて駆け抜ける。一人が走れば、後はつられた様にその後を追った。


「!あれ、町内会長さんじゃない?」

 

 子供を抱き上げた男性を見て、悦子が小さく驚いた声をあげる。

 言われてみれば、確かに火事の現場で見た町内会長だった。彼は率先して上野家の門扉に辿り着き、開けようと門扉に手をかけて土嚢に気づいたらしい。

 明らかに内部の人間がやったと分かるそれに顔を上げた。

 視線を彷徨わせ、窓辺にいるこちらに気づく。


「助けてくれ!」


 目が合った瞬間、会長が大きな声で叫んだ。

 慌てて悦子が静かに、というジェスチャーをしたが、こちらの返事を待つ余裕は無かったのか、子供を片手に抱え直し、門扉に半ばよじ登りながらこちら側の土嚢の上に子供を下ろした。

 続いて辿り着いた子連れの女性から子供を受け取り、同じように下ろすと、今度は彼女が門扉をよじ登るのに手を貸す。

 それを見てルイスが舌打ちをした。


「あんな体重のかけ方じゃ、門がこちら側に倒れる」


 言われて見れば、確かに門扉にかなり体重が掛かっているように見える。

 上野家の門扉は車と人が通行できるように横に大きい。しかもアコーディオン型なので横からの衝撃にはたわむ事でそこそこ強いが、上の方に寄りかかられるのには弱い。門の下が地面に刺さるタイプではなく、コロコロと転がるキャスターだからだ。

 顔を蒼褪めさせた悦子にルイスが振り向く。


「庭に全員入れても良いですか?」

「良いです!」

「じゃあ、ちょっと手伝ってきます。眞、行くよ」


 窓際で靴を履き、桐野が立てかけた脚立でルイスと桐野が降りていった。

 その間にも人が門扉によじ登り、そのせいでぐらついたのか門扉が揺れている。いつこちら側に倒れるか、と不安になりながら咲良たちが見ていた時だった。

 ガターン!と大きな音が響き、ついで悲鳴が響き渡る。

 とうとう門が倒れたか、と咲良はいっそう目を凝らしたが、上に人を乗せて不安定に揺れているものの、門扉はまだ無事だ。

 

「え?え?」

「下だ!」


 叫んで遼が部屋を飛び出していく。

 孝志が続き、同時に「お義母さん!」という声が聞こえた。

 確かに階下にいるはずの久佳の声だ。切羽詰まったような悲鳴に何事が起きたかと咲良も階段を駆け下りる。

 バン、と派手な音がして、遼の呼びかけに久佳が叫んだ。

 

「おばさん!何が、」

「手伝って!」


 階段を降り切ると、居間の扉を遼と孝志と久佳が抑え込んでいる。

 三人がかりでありながら居間のドアはあちら側から揺さぶられ、ガタガタと音をたてて軋んでいた。


「な、なに?」

「お義母さんが、おかしくなったのよ!やめて、お義母さん!」


 ドアに張り付くようにして久佳が叫ぶ。

 だが返ってきたのはいっそう激しくなったドアの揺れだった。


「くっそ!まずいぞ」

「どうする、遼!これ、ヤバいよ。俺のアパートの人と全然違う」


 多分、さっき桐野くんが言ってた新しいタイプだ、と孝志がドアを抑えながら言うのに、遼が同じようにドアにくっつきながら呻いた。

 

「マジかよ。パワータイプとかそういうの?意味分かんねぇ。うをっ!お、おばさん、おばさんは大丈夫?」

「私はっ何ともない、わよ!」

「いつ、変わった、んすか?!」

「分かんないわよ!お義母さん寝かせて、私も仮眠してたら、急に襲われかけてっ」


 揺さぶられるドアを抑え込みつつ、久佳が怒鳴るように言い返す。

 それがあちら側に聞こえたのか、一層ドアの揺れが激しくなった。


「ああ、もう!咲ちゃん!」

「はいっ」

「玄関、開けて!桐野くんたち呼び戻して!典子も靴置き退かすの手伝え!」

「わ、わかったぁ!」


 咲良の後ろ、階段を降り切ったところにいた典子と二人、急いで玄関のドアの前に置かれた靴置きに飛びつく。

 ルイスがうまくはめ込んだのだろう、靴箱は傘立てと、廃品回収に出す予定だったと思われる古紙の山でパズルのようになっていた。

 咲良が古紙や傘立てを崩し、後ろの典子に渡す。典子は降りてきていた悦子に渡し、徐々に靴箱を動かせるスペースを作っていった。

 その間にも居間のドアを揺さぶる音が聞こえ、気持ちが焦る。

 時折聞こえる遼たちの悪態と切羽詰まった声に、震える手を無理にも動かし続けた。


「咲ちゃん、もう靴箱持てそぉ!」 

「うん!せーので動かそう。せーのっ!」


 典子と靴箱に手をかけ、持ち上げる。

 勢いに任せて少しだけでも浮かせると、引きずるように靴箱を斜めにずらした。玄関のドアは外開きだ。一人が出入り出来る隙間があれば良い。

 咲良は出来た隙間に強引に身体を割り込ませ、全体重をかけて靴箱を壁の方に押しやった。


「開、いた!」


 人ひとり通れる程度の隙間だが、桐野やルイスでも身体を斜めにすれば十分入れるだろう。

 咲良は飛びつくようにドアに手を伸ばした。汗で滑り、震える手で音を立てながらチェーンを外し、鍵を回す。


「早く!」


 遼たちの悲鳴じみた声に背中を押されるように、勢い良く玄関ドアを開いた。


「咲良!?」


 玄関ドアを押し開け、咲良は外へ飛び出す。

 桐野くん、吉田さんのおばあさんが、と助けを求めようと口を開きかけ、その桐野の驚いたような声に視線が自然にそちらを向いた。

 

 前庭は一変していた。

 怯えた顔をした人たちが、車のそばにかたまっている。彼らの驚愕の眼差しは、斜めに土嚢の上に乗っかっている門と、そしてなぜか咲良へと注がれていた。

 今にも叫びだしそうな彼らの向こうで、ルイスが門に手を伸ばしながら、やはり慌てた様にこちらを振り返っていた。

 なに、と駆け出した一歩を止めないまま口を開きかけ、ふ、と鼻を突いた臭いに咲良は反射的に視線を横にずらす。


 視界に手が見えた。

 こちらに伸ばされた手は爪が剥がれ、血塗れだった。ボロボロになった薄汚れたシャツは女性もので、誰、と思った途端、急速に目の焦点が伸びた手の向こうにあう。

 玄関の横合いからこちらに手を伸ばしているのは、新條の母親だった。

 夫と娘を上野家に置いて行った時は綺麗に纏めていた髪はぼさぼさになり、化粧品のCMに出られそうだった顔は、無残に抉れている。

 血走った眼球は激しく揺れながら、それでも食いつくように咲良を見ていた。

 視線があった、と思った瞬間、口が大きく開く。

 歯と歯の間に赤い粘度の高そうな液体が唾液が糸を引くように伸び、真っ赤な口内に微かに白くてぶよぶよとした物が見えた。

 肉だ。人の肉片か脂肪が、歯に挟まっているのだ。

 ひ、と咲良は悲鳴を漏らし身体を反らそうとしたが、前へと駆けこんでいる姿勢は止まらない。


 スローモーションのように、伸びてくる手が視界いっぱいに広がった。



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