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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
52/136

16



 ジューという音がして、寸胴鍋にお湯が注がれていく。

 時刻は十二時だ。

 桐野とルイスは上野家の二階、三部屋あるうちの一番広い一間を借りる事になった。

 元は上野夫妻が使っていた部屋で、子供たちが小さい頃は夫婦と子供二人で寝起きをしていたため十二畳と広い作りになっている。

 元からあった物と後から運び込んだ孝志の荷物の片づけで午前は潰れ、気がつけば昼食時。後は男性陣で、と咲良と典子は悦子を手伝い昼食の支度をしていた。


 人数が多いから炊き出しで、と賞味期限の早い食材を使って汁物を作り、主食はおにぎり。

 男の人が多いし、残ったら夜に回せばいいから、と悦子が炊いた白米は七合だ。その量に咲良は眩暈がしそうだった。

 中原家で炊くのはせいぜいが二合で、見慣れない量だからという見た目の問題もあるが、それ以上にその分量が凄すぎる。

 米は一合で百五十g、七合だと一〇五〇g、つまり約一㎏ちょっとになる。悦子の言う通り残るかもしれないが、残らなかった場合、三食すべて米だと一日で三、一五㎏消費するのだ。

 おおよそ三㎏。中原家は一日二合、三百gで夕食と翌日の弁当分を賄っているから、実に十日分のお米が一日で消費される計算になる。

 

「お米、足りるかな……」


 中原家の米の在庫は全部持って来ているが、五㎏入った未開封の袋が一つ、あとは米櫃にあっただけだ。

 米櫃の中身は開けたばかりだったから結構あったが、合わせても九㎏程度にしかならない。中原家の米では単純計算で三日ほどしか持たないだろう。


「うちもお米の買い置きがあるし、お歳暮で頂いた乾麺もまだあるから、しばらくは大丈夫だと思うけど……どちらかといえば、野菜とか肉が心配だわ」


 咲良ちゃんが持って来てくれたけど、人数がね、と鍋をかき混ぜていた悦子が溜息をつく。

 

「お買い物も行けなさそうだもんねぇ」

「そうなのよね。そか……」


 疎開、と言いかけて、悦子は口を閉じた。

 視線の先には「手伝います」と言って、食卓の準備をしている新條と田原の姿がある。

 悦子は典子が苛められるきっかけになったクリスマス会の一幕を見ていない。遼から新條が原因だと聞かされてはいるが、息子と同じ年の女の子をあからさまに邪魔者扱いするのは気が咎め、拒絶する事も出来ず、新條の存在を扱いあぐねていた。

 やんわりとお父さんのそばにいたら、と言ったものの、少しでもお手伝いしたいんです、と熱心に言われて押し切られてしまった。

 田原は当然の様に新條にくっついて歩いている。


「……お買い物に行くのは難しそうだものね」

 

 何とか音の似ている言葉に言い換えないと、と思ったのか、苦心して繋げた悦子に、咲良は話題を変えようと「おにぎりの具は何にしますか?」と問いかける。


「あまり日持ちしないのから使おうかしら。お漬物とふりかけは後回しね。典子、冷蔵庫見てみて」

「はぁい」


 冷蔵庫をあさる典子を見ながら、咲良は電気ポットでまたお湯を沸かす。いつ電気が切れるか分からないから、沸かせる時に沸かしておいて保温できる水筒にいれておこうと決めたのだ。

 ボウルに水をなみなみ入れ、ポットに移し、を繰り返していると、寸胴鍋の灰汁取りをしている悦子がまた溜息を洩らした。


「遼は危ないって言うけど、ちょっとスーパーに走ってきたい気分ね、これは」


 具の少ない汁物に悩まし気だ。

 悦子はまだ直にあの起き上がった死者たちに遭っていないから、外が危ないという実感が薄いのだろう。更に食材の減りが、一家の主婦である彼女をやきもきさせているに違いない。

 ちょっと八百屋さんまで、と言いそうな悦子に咲良は少しヒヤッとしたが、彼女は咲良の様子に気づいたのか苦笑した。


「遼が怒るし、滅多な事じゃ外には出ないから大丈夫。頑張って節約するからね」

「はい。でも、確かに野菜とかはこのままだと厳しいですよね……」


 キャベツにしろホウレンソウにしろ、葉物野菜はそんなに持たない。冷蔵庫に入れていても一週間くらいが目安だろう。しなしなになって鮮度が落ちる。冷凍すればもっと持つが、電気が来なくなると一気に解凍されてしまうので怖くて出来ない。

