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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
58/136

22



 決断を迫られた新條は怯えて泣くばかりで、どうにもならなかった。

 分からない、怖い、出来ない、と、それこそ桐野が言った「日が沈むまで」続きそうなそのやり取りに決着をつけたのは、典子だった。


「いい加減にしてよぉ!」


 イライラして今にも怒鳴り散らしそうだった遼がぽかんとして妹を見る。

 典子は泣きながら震える指で客間を指さす。


「おっお祖母ちゃんが、こんなになってるのに、どおしていつまでも放っておくの!」

「典子」

「お葬式とか、そおゆうのは無理かもだけど、でも、こんな風にしておくのは、おかしいでしょぉ!」


 そう言って堪えきれずに声を上げて泣き出した。

 孝志が駆け寄って背に手を回すと、泣き声はいっそう大きくなる。

 号泣する典子の姿に、はじめに遼が、次に勇が大きく息を吐いた。


「……典子の言う通りだわ。祖母ちゃんを何とかしてやらないと」

「ああ。火葬は無理かもしれないから、せめて庭に埋めよう」

「小町も洗ってやらないと」

「なら窓から出すか」

 

 呟いた遼に、客間の掃き出し窓を見ながら桐野が答える。

 客間の掃き出し窓からは前庭に出られた。そこから小町を出せば、血だらけの部屋の中を突っ切らなくて済むのは確かだ。

 

「そうだね。僕たちも窓から出た方が楽かな。新條さんのお父さんをどうするにしろ、ね」

 

 言ってルイスが新條を見るが、まだ決断は出来ないらしい。びくりとして田原の後ろに隠れた。

 遼は苛立たし気に彼らを一瞥し、ルイスに視線を戻す。


「先生、俺は庭に墓を掘ります。孝志は、」

「手伝うよ」

「あんがとな。先生たちは……」

「新條さん次第かな」

「俺は咲良とこいつを洗うから、数に入れるなよ」

「え?」

 

 咲良は窓から小町を出して貰えれば、後は自分でやる気だった。普段洗う時は父と一緒だったが、一人でもやってやれない事は無い。

 だが桐野は首を振った。


「前庭で洗うんだろ?見張りもいた方が良い。もう、いつ何が起きるか分からないんだ」


 視線の先は新條の父親だ。

 未だ虚ろな表情のまま、緩慢に口を開け示している。正気の欠片も見当たらない。

 まだこの辺りは大丈夫だと心のどこかで思っていたが、新條の父親の様に、火事の現場に現れた人の様に、異常事態はすでにここまで来ているのだ。

 桐野の言うように、いつ何が起きても可笑しくはない。

 

「じゃあ、俺たちは裏庭掘ってくる。父さんと母さんは……」

「お祖母ちゃんを連れて行けるようにしておくわ。せめてシーツで包んであげないと……」

「……言いたかないけど、気をつけて」

「これでも元看護婦よ。血液感染の怖さはよく知ってるわ」


 悦子は強張った顔で何とか笑顔を作った。


「あんたたちこそ気をつけて。怪我にも……人にも」

「分かってる」


 じゃあ、と遼は孝志の腕を引いて出て行く。典子は迷ったように母親と兄の背を見比べ、兄を追う事にしたらしい。

 咲良は桐野に目配せしてから、玄関に駆けていく典子たちを追った。


「遼ちゃん、スコップ、うちのも使って」


 金属製の大きなスコップは、上野家も中原家もそれぞれ一つしか持っていない。そうそう雪が降らない地域だから、一つあれば十分なのだ。小さなシャベルならいくつかあるかもしれないが、大きな穴を掘るならスコップの方が向いている。


「咲ちゃん……あんがと」

「いつものとこにあるから」


 玄関から出て中原家の裏庭を指さし前庭に回ろうとし、遼にストップをかけられる。


「遼ちゃん?」

「悪ぃ、典子も連れてって」

「お兄ちゃん!?」


 とん、と背中を押された典子が驚いた顔で振り返るが、遼は首を振った。


「お前、力仕事苦手だろ。咲ちゃんの方、手伝いな」

「でもぉ……」

「スコップ二個しか無ぇし、お前制服のまんまだろ?スカートでやる事じゃねぇし」

 

