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おきあがり  作者: 鳶鷹
一章
30/136

29

<29>


 ドアの前には、待ち構えるように男子生徒が立っていた。

 身体中に怪我があるのに痛がる様子もなく、のろのろと咲良たちに手を伸ばしている。先ほどの明かりに反応した相手だ。


 桐野は迷いなくモップをスイングした。

 男子生徒は抵抗もなく地歴室の方へ吹っ飛ぶ。

 普通の人間なら何かしらの抵抗をするから殴られてもせいぜい数十センチか一メートルほどで止まるだろうに、やはりもう普通の人間とは違うのか、身を守ろうとする様子もなく無防備に荷物の様に数メートル滑り、転がっていく。

 その姿を見送ることなく、桐野は廊下へ飛び出した。

 咲良は自習室にあったランタンを抱えて、その背を追う。

 真っ暗の廊下の中、桐野が腰に下げたもう一つのランタンが情報処理室の前で居場所を知らせている。

 急いで追いつければ、桐野がはっとしたように咲良の前に立ちはだかった。


「桐野くん?」


 まるで桐野の向こうを見せたくないような動きを訝しく思う。

 どうしたの、と聞こうとした咲良に、桐野は一瞬迷うようなそぶりをし、だが諦めたように横にずれた。


「いや、見た方がいいのかもしれない」


 それはどういう意味なのか、と聞く間もなく、目に飛び込んできたものに、咲良は息をのんだ。


「あ………」


 桐野の向こう、廊下に倒れこんでいたのは麻井だった。

 身体を起こそうともがいている。

 一目であれになった、と分かった。

 なぜなら、麻井の右肘から先が消失していたからだ。

 ブレザーごと食いちぎられたのか、腕の半ばから先が袖もろともが失われ、血と泥に塗れている。両手を廊下について立ち上がりたいのだろうが、長さが不均等になった両腕を理解していないのか、バランスを失って横に倒れこむ。

