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おきあがり  作者: 鳶鷹
二章
40/136

4


「いやぁ、マジで助かった!感謝だわ」


 わはは、と笑いながら遼がハンドルを切る。

 咲良は助手席で荷物を抱えていた。運転席で上機嫌な遼と後部席で安堵の息をついている孝志は、ついさっき無事に孝志のアパートから脱出したばかりだ。

 

 遼の誘導に従い駅前から移動した後、ルイスは車を時折迂回させながらも、孝志のアパート前につける事に成功した。

 アパートの前に車を止めて観察してみれば、遼の申告通り、アパートの二階の廊下をシャツにズボンの男性がうろついている。

 男のシャツは赤黒く染まり、生身の人間なら病院に行くレベルだろう。だというのに、ふらふらと廊下を歩いているのだから、尋常じゃない。

 男は廊下を行ったり来たりしていて、一見すると男が自室の部屋の前にいなければ、部屋からは安全に出られそうだった。

 だがアパートの階段は一か所にしかなく、それも廊下の端っこについているため、どうしてもどこかで男とすれ違わなければ、階段を下りられない。

 それに、遼が男に驚いて逃げる際に廊下に落とした車の鍵を拾う必要があった。

 鍵が無ければ遼と孝志は車に乗れない。ルイスの車は軽自動車で四人乗りだからだ。遼と孝志と孝志の荷物を積み込むには小さすぎた。


 かくして男をどうにかアパートの一階におびき寄せ、玄関の中で息を潜めている二人を救出する事になった。

 桐野とルイスがたてた計画はシンプルだ。

 誰かが囮になって男をおびき寄せて一階まで降ろさせ、アパートから少し離れたところまで誘導する。相手は足が遅いから、囮はある程度距離を稼いでから、車に駆け戻る。

 もちろんその役は自分がやる、と桐野が言い、電話越しに話を聞いていた遼と孝志は大変慌てた。

 そんな危ない真似はさせられない、と、それはもう盛大に反対した。

 だが相手は一人だけだし、自分は昨日学校でそれ以上を相手にして無事だった、と淡々と言われれば、沈黙するしかない。最終的に危なくなったら自分らを気遣わず逃げる、という約束をして、遼と孝志はその計画を受け入れた。


 結果、二人は予想以上にすんなりと、無事に脱出したのだった。

 

「あの子すごいよなぁ、桐野くん?度胸が半端ねぇよ」

「ねぇ。びっくりしたぁ」


 似たような口調で上野兄妹が言い合う。

 それを聞きながら、咲良は抱えた荷物を持ち直した。服でぐるぐる巻きにされた中身は、パソコンらしい。

 このパソコンや工具類は、どうしても手放せない、と孝志と遼が持ってきたものだ。精密機器が多く一つ一つの梱包が厳重なため、ものすごく嵩張っている。


 当初ルイスの車の中から桐野の囮作戦を手に汗握って見ていた咲良と典子は、遼と孝志が両手いっぱいどころか、背負うと言うより荷物に覆いかぶさられるように現れたのを見て、絶句した。

 どれだけ厳重に梱包したのか、どれだけ持ち出したいものがあるのか、荷物の重みでよろよろと出て来た二人は、脅威だった男性がいなくなっていたにも拘らず、十分危険に見えた。今にも階段から落ちそう、という意味で。

 びっくりしなかったのは、その光景を見ていなかった桐野だけだろう。

 孝志がよたよたと階段の手すりに掴まったのを見て、典子が弾かれた様に車から飛び出て、咲良もつられて一緒に走り出していた。

 外は危ないかもしれない、という意識は働かなかった。むしろ、遼たちが階段を踏み外す未来のが容易に想像できてしまったのだ。

 後ろで我に返ったルイスが制止する声をあげたが、足は止まらず、結局咲良たちは二人が階段を下りるより早く、彼らのもとに辿り着いて荷運びを手伝う事になった。

 

 荷物に潰されそうになっていた二人を手伝った咲良と典子だったが、自然な流れで典子は路駐していた自分の家の車に乗り込み、咲良もつられてそちらに乗った。

 乗ってからルイスの車に乗った方が良かったのか、とはたと気づいたが、咲良が車から降りるより先に、荷物を運ぶ手―荷台で転がらないように抱えて欲しい荷物があると判断した遼が、走って戻ってきた桐野に交渉して手渡し、そのまま荷物のいくつかがルイスの車に、咲良たちは上野家の車に乗っている。


「荷物も積んでくれたし、助かるわぁ。あの先生、見た目が外国人でちょっとびびったけど、日本語出来るしラッキー」

 

 遼はご機嫌でハンドルを切るが、咲良はちょっと気まずい。

 なにせ彼らを、特に桐野を荷物持ちのようにしてしまっている状態だ。ルイスの運転する車はぴったりと後ろについてきてくれているが、怒ってはいないだろうか?

