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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
42/136

6

「おう。お帰り」

「お父さん!」


 居間に飛び込んでいった典子に、典子の父親である勇が手をあげて応える。

 次いで居間に入ったルイスに頭を下げた。


「こんな格好で失礼します」


 ギブスで固定された足でソファから立ち上がろうとするのを、ルイスが制する。


「座っていてください」

「ありがとうございます。うちの娘と息子がお世話になりまして」

「いえいえ。僕は大したことをしていないので」


 ぺこ、と頭を下げる勇に、ルイスがお辞儀を返す。

 その様子を居間に入ってすぐのところで見ていた咲良に、悦子が声をかけてきた。


「咲良ちゃん、あのね、こっちに移ってこない?」

「おばさん?」

「中原さん、まだ帰ってないのよ」


 上野家は咲良の事は名前で、父の事は中原さんと呼ぶ。


「咲良ちゃん一人であっちにいるのは不安だし、こっちにいても中原さんの車が入ってきたら、小町ちゃんが気づくと思うのよ」

「そう、ですね」


 小町はいつも父の車が路地に入ってくると反応するから、きっと上野家にいても父の帰宅を教えてくれるだろう。

 じっと足元に寄り添う小町を見下ろしていると、視線を感じたらしい小町が真っ黒い瞳で見上げてくる。

 その姿を見ながら、咲良は悩んだ。

 咲良にとって一人での留守番は慣れたものだ。母が存命だった頃から両親は共働きだったし、当時は小町もいなかったから一人には慣れている。

 だが今はこの異常事態だ。

 家に一人でいるのは不安が残る。もちろん小町はいるが、何かあった時に相談しても返事は出来ない。本当は避難所になった学校に移動するべきなのかもしれないが、父が帰るまでは待っていたい。

 

「じゃあ、あの、ご厄介になってもいいですか?」

「もちろんよ」

「おばさんたちは避難所は……」

「それがねぇ……」


 典子たちの祖母の事があるから難しいかな、と思いつつ尋ねたが、悦子が視線を走らせたのはソファの方で男性たちに囲まれている息子の遼だった。


「おばさん?」

「あの子がねぇ、」

「はい、集合!」


 パン!と手を叩いて遼が注目を集める。

 何だろう、と思いながら悦子を見れば、悦子はため息をつきながら咲良を促してソファの方へと移動した。


「みんな適当に座って。あ、母さん、お茶は後でいいから」


 ソファセットの前に置かれたテレビ台の端っこに腰かけ、遼が手振りする。

 一人掛けのソファには勇が座り、三人掛けのソファにはルイスが、一つ開けて典子が座り、それぞれの後ろには桐野と孝志が立っている。

 咲良は真ん中の席を勧められて座った。悦子に譲ろうとしたのだが、悦子はお父さんのそばにいるわ、と勇の腰かけたソファのひじ掛けに軽く腰かけたからだ。

 一体何が始まるのか、と咲良が座ると同時に、遼が「まずこれ見て」とリモコンを手に取ったか。

 ピ、と軽い電子音がして、テレビがつく。


「なに、これぇ……」


 典子が引きつった声を漏らした。

 咲良も思わず息をのんだ。


 真っ赤な炎と黒煙。

 それが画面の随所に点在していた。

 斜め上からの映像なのか、立ち昇る煙が今にも画面から漏れ出てきそうだ。

 一体これはどこなのか、目を凝らすと炎と煙の中に車が見えた。

 どこかの道路を斜め上のアングルから撮っているらしい。

 広めの二車線で、燃えている車の幾つかは中央を仕切る鉄製の柵に突っ込んでいる。

 その事故車を避けようとしたのか、アスファルトには濃いタイヤ痕が走り、その末路なのか街路樹にぶつかってひしゃげている車もある。


 そしてその間を、人影がのろのろと歩いていた。

 何歳くらいの人なのか、髪はぼさぼさで、服もぐしゃぐしゃだ。男女の別もつかないその人の歩みには、すぐ横にある炎に対する危機感や恐怖がみじんも感じられない。

 昨日見た起き上がった死者たちの歩き方によく似ていた。

 絶句して画面を凝視していた咲良の耳に、アナウンサーらしき女性の声が飛び込んでくる。


『こちら放送局前の道路です。見えづらいかと思いますが、CGなどではありません。現実に起きている事です。どうか屋外に出ないようにしてください』


 切羽詰まったような声で、外に出ないように、と繰り返す。

 同じ内容が繰り返されたところで、遼がまたチャンネルを変えるが、どこの局でも場所は違うものの、言葉を失う様な映像なのは変わりない。

 燃える車、あがる黒煙、折れた街路樹、バイクや自転車が転がり、その間を人影が通り過ぎていく。

 まるでホラー映画かパニック映画だ。異常な光景に食い入るように画面を見ていると、不意に電源が落とされた。

 真っ暗になった画面に、一瞬沈黙が落ちる。

 

