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非常階段を降りれば、体育館はすぐだ。
降りてきた非常階段をぐるりとまわる形で移動する。
非常灯だからか仄かな明かりが窓から漏れる体育館へと向き直ると、途端に風が強く吹き抜けて、咲良は慌てて目を瞑った。
体育館と校舎の間は風が強い。
どちらもそれなりに高い建物だからか、ビル風の様に突風が吹きやすいのだという。
しかも学校の裏手に新しく出来たマンションのゴミ捨て場が近いせいで、普段から強風の日はよくゴミが舞っていた。
「わ」
もう一度強く吹いた風に、木の葉やコンビニのビニール袋が乗って飛んでくる。隣の渡瀬が悲鳴をあげて愛犬を胸に抱え込み、慌てて頭を下げた。
その上をお菓子の空き箱らしきものが凄い勢いで飛んでいく。
咲良は自分も頭を庇いながらゴミの行方を目で追っていたが、ガランガラン、という金属音が聞こえて首を巡らせた。
「危ないっ」
叫んだのは咲良だけでは無かったが、叫ばれた方―この小隊のリーダーらしき人物はほぼ斜め後ろから飛んできていた物に気づくのが一瞬遅れた。
「っ!」
ガツン!という音と一緒に、リーダーが持っていた懐中電灯が金属製の小さな看板と一緒に飛んでいく。
吹き飛ばされた懐中電灯は植込みに落下して明かりが消えた。落ちた衝撃でスイッチが押されたか、植込みの密集で遮られたかしたのだろう。
幸いリーダーの手に看板は直撃しなかったのか、大丈夫だというように軽く手首を振って周りを安心させた。
その様子に皆がほっと息をついたが、すぐに今度は壊れた傘が飛んできて、慌ててそばの隊員が盾でそれを弾く。
「ひ――な」
じりじりと体育館に近づきながら、桐野が顔を顰めて呟く声も風に流されて途切れがちだ。
なんて言ったんだろう、と咲良は風でぼさぼさになって視界を遮る髪を抑えながら桐野を見上げる。
その問う様な視線に気づいた桐野が軽く腰を屈めて咲良の耳元に顔を寄せて口を開きかけ、ぎょっとしたように身を引いた。
「?」
何が、と桐野の視線を追えば、渡瀬の腕の中、キナコを見ている。当のキナコの方は何が嫌なのか、鼻の頭に皺を寄せて唸っていた。今にも噛みつきそうな顔だ。
これは犬に慣れていない人には小型犬でも怖いだろうな、と思いつつ、渡瀬に声をかける。
「先輩、キナコちゃんが」
「あれ?どうしたの?キナコ?」
抱えていた渡瀬には愛犬の顔がよく見えていなかったらしい。
咲良の言葉に愛犬を抱え直して宥める様に小さな背中を撫でるが、キナコの表情は変わらない。どこか警戒するように垂れている耳をたてて低く唸っている。
「なに、ひゃっ!」
渡瀬が突然飛び上がり、周囲の人々が足を止めて渡瀬を見る。
「す、すみません。なんか足にあたって」
「あ。空き缶ですよ、先輩」
足元を見下ろせば、咲良と渡瀬の足の間にジュースの缶が転がっていた。
このままだと踏んで転ぶかも、と咲良は膝を折ってそれを拾い、渡瀬の素足とカーキのズボンの間から見えたものに凍りつく。
「あ、あ、」
「中原さん?」
「飯尾くん!」
昼に分かれたきり行方の分からなくなっていた同級生の名前を悲鳴の様に呼んだ咲良に、桐野が素早く反応した。
「あいつらがいるぞ!」
叫んで注意を促しながら、咲良の腕を引いて上体を起こして抱え込む。
その低く抑えながらも鋭い声に、自衛隊員たちは透明な盾を構えて円陣を作った。
「どこだ」
「あ、あっち、そっちの、植込み……」
咲良の指さした先は体育館のすぐそばの植込みだ。
懐中電灯を失ったリーダーが手早く腕を動かして無言で指示を出し、円陣は無言で横に移動する。
植込みから距離をとった瞬間、キナコが吠え、渡瀬が慌てながら小さな鼻づらを押さえた。
