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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
47/136

11



 駅近くにある道路は静かだった。

 時刻は朝の七時半を少し過ぎたあたりで、いつもなら通勤や通学の生徒が行きかい騒がしいくらいのはずだというのに、今日は人の姿がまるで無い。

 その道路から一本横道に入った路地では、足を引きずるように歩く起き上がった死者たちが二人ほどうろついているが、どちらも一様に少し俯いたような姿勢のまま、互いに干渉せずにすれ違う。

 雨期だからか、少し重く湿度の高い空気が重苦しい。

 死してなお起き上がった者たちの負った傷から、血と腐敗したような臭いが漂ってくる気がして、遼はかすかに開けていた車の窓を閉めた。


「うあー……孝志、何分たった?」

「先生たちがマンションに入って、まだ五分だよ。ちょっと落ち着きなって」


 腕時計を見て答える孝志に、遼は呻く。


「マジか。じゃあエントランス抜けて部屋まで行ったくらい?」

「かもね」

「荷物まとめて戻るまでに、あと何分だ?胃に穴空きそう」

 

 ため息をつきながら段ボール箱を抱え直す親友を横目で見ながら孝志は苦笑し、車の窓の外を監視する役目を続ける。


「何かあったら連絡すれば大丈夫だよ。二人とも強いし」


 苦笑する孝志に遼の乾いた笑いが被る。


「あはは……マジで、あそこまで強いとか、もう笑うしかねぇ」

「ああ、うん……ちょっと想像を絶してたよね」


 孝志も自分の膝の上にある戦利品を抱え直しながら、さっきまでの攻防を思い出した。




 彼らが目標の学校ビルに辿り着いたのは七時少し前だった。

 迂回に迂回を重ねたため時間がかかったものの、車は比較的スムーズに目的地に辿り着けた。裏道に詳しい遼と、人影を見かけたらすぐさま迂回するルイスの連携のおかげだ。

 滑るようにビルの前の国道を避けて横道を通り、学校ビル裏手の小さな駐車場に車をいれる。

 駐車場は奥に何台か車が停まっていた。基本的に学校の教職員用の駐車場なので、誰かが学校に残っているのだろう。

 その事に不安を覚えながら、あえて車を通路の真ん中にとめる。

 見晴らしが良くて乗り降りしやすい位置だからだ。あの死者たちがどこかのドアに張り付いても他のドアが使えるし、切り返しせずに駐車場から逃げる事も出来る。

 裏道通りだから未だ誰の姿も見えないが、いつ駐車場に誰がくるかも分からない。退路は常に確保しておくというのは、四人の共通認識だった。


 静かに車のエンジンを切り、手早く打ち合わせる。

 どこに入り口があり、どこに職員室があって、どうやって倉庫の鍵を開けるのか。倉庫の大まかな配置に、監視カメラの置き場所。

 桐野の質問に遼と孝志が答え、動きを決める。ルイスは車を守って留守番だ。いざという時、駐車場から出てビル正面で三人を乗せられるように。

 

 「行くぞ」と桐野は無造作に車を降りたが、遼と孝志は冷や汗をかいていた。

 散々ネットで情報を得ていた二人にとって、リアルに起き上がった死者たちと向き合うのは、これが初めてだ。アパートの隣人とは出会った瞬間逃げたので、最悪交戦するかもしれない今度の方が、緊張は大きい。


