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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
55/136

19



 バケツリレーは一時間ちょっとで終わった。

 運が良かったのか、それとも孝志が言ったように外部からこの町内に入ってくる人間が少ないからか、歩く死者たちが大挙する自体にもならず、また予想以上に町内会長の指示による消火活動が上手くいったからだ。

 聞けば町内会長は若い頃に消防団員をしていた経験があったらしい。おかげで指示も的確で、怪我人も少し煙を吸い込んだ程度で済んだ。

 起き上がった死者が現れた時には流石にパニックが起こりかけたが、相手が一人でふらふらと現れる、という形だったために、件の剣道の段を持っているという男性が酔っ払いの相手でもするかのように簡単にいなしてしまった。


「何とかなるもんだなー」

 

 空になったバケツをぶら下げ、遼が呆けた様に言う。

 ついさっき消火が済み、解散を言い渡されたところだ。

 起き上がる死者という異常事態と、近所で火事という緊急事態に、みんな疲れ果てていた。

 軽く虚脱状態になっていたところに、煤と埃まみれになった田原が戻ってくるのにいち早く遼が気づいて舌打ちする。


「何で戻ってくんだよ」


 いつもならすぐさま噛みついてくるだろう田原だったが、消火用のホースの運搬で疲れたのだろう。ふん、と小さく鼻を鳴らすに留まった。


「おい、田原。お前ん家の親来たか?」

「見てねぇ」

「……新條んとこも来てねぇっぽいよな」


 煙が上がり、火が上がり、多くは無いが少なくも無い人数が消火のために走り回って騒いでいたのに、と遼が呟く。

 遼の言葉に咲良たちも顔を見合わせた。

 田原の家は彼の申告によるとそもそも両親が帰っていないから仕方が無いが、新條の家は荷造りをしているはずだ。多少なりとも様子を見に来ない方が可笑しいだろう。


 咲良の胸に不安が湧き上がる。

 いくら避難準備を急いでいるとは言え、近隣に燃え移る可能性のある火事だ。しかも娘を他所の家に預けている。普通なら不安になって顔を出すだろう。

 言い換えれば、新條の母親は普通じゃない状態なんじゃないのか――もしかしてあの起き上がる死者たちに襲われてしまったんじゃないか、と、そんな最悪の想像が頭に浮かんでしまう。

 思わず隣りの典子を見れば、典子も同じ想像に至ったのか、蒼褪めた顔をしていた。

 周囲を見回せば、遼も孝志も硬い顔をしている。


「……田原、新條。お前らの家行くぞ」

「…………」


 え?と小さく疑問の声を漏らしたのは新條で、田原の方は咲良たちと同じ事を考えているのか、怯んだ顔になったが、否やは無かった。

 

「でも、お母さんは上野くん家にいろって、」

「行くぞ」


 戸惑う新條を一瞥し、全員で新條と田原の家のあるブロックに向かう。

 同じような方向へ向かう人たちと一緒に歩き、角を曲がればすぐそこが田原の家だ。


「僕が見てくるから、ちょっと待っててね」


 自宅を前に怯んだ様子の田原の肩を軽く叩き、ルイスは正面からは見えない庭の方へと家を迂回して軽い足取りで入っていく。

 二、三分で戻ってきたルイスは「異常なし」と肩を竦めた。


「庭には誰もいないし、窓から覗いた家の中にも人影は無かったよ。鍵は開いてるのかな?」

「あ」


 固まっていた田原が慌てて家の鍵がかかっているのを確認し、チャイムを押す。家の中からかすかにチャイムの響いている音が聞こえるが、しばらく待っても誰かが玄関にやってくる足音はしない。


「まだ帰ってないっぽい」


 田原の口から長いため息がもれた。

 家にいない、と言っていたが、彼がいない間に両親が家に帰り、何らかの理由であの死者たちの仲間になっていたら、という可能性を考えていたのだろう。ため息には安堵感が溢れていた。