だがキナコの鳴き声が聞こえたのか、飯尾は植込みからずるりと這い出してきた。足をどうかしたのか、立てないらしい。血と泥に塗れ、虚ろな目で両手で地面を掻く。
「そんな……」
「他にもいる。気を付けろ」
耳打ちをされ視線を巡らせれば、植込みや木の影から不安定な足取りで生徒や教師がこちらに向かってきていた。
漏れそうになる悲鳴を飲み込む。
体育館はすぐそこだが、その間に佇んでいる人影は少なくない。
ここまできてまた校舎に逆戻りかと、咲良は唇を噛んだ。
体育館から漏れる仄かな明かりが近いようで遠い。
「移動する」
かけられた声に俯きかけた顔をあげると、円陣が動き出した。
非常階段から離れる形に。
「え」
校庭の方へ向かう形に渡瀬と顔を見合わせる。
「転ぶぞ」
「え、でも、」
なんでそっちに、という疑問に答えることなく、桐野は周りの自衛隊員に合わせて咲良を抱え込んだまま動く。
無言でじりじりと横に移動し、体育館の真横あたりについた時だった。
がぁん!とついさっきまでいた方から音が響く。
ぱっとそちらを見れば、コンクリートにパイプ椅子が落ちていた。
どこから、と巡らせた視線は、すぐに体育館の中二階の窓から漏れる明かりに辿り着いた。あそこから誰かが椅子を投げ落としたのだ。
風に翻るカーテンを見ていた咲良の耳に、リーダーの低い声が届く。
「走れ!」
ぐ、と腕を引かれ、反射の様に足を踏み出した。
縺れそうになる足を叱咤し、桐野に引かれるままに体育館へと走る。だがこのまま行っても体育館の横腹に着くだけだ。
ちょうど体育館の横にある三つの内のドアの一つがあるから植込みは途切れて無いものの、ドアは金属製でひどく重い。林が立て籠もるのに体育館、と提案したのにみなが頷くくらい重量がある。
無事ドアに辿り着いても、押し開けてる間に囲まれるだろう。彼らの持っている盾でバリケードを作って、時間を持たせるのだろか?
不安になりながら、それでも足を動かしていると、先頭の一人がドアに着く寸前、重いはずのドアが勢いよくスライドした。
まるで教室のドアの様に素早く開かれたドアに目を見張る。
「早く入れ!」
あり得ない速度で開いたドアから、鋭い明かりが薄暗闇を裂いた。
自衛隊員のリーダーが持っていたのと同じ、協力な懐中電灯の明かりだ。その明かりを目指し、三段ほどの段差を駆け上がる。
そのままの勢いで体育館に飛び込んだ。
咲ちゃん!という典子の声が聞こえ、スピードを緩めようとしたが足が止まらない。
背後でがちゃん、と重いドアが閉まる音が響くのと同時に、走りながら振り返った前の人たちにぶつかるようにして、咲良の足はようやく止まった。
「あ、あり、ありがとう、ございます」
は、は、と荒い息を吐きながら、抱き留めてくれた人にお礼を言う。
いえ、と応じてくれた人の顔を見上げようとして、後ろから衝撃を受けて前のめりに転んだ。
「咲ちゃん!」
「の、典ちゃん」
驚いて振り返れば、目に涙を浮かべた典子が咲良にしがみついていた。
目が合うと、ぼろり、と涙が零れる。
「咲ちゃん咲ちゃん咲ちゃん~!」
うわああああ、と号泣する典子の涙がぼたぼた振ってきた。
小さな子供の様に声をあげる典子に、大きな声は危ないよ!と慌てて制止しかけ、周りの誰からもストップがかからない事に気づく。
顔を巡らせれば、白鳥と渡瀬が名前を呼び合って再会を喜び合い、自衛隊員と思われる人たちが意見を交わし合っている。他の人たちもマットの上に腰かけ、まるで普段の授業後のように隣り同士でお喋りをしていた。
密やかに、だが臆することなく人々が口にする言葉を聞き、咲良の口から、あ、と声が漏れた。
ここは安全なんだ。
少しの声ぐらいなら大丈夫なくらい。
そう思った瞬間、ふ、と肩から力が抜けた。
泣きじゃくる典子の肩を抱き返す。腕は震えて力が全然入らなかったが、それでもぎゅっと典子を抱きしめたら、のどが痙攣して嗚咽がこみ上げてきた。
