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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
56/136

20



 人気の無い住宅街を、用心しながら家へと戻る。

 先頭に立つのはルイスで、すぐ横に新條が並んで話しかけ、田原はそんな新條の横で仏頂面をしている。そこから少し後ろに典子と悦子とリードを持った咲良と小町が続き、後ろに遼と孝志、最後尾で桐野が周囲に目を配っていた。

 新條はルイスが笑顔で相手をしてくれるのが嬉しいのか、はしゃいだ声を上げてはやんわりと注意をされている。


「あいつ、現状把握が出来てんのか?」


 また少し高い声を上げてルイスに注意されているのを見て、田原以上に苦虫を噛み潰したような顔で遼が呟いた。

 咲良も前方の彼らを見やり、遼と同じように危惧を抱く。

 大きな声や音は、あの起き上がった死者たちを引き寄せる。まだこのあたりにはそんなにいないようだが、前方の家の角や横道あたりに彼らが潜んでいる可能性だって無くはないのに。


「見た事無いのかもね」

「えぇ?さっき見ただろ、火事現場で」


 孝志の言葉に遼が答えるが、孝志は困ったように首を振った。


「だってさっきはあっさり片付いちゃったでしょ。ほとんど酔っ払いみたいなもんだったし。そんなに怖いものだって思ってない可能性無い?」

「あー………」


 なるほど、と遼は呻く。

 孝志や遼、咲良たちの様に追いかけ回されたりしたならともかく、さっきは意外なほどあっさりと家に閉じ込められていた。あれでは恐怖心を抱く事は無いかもしれない。

 それは逆に怖い気がした。危ない事を危ない、と認識出来ないままだと、本当に危ない時に動けない。

 

「……ホラー映画思い出すよな。ほら、グループの中の一人が悲鳴上げたせいで殺人鬼に気づかれて追っかけ回される、みたいな」

「うわ。この状況だと洒落にならないよ、遼……」

「だよなぁ……。とりあえず早くあいつら追い出して……」


 言いかけてため息をつく。

 遼の視線の先には、上野家と中原家だ。出て行った時と同じように門は閉まり、新條の母親の車はどこにも見当たらない。

 新條もそれに気づいたのか、しょんぼりと肩を落として田原に慰められている。

 門の開け方が分からないのか門の前で立ち止まったルイスたちに、悦子が小走りに駆け寄った。


 咲良はそれを少し離れて見ていた。

 あまり近づくと小町が新條に唸るからだ。よっぽど強引に家に入られたのが気に入らないのか、近くによると鼻面に皺を寄せて威嚇する。

 当然新條は怖がり遠くへ遠くへと行ってしまうので、咲良の方が適当に距離を開けるようにしていた。

 なので門が開いて新條たちが中に入ってから自分も、と思って待っていたのだが、それまで咲良の横にぴったりついて座っていた小町が、不意に立ち上がった。


「小町?」


 小町は三角の耳をピンとたて、首を傾げる。

 何かをうかがう様なその仕草に何か聞こえたのかな、としゃがみ込んで小町の背中に手を置くと、小町は一瞬咲良を見てから、耳を後ろに倒した。鼻面に力が入り、巻尾が大きく振られる。

 威嚇の仕草に新條が近くに来たのか、と咲良は顔を上げたが、新條は門のすぐそばにたっていた。悦子が門を開けるのを見ている。

 じゃあなんで、と思った瞬間、ぐいっとリードが引っ張られた。


「わっ!小町っ」


 前方に飛び出そうとした小町に引きずられて転びそうになり、寸でのところを桐野に抱き留められる。

 何とか転倒は免れ、桐野に抱えられるようにして立ち上がった。

 急にどうしたのか、と小町を見れば、小町は咲良の声で我に返ったのか足は止めたが、今にも駆け出しそうに足踏みをしている。

 体勢が整った咲良を見て、早く、とリードを引く。普段滅多にしない急かすような仕草に思わず咲良が一歩を踏み出すと、許可されたと思ったのか、小町は駆け出した。


「ちょっ、咲ちゃん?!」


 小町に引かれるままに、全力疾走で開いたばかりの門を抜ける。

 後ろから典子たちがびっくりして上げた声や、追いかけてくる足音がするが、咲良は小町に引きずられないように必死になって足を動かすのがやっとだ。当然小町の方が足が速いから、足が縺れたら転んでしまう。