「……と、まぁこんな感じ」


 父さんたちは知ってると思うけど、と遼が父親をうかがうと、勇は大きくため息をついて頷いた。


「お前たちが帰ってきてなかったからな……気になってニュースを見てた」


 そう言う顔はよく見れば隈がひどい。

 我が子たちが一晩中戻らない上に、外では異常事態が起きていたのだ、不安でしょうがなかったのだろう。

 はぁ、とため息をついて顔をこする。


「うちの近所じゃ、どうの、て話は聞かなかったが……外はもうみんなあんなか?」

「分かんねぇ。孝志ん家のそばはそんなにひどくなかったし」


 なぁ、と話をふられて、孝志が頷く。


「ネットで調べたんですが、東京の、それも人の集まる都心部あたりが一番ひどいみたいです。テレビ局のあたりは人も多いですし」


 都心部、と聞いて咲良は心臓がぎゅっと掴まれたような気持になった。

 父が出張に行っているのは、正に都心部だ。

 社長と一緒に都内のペットショップなどに自社のペットフードの売り込みに行ったのだ。その途中に、どこかの区の保健所に勤めている友人の早瀬と一緒に昼食をとる、と言っていた。

 だから昼食時には確実に二十三区内にいたはずだ。

 

 さっと蒼褪めた咲良と同じように、勇も顔色を悪くさせた。

 咲良の父の勤めるペットフードの会社の社長は、勇の従弟の上野 卓己だ。卓己はちょこちょこ上野家にも顔を出し、勇たち家族とも仲が良い。

 昨日の出張先も勇は聞いていたのだろう。


「……都心部、と言っても広い。大丈夫だ、咲良ちゃん。中原さんはもちろん、卓己だって馬鹿じゃない。ちゃんと帰ってくる」

「はい……」


 辛うじて返事はしたが、不安は収まらない。

 勇が確実に大丈夫、と言わないのは、彼のところにも卓己から無事だという連絡はきていないからだろう。

 典子も悦子も二人の会話から、咲良の父も卓己も都心部で行方不明になっている、と分かったのか、不安そうな顔つきになってしまった。

 その空気を払拭するためか、遼はパン、と手を叩いて全員の注目を集める。


「……不安に思うのは分かるけど、先の事を考えようぜ」

「お兄ちゃん」

 

 抗議するような妹に、遼はため息をついた。


「時間との勝負なんだよ。今はまだここらだって安全だけど、すぐに飲み込まれる」

「遼」

「心配なのは分かるけど、自分たちが生き残る事を考えないと。卓ちゃんたちが帰ってきた時、俺らが全滅してたら駄目だろ」


 ぐ、と勇が息をのんだ。

 全滅、という言葉をすぐさま否定できないのは、ニュースで嫌というほど悲惨な映像を見たからだろう。大きく息を吸い、ため息をつく。

 父親のその何か諦めたような仕草に、典子がびっくりしながら兄を振り仰いだ。


「じゃあどうするのぉ?」

「最終的には疎開する」


 きっぱりと言い切って、遼はルイスと桐野に顔を向けた。


「うちの本家、山ん中にあるんです。人口が少なくて、自然が盛り沢山」


 ええと、と言いながらテレビの横にある雑誌入れから関東のマップを引っ張り出して、目当てのページを開いて差し出す。


「関東圏なんだけど、そりゃもう田舎で。山で猟も出来るし、川で魚も獲れる。自給自足も夢じゃない。ちょっとしたキャンプから本格登山まで出来るんだけど―」


 ここ、とテレビ台から立ちあがり、座っているルイスの膝の上に置くようにして、二人にマップを見せる。

 ルイスの背後から覗き込むようにしている桐野とマップを眺めているルイスに、遼はにっと笑って見せた。


「一緒に行きません?」



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