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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
57/136

21



 

「頭、おかしいだろ……」


 呟かれた言葉は田原のものだ。

 顔を見ればひどく蒼褪め、冷や汗をかいている。

 横にいる新條は倒れそうなほど、顔色が無い。真っ白な顔で目を見開き、桐野を見ていた。


「ならお前がどうにかしてみせるか?」


 桐野が鋭い視線で田原を睨めつける。

 もとより整った顔立ちの上に表情が薄いせいできつく見える顔つきだ。睨みつけられて怯えた様に田原は俯いた。

 それでも横から新條に腕を掴まれて縋られれば何とかしないと、と思ったのだろう。

 きっと顔を上げて桐野を見返した。


「そ、そもそも、新條の親父さんがゾンビになったとか、上野のばあちゃんを襲ったとか、俺たち見てないし!本当なのか――」

「っ田原!てめぇ、喧嘩売ってんのか!!」


 遼が激高し客間を飛び出すが、ルイスに肩を掴んで止められた。


「先生っ」

「落ち着いて。彼も、新條さんも実際にお父さんを見ていないから分からないんだよ、きっと。ね?」


 片手で暴れる遼を制し、ルイスは新條と田原に微笑んだ。

 場違いなその笑みに咲良は顔が引きつったが、新條はホッとしたらしい。仲間を得られたかのように微笑み返した。

 田原はそれが面白くない様だったが、追従するように頷く。

 

「俺らが出てくまで、新條の親父さんは普通に寝てたんだ。それがゾンビになったとか、その、上野のお祖母さんを襲った、とか言われても、ピンとこない」


 言い切った田原に、また遼が噛みつこうとしたが、それより早くルイスが同意した。


「だよね。気持ちは分かるよ」

「先生」

「だから、きちんと現実を見てくれるかな?」


 まるで田原たちの味方の様なルイスに反駁しかけた遼は、次に言われた言葉に思わずルイスを振り返った。

 ルイスは穏やかな笑顔だ。口調も優しい。だが言っている事は夢想家を叱りつける様な台詞に聞こえる。

 田原は馬鹿にされたと感じたのか、ルイスを睨んで軽く舌打ちをした。


「……現実見るって、」

「こっちにおいで。新條さんも。信じられないんでしょう?だったら君たちが自分の目で見たらいいんだよ。ほら」


 ここに、と指をさしたのは客間のど真ん中だ。

 すぐそばには和子の遺体があり、布団でぐるぐる巻きにされた新條の父親だという人物がもぞもぞと動いては桐野にモップで押さえつけられている。

 壁も布団も床も血塗れで足を踏み入れるのも憚られるそこに、来い、とルイスは言っているのだ。

 笑顔のままで提示された案に、田原と新條が固まる。

 竦んだように動けない彼らにルイスは、ああ、と注意を付け足した。


「なるべく血には触らないようにね」


 言われなくても大量の血液に進んで触れたい人間はいないだろう、と咲良は思ったが、ルイスの言いたい事は違ったらしい。

 多分ね、と続ける。


「噛みつかれた人間がこのゾンビ?っぽくなるのは、何かウィルス的なものに感染してるせいだと思うんだよね。さっき遼くんが叫んだでしょう?触るなって。あれは血液感染を警戒しての事だと僕は思ったんだけど」

「……噛まれるとゾンビになるんだから、ネットでも粘膜とか血液とか、体液からゾンビ菌が伝染るんじゃないかって意見が主流だった」

「僕も同意見かな。噛みつかれて死ぬと起き上がる、って高校で一緒に行動してた子が言ってたからね。唾液から感染するなら血液だって要注意だ」


 そう言う本人の服には血が点々とついている。

 それは大丈夫なのかと凝視する視線に気がついたのだろう。ルイスは自分の服を見下ろして苦笑した。


「僕も眞も下にもう一枚着てるから、肌への接触の危険性は無い、と思うよ。それにこれは上野さんの血だからね。感染してるのは新條さんのお父さんだから、これは大丈夫」


 分かるような分からない様な事を言うルイスだったが、咲良の頭に浮かんだのは『新條の父親の血が危ない』と言う事だった。

 それが本当なら、新條の父親を噛んだらしい小町が危険だ。

 