 不安を感じるが聞く手段も無い。

 どうせなら学校を出る前にメールアドレスか電話番号を聞いておけば良かった、と思うが後の祭りだ。咲良も典子も、桐野とルイスの番号を知らない。

 ちらっとスマホを取り出して見てみるが、誰からの連絡も無かった。


「あ、もしかして咲ちゃんの彼氏?あの子」

「えぇ?」


 鼻歌を歌いそうハイテンションさで遼に聞かれ、咲良はまたか、と固まった。


「え?だって、なんか典子が言ってたからさぁ。すっげぇ咲ちゃんにご執心の男の子がいるとかなんとか―て、馬鹿典子!シート蹴るな!」

「蹴ってないもん!押したんですぅ。じゃなくて、お兄ちゃん!咲ちゃんに告げ口とかしないでよぉ!」


 馬鹿馬鹿、と遼のシートを後ろからがくがく揺らす典子に、孝志が「落ち着いて典ちゃん」とあやす声を聞きながら、そういえば随分自分も桐野に慣れたな、と咲良は思う。

 あの妙に強引な近づき方に怯えていたのに、夕べは肩を借りて寝てしまったし、今ではスマホの番号を交換していないのを不思議に思っているのだから、慣れというのはすごい。それとも昨日のあの異常事態を経験すれば、誰でもそうなるのだろうか。

 ぼんやりそんな事を思っていたら、典子が焦ったように「咲ちゃん、違うの。付き合ってるとか、私言ってないよぅ」と今度は助手席に向かって身を乗り出してきた。


「あ、うん。大丈夫。典ちゃんが心配してくれてたの、知ってるから」

「違うのかぁ。俺が女の子だったら、絶対惚れるわ、あの男前。顔が良くて身長高くて強い……イケメン爆ぜろ!」


 遼は褒めている間に思うところがあったのか、さり気なく呪詛の言葉を吐く。それからはぁ、と大きなため息を漏らした。 


「強いってのは、重要だよなぁ。ほら、ゾンビ映画じゃ主人公の重大要素だし。お、だったら俺、主人公のブレインやろー。孝志と二人でオタクの名脇役」

「ねぇ、ゾンビってあれだよねぇ、お兄ちゃんが好きな映画。やっぱりあの人たちって、そのゾンビなのかなぁ」

「そうなんじゃね?孝志と二人でネットで色々調べたけど、すごいゾンビっぽいぞ」


 妙に力強く頷く遼を疑わし気に見る典子に、孝志も頷く。


「うん。ネット上だと『ゾンビ』とか『リビングデッド』とか呼ばれてた」

「リビングデッド?」

「蘇った死者、とか生きている死体、ていう意味かな」


 孝志の説明に典子と二人でへぇーと声をあげた。

 その様子をバックミラーで確認しながら、遼が続ける。


「俺らの世代より上のおっさんたちが集まる掲示板だと『不死者』とか『起きあがり』とか呼ばれてたぜ。何度も起き上がってくるからって。日本語のが響きが怖ぇよなぁ」

「あ、学校の先輩も、起き上がったやつら、とか呼んでたぁ」

「おぉ、なんか似たような表現になるんだなぁ」


 起きあがり、と咲良は口の中で呟く。

 桐野が蹴ろうが殴ろうが何度でも繰り返し起き上がってきた姿を思い出し、ぞっとしたが、同時にひどく腑に落ちた。

 きっとその名で呼んだ人も、そんな場面を目にしたのだろう。

 納得したように頷いた咲良に、遼がおや、という顔をする。


「咲ちゃん、もしかして生で起き上がりっぷり見た?」


 俺らネットにあがった動画でしかちゃんと見てないんだけど、と遼に尋ねられ、もう一度、今度ははっきり頷いた。


「痛みとか感じないみたいで、何度倒しても起き上がってくるの。でも怒って反撃してくるとか、そういうんじゃなくて……」


 遠藤や二年の廊下で遭遇した相手を思い出すが、あの表情がなく虚ろな瞳をした人々の、異常な執着心のようなものをどう説明したら良いのか分からず、言葉が尻すぼみになってしまった。

 フォローするように典子が言い足す。


「勅使河原さんもずっと無表情だったよねぇ。あのねぇ、咲ちゃんとはぐれちゃった後、屋上で何人かと会ったんだけど、その人たちもそっくりだったよぉ」

「え!典ちゃんたちも会ったの?」


 うん、という典子に驚く。

 てっきり何事もなく無事に体育館に移動したと思っていた。

 

