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しばらく遼たち男子サイドが続きます。
「さっきの念押し可笑しいって」
ルイスの運転する車の中、緊張の面持ちで後部座席に座っていた孝志が横にいる遼を突いて小さく苦笑する。
透明なビニール傘の留め具をいじって遊んでいた遼は、友人の突っ込みに肩をすくめてみせた。
「いやぁ、うちの母さんお人好しだからさぁ」
「だからって「変なの家にいれるな」て。子ヤギじゃないんだから」
「お母さんヤギはオオカミやっつけるけど、うちの母さんはなぁ」
やれやれ、と軽口を叩くが、遼も孝志もそれが緊張からくる異常なテンションなのは自覚していた。
咲良たちにも言った通り、二人とも戦闘力は皆無に等しい。アパートから脱出も出来なかったくらいだ。テンションをあげていないと泣き言を漏らしそうなのだ。
それを自覚しながら、空元気で笑う。
「優しいもんね、おばさん。とてもじゃないけどオオカミの腹裂いて縫って、なんて出来なさそう」
「まぁ、やってやれない事はないだろうけど。うちの母さん元看護婦だし」
「看護師だろ?」
「や、昔の肩書だから看護婦でオッケー。俺が生まれた時に辞めてっから」
「オオカミと七ひきの子ヤギ?」
饒舌に会話を交わす二人に、運転席のルイスが小さく笑いながら尋ねる。
「ああ、はい。あれって母ヤギが結構怖いですよね」
孝志が苦笑して返す。
ルイスも運転しながら頷いた。
「まぁ、過剰な反撃かな。でも後の事を考えたら、二度と悪さが出来ないように始末をつけるのは現実的かもね」
ほら、とルイスは前方を指さしながら、運転を続ける。
「行きも見た個体だよ。ここから動かないのかな。また迂回しないといけない」
道の真ん中で身体をゆらゆらしながら突っ立っている人間は、明らかに起き上がった死者たちの一人だろう。血で汚れたシャツと折れた腕をぶらぶらさせている姿は、確かに行きにも見かけて道を一本迂回して避けた相手だった。
うげぇ、と遼が声を漏らす。
「地縛霊かよ」
「ジバクレイ?」
「えーと、人間が死んだ時、大体は無念の思いなんかがある人が、幽霊になってそこに留まるっていう考え方です。その地に縛られる霊、というのかな」
遼の言葉にルイスが首を傾げたのを見て、孝志が解説をする。
流暢に日本語を話すルイスと桐野だが、二人はアメリカ生まれのアメリカ育ちだ。桐野は見た目は完全に日本人だが、ルイスは金髪碧眼で外国人、という印象が強いし、実際こういうローカルなネタは分からないらしい。
「なるほど、地縛霊ね。あれらもそういう性質なのかもな」
それまで黙っていた桐野が口を開く。
「アパートのやつもおびき出すまで、部屋の前をうろついていた。あれはあそこで死んだのか、自室に戻ろうとしてたのか、かもな」
呟いた桐野に、遼が「はいはい」と手をあげた。
「ネットで見た感じだと、案外移動してるのもいるみたいだぜ。帰巣本能があるんじゃないかって話」
「帰巣本能?」
「まだまだ予測だけどね。隣人があれになったやつが自宅の窓から隠れて見てたら、そばを人が通りかかると追いかけるんだけど、人の気配が無くなると隣人の家の前まで戻るんだって」
「家には入らないのか?」
「鍵開けては入れないんじゃないかって話。前日普通に出勤した姿見て、翌日あれになって戻ってきたらしいけど、当然、家は施錠されてるから」
「それは……興味深いな」
だろ?と言う遼に運転席のルイスも頷いた。
「なら、あの彼も目の前の家が自宅なのかもね。やれやれ、迂回するよ」
そう言ってハンドルを切るルイスを横目で見ながら、桐野が心持ち振り返る。
「他に何か情報は無いか?」
「情報?」
「あれらに関して。俺が分かるのは、殴っても大した反応はしないって事ぐらいだ。逆上したり反撃されたりはしなかった」
「実体験に基づいてんなぁ。俺らの情報は主にネットだから、嘘か本当か分かんないのばっかだけど」
「それでも良い」
遼は孝志と顔を見合わせ、肩をすくめてから話し始めた。
「まず噛まれるとあいつらの仲間入りをするらしい。けど、すぐにじゃないし、ネット上じゃあ「噛まれたけど大丈夫」て人もいた。「時間の問題」て返すやつもいたけど、ある程度の時間は大丈夫っぽい」
「ああ。噛まれてすぐさま起き上がるやつは多くなさそうだな」
「それも実体験?」
「実体験と伝聞だな」
