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今回は少し短いです。
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大きく開いたドアの先には、血塗れのジャージ姿の男子生徒が幾人も立っていた。
「くそっ」
吹き込んでくる生ぬるい風には血の匂いが混じり、その風に押されるように男子生徒たちは非常ドアを潜ってくる。
咄嗟に桐野はドアノブから手を離し、素早く後退した。
俊敏な動きで咲良のところまで下がってくる。
「これ、男テニだ……」
見覚えのあるジャージに、咲良は喘ぐ。
下の視聴覚室あたりに閉じ込められていたはずの、男子テニス部だ。
「二階のドアが破られたか」
忌々しげに桐野が呟く。
非常階段のドアは金属製で、火災の時には防火扉の役目も担う。体当たりしてもそう簡単には開かないはずだ。
だがそれが破られた、と桐野は判断したらしい。
まさか、と咲良は思ったが、彼らと共にぞろぞろと入ってくる女子たちの姿を見て、顔を引きつらせた。
「嘘でしょ………声楽もいる……」
男子テニス部のジャージに混ざって、一年の時のクラスメイトだった女子がいたのだ。
去年の合唱コンクールで、彼女は声楽部だからとパートリーダーをやっていたから良く覚えている。
人数の多い男子テニス部と、こちらも人数の多いという声楽部。
合わせて四十数人は軽くいるだろう全員が己の身体の痛みを無視して、満員電車に無理やり乗り込む時のように扉に押し寄せたら、かなりの圧が加わるだろう。ドアが開く可能性は十分ある。
そしてそれは非常階段にそれだけの人数がいる、という可能性も示していた。
現に今も途切れることなく、非常階段から生徒が押し寄せてきている。
「咲良」
すぐ横まで下がった桐野が、小声で咲良の注意を引いた。
「下がるぞ」
これでは桐野が殴り飛ばしても、非常階段に溢れた生徒たちですぐに道が塞がれてしまう。まだ今まで来た通路の方が人も少ない。
だがそちらも中央階段から上ってくる生徒がいるはずだ。
「とりあえず二組に避難する」
桐野の口調は苦々しい。
咲良にも桐野の気持ちは分かる気がした。
避難したところで、逃げ道は無い。普通教室ではバリケードを作って立て籠もるしか無いのだ。
しかも二組はさっき一組の前にバリケードを作るのに机や椅子を持ち出してしまったから、残った机と椅子で中からバリケードを作ってもどれだけ持ちこたえられるか。だからと言って三組は遠すぎる。
不安がよぎったが、それ以外に選択肢が無い以上、動くしかない。
咲良は桐野と一緒にじりじりと廊下を下がり始めた。
前からはバリケードで狭まった廊下の幅いっぱいのジャージ姿の男子テニス部と声楽部が、後ろからは中央や脇階段を上がってきたらしい生徒たちが、二人を目指して鈍い足取りで迫ってくる。
下がりながらも、桐野はモップの柄を振って、一足早く近づいてくる生徒を打ち払う。
咲良は邪魔にならないように桐野の背中に半ばはりつき、二組の教室のドアの前に来たところで「行け!」と言われて教室のドアに駆け寄り、開けた。
教室の中は暗い。
踏み込んで持っていたランタンで素早く中を照らせば、少し机や椅子の減った教室は妙に見通しがよく、様子のおかしい生徒がいる様子は無い。
「桐野くん!桐野くん?!」
中は安全そうだ、と急いで取って返して廊下に顔を出せば、桐野が三人ほどに囲まれていた。
「危ないぞ!」
顔を出した咲良に桐野が叫ぶが、危ないのは桐野の方だ。
何とか三人を倒すが、すぐにまた一人二人と寄ってくる。その上、倒した生徒はふらふらとすぐに起き上がるのだ。
このままじゃ捕まってしまう。
ぞっとして咲良は教室を見渡し、ぽつん、とドア近くに残っていた机に飛びつく。
冷たいパイプの足をひっつかみ、逆さにして抱えるように持ち上げた。
今からやろうとしてる事に足が震えるが、これまで散々助けてくれた桐野を見殺しにする事など出来ない。
「大丈夫。雪かきと一緒。大丈夫」
昔、今は亡き祖父の家で体験した大雪と雪かきを思い出して、自分を勇気付ける。
偶々遊びに行った時に大雪が降り、父が祖父が捨てると言っていた古い机を今の咲良のように抱え、ブルドーザーのようにして除雪して道を通した。
あの時と一緒。ただ、どけるのが人の形をした、言葉の通じない何かなだけ。
直接殴ったり暴力を振るうわけじゃない、大丈夫、大丈夫、と呪文のように唱えながら、机を抱えて廊下に出た。
「咲良!」
教室とは反対の廊下の端を背に、手を伸ばす一人を蹴り飛ばしながら、桐野が咲良の名を注意するように呼ぶ。
その視線が咲良の左手側に向けられるのを感じ、ぱっとそちらを見れば、手を伸ばすクラスメイトの変わり果てた姿があった。
「ごめんっ」
抱えた机ごと勢いよく一歩前に踏み出し、机の天板を相手にぶつける。
相手は天板に押しやられてよろよろ下がり、そこに追い打ちでもう一度机を押し出すと、今度は足が間に合わなかったのか勢いよく後ろ向きに転んだ。
頭から転がった姿にひやりとしたが、相手の心配をしていれば自分が噛み付かれる。
ごめん、と謝りながら身体の向きを変え、呆気にとられている桐野に向かっていっている一人に狙いを定め、同じように机で押しのけた。
「咲良」
「い、行こう、桐野くん」
えい、と机で寄ってくる相手を押しのける咲良に桐野は呆然とし、ふは、といきなり噴き出した。
「桐野くん!」
「いや、悪い。ちょっと、面白かった」
こんな状況で何が面白いのか、と咲良は少しむっとしたが、桐野の方はツボに入ったらしく、笑いながら向かってきた生徒をモップで殴り飛ばす。
「桐野くん」
咎めるように名前を呼べば、さっきまでの切羽詰った動きではなく、どこかゆとりのある動作で近づいてくる相手を跳ね除ける。
「咲良のおかげで少しスペースが出来たからな。笑って悪かった。ほら、行くぞ」
まだ少し笑いそうな気配を口の端に残したままの桐野に促されて見れば、周囲に群がっていた生徒たちの数は大分減っていた。
咲良が押しのけ、桐野が蹴って殴った転がした生徒たちが、押し寄せてくる生徒の足元に転がり、足止めになっているのだ。
転がった生徒を他の生徒が踏み越えて直進しようとし、転がった生徒は踏みつけられても構わず起き上がろうとするせいで、お互いにバランスを崩し絡み合って転んでしまっている。
彼らがお互い離れるまで、まだしばらく時間がかかるだろう。
ほら、と肩を叩かれ、慌てて二組の教室に飛び込んだ。