「小町!」


 叫ぶように小町を呼ぶと、小町は咲良を振り返ってからまた新條の父親だというぐるぐる巻きを見て、それから困ったようにもう一度咲良を見た。

 小町にとって新條の父親は脅威であり、見張っていないといけないもの、という認識なのだろう。番犬としては正しい働きなのかもしれないが、咲良は今すぐに小町の口の周りの血を綺麗に洗い流したかった。

 焦れてもう一度呼び戻しをしようとしたが、それより先に桐野が口を開く。


「多分、犬は大丈夫だ。渡瀬先輩の犬も何度か噛みついたけど大丈夫だった、と言っていた。人の風邪が犬にうつらないのと一緒だろう」

「でもっ」

「外を移動中も、犬とか猫が異常をきたしているのを見ていない。もしこれがネイトの言うようにウィルスで、人と動物間での感染があり得るなら、真っ先にネズミや野良猫が発病して、もっと早くに問題は表面化していたはずだ」


 桐野の台詞に咲良は言葉を飲み込んだ。

 確かに人と動物との双方に感染する病気なら、人より先に動物に発症例が出ているだろう。動物は人よりも衛生状態にそれほど気を配らないから感染速度が早い。

 野生や野良の生き物なら余計にだ。だがテレビでもネットでも、そういう話は聞かなかった。

 

「まぁ、心配する気持ちは分かるよ。でもこの子にここを横切らせるのもね」

 

 淡々と話す桐野を宥めるようにルイスが汚れた床を指し示す。

 たった今、そこに来い、と言われた田原がそれに気分を害した様で抗議した。


「犬が駄目なら俺たちだって、」

「君たちは目視できれば避けられるでしょう?犬は四つ足だし、血を避けろ、なんて指示は難しいんじゃないかな」

「………」

「さぁ、来て見てご覧」


 おいで、と手招きされ、田原と新條は後退った。

 明らかな拒否反応と進まない話にイライラしたのか、桐野が低い声で「おい」と呼びかける。


「さっさとしろ。始末するのか生かしておくのか。生かしておくなら、お前らの家に連れて行くか、さっきの家に押し込むのか」

「そ、れは、」

「眞。脅さないの」

 

 苦笑して宥めるルイスに対する桐野の返事は舌打ちだ。


「そいつらに合わせてたら日が沈む。早く決めろ」

「こらこら。彼らはまだ、それが彼女のお父さんだって事すら納得してないんだよ」

「ならさっさと確認しろ」


 言うなり、足でそれを蹴り転がした。

 ごろり、と転がってそれがこちらを向く。

 

「きゃあっ」


 悲鳴をあげて新條が田原にしがみついた。

 咲良も思わず後退る。

 上野家に連れてこられた時に会った新條の父親は「すみません」と言いつつ、へらへらと笑っていた。本当に申し訳ないと思っているのか疑問を覚える態度で、あまり良い気持ちを覚えなかった表情が強く印象に残っている。


 だから一瞬、血塗れで虚ろな表情のその男が新條の父親だと分からなかった。

 今まで見た起き上がった死者たちと同じように、何を考えているのか分からない顔をして、こちらを見返している。

 

 それでも娘の新條には自分の父親だと分かったのだろう。

 小さな声で「お父さん」と呼びかけた。

 みんなが息を飲んで男を見ていた中、小さな声は誰の耳にも届くくらい大きく響く。呼びかけられた新條の父親にもその声は聞こえたのか、のろのろと視線を娘に移した。

 ほっとした新條に向かい、大きく口を開く。

 もう一度「お父さん」と呼びかけた新條に答えたのは、がっ!と歯と歯がぶつかる音だった。

 

「お、お父さん、な、なんで」


 がちがち、と無言で歯を噛み鳴らす。

 凍り付いたように立ち尽くす新條の顔色がみるみる悪くなっていく。父親がまるで違う生き物のようになってしまったのが分かったのだろう。田原に縋りつく。

 田原は無意識にか新條の肩を抱き、呆然と新條の父親を見やった。

 なんだよ、これ、と震える声が田原の口から漏れる。


「分かったか?分かったんなら決断しろ」


 震える二人に冷静な桐野の声が飛ぶ。


「選べ。始末か生かすか」



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