 脱力して座り込んでしまいそうな田原の腕をルイスが苦笑しながら取りかけ、いきなりばっと振り向く。

 その急な動きに何か異常があったのかと、全員がつられて弾かれた様にそちらを見た。


「わっ」


 まさかあの死者がいるのか、と警戒した眼差しになっていたのだろう。視線を向けられた相手がびっくりしたように飛び上がった。


「あ、吉田のおばあちゃん」


 立っていたのは年配のおばあさんだった。

 気が抜けた様に田原が呼んだおかげで、近所の人らしいと分かり、場の空気が緩む。吉田のおばあちゃん、と呼ばれた相手もホッとしたように頬を緩め、おずおずと田原に近づいた。


「驚かせてごめんね。達也君たちが見えたから」

「や、大丈夫です。こっちこそすんません」


 年配の相手だからか、近所の人だからか、遼と話す時とは打って変わって田原は大人しい。

 素直に軽く頭を下げる様子を意外な気持ちで咲良は見た。

 案外、新條が絡まなければ悪い人ではないのかもしれない。単に遼との相性が悪いだけかもしれないが。

 不思議な気持ちでぼそぼそと話す二人を眺めていると、急に田原が声を上げた。


「え!?でも、瞳のお母さんは……」

「ねえ。瞳ちゃんいたから、びっくりしちゃって。それで教えなきゃって来たのよ」

 

 新條の母親がどうしたのだろう?と横にいる桐野を見れば、桐野が二人のやり取りを教えてくれた。

 吉田が言うには、田原の両親はまだ帰宅しておらず、新條の母親は火事が起きる少し前に車で出て行ったらしい。


「え、どういう事?」

「あの人が聞いた話だと、娘が避難所にいるから自分も行く、と言っていたらしい」

「えぇ?」


 意味が分からない。

 新條はずっと上野家にいたし、それは新條の母親だって知っているはずだ。そもそも預けて行ったのは当の母親なのだから。

 なのに避難所?と首を捻っていると、遼が舌打ちした。


「どういうつもりだよ、あのババア。まさか一人で逃げたんじゃないだろうな」


 忌々し気に呟き、蒼褪めている新條に向き直る。


「新條!お前ん家行くぞ!」

「え、でも……」

「でもじゃねぇよ!」


 乱暴な言葉遣いだが、悦子も田原も遼を咎める余裕は無いのだろう。

 焦ったように歩く遼に、全員が慌てて続く。バタバタとほんの少しの距離をすぎ、見えた新條家の庭は、確かに車庫スペースがぽっかり空いていた。

 

「ちょっと見てくるよ」


 ルイスが敷地に小走りに入っていく。田原の家でしたように、周囲を確認しにいったのだろう。

 

「お母さん、どうして……」


 車があるはずのスペースを見ながら、両手を握りしめて呟く新條の肩を吉田と田原が慰めるようにさする。

 誰も言葉をかけられない中、ルイスが戻ってきた。


「異常なし。人の気配も無い。中でじっとしてるって可能性もあるけど……そちらの方の話だと考えづらいかな」

「……とりあえず、家ん中見てみよう。書き置きとかあるかもしんねぇし」

「あ、うん」


 遼の言葉に新條が慌ててポケットから鍵を取り出した。

 おずおずと遼にそれを差し出す。


「は?……まさか、俺に開けろって言ってんのか?てめぇん家だろうが」

 

 呆れた様に新條を睨む遼に、田原が新條を庇おうと前に出て、そちらも遼に睨まれる。


「文句あんならお前が開けろよ、田原」

「え、俺?」

「そう、お前」

「………」

「貸して。僕が見てくるから」


 黙り込んでしまった田原と、睨む遼、鍵を差し出したままの新條、という状態に痺れを切らしたのか、ルイスが苦笑して鍵を受け取った。

 鍵を差し込み、開錠する。

 あっさり開いた玄関を大きく開け、ルイスは「誰かいますか?」とよく通る声で誰何した。


「……返事は無いね。ちょっと中を見ようか。新條さん?一緒に来てくれる?」


 僕じゃ中は分からないから、とルイスは柔らかく微笑んで、新條の肩に手を置いて連れて行く。

 あまりにスマートなエスコートに、当の新條も抵抗する、という考えすら浮かばなかったのだろう。あっさりと二人で新條の家に入っていった。

 すぐに田原が我に返り、慌てて後を追っていく。


「先生、半端ねぇ」

 

