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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
60/136

24



 その日の夕食はすべてインスタントで賄った。

 後の食料事情を考えたら自炊した方が良かったのだろうが、もう色々と作る気力と思考能力が無かったからだ。

 米を洗うのにボウルに移した米が何合めか忘れて何度も測り直したり、汁物を作ろうとしているのに冷やしていた水羊羹を出してしまったり。咲良を含めた作り手の女性陣全員が小さなミスを繰り返したため、逆に食品が無駄になると諦めた。

 

 お湯を沸かして賞味期限の近いラーメンや焼きそばを黙々と食べ、順番に上野家の風呂に入る。疲れ切っていた遼は何度もうとうとしかけては、びくりと身体を震わせて起きるを繰り返しており、孝志も似たり寄ったりだ。

 その状況でこれからについて話し合う事も出来ず、早々にそれぞれの部屋に散った。

 咲良は典子の部屋にお邪魔し、孝志は遼の部屋に。上野夫妻は一階の部屋では落ち着かないだろうと桐野たちの荷物が置いてある二階の部屋に入り、ルイスと桐野は居間のソファを選んだ。

 ソファでは眠れないだろう、と勇は心配したが、一階にいた方が色々対処しやすいので、とルイスが断っているのを見ながら、咲良は半分寝かけている典子を支えながら二階へと向かった。

 



 

 誰かが話している声がして、咲良は目を開けた。

 目に映ったのは白っぽい壁と薄い桜色のタオルケットの端っこ。その見覚えのある壁と生地に、あぁ、また夢だ、と気づいた。

 薄い桜色のタオルケットは、咲良が生まれた時に、名前にちなんで祖父母が買ってくれたものだ。祖父母の家で昼寝をするといつも誰かがかけてくれた。

 懐かしい、とぼんやり思っていると、背中の方から人の声が聞こえる。


「――まだ続けるのかな」

「お父さん、俺は諦めるつもりはありません。桃花は殺されたんだ」


 苦しそうな父の言葉に、指先に力が入る。

 これは母が亡くなり、咲良が祖父の家に預けられていた時の記憶だ。桐野との会話が頭に残っていたから夢に出たのか。

 幼い頃の咲良と同じように緊張しながら、背後の声に耳を澄ませる。


「うん。君の気持ちは分るよ。だから咲良ちゃんを預かっているのだしね」

「それは、ありがたいと思っています」


 父は祖父と話す時は敬語になる。

 仲が悪いわけではなく、父と祖父の血が繋がっていないからだ。二人が義理の親子になったのは、父が大学を卒業した後、成人してかららしい。

 祖父は父の通っていた大学の教授で、元々敬語で話していた相手だったので、再婚後も直らなかった、と祖母から聞いた覚えがある。

 

「ありがたいのは僕の方だよ。血が繋がってなくてもこの子は可愛い孫だ。一緒にいられるのは嬉しいし楽しい。だからそれは君が遠慮する必要はない。それにこういうのは本人が納得して消化出来るまで他人が口を出すものじゃない、とも僕は思ってるんだ」


 でも、と祖父は続ける。

 

「君は怒りに支配されすぎているように見える」

「それはっ」

「だからあえて水を差させてもらうよ。君は、犯人、坂井くんだったかな、君が犯人だと思っているのは」

「坂井、満です」


 桃花の元婚約者の、と父が忌々しそうに名を呟く。

 それは咲良の実父の名前だった。

 身籠った母と婚約していたのに、あろう事か同時期に母の従妹と肉体関係を持ち、あまつさえ妊娠させていた男。母は入籍前の披露宴でその事実を知り、腹に咲良を宿した状態のまま、当時住んでいたアメリカから日本へと逃げる様に移り住んだ。

 その逃亡に手を貸したのが父だ。

 父は実父の遠縁として披露宴に参加して一部始終を見ており、母の、桃花の境遇を自身の母親と重ね合わせたらしい。父の母は夫、父の実父からDVを受け、それが元で父が子供の頃に離婚していた。


「そう、その坂井くん。その人を探して、見つけて、どうするつもりなのかな?」

「それは!桃花の死の責任を!」

「取らせる?どうやって?」


 壁に身体を向けて横たわる咲良には、二人の顔は見えない。だが、父が怒りながらも言葉を詰まらせたのは分かった。

 それに対し、祖父は淡々と言葉を紡ぐ。


「桃花さんを追いかけて死に追いやったのが彼であっても、その後名乗り出てこないって事は彼に罪を認める気は無いんじゃないかな」

「それなら司法を……」


 言ってから警察が事故だと断定してしまっている事実を思い出したのだろう。声が途切れる。


「うん、司法には頼れない。坂井くんが日本に来ていた記録は無い、警察からそう言われたはずだ。司法は味方にならない」


 きっぱりと言い切り、祖父は言葉を続ける。


「彼の、坂井くんの研究所の事は?」

「アメリカにある研究所ですよね。一応名前は。坂井再生医療研究所」

「そう。元々彼のご両親が持っていた研究所だ」


 活動内容は知っている?と祖父に聞かれ、父は苦々し気に答えた。

 