 肉や魚はもっと賞味期限は短いし、こっちも電気が切れたら腐りだすのは早いだろう。

 缶詰や乾物類、調味料は長く持つが、それだって使えば減るのだ。そしていつ補充できるか、まるで想像がつかない。

 だからと言って食べなければ身が持たない。


 遼の言っていた『自給自足』という言葉を思い出す。

 ここ、上野家と中原家の敷地は広いが、今いる十一人、新條たちが帰っても九人分、食べていけるだけの畑が作れるかと言ったら、きっと無理だ。

 そもそも農業の仕方を知ってる人員がいない。咲良が今まで体験した農業っぽい事といえば、小学生の時、先生が用意した土を学校指定の植木鉢に入れ、こちらも先生が用意したミニトマトやキュウリの苗をそこに植えつけた、というものぐらいだ。

 あとはサツマイモ掘りや果物の収穫体験ぐらいで、こちらは出来ているものをとっただけ。育て方などまるで分らない。

 

「おばさん、その、本家の人って農業出来るんですか?」


 ダイニングにいる新條たちを確認してから、小声で悦子に尋ねる。


「うーん……あそこは犬のブリーダーさんが本業だったから……でも家庭菜園はやってたのよね。犬のために無農薬でって。結構広い畑だったし、ノウハウはあるかな、と思うんだけど」

「はい」


 それは咲良も聞いた事があった。

 小町も上野家の本家から貰って来た犬だし、卓己の会社もそれが発端ではじめたものだと聞いている。

 もともと山中の集落で猟師を生業にしていた人間が多く、猟犬を飼う人間が多かったのだが、その中でも犬好きだった上野家の何代か前の人間が猟犬のブリーダーをはじめたらしい。

 当初は猟師と兼業だったが、丈夫で賢い犬を、という目標に加えて、可愛い犬たちに良いものを食べさせたい、という思いが募って菜園にも手を伸ばし、戦後は猟犬目的にとどまらず、健康で良い犬をと一般家庭にも犬を販売するようになったのだという。

 上野本家の犬への愛情は深く、今の本家当主の弟である卓己が地元の猟師や農家たちと協力して、ペットフード会社を作ったと聞いていた。

 今は本家の当主夫妻は年齢もあってブリーダー業は縮小し、一人娘の由香子はブリーダーよりペットの関連商品を売りたい、と店をやっている為、昔ほどの規模は無い。


「あっちは農家さんも猟師さんもいるし、ほら、川もあるから食糧事情はこっちより良いだろうって遼は言うのよね」

「ああ、それは確かに」


 咲良は祖父の家に行った時の事を思い出して頷く。

 祖父の家に行くたび新鮮な野菜を貰ったし、集落にあった無人販売所の野菜は形は整って無いが味が良くて安かった。

 それに何より肉が獲れる。

 小町の餌は猟師が獲ったシカやイノシシ、ヤマドリの肉の缶詰だ。野生の動物の肉だから癖はあるが、人間だって食べられる。

 翻って都心部で肉を調達するのは難しいだろう。養鶏場などをやっている人間ならともかく、今の咲良たちの状態では不可能に近い。

 自分に狩猟が出来るか咲良は自信が無かったが、釣りなら出来る。祖父に習って、何度か川釣りをさせてもらった事があるからだ。

 

「前に釣りをした時は、結構とれました」

「どんどん人口が減ってるからね。釣りする人も少ないから、魚が増えたって本家さんが言ってたわ」


 あちらでは何とか人口を増やそうとキャンプ場を作ったりしているが、いわゆる限界集落に近いのだ。


「それでも卓己さんの会社があっちに工場作ったから、雇用が出来て出てく子にちょっと歯止めがかかったらしいけど。あ、典子、布巾取って」

「はぁい。具ってこれで良い?」


 夕べのおかずだったらしい肉のそぼろ煮に悦子は頷く。


「半分はそれで。あと半分は俵で握って塩にしましょ。お母さん塩握るから、典子と咲良ちゃんはラップで肉そぼろおにぎり作ってくれる?肉そぼろの汁、もれると手がベタベタになるから」