 頑なに妹の手伝いを拒否する遼を孝志が援護する。


「昨日雨降ったし、汚れちゃうから俺たちでやるよ。ね?」

「……うん」


 渋々、典子が頷き前庭に歩き出す。すぐに後を追おうとした咲良だったが、大股で近づいた遼に気づいて足を止めた。

 妹の少ししょんぼりした背中を見つつ、遼が耳元でささやく。


「……咲ちゃん、悪いんだけど、祖母ちゃん穴に入れるまで典子預かってて」

「え?」

「多分、穴に入れる時とか、あんま良い状態じゃないと思うんだ。顔とか、血とか……だから、見てもしんどくない状態にするまで、頼む」


 自分も相当ショックを受けているだろうに妹の事を思いやる遼に、咲良は頷いた。


「分かった。うちにいるから、用意が出来たら教えて」

「あんがとな」


 少し肩の力が抜けたのか、ふ、と強張ってはいるものの笑みを浮かべ、遼は孝志と一緒に庭へと歩いて行った。

 少し離れた位置で立ち止まって不思議そうな顔でこちらを見ている典子に駆け寄る。


「咲ちゃん?」

「何でもないよ。行こう」


 咲良は泣いて真っ赤な目になった友人の肩を優しく叩く。

 もう涙こそ流れていないが、腫れた瞼が痛々しい。祖母のあんな無残な姿を見たのだ。無理もない。遼もこれ以上妹を泣かせたくなかったのだろう。

 咲良も和子の姿にはショックを受けていた。

 ここに越して来てから、和子はなにくれとなく典子と遼と一緒に可愛がってくれた。

 上野家に遊びに行けばお菓子を持って来てくれ、夏祭りには浴衣を着せ付けてくれた。もう祖母のいない咲良にとって、和子はおばあちゃんを感じさせてくれる唯一の相手だった。

 認知症になっても穏やかで優しくてよく笑っていた和子だったのに、最後があんな姿なんて酷すぎる。


 せりあがってきそうなものをぐっと堪える。

 今ここで咲良が泣いてしまったら、典子もつられて泣いてしまうだろう。遼は泣かせないために置いて行ったのに、彼の努力が無駄になってしまう。

 咲良は典子に気づかれないよう深呼吸して、いつの間にかついていた客間の窓をノックしようと腕をあげた。

 だが、それを察知したかのようにカラリ、と軽い音と共に細く掃き出し窓が開く。

 中が見えないように吊るされているレースカーテンをかき分け、桐野が顔を覗かせた。


「今出す」


 端的な言葉と共にレースカーテンから、ぐい、と小町が押し出されてきた。

 尻を押されたのか、小町は不本意そうに桐野を振り返る。それから正面に咲良がいるのに気付いて顔を上げた。


「小町、おいで」


 咲良の声に、小町は後ろを振り返るそぶりを見せる。客間にいる新條の父親を警戒しているのだろう。

 もう一度名前を呼ぶとまた迷うように後ろを見て、ようやく掃き出し窓から出て来た。


「う、わ……」


 明るい日の下で見た小町は至る所に血がついていた。

 鼻面はもちろん、身体もリードも所々濡れている。


「咲良、まだ触るなよ」

「触らないと洗えないんだけど……」

「俺が行くまで待ってろ」


 良いな、と言い置いて返事も聞かず、桐野は窓を閉めてしまった。丁寧にレースのカーテンを直していったから、部屋の中も見えない。

 典子と顔を見合わせ、とりあえず玄関へと向かう事にした。小町は散歩の時の様に咲良の横にぴったりとつく。

 ちょうど前を横切る時、玄関が開いてビニール袋を提げた桐野が出てきた。


「?どこに行くんだ」

「水道のとこだよ」


 咲良は両家の間にある水道を指さした。

 洗車用に取り付けられた水道なので、どちらの家でも使えるように中間に設置されているものだ。

 なるほど、と言いながら桐野はビニール袋からガムテープと、もう一枚ビニール袋を出す。ガムテープを咲良に渡し、二枚のビニール袋を自分の手にかぶせた。


「テープで手首をぐるっと巻いて固定してくれ」

「え、桐野くんの?私じゃなくて?」

「ああ。俺があらかた血を洗い落とすから、その後、咲良がちゃんと洗ってくれ」


 言われるとおりにガムテープを巻くと、きょとんとした顔でこちらを見上げていた小町のリードを袋越しに桐野が掴んだ。

 ほぼ初対面の人間に引き綱を持たれた小町は驚いたようだったが、咲良が声をかけたら従順に水道の下へと入った。

 犬によっては洗われるのをひどく嫌がる個体もいるが、小町は水を怖がらないから洗いやすい。代わりに川も海も平気で飛び込むので、乾かすのが大変だった。

 

「水出すよ」


 ホースの長さを調節して水を出せば、小町はいそいそと自分からシャワーの下に頭を突っ込む。

 頭頂部から流れてくる水で、桐野が鼻面についた血を落とそうと触れると、なんで?と咲良を見上げた。


「洗ってくれてるから、大人しくしててね」


 人と同じようにきちんと言葉が理解出来ているわけではないのだろうが、それでも言葉の感じと「待て」のように出した片手に、じっとして、と言われているのは分かったのだろう。

