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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
59/136

23



 桐野を見送り、咲良と典子は中原家の風呂場で改めて小町を洗った。

 柴犬は毛が二重構造になっており、洗うのも乾かすのも手間がかかる。その上、そろそろ夏毛に生え変わる時期のせいもあって、二人がかりでもひどく時間がかかった。

 居間の定位置でドライヤーとタオル、ブラシで小町の毛並みを整えていく。


「そろそろ乾いたかな」


 柴犬の毛は表面―外側は野外でも活動しやすい剛毛で、下毛は柔らかい。

 咲良はその下毛の中に手を突っ込み、奥まで乾いているか確認する。反対側から典子も同じようにして撫ですさった。


「柔らかいねぇ」

「中はね。外は剛毛だけど」


 ブラシにごっそりついた抜け毛を取りながら答えると、典子も同じようにタオルについた毛を取り始める。

 途端に解放された小町がブルブルと身を捩り、ピンと耳を立てた。


「小町?」


 綺麗になった胸を反らせ、嬉しそうに尻尾を振る。

 視線の先を見れば裏庭に続く掃き出し窓の向こうに遼が立っていた。窓を叩こうとしていた姿勢で小町に気づいたのか、拳を平手に変えて窓を開けてくれ、というジェスチャーになる。

 急いで駆け寄って窓を開けると、むっとするほど濃い土の匂いが漂った。


「お兄ちゃん」

「よぉ」


 頭から足まで泥だらけだ。昨日の雨のせいで土が湿っているのだろう。そこここに泥の塊がこびりついている。

 短い言葉と表情に、疲れ切っているのが分かった。


「穴、掘れたぞ。今、母さんたちが運んでる………これから埋葬だ」

「……うん」

「良かったら、咲ちゃんも」

「小町も、良いかな」

「もちろん」


 咲良も小町も和子にはお世話になった。小町は和子の死を理解出来ないだろうが、それでも最後に会わせてやりたくて聞けば、遼は即答してくれた。


「先生たちもさっき帰ってきたんだ。だから、みんなで」

「すぐ行くよ」

「ああ。じゃあ」


 窓を閉め、玄関へと回る。

 小町に予備のリードをつけて出れば、上野家と中原家の間から悦子が出てくるところだった。


「お母さん」

「典子、咲良ちゃん。お花を摘もうと思って。二人とも手伝ってくれる?」

「はい」


 剪定ばさみを持ち、前庭に整えられた花壇に向かう。

 綺麗に区切られた一角は、悦子と和子が一緒に作った花壇だ。

 認知症になった和子が家に籠りがちにならないよう、季節に合わせて苗を植え替え、毎日の様に雑草抜きや咲き終わった花の花がらを二人で摘んでいた。

 手間暇かけた薔薇は今年も大輪の花をいくつもつけ、そこかしこに色とりどりのアスターやナデシコが咲き誇っている。

 花壇から溢れんばかりの花は瑞々しく、とても美しかった。


「……すごいですね」

「おばあちゃんが手塩にかけていたからね。本当に、この薔薇なんてびっくりするくらい毎年綺麗に咲いてくれて」


 悦子が見頃を迎えた花を慈しむ様に撫でると、薔薇の花弁から水滴が零れ落ちた。

 まるで落涙したかのようなそれに、悦子は一瞬息をとめ、小さく呟く。


「……おばあちゃんが大好きだった薔薇なの。きっと……きっと、これならおばあちゃんも喜んでくれるわ」


 花から茎へと指を滑らせ、しっかりと固定する。

 鋏を緑色のしっかりとした茎へあてがうと、震える指先に力をこめた。

 パチン、という音と共に切り離された薔薇は悦子の手に落ちながら、またその花弁から涙の様に水滴を零した。

 



 両手に溢れんばかりの花を抱えて、三人で裏庭に戻る。

 まだ咲良が小学生だった頃、遼と典子と三人で遊んだ裏庭の一角は掘り返され、すぐ横に土が山になって積まれていた。

 咲良たちに気づいた遼に手招きされ、穴に近づく。


 近づくにつれ、水と土の匂いが強く漂った。

 昨日の大雨がしみ込んでいるせいだろう、掘り返された土は黒く湿っている。

 水を含んだ土は重く、掘り返すのは大変だっただろうに、そこには人ひとりが十分に横たわれる大きさの穴が掘られていた。

 ぽっかりとあいた穴の底には、白いシーツと包まれた人の身体。

 傷が見えないようにかシーツで身体の大部分が隠されていたが、微かに見える指先が、確かに和子の物だった。小町を撫で、咲良に浴衣を着つけてくれた手。

 ほっそりとしているのに意外と力が合って器用だったその指は、もうぴくりとも動かない。


「……花を」


 勇の声にそれぞれが咲良たちの腕から花を受け取る。

 自然と全員が穴の周りに円を描くように立ち、勇が小さく何か呟いて花を投げいれたのを皮切りに、皆がそれに習った。

 和子が丹精込めて世話をした花は、白いシーツを彩るように散る。

 湿った土の匂いに花の香りが混ざり合うのを嗅ぎながら、咲良は母の仏壇に向かう時の様に手を合わせ黙祷した。

 どうか安らかに、と祈る。 


「じゃあ………土かけんぞ」


 遼がスコップに土をのせ、数秒躊躇ってから穴に放り込んだ。

 どしゃ、と湿った落下音がして、泥に押しつぶされた花がひしゃげ、細かな泥と共にいくつもの花が散る。汚れたシーツを目にし、遼は投げ入れた体勢のまま、きつく目を閉じて唇を噛み締めた。