 堂々と歩いて行く桐野の後ろを、持ってきた透明のビニール傘を持って続く。

 口から心臓が出そう、と呟く遼に同意しつつ孝志は二人の後を追い、駐車場から続く小道を抜け、学校前の広い国道に出た。


 目に飛び込んできたのは細い煙だ。

 国道の先の方、学校前のカーブを曲がったその先、目視は出来ないが随分先の方で、事故でもあったらしい。だというのに野次馬も救急車のサイレンも聞こえない。

 誰もいない。

 いつもは車通りが多い大きい道路なのに、走る車の姿も駅に向かう人の姿も無い。妙に白々しい空気が漂っている。

 思わず足を止めた遼と孝志を気遣ってか、一緒に足を止めていた桐野がもう一度行くぞ、と言い、学校ビルの階段へと足をかけた。慌てて二人は後を追う。

 とんとん、と短い階段を上がれば、ガラスドアが三人を出迎えた。


 両開きのガラスドアは金属製の持ち手を手前に引いて開くタイプだ。今時自動ドアじゃない上にやたら重い、と生徒には不人気だった。

 その透明なガラスの向こう、小さなエントランスには起き上がったとおぼしき数人の教師や生徒がいた。

 エントランスは正面に小型のエレベーターとその脇に階段、右手に職員室のドアがあり、左手には倉庫のドアがある。

 ガラスドアのこちらから見れば、職員室のドアが開いておりそこから教師が、階段から生徒が出てきているらしかった。


「うわぁ……講師多いなぁ」

「良かった……生徒は知らない子ばっかだ」


 呻いた遼と、知り合いがいない事に少しほっとした孝志に、桐野が目くばせする。

 動きを止めていた二人は急いで配置についた。事前にたてた計画で、ドアを二人が開き、桐野が切り込んでいくと決めていたのだ。


 だがガラスドアの取っ手を掴んだ手には冷や汗が浮かんでいた。

 ガラス越しに見える景色は、二人にとって恐怖でしかない。

 アパートの住人一人でも怖かったのに、それより多く歩き回る死者がいるのだ。

 みんな目がうつろで、誰も彼も大怪我を負っている。

 だというのに痛みを感じている様子がまるでない。中には顔の大部分を食いちぎられたのか、大きく顔が欠損している講師もいるのに。

 ただの怪我なら、自分が同じような怪我をした時を思い出したり想像したりして共感し、痛みで苦しんでいるだろう相手に声をかけたり励ましたりするだろう。

 だが彼らは痛みを想像すら出来ない怪我を負いながらも、何でもない顔で歩いているのだ。その姿にわいてくるのは共感ではなく、嫌悪感に近い拒否感と恐怖だった。


 胃から何かがせりあがってきそうだ。

 ぐっと鳴る咽喉を無理やり抑え、二人は閉じそうになった目を見開く。

 遼も孝志も現実に喧嘩をした事は無くても、映画や漫画、ゲームなどで主人公が闘うのは何度も見た。主人公は敵から目を離さない。目を離した隙に相手が飛びかかってきたら負けるからだ。

 鉄則だろ、と歯を食いしばりながら遼が呟けば、孝志も異常な現実を見据える恐怖を抑え込んで正面を向いた。


 蒼白な顔でそれでも前を向く二人を横目で見てから、桐野はふと小さく笑い、開けてくれ、と告げる。

 遼と孝志はこの人数だとさすがに桐野の負担が大きすぎるんじゃ、と危惧したが、だがもう一度「大丈夫だから、開けてくれ」と言われて取っ手を掴んで力を込めた。


「……行くぜ?せーのっ」

 

 目くばせして二人で同時にドアを開く。

 瞬間、開いたドアに気づいた死者たちが迫ってくるより先に、桐野が踏み込み、モップを一閃させて入り口付近の相手を殴り飛ばした。

 

「えええぇ?!飛びすぎだろ……」

 

 呆然と遼が呟く。どんだけ力があるんだ、と続いた言葉に振り返る事無く、桐野はまた数人を同じように殴り飛ばした。

 巻き込まれて団子になった人間が起き上がるが、その都度モップで殴る。普通の人間なら骨の一本や二本折れて痛みに呻いているだろう。

 だが彼らは延々と起き上がっては殴り飛ばされていく。

 桐野は相手の怪我など気にもせず、どんどんと殴りながら、彼らを一方向へと纏めていった。


 鮮やかなあしらいぶりに、遼と孝志はガラス扉をくぐりながら、唖然としてしまった。

 目の前で暴力を振るう人に対する恐怖より、淡々とした決められた作業のような動きに「なんかの撮影か」という感覚すら浮かんでくる。

 だが、内側に入ってすぐ鼻をついた異臭に、これは現実だと思い知らされた。

 血の匂いと、何かが腐ったような臭い。

 それが閉じられたままだったドアの中で充満していたのだ。また気分の悪さがぶり返してきたが、何とか堪えてあらかじめ決めていた通り動きだす。


 事前の作戦で、職員室のドアが開いていたら職員室に押し込める、と決めていた。

 ドアが閉まっていたらそこに立て籠もっている人間がいるかもしれないが、開いていたらもう死者たちに蹂躙されているだろうから、遠慮なく利用する。

 職員室にエントランスの死者たちを閉じ込めたら、ドアを閉めてエントランスに置かれた大きな観葉植物の鉢を前に置く。そうやってある程度の安全地帯を確保してから、倉庫へと向かう手はずになっていた。