 あの人ホストかなんかか?と遼が桐野に尋ねるが、桐野はさっきと同じように肩を竦めるだけだ。

 知らない、とでも言いたげなジェスチャーに孝志が小さく笑う。


「でも有り難いよね。俺たちの言葉じゃ動かないでしょ、あの子」

「だぁな。しっかし新條の親は何勝手に動き回ってんだよ、て話。嫌な話だけどマジで旦那と娘置いて逃げたのか?」

「遼」


 息子の軽口に悦子が窘めるように声をあげるが、そこで後をついてきていた吉田が口を開いた。


「新條さんの奥さん、多分浮気してるのよね」

「は、え?」

「旦那さんもだけど、お互いにご夫婦以外の相手と車で送り迎えされてるの。うちはほら、家が近いし、うちのお父さんの朝が早いから、朝帰りとか、色々ね、結構目撃しちゃうのよ」

「マジか……」

 

 まさかの家庭事情に絶句する。

 もし新條の母親が娘と夫より浮気相手をとっていたなら、上野家に来ないのも、家が無人なのも、車が無いのも納得できてしまう。

 

「でも、新條さんってすごい可愛がられてたってぇ……」


 おずおずと典子が発言すると、吉田はため息をついた。


「可愛がるって言っても良くない可愛がり方よ、あれは。旦那さんのお母さんが生きてた頃はその人が瞳ちゃんの事怒ってばっかりだったし、それに反発したのか奥さんも旦那さんも甘やかすばっかりで」

「駄目親じゃね、それ……」

「ねぇ。私たちも散々可哀想だって言ったんだけど、お家の中の事まではねぇ」


 はぁー、と吉田がため息をついたあたりで、家の中からルイスたちが戻ってきた。

 ルイスの後ろには、田原が励ます様に肩を抱いた新條がいる。


「先生」

「書き置きは無かったよ。でも荷物がいくつかと現金が無くなってるって」

「……新條、母親の行き先に心当たりは?」


 さすがに「浮気相手を知ってるか?」とは酷過ぎて聞けなかったのだろう。遠回しに尋ねた遼に、新條は弱弱しく首を振った。母親が浮気をしているのを知っているのか知らないのかは分からないが、心当たりは無いという事だろう。


「スマホは?新條もだけど、田原の親から連絡はねぇのか?」

「分かんねぇ。お前の家に置いてきたから」

「はぁ?何のための携帯電話だよ。なんで……って、おい。まさかうちで充電してんじゃねぇだろうな?」

 

 遼の問いかけに田原はぱっと顔をそむけた。当たっていたらしい。


「信じらんねぇ!人ん家でスマホ充電とか、図々しいにもほどがあんだろ!」

「しっ仕方ないだろ!電池切れたんだから!」

「なんで充電器持ってんのに、モバイルバッテリーは持ってねぇんだよ!おかしいだろが!」


 新條の母親が失踪したらしい事で漂っていた重い空気が霧散する勢いで、ぎゃーぎゃー喚き合う。

 収拾がつかなくなりそうなその口喧嘩にルイスが割り込んだ。


「とにかく、一度上野さん家に戻ろう?もしかしたら新條さんのお母さんもあっちにいるかもしれないし」

「あっはい!」


 その可能性は限りなく薄いだろう。

 火事が起きる前に新條の母親が家を出ていたのなら、咲良たちが火消しに家を出た時にはすでに時間的には上野家に到着しているはずの距離だ。途中、時間をとられるような場所は無い。


 それでももしかしたら、という望みは捨てきれずに、自宅に戻るという吉田に別れを告げて、一同は上野家に帰る事にした。



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