 なんで、という疑問を覚える間もなく、前庭にとめられた上野家とルイスの車の間を駆け抜け、上野家の玄関へとたどり着いた。

 衝突する勢いでドアへと行きつくと、小町が明確な唸り声をあげていきなり吠える。

 子犬の頃から無駄吠えをしなかった愛犬の吠え声に、咲良はびっくりして、ついで背筋に冷たいものが走った。


 成犬になってから小町が吠えたのは、危険な時だけ。

 少し大きい地震があったり、なぜか家に蛇が迷い込んだりした時、今の様に激しく吠えたてた。


「ワンワンワンっ!」

「小町?咲良ちゃん?」


 耳を伏せ、鼻面に皺をよせて吠えたてる小町の声が聞こえたのか、内側から鍵が外れた音がして、玄関ドアが開く。


「小町!」


 途端に小町が中に駆け込もうとし、引っ張られた咲良は玄関を開けた勇にぶつかりそうになった。

 松葉杖と携帯電話を持った勇に体当たりしてしまったら、転倒させて怪我をさせかねない。勇はやっとあと少しでギプスがとれるところなのだ。

 慌てて咲良が踏ん張るのと同時に、後ろから咲良の腹に手が回った。腕の感じから桐野だ、と理解するのと同時に、体勢を崩してリードを掴んでいた手が緩み、手首から持ち手がすっぽ抜ける。

 まずい、と思う間もなく、小町が持ち主のいなくなったリードをつけたまま、玄関から廊下に飛びのって駆けて行く。

 待て!と指示を出そうと息を吸い込んだ時。


 ギャアアアアアア!!


 咽喉が張り裂けそうな悲鳴が響いた。

 肌がびりびりするような、空気を震わせる声に咲良と勇は凍り付く。

 どっと汗が吹き出る。聞いた事も無いような声に、ぎこちなく声のした方、廊下の方へと振り返ると、ワンワン!という小町の鳴き声とガリガリガリと何かを引っ掻く音がしてきた。

 

 いち早く動いたのは桐野だった。

 咲良を託すように勇に預け、土足のまま廊下に上がり、駆ける。


「桐野くん!」

「咲ちゃん!父さん!さっきの叫び声、」


 咲良が桐野を制止しようとした声に被るように、開けっ放しの玄関から飛び込んできた遼が尋ねかけたが、奥から何かがぶつかり合うような衝撃音が聞こえて、質問を飲み込んだ。


「何なんだよ!クソッ!」


 叫んで遼が廊下に飛びのり駆けて行く。

 後を追ってルイスと孝志が眼前を走り抜け、咲良も我に返って後を追った。

 玄関から靴を脱ぐのももどかしく上がり框に飛びのり、廊下を駆けようとして足を止める。

 視線の先、和子たちの部屋の向こう、新條の父親がいるであろう客間の前で、遼たちが凍り付いたように立ち竦んでいた。

 目を見開いて、障子の開いた客間を見ている。

 

「おい、どうしたんだ」


 後ろから声をかけられ、びっくりして振り返ると咲良のすぐ後ろに田原がいた。

 その背後には典子や悦子たちもいて、咲良と同じように廊下の先に立ち竦む遼たちを見ている。

 田原の声が聞こえたのか、遼が我に返ったように客間に飛び込もうとし、孝志に羽交い絞めにされた。


「孝志っ!放せ!祖母ちゃんが!」

「僕らじゃ二人の邪魔にしかならない!」

「でもっ」

「遼!ロープ!」


 もがく遼に客間から桐野の声が飛んでくる。

 孝志が遼を放すと、遼が「母さん!」と叫んで玄関に戻ってきた。


「ロープは?!」

「そんなの廃品回収用の麻紐くらいしかないわよ!」

 

 玄関の棚の上に置いてある細い麻紐を差し出され、迷ってから受け取り、遼は客間の方へ戻っていく。

 全員がその背につられるように着いていき、客間の前でなぜか急ブレーキをかけた遼の後ろから中を見て、一様に息をのんだ。


 客間は赤かった。

 血しぶきだ。壊れかけた障子、凹んだ壁、穴の開いた襖に血が飛び散り、敷かれた布団はぐしゃぐしゃに乱れて血の海が広がっている。

 その布団の上に、人が倒れていた。


「お祖母ちゃん!」


 倒れている人物が誰かに気づき、悦子が叫んで中に飛び込もうとしたが、今度は遼が立ちはだかって止めた。


「触っちゃ駄目だ!」

「何言ってるの、遼!止血しないと!」

「駄目なんだよ!」

「遼!」

「もう、駄目なんだよ!」


 絶叫した遼の目から、ぼろぼろと涙が零れ、悦子の動きが止まる。

 遼は自分が泣いている事に構わず、唇を震わせながら言葉を紡ぐ。


「いま、動きが、止まった。目が、違うんだ……祖母ちゃんが、死んだって、分かったんだ、だから」

 