 ゆえに二人は外を見張りつつ、桐野の動向をうかがい、重たい観葉植物の鉢に手をかけた。

 そのまま鉢をずりずりと引きずりつつ、桐野の後ろで待つ。

 だが意外に残っていた数が多かったせいか、中々職員室に入りきらない。

 一人押しやると、先に入れていた一人が出ようともがき、次に押しやる一人が押し戻されてくる。乗車率百二十%の電車に客を詰め込むようなものだ。しかもその乗客たちはこちらに出てこようとしているし、噛みつこうとする。

 桐野は息が切れた様子も無く彼らをあしらっているが、今の調子ではまだまだ時間がかかるだろうし、いつかは桐野も疲れてくるだろう。


 一進一退の攻防にじりじりとし、何か手伝えないかと遼はポケットに手を突っ込んで、ふと指先に触れたものに気づいて引っ張り出した。

 前に典子がくれた飴玉だ。ポケットに入れたまま洗濯してしまったのだろう。個包装の袋がよれてぐしゃぐしゃになっている。

 母に見つかったら大目玉間違い無しの状態。ポケットに物を入れて洗濯すると、場合によっては他の洗濯物にそれが付着するため、悦子に猛烈に怒られる。

 そういやティッシュを入れたままだった時は、洗い直しと洗濯機の掃除を命じられて散々な目にあったなぁ、と思い出し、遼は証拠隠滅と膠着した今の状態を打破するのに使う事にした。

 飴玉の包装を開き、崩れて楕円形になった飴を取り出すと、振り被る。


「うらっ!」


 気合を入れて飴玉を職員室に投げ込んだ。

 歪な形の飴玉は押し合いへしあいをしている死者たちの頭上を越え、職員室に飛び込んでいく。ついで、カターン、カンカン、と飴玉が机にでもぶつかったのか、硬質な音がした。

 その音に職員室内に押しやられていた数人がのろのろと向きを変える。音に反応したのだ。

 よし、と遼はガッツポーズをとる。

 あれらが音に反応する、というのはネットで読んで知っていた。ただアパートの隣人には実践する機会が無かったため、ようやく試せた。

 やったぜ、と無言で孝志を見ると、親指を立てて褒められる。にやっと笑った遼に笑い返し、孝志がポケットからスマホを取り出した。

 首を傾げる遼に、画面をタップして見せる。表示された番号に遼はぽかんと口を開け、それからぐっと親指を立てた。いけ!とばかりの笑顔に孝志は苦笑しつつ、コールする。

 呼応するように職員室の奥から呼び出し音が響いた。

 孝志が学校に電話をしたのだ。

 軽やかな電子音に、職員室から出ようとしていた数人がのろのろと振り返り、音に吸い寄せられるように奥へと入っていく。

 そうして相手取る人数が減れば、あとは桐野の腕力の勝利だった。


 観葉植物の鉢を職員室前と、エレベーター前に配置する。

 狭いエントランスがより狭くなる、と不人気だった観葉植物の鉢はどっしりと重く、きっとしばらくは持ちこたえるだろう。他にも邪魔者状態だったベンチや学校の資料の入ったラックを動かし、階段前にもバリケードを作り上げた。

 それから三人で倉庫の前に立つ。


「開くと良いけどねぇ」


 倉庫の鍵は番号を入力する電子キーだ。鍵が無いので暗証番号を知らないと開けられないのだが、二人は監視カメラの設置のために何度か出入りしていたため、知っていた。


「番号が変わってないのを祈る!ゴクローサン!」


 ピ、ピ、と五、九、六、三と押すと、カチャ、と小さい音がしてロックが外れた。

 よっしゃ!と喜ぶ遼の横で、孝志は半笑いだ。教師陣が忘れないように語呂合わせの暗証番号にしたと聞いた時は、だからと言ってこのセンスは無い、と二人になって突っ込んだが、覚えやすさは抜群だった。

 横で一連の作業を見ていた桐野は不思議そうな顔をした後、ゴクローサン=五九六三を理解したのか、微妙な顔になっていた。


「開いたぞ、桐野くん。そんじゃ倉庫あさりだ!」


 遼一人だけが絶好調で、嬉々として略奪宣言をしたのだった。


 

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