「なるほど。ネットにあげていい?」
「構わない」
桐野が了承すると、遼が隣りの孝志に頷く。
孝志が心得た様にスマホを操作しているのを桐野が眺めているのに気付き、遼が説明をする。
「デカい掲示板で情報交換してるんだ。呟いたり自分のサイトでアップしても、誰かが見つけてくれて拡散するのに時間がかかるから」
「なんでわざわざ拡散させるんだ?」
「そりゃ知ってる事は言いふらしたい!……てのは、まぁ冗談として、生存率あげるためかな。俺らだけ生き残っても仕方ないからなぁ。嘘くさい話アップするやつもいるから、玉石混交だけど」
肩をすくめる遼に、孝志が小さく笑う。
「ヒーロー気取りたい人とか、現実とフィクションがごっちゃになってる人はちょっと要注意。だけど、大半は隠れて観察したレポートだから、そこそこ信用は出来るかな」
「君子危うきに近寄らず、てね」
「その割に君たちは外に出るのを選択したよね。なんでかな?僕たちは君たちの学校に行って何をしたら良い?」
「そっか、あんま話してなかったっすもんね」
「うん。時間との勝負だって」
ちらりと外を見ながらルイスが笑い含みに言う。
「早ければ早いほど良い、のは人が少ないから?」
「はい。まだあいつらの人数が少ないうちと、普通の人たちがパニック起こす前に行って帰ってこられるのがベストかな、て」
昨日、と遼は孝志に目配せして続ける。
「二人でネット見ながら話し合ったんですけど、この騒動ってすぐに収束すると思えねぇんですよ」
「爆発的に広がってる上、対応策はいまだ不明。テレビは家から出るな、しか言いませんし。……先生たちはアメリカで訓練をされたって典ちゃんに聞きました。強いって」
孝志は運転席と助手席の二人を見て言い、それから苦笑した。
「俺たちはお二人に助けてもらえるまで、アパートから出る事も出来なかった。そもそも戦い方を知らないんです」
「俺ら避難訓練はしても戦闘訓練とかした事ねぇからなぁ」
そんなのやってる日本人のが少ないよ、と遼のボヤキに孝志は苦笑しながら続ける。
「多分、あの起き上がったのに初めから立ち向かえるのは、警察官か自衛隊くらいで……でも彼らにしても防衛が主な任務ですから、攻撃は不得手なはずなんです。暴力団とかそういう人じゃない限り、一般人には反撃は難しいと思います」
「日本は平和だもんね」
ルイスと桐野が頷く。二人にしても昨日からのパニックを身近で見て、思うところがあるのだろう。
実際、高校の中で無事に残った人数は驚くほど少ない。未成年で経験値の少ない子供たちはともかく、成人していた教師の多くが成す術もなく襲われ、死者になってしまった、という事だ。
「暴力に慣れてないんですよね。兄妹が多い家は取っ組み合いの喧嘩をする、なんて聞いた事はあるんですが、俺の様に一人っ子だったり、遼のように男女の兄妹だと、身内での喧嘩すら縁遠い」
「典子相手だとデカい声出しただけで怒られるしなぁ。学校でだって取っ組み合いの喧嘩なんかしたら、親呼ばれて大事だぜ」
「柔道とか空手とかでも、基本的に相手に怪我をさせないようにルールがありますし……暴力に接する事がほとんどない生育環境の人間が多いんです。もし掴みかかられたとしても、咄嗟に相手を突き飛ばすのすら難しいと思います」
ああ、とルイスが納得したように声を漏らした。
「そういえば学校で採用された時も、そんな話を聞いた気がするよ。暴力は絶対駄目だから、何かあったら報告してくださいって」
「教育委員会とかうるさいからなぁ。口喧嘩でも色々言われるし」
嫌な事を思い出したのか、遼が顔をしかめる。
それに苦笑して孝志は話を元に戻した。
「つまり日本人の多くが、身を守れない。襲われて彼らの仲間になってしまう。そうなるとあの起き上がる死者たちの数は増える。倍々ゲームみたいになってしまうと思うです」
「うん。言いたい事はよく分かるよ」
「あれが一人二人なら、警察でも自衛隊でも封じ込みが出来るだろうとは思うんですが、日本中で発生していますし、俺たちの予想通りになってしまっているのなら、数はどんどん増え続けているわけで……明日明後日にカタがつくとは考えられなくて」
孝志は昨日遼と二人で話し合った事を思い出し、小さくため息をついた。
アパートで不安を紛らわせるために、パソコンとタブレットで情報を集めたが、状況は良くなかった。
日本各地で多少のライムラグこそあるものの、発生している異常事態。