「国外だと探偵も興信所も難しいので、あまり……。親戚連中とは縁を切ってますし、あの披露宴以前も以後も、俺はあちらとはほとんど交流が無いので……」

「あぁ、人数合わせみたいに呼ばれた、て久美子さんが言ってたね」


 久美子、というのは父の母、咲良にとって祖母の名前だ。


「あの父の方の親戚ですから、正直顔も見たくない相手ですし……」

「僕の大学時代の知り合いに医療系の研究をしてるやつがいてね。彼に聞いた話だと、ご両親がやってた頃はその分野では先が期待されてたらしい。論文も色々発表されててね。事故や病気による四肢の麻痺や意識障害からの回復への治療法とか」

「初耳です」

「同じ理系でも僕らとは分野が違うからね」


 父が驚いた声をあげ、祖父は苦笑した。


「その彼が少し調べたら、坂井くんのご両親が亡くなって彼が引き継いでからは、論文の発表は殆ど無いらしい」

「それでどうやって研究費を稼ぐんですか?民間の研究所でしょう?どこかの企業の下請けなんですか?」

「そこが問題でね。その知り合いは元は大学で教鞭をとってたんだけど、その教え子に酒井君という子がいて」

「さかい、ですか」

「酒に井戸の井の方でね。その子を連れてアメリカの学会に行った時に、坂井くんと間違えられてちょっとトラブルになりかけた事があってね」


 だから彼もよく覚えていて僕も話を聞けたんだ、と祖父は言い、思い出す様に間をおいて話し出した。


「トラブルというより言いがかり、かな。どうも坂井くんの研究所で働いていたのを解雇された人らしくてね、酒井くんが名乗ったのを聞いて突っかかってきたらしい。あれだけ稼いでおいて、とかコネがどうとか。酷く酔ってたらしいから酔っ払いの戯言、で済ませられそうだったんだけど、それを察したのか人体実験をしてるくせに、と言い出した」

「人体実験って……」


 絶句している父に祖父は同意するように身じろいだ。


「もちろん違法だ。でも彼の話を総合すると、かなりの富裕層相手に再生医療を元にしたビジネスをしてるから、何かあっても伝手や金銭で揉み消せる、という話だったらしい」

「それは……」

「実際、人体実験なんて出来るかは分からないけど、でも彼の研究所が富裕層を顧客として持っているのは確かみたいでね。僕は坂井くんの来日記録が無いのは、ここのあたりが関係してると思ってる」

「まさか………出入国管理を誤魔化すなんて、」

「どれだけの伝手があって、どれだけの金銭を積めば可能かは分からないけど、出来てしまったんだろうね」


 はぁ、と祖父は大きくため息をついた。


「そこまでしたんだ。彼に会って話したところで、謝罪をするとは思えない。その日は日本にいなかった、そう言い張られておしまいだろう」

「そんな……」

「謝罪をする気の無い人間に何を言っても無駄だ、とまでは言わないよ。けれど何もなかったかのように偽装してしまう人間を相手にするのは時間の無駄じゃないかな、と僕は思ってる」

「お父さん」

「君が一人なら良いだろう。いくらでも追い続ければいい。でも君にはこの子がいる」


 苦しそうな父の声にタオルケットを握りしめていた咲良は、祖父が振り返ってこちらを見ている気配に身を固くした。

 咲良が寝ている、と思って二人は話しているのだ。起きているのを知られるのは良くない気がして、寝たふりをする。子供の咲良の寝たふりでどれだけ誤魔化せたか分からなかったが、二人は咲良がそこにいるのを確認しただけのようだった。

 すぐに視線は外れ、代わりに祖父の柔らかな声が聞こえてきた。


「この子はうちに預けられてから、一センチは身長が伸びた」

「………」

「今の靴はだいぶ窮屈そうにしているから、足も大きくなったんだろう。髪も伸びた」

「……はい」

「ボタンが取れた時は、一度つけ方を教えたらすぐに出来るようになったよ。器用なんだね。卵料理も今じゃ僕よりうまい。オムレツも綺麗に丸められるようになった」


 そうして祖父は咲良が出来る様になった事を一つづつあげていく。

 ジャガイモの皮が上手に剥ける事、近所の家の犬に触れるようになった事、はじめは怖がっていた釣り餌を針にかけられるようになった事。

 小さな細々とした出来事に、父は無言で頷いているようだった。


「昼間は僕の庭いじりを手伝ってくれているよ。それぞれの花に適した水やりも出来るし、雑草抜きも嫌がらずにやってくれる。この子が植えたラディッシュは明日には収穫出来るだろう」

「………」

「心も体も成長する時期なんだろうね。ラディッシュは、君がいない時に収穫の時期を迎えても君が食べられるように、と保存方法を一生懸命調べていた」

「咲良……」

「妻の死の原因を恨むのは分かる。でもそうして君が目を離している隙に、この子はどんどん大きくなっていく。この子がこの姿で笑っている時期は、本当に一瞬だ」

「はい」

「僕はね、浩史君。坂井くんを追っている時間なんてもったいない、と思ってるよ」

「はい………」

「どうしても坂井くんを探したい、というならそれで良い。いくらでも面倒は見るよ。ただ、僕の言葉を少しでも考えてくれたら、と思ってる」


 君の為にも、この子の為にも、と言った祖父の言葉に、父は何かを言いかけて飲み込んだようだった。声を出しかけ、閉じて。

 迷ったような気配がし、そして―――



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