 だから、と繰り返した遼の肩を、蒼褪めた顔の孝志が抱く。友人の肩を抱く孝志の手も、がくがくと震えていた。


「おばさん、俺も、俺にも、分かったんです。駄目だって、分かった」

「でも、応急処置をすれば、」

「遅いんだよ!もう無理だ!血が流れ過ぎてる!」

 

 見ろよ!と脇に避けた遼の背後に視線が集まり、すぐに誰もが目をそらした。

 部屋中に飛び散っている血と、布団をぐっしょりと濡らす血と。それが尋常じゃない量なのは、咲良の様なただの女子高生にも分かった。人が、それも年老いた小柄な女性が流して無事でいられる量じゃない。

 一瞬、わずか数秒の間に目に焼き付いた和子の死体は、無残だった。

 投げ出された腕と足は血に塗れ、抉れた首筋からはいまだ血が流れている。叫んだまま固まってしまった口とぽっかりと開いた目は生気がなく、遼と孝志の言葉を否が応でも理解させられた。

 もう手の施しようがない。死んでしまったのだと。


 認知症になってからも優しく穏やかだった和子の変わり果てた姿に、咲良は顔を覆いかけ、部屋の隅で動いているものに気づいて思わず声をあげた。


「小町!」


 愛犬の後ろ姿に名前を呼ぶと、小町はすぐに振り返る。だが、その顔を見て咲良は絶句した。

 鼻面と口の周りが血で汚れている。まるで人を噛んだかのようだ。

 まさか小町が和子を、と恐怖を覚えたが、それに気づいたのだろう。遼が「違う」と涙をぬぐいながら、はっきりした声で言い切った。


「咲ちゃん、小町は、祖母ちゃんを助けようとしたんだ。あいつが、新條の父親が、祖母ちゃんを襲ってたから」

「え?」


 遼の言葉と目線で、全員の視線が客間の隅にいるルイスと桐野の背に向かう。

 こちらに背中を向けている二人は、何かを押さえつけているかのような動きをしていた。時々力に押し負けるのかルイスと桐野が英語で悪態をつきつつ、互いに指示を出し合っている。

 その二人の抑えているものを、小町は威嚇しているらしい。

 

「え、え……?お父さん?」


 突然名指しされた新條が戸惑いながら声をあげると、遼が睨みつけた。


「お前の親父だ!何が噛まれてないだ!どう見てもゾンビじゃねーか!」

「な、なんで、そんなひどい事言うの」

「ひどい?!ひどいのはお前だろ!嘘ついて連れて来て!うちの家族に面倒みさせて!あげく、祖母ちゃんを殺して!」


 遼が叫ぶのと同時に、ルイスと桐野が立ち上がる。

 振り向いた二人の服は所々に血がついていた。足元ではタオルケットらしきものと麻紐でぐるぐる巻きにされたものが蠢いている。

 桐野はモップでそれを押さえつけて視線を外さず、ルイスの方はちらりと動いているものを見つつ戸口の方へ近寄り、頭を下げた。


「申し訳ありません。間に合わなかった」

「先生……」


 下げられた頭に、遼がぐっと喉を鳴らす。


「頭、上げてください。先生の、せいじゃない。桐野くんの、せいでも無い。悲鳴が……悲鳴が聞こえたのは、俺らが来る前で、そん時には、もう……」

「俺のせいだ」

「父さん」


 詰まりながらも言葉を吐き出す遼に、勇が首を振った。


「俺が祖母ちゃんから目を離したのが悪い」

「お父さん」

「……前の職場の人間から電話が来て、少しだけだからって目を離した。祖母ちゃんは寝てたから、玄関で話し込んでたんだ。俺がちゃんと見とけば、こんな事には……」

「四六時中目を離さないなんて無理よ!お父さん、いつも私に言ってたじゃない。それを言ったら、私が残ってれば……」

 

 悦子が勇の背と肩に手をあて、慰めるように撫でる。

 自責する勇は慰められるのを拒否しようとしたが、悦子の手が震えているのに気付いたのだろう。肩に置かれた手を握りしめ返した。

 上野家の両親が言葉を継げない中、桐野がよく通る声で言う。


「……とりあえず俺とネイトはこの男をあの家に放り込んでくる」

「え?」

「ここに置いておくわけにはいかないだろ。それとも……潰すか?」


 咲良は潰す、という言葉の意味が分からず首を傾げた。

 他の面々も同じだっただろう。何を、と無言で疑問を浮かべていたが、すぐに遼と孝志は弾かれた様に桐野を見た。 

 

「き、桐野くん、潰すって」

「頭部を潰せば流石に動かなくなるだろ」


 ストレートな言葉に遼と孝志以外の人間も何を言っているか理解し、ぎょっとして桐野を見た。



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