孝志の郷里の友人たちやネットのゲーム仲間など、知りうる限りの相手へと連絡をとって分かったのは、人口密集地帯はかなり被害がひどいという事、それは地方都市でも変わらないという事だ。
ただもとから人口の少ない村のような地域は比較的安全らしく、過疎地域に住んでいるというゲーム仲間はみんなに担がれている、とニュースにも半信半疑だった。都心部に住まう人間からは理想郷だろ、と突っ込まれていたが。
「そうそ。だからまぁ、俺らは長期戦も覚悟しないといけないなぁって、装備を揃えようって思ったわけです。あと、疎開。人口が少なきゃ、あいつらも少ないし」
なぁ、と孝志を振り返る。
上野家の本家に避難する、という案に、孝志は昨日の内に頷いていた。
孝志は実家と縁遠い。元より不仲な父親が再婚して家に居づらく、また父も同様なのだろう、県外の専門学校に行くから一人暮らしをしたい、と言った時も、すぐに送り出してくれたくらいだ。親に対しての情は、亡くなった母に対してしかなかったから、決断は早かった。
それに上野家には遼と典子がいる。孝志にとっては血の繋がった家族より、二人の方が大事だった。
「眞も僕もこっちに血縁者いないから正直有り難いんだよね。でも、その本家の方は良いのかな?事後承諾になっちゃわない?」
「まぁ、おじさんたちは良いって言うと思いますよ。元々田舎で男手が少ないし」
「なるほど。正しく労働力か」
助手席の桐野が軽く笑うと、誤魔化す様に笑いながら遼は手を振った。
「いやぁ、桐野くん咲ちゃんに固執してるみたいだし、良いかなぁって」
「それは」
「あ、でも泣かせちゃ駄目よ。咲ちゃんも俺の妹みたいなもんだから、嫌がるような事したら、お兄ちゃんは桐野くん苛めちゃうぜ?」
「………」
ついさっき自分は闘えないと言ったばかりの口で、遼は桐野に釘を刺す。桐野の方が戦闘能力は上だと認めた上で、だ。
本気なのか何なのか分からず口を噤んだ桐野に、遼はふひひと笑い、ルイスも小さく笑った。
「お兄ちゃんには勝てないね。さて、お兄ちゃん。次はどっちかな?」
「あ、右ですね。俺らの学校駅近のビルで、あ、てっぺん見えたな。あれです、あれ」
ひょい、と遼が指さした先にあるのは、灰色のビルの頭だ。
駅の向こうだからまだもう少しかかります、と孝志が追加する。
「うちの学校、普通サイズのビルが三棟あるんです。俺らの行きたい倉庫がある棟は小さい方で一階が職員室と倉庫になっているので、うまくやればぱっと行ってぱっと帰ってこられます」
駐車場もすぐ裏なので、と言う孝志に、遼が笑う。
「まぁ、先生たちが居残ってたらちょっと困るかもね」
「先生たちは人数が多いの?」
「いえいえ。まぁ、そこそこ講師はいるけど……うーんと、その、実は、取りに行く本命は監視カメラなんですけど、それ、俺らが買ったわけじゃなくてですねぇ」
ははは、と空笑いする遼にルイスが首をひねる。
「それは、もしかして学校の備品って事?泥棒になる、ていう意味かな?」
「んんん?あ、いや、でも、泥棒っていうか、漁夫の利っていうか?」
「?」
「うちの町内会も金出してるから、広義な意味では地元民の俺らのっていうか?」
明らかに怪しい挙動になった遼を孝志がフォローする。
「えーと、実は駅前の監視カメラは安いやつなんです。本当は今から取りに行く高性能カメラを設置する予定だったんですけど、それを先生が安いのに変えちゃいまして……」
「高性能カメラ二十五台買うとこを、安いの二十五台と、町内会のおっさんたちに買いましたよって見せる見本用に高性能カメラ十台買って、お釣りと高性能カメラを懐にいれちゃった、ていうね」
軽く言われて桐野は絶句した。
「それは……詐欺だろう」
「だよねー。でも知ってるのは先生と俺らだけなんだよ。先生は俺らが気づいてるって知らないだろうけど」
「?どういう意味だ?」
「いや、たまたま俺は回覧板で高性能カメラだって知ってて、でも設置した時にこれ安いやつだよね、て気づいてさぁ」
「不正ですから、先生もカメラが無くなっても誰にも何も言えないはずだから、じゃあ、こんな緊急事態だし、貰っても良いかなって……」
困ったような顔の孝志と違い遼は開き直ったのか、いっそ清々しく笑った。
「悪い事はしちゃ駄目だよねぇ」
「知ってて取りに行く俺らも俺らだよ、遼」
やれやれ、と肩を竦めた孝志だったが、その顔にも躊躇いの色は無かった。