「あ、でも大丈夫だったよぉ。ルイス先生がすぐに追っ払ってくれたのぉ」

「ルイス先生?ってあの先生だよな?」


 あの、と後ろの車を指さす遼に、典子がこくりと頷く。


「そうだよぉ。箒でこう、えいって押したり、転ばせて上からぎゅうぎゅう押したりして、道を作ってくれたんだぁ」

「へぇ……先生も強いのか」

「みたいよぉ。何かねぇ、アメリカにいた頃に訓練したんだってぇ。自衛隊の人は民兵?とか言ってたよぉ」

「民兵?すげぇな、アメリカ。そんなんいるのか。あそこって―おっとアレな人発見。迂回しまっす」


 遼は危なげなくハンドルを操る。タクシー運転手の父親に似たのか、運転はうまいし裏道もよく知っている。

 ルイスが前ではなく後ろについているのは、それを聞いたからだろう。荷物を積み込む時に何をどう話したのか咲良は知らないが、快く先導を譲ってくれた、と遼は胸を張っていた。


「で?なに、遼。言いかけたけど」

「あーと、なんだっけ。そだそだ、アメリカって徴兵制なんかな、て。ほら、よく映画でも一般人がいきなり銃ぶっぱなしてだろ?あれって慣れてないと難しいっしょ。俺、今ショットガン渡されても撃てる自信がまるで無ぇんだけど」


 裏道に入りながら、バックミラーでルイスが着いてきているか確認しつつ、遼が言う。


「当たる当たらないじゃなくてさ。精神的にも無理だけど、物理的に無理っていうか、そもそも銃の構造が分かんねぇし」


 ああ、と遼の言葉に咲良と典子は頷いた。

 海外の映画などで見た感じだと安全装置というものを外してから撃つらしい、という想像はつくのだが、実際に渡されてもあんなにスムーズに動かす自信は、確かにない。


「けどさ、民兵?って事は、あの二人は銃もだけど闘い方を知ってるって事だよなぁ」


 うーん、と何かを考えているのか黙り込んでしまった遼に代わり、孝志が口を開いた。


「強いか強くないかって言ったら、まぁ俺たちよりは確実に強いよね」

「まぁ、そりゃあなぁ。性格だって悪くないだろうし」


 なにせ文句も言わずに荷物を運んでくれてるし、と遼はちらりとバックミラー越しに後続車を見た。


「率直に言って、どう?咲ちゃん的に。あの二人の性格」


 不意に話を振られて、咲良は戸惑った。

 性格がどうの、と言えるほど親しくはない。特にルイスは非常勤扱いの講師で、週に一度顔を見ればいい方だった。ただ、


「性格は、悪くはない、と思う。わりと躊躇いなく、その、殴ったり出来るみたいだけど、私たちに対して暴力的なとこは無かったし、ずっと助けてくれてたし。結構切羽詰まった状況でも、桐野くんは私の事、見捨てたりしなかったよ」


 教室に籠城して耐久性に問題がありそうなカーテンロープを作っていた時も、恐怖で動けなくなりそうだった咲良を抱えて運んでやる、と言ってくれた。

 足手まといにしかならないだろうに、怒鳴る事もなければ言う事を聞かせようと力に訴える事も無かった。


「ふぅん。したら、典子的にはどうよ?」

「えぇ?えーっと、優しいと思うよぉ。屋上からの移動中にね、転んじゃった子がいたのぉ。その子に手ぇ貸してあげてたもん」

「なるほどなぁ」

「あ、あと、包帯巻くのがうまいかなぁ」


 ねぇ、と典子にふられて、自習室で林の腕の手当てをしていたのを思い出す。

 確かに手馴れていた。


「マジか。天は二物どころか三物、四物与えた上にナイチンゲール力まで装備……」


 世の中って不平等だぜ、と嘆く遼だったが、言葉ほど不平があるわけでも無いらしい。むしろどこか楽しそうというか、嬉しそうだ。

 典子も言行不一致な兄に不思議そうな顔をする。

 だが典子が理由を問いただす前に、遼がハンドルをきった。

 

「まぁ、後ろの二人がむかつけないほどすごいのは分かった。問題は俺らだなぁ」

「遼ちゃん?」

「世の中ギブ&テイクだよ、咲ちゃん。あ、ルイス先生って結婚してる?」


 突然の問いに典子と顔を見合わせたが、二人とも知らなかったから首を振った。


「うーん。じゃあ聞いてみるっきゃないかな。お、そろそろ着くぞ」


 何を、と思ったが、見覚えのある景色に意識がそちらに移った。

 もう少し行けば、咲良たちの住まう住宅街だ。

 家に帰れるまで、あともうほんの少し。

 たった一日しかたっていないのに懐かしい風景に、咲良は安堵の息を漏らした。



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