「はぁい」

「はい」


 ラップを準備していると、居間のドアが開いて桐野が顔を出した。

 居間を見回す桐野に気づいた悦子が声をかけるより早く、新條が「どうしたの?」と声をあげる。

 その少し弾んだ声に咲良と典子は目を見合わせて、互いにうわぁ、と口だけで言い合った。遼の言っていた通りだ。声の質があからさまに違う。

 それは新條の後ろにいた田原にも分かったのだろう。少し不機嫌そうにしながら、なぜか声を上げた新條では無く桐野を睨んだ。

 だが桐野は新條を一瞥しただけで、一直線に台所に来る。


「おばさん、遼が呼んでます」

「あら。何かしら?」

「配線がどうの、とか」

「?よく分からないけど、とりあえず行ってくるわ。あとよろしくね」

「はぁい」


 頭に疑問符を浮かべながら、悦子は手を洗って居間を出て行く。

 一緒に行くだろうと思っていた桐野はその場に残った。 

 それに勇気づけられたのか、声掛けを無視された新條が何か話しかけたそうに台所の方に来たが、桐野の脇、入り口に陣取る小町に唸られて、また怯えながらソファセットの方へ戻っていく。


「小町」


 今日は随分苛立っている愛犬に咎めるように声をかけると、またしても「だって」という顔をされた。

 新條には表立って嫌がらせをされた事は無いから、小町がそういう場面を見た事も無いはずなのに、随分嫌っている。もしかしたら新條の父を連れてきた時強引に入ってきたから、それで自分のテリトリーを荒らされた気持ちになっているのかもしれない。

 思い返せば、倒れこむように玄関にへたり込んだ新條の父にも随分怒っていた。噛みつくんじゃないかとひやひやしたくらいだ。咲良としてもあの強引な乗り込みに良い気はしていないから、小町の気持ちも分からなくはない。

 だが実際に噛みついてしまったら問題だ。保健所に通報されてしまう。そんな事態は避けたかった。

 宥める様に背中を撫でると、視線を感じて顔をあげる。


「桐野くん?」

「これが小町?」

「あ。そうそう、この子が小町。小町、桐野くんだよ。私のクラスメイト」


 ほら、と小町に言うと、桐野がしゃがみ込んで小町の顔を覗き込んだ。いきなり視線を合わせられた小町は緊張したらしい。背中の毛がわずかに逆立つ。

 背中に置いた手づたいにそれを感じて、咲良は慌てて桐野に声をかけた。


「桐野くん、犬は視線合わせるの苦手だから。攻撃されるかもって緊張するんだって。慣れれば大丈夫なんだけど」

「それは悪い事をしたな」

「出来たら手の匂いをかがせて貰って良い?下から出してね。上から手を伸ばすと攻撃されると思って噛みつくかもしれないから」

「あぁ、なるほど」

 

