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見慣れた教室に飛び込んでドアを後ろ手に閉めると、桐野は咲良の持っていた机を受け取ってその場に置いた。
「俺は教卓でこっちを封鎖するから、咲良は後ろのドアの前に残った机を積んでくれ」
「分かった」
急いで残った机に飛びついて運ぶ。
教室後ろのドアの向こうにも人の気配はあるが、通過するだけで入ってくる様子はない。大きな音をたてないようにしているからだろう。
静かに机を何個か、椅子も同じように積み上げた時だった。
どん、という音が教室の前からした。
椅子を持ったままそちらを見ると、教卓の他に机を積み上げていた桐野が前の扉から離れる。
先ほどまで桐野を追い詰めていた生徒たちがようやく起き上がり、咲良たちが逃げ込んできた教室のドアにぶつかったらしい。
桐野はそっと教室のドアから離れ、立ちすくむ咲良の手から椅子をおろさせる。
「ロッカーを動かす」
小声で囁かれて頷いた。
教室後ろにあるロッカーは金属製のボックスタイプで、一つで十二人分あってかなり重い。
夏休みと冬休み前の大掃除の時にだけ動かして、後ろを掃除をする事になっていた。
まだ一度も大掃除を経験していない桐野に「そこに持ち手があるから」と教え、二人がかりで持ち上げる。
その間にも教室の前の扉から、時折人がぶつかる音がして、咲良の肝を冷やした。
どん、という音が次第にどんどん、と複数の、しかも重なる音になっていく。一人じゃなく、何人もがドアに向かって直進してぶつかり、を繰り返している音だ。
「まだ大丈夫だ」
音が聞こえるたびに身を竦ませる咲良と違い、桐野は冷静にドアを見据えている。
その言葉と口調に励まされて、前とまだ静かな後ろのドアの前に、机や椅子を挟んでそれぞれ二つづつロッカーを設置した。
最後のロッカーを動かし終えた時には、ドアにぶつかる音は消えていた。が、今度はドアの前に置いた机や椅子が互いにぶつかり合い、音をたてる。
ドアに単発的にぶつかるのではなく、何人もが押し寄せているのだ。
大勢の生徒が無言で前へ進もうとしているだろう姿を想像して、咲良は自分の腕を抱きしめる。
あとどれくらいこのバリケードは持つだろう?
バリケードが破られたら、とてつもない人数が雪崩れ込んでくるに違いない。
皆川のように噛みつかれ、皆川のように自分もあの仲間になるのだろうか。
その想像にぞっとして、更に力をこめた腕を、不意に叩かれた。
「っ」
びくっとして振り返ると、桐野が立っていた。
「手伝ってくれ」
「え?」
ずい、と差し出されたのは、教室のカーテンだ。
薄いクリーム色で、いつも窓に下がっているそれが、何故か桐野の手の中にあった。
「な、え?」
定位置の窓を見れば、カーテンレールに少しだけ上の部分が残り、後の部分が無い。桐野の手を見れば、カーテンを持っていない方の手に、大きな鋏があった。
「え、まさか、切ったの?」
こんな時に何でカーテン?と目を白黒させながら桐野を見れば、こう、とカーテンを真ん中で切り、更にもう半分に切った。
「これを結んで繋げる」
「え、あ、うん」
「全部つなげたら、窓の手すりに結んでロープ代わりにして、それを伝って地上に下りる」
映画で見たことないか?と言われて咲良は首を振った。
「み、見たことはあるかもしれないけど、それで降りるなんて、無理だよ」
生徒会室から自習室に上った時は梯子できちんとした作りだったが、それでもものすごい恐怖だった。
それが今度は手製のロープだ。
小学生の頃遊んだアスレチックと違って、高い上に命綱も無い。
三階ってどれくらいの高さだっけ、とカーテンの無くなった窓から下を覗き込むが、暗いのもあって地上は見えない。
いつも見てる景色のはずなのに、ここから身一つで下りる、と想像したら眩暈がしそうな高さに思えた。
桐野に無理だ、と言おうとして振り返るが、すでに桐野は他のカーテンを切り取る作業に取り掛かっている。
窓にかかっているカーテンを全部切り取ると、足早に咲良の元にやってきて鋏とカーテンを渡してきた。つい受け取ってしまい、言われた通りに四分割する。
きちんと等分の幅になるよう注意しつつ、カーテンを複雑そうな結び方で結んでいる桐野をちらっと見ると、桐野はもくもくと作業を続けている。
「あの……」
「大丈夫だ。一人で降りられないなら、俺が背負って下りる」
「わ、私重いけど」
「ネイトよりは軽いだろ」
「た、多分?でも、悪いよ。桐野くんの負担が増える」
桐野の話し方からすると、きっと桐野一人なら十分出来る事なのだろう。
ガタガタと机と椅子が音をたてるのにびくびくしながら、まだ切っていないカーテンを手に取る。
「私も、噛まれるの嫌だから、その、逃げたい、とは思うけど、」
「噛まれるだけじゃなくて、死ぬぞ」
「………」
「人数が多いしな。押し寄せられたら逃げられない」
淡々と言いながら、桐野は手早くロープを作っていく。
「うまく噛まれれば痛みも無く死ねるだろうが、そう簡単にはいかないだろう」
「うん………」
「死にたいか?」
ぽつりと呟くように言われ、ぱっと顔をあげると、桐野と目が合った。
暗闇の中、二人の間に置かれたランタンが桐野の顔をはっきりと見せる。
桐野は無表情だった。いつも通りのその顔で、どうだ?と問うてくる。
「……し、死にたく無い」
「ああ」
「お父さんと連絡だって取れてないし、小町だって、待ってるし――」
典子だって体育館で心配してるだろう。八坂もそうだし、責任感の強い篠原や片平だって気にかけているだろう。
無事で彼らに会いたい、と思う。
だが、それ以上に、ただただ死にたくないと思った。
こんなところで死にたくない。
なぜこうなったのか、あれはなんなのか、理由も分からず、理不尽に死にたくない。
「私、死にたくない」
口に出すと、すとん、とその言葉が腹に落ちた。
死ぬのは怖いし、彼らの仲間になるのはもっと嫌だ。死にたくない理由はいっぱいあって、無事に再会したい人もいっぱいいる。
そのためなら三階からだって、きっと脱出できる。
逃げのびて、父親と小町と再会して、この騒動の理由を知るのだ。安全などこかで。
まっすぐ桐野を見て言えば、ふ、と微笑まれた。
「ああ。大丈夫だ。俺が助けてやる」
「桐野くん」
「さっきは面白いものを見せてもらったしな」
ふ、とまた思い出したのか小さく笑われ、咲良は顔をしかめてから一緒に笑った。確かにさっきの格好は客観的に見たら面白かったかもしれない、と思いながら。
こんな追い詰められた状況で笑える自分に驚きながら、カーテンの最後の一枚を切断した。