「典ちゃん、け、怪我は、」
「無いよぅ。大丈夫。さ、咲ちゃんは、」
「私も、大丈夫」
大丈夫、と繰り返すのと同時に、鼻がツンとして目頭が熱くなる。瞼を閉じたらぼろりと涙が零れた。
「良か、た、無事で、ほんと、に良かった……!」
うんうんと頷く典子と抱き合い、流れる涙と一緒に安堵の息を吐く。
もう大丈夫だ。ここには災害のプロとして派遣された自衛官がいて、声をあげても外に漏れない丈夫な扉がある。座り込んで泣いても良いんだ。
緊張の糸が切れたのか、シャツの袖で拭っても拭っても涙が止まらない。
感じ続けていた恐怖と不安をすべて吐き出すように、袖がぐちゃぐちゃになるまで咲良は泣きd続けた。
「咲良、上野」
「き、桐野くん」
泣いて泣いて、目の周りと頭がぼんやりしてきた頃。
声をかけられて傍らを見上げれば、毛布とペットボトルを持った桐野が立っていた。
無言で腕をとられ、誘導される。
ついた先は体育館の中央に敷かれたマットの一角だ。他の人たちも思い思いに座ったり寝転がったりしている。
促されるまま、典子と二人でマットの空いている端に座った。
「飲むか?」
ペットボトルを見せられ頷けば、蓋を開けて渡してくれる。
「脱水が怖いからな。少し落ち着いたか?」
「うん……」
典子と二人、水を飲んでいると、肩にふわりと毛布が掛けられた。
「これ、どうしたの……?」
「体育館の備品らしい」
「あったかい」
寒さに凍える季節じゃないのに冷えていた身体に、毛布の温かさが心地良い。
思わず膝を抱えて丸くなり、毛布に包まった。
「少し落ち着いたか?」
「うん……」
言いながら桐野が咲良の頭に手を置く。
その大きくて暖かい手の重みにしたがって、顔を膝に埋めた。泣きすぎて熱くなった瞼を閉じる。視界が閉ざされると、周りの人たちのかすかな話し声や衣擦れが耳に届いた。
まるで休み時間の教室のようだ。
和やかでは無いけれど、悲鳴も異様な呻き声も無い。普通の生きた人間が起こしている音に、指の先から恐怖が緩んでいく。
とす、と桐野とは反対側からかかった重みに一瞬びくっとして目を開けたが、すぐに典子だと分かってほっとした。
どうしたの、と声をかけようとし、寝てしまっているのに気がつく。すぅすぅ、と寝息をたてて、典子は寝ていた。
「気が抜けたんだろう」
「だね」
典子は昔からこういう所があった。自習の時間やお弁当を食べた後、隙間の時間があるとすぐ寝入る。あまり気持ち良さそうに眠るから、咲良もよくつられて寝ていた。
今もきっと桐野が言ったように、緊張の糸が切れて気が抜けたのだろう。
いつもと変わらない安らかな寝顔に咲良は小さく笑い、ついで自分も欠伸を漏らした。
「咲良も眠れそうなら眠ると良い」
典子のぬくもりを片側に、もう片側にそばに寄った桐野の体温を感じながらそう言われると、抗いがたい睡魔を感じた。
とろとろと瞼が落ちてくる。
「何かあったら起こすから」
「ん………」
桐野の言葉にかすかに頷き、咲良は目を閉じた。
「桐野くん」
「うん?」
「ありがと………」
今日一日助けて守ってくれて、と言おうとした言葉は眠気にのまれ、声にならない。
それでも桐野は言いたい事を察してくれたのか、咲良の頭に置いていた手を下ろし、返事の代わりのように背中を優しく叩いた。
そのぬくもりを感じながら、咲良は落ちていく意識に身を任せた。
次に目を開けた時は、この悪夢のような状況が変わっていますように、と祈りながら。
ここまでご覧頂き、誠にありがとうございました!
一応の安全地帯に辿り着いてセーブな感じで、しばらくアップも一旦終了いたします。
次のキリが良い地点まで書き溜めてから、また続きをアップしたいと思っております。先は長い……。