 以前犬に噛まれた事でもあるのか、ひどく納得した風に呟き、桐野は小町に手を差し出した。小町は遠慮しながら、ふんふんとその手の匂いを嗅ぐ。

 一頻り嗅いで納得したのか、小町は顔を引いて咲良を見上げた。それにつられたように桐野も咲良を振り仰ぐ。

 一人と一匹に見上げられ、咲良は困惑したが、ひとまず小町が新條に見せる様な態度を桐野に対してしなかった事に胸を撫で下ろした。

 桐野には昨日とても世話になったし、一緒に疎開する仲間だ。喧嘩にならなくて良かった。


「咲ちゃぁん」

「あ!ごめん、今行く」


 おーい、と声をかけられて振り向くと、典子が苦笑している。

 おにぎりの準備が出来たのだろう。

 小町を一撫でしてから急いで手を洗い直して典子の横に立つと、なぜか桐野がその横に立った。


「桐野くんも作るぅ?」

「作る?」

「おにぎり」

「……作った事が無いから、さっぱり分からないんだが」


 困惑した顔に、そう言えばアメリカ生まれのアメリカ育ちだった、と思い出して一通り作り方をレクチャーする。


「手で握る?火傷しないのか?湯気が凄いが」

「あー……慣れないとするかな。ラップ越しだとあんまり熱くない、けど、慣れないとこっちも難しいかも……」

「とりあえず見せて貰っても良いか?」


 よく分からない、という顔のまま請われ、準備した一つをラップ越しに握ってみせた。


「なんで三角になるんだ……いや、良い。一個やってみる」

「熱いから気をつけてね」

「ああ」


 ラップにご飯を置き、中央にくぼみを作ってそぼろをいれて、軽く握って具を埋没させてから手を洗った桐野に渡す。

 桐野はラップ越しの熱さにぎょっとしたようだったが、すぐに見様見真似でおにぎりを握り始めた。だが慣れない作業で四苦八苦している。


「三角形にならない……」

「初めてでそれなら上手いよ」


 桐野は自分が握った、ほぼ丸に近い多少角のあるおにぎりを見て、不可解そうにしている。ほとんど無表情だが見慣れてきたせいか、桐野が大いに困惑しているのが分かって、咲良は微笑ましい気持ちになった。

 吹き出さないように堪えながら、咲良はそれを受け取って盆に置く。


「桐野くんは手が大きいから、お米の量が少なかったのかも。もう少し増やして作ってみる?」

「いや、それだと差が出来るだろ。同じ量でやる」


 作る事自体をやめてしまうかと思ったが、作り続けるらしい。典子が準備してくれている分を受けとり、また握り始めた。

 咲良も典子から貰って作っていく。


「肉そぼろ完売でぇす。お塩もラップで良いかなぁ」

「うん、良いんじゃないかな。残った時その方が持つだろうし」


 そろそろ梅雨に入る。一昨日見たニュースではもうじきに、と言っていた。

 咲良も典子も、悦子の様に短時間で綺麗に仕上げられる腕が無いから、冷蔵庫に入れない事を考えるとラップ越しのが衛生的に良い気がする。

 

「桐野くん、こっちは楕円形で」

「なんでだ?」

「具が違うから、一目で分かるように」


 なるほど、と咲良の真似をして楕円でおにぎりを作っていく。

 お米の扱いに慣れたからか、楕円のが楽なのか、桐野がひょいひょいと作っていくため、あっという間に完成した。

 全部をお盆に乗せていると、居間のドアが開いて遼が入ってくる。


「お疲れー」


 今度は新條もソファに座ったままだ。流石にあれだけ噛みつく遼には近づきづらいのだろう。

 遼はちらりと二人を見て、台所に来た。


「完成?」

「うん。あとは配膳だけだよぉ。お祖母ちゃん呼ぶ?」

「うんにゃ」


 食器棚からお椀を出しながら聞いた典子に首を振り、遼は戸棚を開けて紙コップを出した。


「母さんたちは祖母ちゃんと部屋で食うって。咲ちゃん、そっからお盆二つ出して」

「二つ?」

「母さんと父さんと祖母ちゃんで一つ。もう一個はあいつら」


 嫌そうな顔で紙コップに味噌汁を注ぐ。それを咲良が出した盆に乗せると、並べておいたおにぎりをそれぞれ三個づつ取って居間に出た。


「おら、恵んでやるから親父と食え。田原もあっち行け」

「てめぇ」


 気色ばんだ田原に新條が慌てて止める。


「あの、」

「ここで食いたいとか言うなよ。お前がいるのは親父の看病のためだろ」

「お父さん寝てるかも……」

「怪我人がいるから飯やるっつってんだ。残ったらお前らが食えば良いだろ」

「………」


 取り付く島もない遼の様子に、台所から自分たちの分を運んできた咲良たちに縋るような眼を向けてくるがどうしようもない。

 しばし無言の間が空き、動きのなさに痺れを切らした遼が田原にお盆を押し付けた。


「おいっ」

「ほら、割り箸。ドア開けてやるから、とっとと行け」


 こぼれ物の入ったお盆を渡されてしまえば、田原も遼に噛みつく事が出来ないらしい。忌々し気な顔をして、居間から追い出されていく。

 新條も田原が行ってしまえば着いて行かないわけにもいかず、ちらちらと振り返りながらだが居間を出て行った。


「あー、すっきりした」


 二人が新條の父がいる和室に入るのを見送ったのだろう、遼が戻ってくる。後ろには階段で待機でもしていたのか、二階にいた孝志やルイス、悦子がいた。


「お母さん、お父さんはぁ?」

「一足先にお祖母ちゃんの部屋よ。お母さんも行くわね」


 準備しておいた三人分のお盆を受け取り、遼にドアを開かせて悦子が出て行く。すれ違いざまに遼に何か囁き、遼は苦笑して頷いた。


「うし、食うか」



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