 桐野が多少乱暴に口付近をごしごし洗っても、されるがままだ。流れていく水から薄い赤色からピンク、透明になると桐野は洗う場所を変えていく。

 洗う場所に合わせてホースの位置を調整していたら、ふと横にしゃがみ込んだ典子が口を開いた。


「……新條さんのお父さん、噛まれてたのかなぁ?」

「典ちゃん?」

「お母さんが手当したの足だけだったでしょぉ?他に痛がるとこ無かったしぃ……」


 ぽつぽつと典子が呟く疑問に新條の父親の様子を思い出すが、確かに足以外に痛いという場所は無かったように思う。

 足首は捻挫っぽい見た目で内出血はしていたものの血は出ていなかったし、見える範囲には絆創膏も包帯もなかった。

 

「本当だ……じゃあどうして……?」


 今まで見てきた限り、あの起き上がった死者たちは外傷があった気がする。

 咲良たちが気づかなかっただけで、服に隠れた傷があったのだろうか?

 首を傾げた咲良に、ぼそりと桐野が呟く。


「遼やネイトが言っていただろ。粘膜からも感染する」

「粘膜?」

「キス、セックス」

「あ」


 淡々と告げられ、思わず咲良は赤面して典子と顔を見合わせた。典子も真っ赤だ。


「え、と、あ、もしかして、浮気相手さんとか……?」

「かもな。校長だって外傷が無かっただろ?」

「そう、だったかな」


 校長室で見た姿を思い出せば、確かに見える範囲は無傷だったように思う。


「飯尾が校長は浮気性っぽい事を言ってたからな。どっかからウィルスを貰って来たんじゃないか?」

「あー……あ!」


 思いついた可能性に咲良は思わず声をあげた。

 校長の話で一番最初に出て来た相手は、勅使河原の叔父の妻だ。

 昨日は勅使河原の叔父の通夜だったはず。勅使河原の叔父の死因は知らないが、もしかしたら彼もウィルスが原因で亡くなったのだろうか?

 勅使河原の叔父から妻へ何らかの形、桐野が言ったような接触で感染し、また同じような形で校長に感染したのなら納得がいく。

 勅使河原にしても、通夜の席か前か分からないが、そこで叔父に襲われて感染したのかもしれない。勅使河原はひどい怪我を負っていた。あれは叔父に噛まれた傷だったのではないだろうか。

 咲良が思いついた事を桐野と典子に告げると、二人は頷いた。


「ありえるだろうな。どういうタイミングでウィルスが働いて起き上がるかは分からないが、潜伏、という形ですぐに発症しない時間があるのかもしれない」

「そういえば勅使河原さんの叔父さんって輸入雑貨の会社で働いてるって聞いたぁ。仕入れ担当だから見本を貰える、てアメリカのカントリー系の可愛い雑貨いっぱい持ってたよぉ」


 典子の言葉に勅使河原の持ち物を思い出せば、確かに筆記用具に近所ではあまり見た事のない可愛いものを使っていた気がする。

 飯尾が見ていたニュースサイトではアメリカでゾンビが発生、と言っていたから、仕事で渡米中に感染したのかもしれない。


「学校にウィルスをばら撒いたのは校長かもな」

「桐野くん?」

「校長が勅使河原の叔父の妻から感染し、浮気相手として名前が挙がってた小池や三年生の誰かと粘膜接触してたら?小池やその先輩が同じ事を別の相手としたら?」


 それなら爆発的に校内に広がった理由が説明できる。

 もとより小池には良い噂が無かったし、特に彼女の受け持っている男子テニス部の部員とは距離がいやに近いという話もあった。


「実際のとこはもう分らないだろうが、そう外れてもいないんじゃないか。よし、ほとんど落ちたか?」


 ずぶ濡れになった小町を上から下から眺めまわし、桐野が手を離して立ち上がる。

 水道の水を止めようと典子がそばから離れるのと同時に、小町が仁王立ちになって足を踏ん張った。何をしようとしてるのか察し、咲良は急いで桐野の腕を掴んで思い切り引っ張る。

 

「お、いっ……!」


 急に腕を引かれた桐野は何か言いかけたが、小町がぶるぶると身を捩って水気を弾き飛ばしたのを見て、慌てて咲良に引かれるがままに退避した。

 大量の水が飛び散り、それでもまだ小町はぶるぶると水気をきろうと身を捩っている。周囲は水浸しだ。

 

「……危なかったな」

「ごめん……あの、あとは家のお風呂場でシャンプーして乾かすから」

「ああ。なら俺は遼たちの方に――」


 言いかけて振り向く桐野につられて視線を映せば、ルイスが窓から半身を乗り出して手招きしていた。

 小走りに桐野が駆け寄り、すぐに戻ってくる。


「話がついたらしい」

「?」

「新條の父親だ。さっきの家に押し込めるって事で話がついた。俺はそっちを手伝う。なるべく一人で外に出るなよ。気をつけろ」

「桐野くんも。気をつけて」



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