 人を、祖母を埋めている、という事実が辛いのだろう。遼は和子を穴の底に下ろす現場にいたのだ。ついさっき到着した咲良と違い、あそこに和子がいる、という事実を嫌というほど分かっている。

 それでもきちんと埋葬しないと、という義務感からか、震える手でスコップを持ち上げた。

 その腕をルイスが優しく抑える。小声だから咲良には彼らの声が聞こえないが、ルイスが交代を申し出ているのは分かった。

 遼は血の気の失せた顔で首を振ったが、反対側に寄り添った悦子に諭されたのか、スコップをルイスに渡した。

 肩を抱かれるようにして両親の元に下がった遼に、典子が寄り添う。

 黙々と土を被せるルイスと孝志を見ながら、咲良は桐野の横に並んだ。


「桐野くん、あの、二人は?」


 ルイスと桐野が戻ってきた、と聞いた時、咲良はてっきり新條たちも一緒だと思ったのだが、二人の姿は無かった。

 上野家の前で大声で聞くのは何となく憚られて、小声で尋ねる。

 桐野も囁くように答えた。


「あの家に父親を入れた時、他にもいたんだ」

「え?」

「他の家でも死んで起き上がった奴らがいたらしい。俺たちと同じように縛って運んできていた連中がいて、その中にあの吉田、という年配の女性がいて」

「新條さんと田原さんの家の近所の人?え、あの人亡くなったの?」

「いや、付き添い、というか、何と言うんだ?自分に直接関係の無い火事場や喧嘩に集まる人間は」

「野次馬?」


 単語が分からなかったらしい桐野にそれらしい言葉を言えば、多分、と頷く。


「その野次馬なのか、彼女の近所の人間の輸送につきあってきたらしい。それで新條と田原の父親を見てこちらに寄ってきたんだ。ネイトがこちらの事情を説明したら、こっちの家には居辛いだろうから、と引き取ってくれた」


 桐野の説明に咲良は少しほっとした。

 新條と田原には悪いが、正直二人の顔を見るのは気まずい。

 咲良たちが予想した通り、新條の父親の感染が唾液や粘膜経由だとしたら、新條たちは父親が感染しているなんて知らなかっただろう。二人に非はない。


 だがそれでも二人を責める気持ちが全くおきないと言えば、嘘になる。新條の父親さえいなければ、連れてこなければ、と思わずにはいられないのだ。

 それは咲良より上野家の人達の方が強いだろう。特に遼は普段から彼らと仲が悪い。ひどい罵り合いや殴り合いが起きてもおかしくはない。

 それならいっそ顔を合わせない方が双方の為に良いだろう。

 

「荷物は持って行かせたし、こっちに来る事はもう無いと思う。後はこちらは疎開の準備か」


 言って桐野は慰め合う様に身を寄せあう上野家を見た。

 遼は泥だらけの手で典子の髪を撫で、いつもは文句を言う典子も無言で遼にしがみついている。両親は二人の子供を守るようにそれぞれの肩を抱いていた。


「……すぐに動くのは無理、か」


 突然の家族の死だ。すぐに気持ちを切り替えて動くのは無理だろう。

 咲良の父も母が亡くなった後は随分荒れたし、逆にまるで動けなくなって数時間ただ呆然としていた時もある。


「普通じゃない、亡くなり方だったから、余計に、ね」


 咲良の母の死も、あまり普通では無かった。

 母は国道へと走り込み、トラックにはねられたのだ。

 当初、警察は母の死を自殺と判断したが、目撃していた人の証言から、前方不注意による事故死、と断定した。

 だが父は他殺だと主張した。前方に注意を払えなくなるほど後ろを気にしていたのは、誰かに追われていたからだ、だからそれが犯人だ、と。

 父の言う通り、母を追っていたような人物がいたという証言はいくつかあったものの、結局のところその人物が母を突き飛ばしたのでは無いのだから、他殺にはならない。警察はそう一蹴した。

 それで父は一時期ひどく不安定になったのだ。落ち着いたのは、表面上だけでも落ち着いたのは数か月たってからだった。

 

「人の死は、自分の中で消化出来るまで待つのが、一番だと思う」

「あぁ」


 咲良の言葉に桐野は囁くように同意した。

 疑問でもなく上辺だけでもない落ち着いた口調は、どこか桐野も近しい人を亡くした経験があるのかと思わせる様な口調だった。

 つい気になり桐野を見上げかけ、視線を落とす。

 詮索するような真似は良くない。特に人の生死については。咲良はそれで散々嫌な目にあってきた経験を思い出し、何気ない風を装って話をそらした。

 

「その、外はどうだった?他の家でも起き上がった人がいたって言ってたけど……」

「この辺りもそこそこ増えてきてるみたいだな。だがパニックになってる感じは、まだ無かった」

「そっか……」


 まだ、という言葉にほっとするより、不安が強くなる。

 まだという事は、裏返せばこれから先に確実に事が起こる、という意味でもあるのだ。

 咲良の不安を感じ取ったのか、桐野はぐしゃり、と咲良の頭をひと撫でし、足を踏み出した。向かう先は埋葬現場だ。

 息の上がってきた孝志に手を差し出して交代を告げる。

 その背を見送り、咲良は家に遮られて見えない門を振り返った。

 今はまだ無事なはずの門を想像し、祈るように手を合わせる。

 どうか父や卓巳さんが帰ってくるまでパニックが起こりませんように、と。

 

 

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