 普通の人間なら痛みに悲鳴を上げたり失神するだろう行為を、無表情に繰り返しているのだ。

 それに視線がうつろだった。咲良たちを見ているようで見ていないような目は、勅使河原や遠藤そっくりで。

 顔も制服も泥まみれで正気のうかがえない相手に、それでも見知った人は判別できるんだ、と咲良は茫然と立ち尽くす。


「咲良。大丈夫か?」

「あ……うん……ううん」


 正直、麻井に関しては心のどこかでもしかして、という恐れはあった。

 怪我をしていたし、一人で駆け出していってしまった、と聞いていたからだ。

 だがあの時はまだ今ほど暗くもなかったから、きっと逃げられただろう、と一縷の望みをもっていた。


 現実は残酷だ。麻井はあの時よりももっとひどい状態で、こうして咲良たちの目の前に現れた。

 悲鳴をあげる事も出来ず咲良は麻井を凝視していたが、変わり果てた麻井の方は起き上がるのを諦めたのか、転がった姿勢のまま咲良に腕を伸ばしてくる。

 その手を桐野がモップで払いのけ、ついで麻井の身体を押しのけて遠ざけた。


「咲良」


 桐野の呼びかけに、はっとする。


「さっき通りすがりに見たが、二年の廊下前に結構な数がいる」

「なんで……」


 予想外の事態に桐野を見上げれば、桐野はあたりを警戒しながら硬い声で答える。


「分からん。だがもう引き返せない」


 ちら、と自習室前へ視線をやるのにつられて見れば、暗がりにぼんやりと蠢く人影が見えた。

 中央階段から上ってきたのだろう。


「こっちもだ。下から上がってくる気配がする」


 言われて咲良は麻井を直視しないようにしながら、耳を澄ませる。自分の鼓動がうるさくてよく聞こえなかったが、桐野が嘘を言うはずも無い。

 分かった、と頷くと、モップを持っていない方の手が、ぐい、と咲良の頭を鷲掴み、桐野と強制的に目を合わせられた。


「良いか。二年の廊下を駆け抜ける。邪魔な奴等は殴り飛ばすから、遅れないようについて来い」

「う、うん」

「俺だけを見ていろ。他所を見るな。良いな」

「分かった」


 返事をするとぐしゃ、と頭を撫でられる。

 そしてそれが合図だったように、桐野は二年の廊下へと向き直った。

 咲良はその桐野の背中を言われた通りにじっと見つめる。そうしなければ、また足元まで這ってきた麻井へと視線が向いてしまいそうだったからだ。


「行くぞ」


 言うが早いか、桐野が走り出す。

 麻井さん、ごめん、と小さく口の中で呟いてから、咲良も一拍遅れて後を追った。

 ここで残ったところで、麻井に出来る事は何もない。林の言葉通りなら、遠藤や皆川たちと同じように、彼女はもう亡くなっているのだから。


 後ろ髪を引かれる思いを振り切りながら、走る桐野を追う。

 桐野は咲良のスピードに合わせてくれているのか、あまり早くもない速度で走りつつ、モップを振り上げた。

 足を緩めぬまま、二年四組の前にいる人影に接近する。

 何となく見た事がある人影だった。だが、咲良が相手を思い出す前に、桐野が相手の横手に回りこみ、モップを振った。

 途端にさっきと同じように殴られ、廊下を滑っていく人影。

 相手が自習室の方に滑って行くのを最後まで見ず、桐野はまた走り、モップを振り上げた。

 二人目、三人目、と相手に気づかれないまま、桐野と咲良は廊下を駆けていく。

 だが、三組の前に立つ四人目になり、とうとう相手に気取られた。

 相手の動きは遅い。四人目が桐野を捕まえるよりも、桐野が殴り飛ばす方が当然早い。だが、問題は四人目より奥にいる生徒たちだった。

 廊下の奥から何人もが集団でやってくる気配を感じ、咲良は息をのむ。

 桐野は苛立たしげに五人目を殴り飛ばした。


「急がないと……」


 焦りを感じさせる桐野の呟きに、ついていくしか出来ない咲良は申し訳なさで縮こまる。何か手伝いたいが、自分の身を守る事すら出来ないのだ。

 せめて箒でもがあれば、と思ったが、桐野の様に相手にそれを振るえるかと自問すれば躊躇が先にたつ。

 護身術を習ってはいても、咲良は喧嘩の一つもした事が無い女子高生だった。人間の、生き物の形をしたものを殴るところを想像しただけで、手の平には汗が噴き出る。

 何かしないと、という不安と、何をすればという焦りを抱えながら、また立ち位置を変えた桐野につられて咲良が動いた時だった。


「……くそっ。はじまった」


 出し抜けに校舎に音楽が響く。殆ど同時に桐野が舌打ちをした。


『Good Morning!I am――』


 底抜けに明るい英語で、男性の声が楽しそうに自己紹介をしだす。

 屋上からの拡声器の放送が始まったのだろう。

 楽しそうな声と陽気な音楽は、今の状況と不釣合いすぎて異様だ。

 しかも想像以上に校舎内に反響している。


「目いっぱい音を上げていったな」


 どんどん集まってくるぞ、と忌々しそうに桐野が言う。

 咲良もあれらが音の発生源を求めて移動するだろう事は想像できて、血の気がひいた。


「き、桐野くん」

「なんだ」

「屋上も、もしかして危ないんじゃ……?」


 音は一階よりも二階、二階よりも三階のが大きいだろう。音源が近いからだ。

 そして当然、大本の音源がある屋上がもっとも大きいはずだ。

 また屋上に至る中央階段と非常階段二つは開錠されているから、あれらが屋上まで集まってきている可能性は十分あるだろう。

 咲良の指摘に桐野も頭を抱えた。


「まずいな……だが、屋上を経由しないと下に降りられない」


 篠原たちは体育館寄りの非常階段を通って降りているはずで、そちらの非常階段しか地上での鍵は開いていない。


「あ、でも、渡瀬先輩たちが二年の方の非常階段下を開けてるかも」


 ふと、思いついて口に出すが、桐野は首を振った。


「先輩たちが施錠してて、屋上からあいつらが降りてきたら追い込まれるぞ。危険すぎる」 


 それは十分ありえる話だ。


「なら、やっぱり……」

「ああ。決めた通りのルートで行く。だが、まあ最悪だと思ったがそうでもなかったな」

「?」

「見ろ」


 桐野の指差したのは廊下の先だ。先ほどまでこちらへと歩いてきていた生徒たちが、立ち止まって音の発生源を探ろうとするように、頭を揺らしている。


「足止めになっている。この隙に抜けるぞ」


 うん、という咲良の返事を待たずに、桐野は六人目にモップを振り上げた。

 七、八、と知っているような顔の生徒を後ろに殴り飛ばしながら、桐野と咲良は前に進む。

 後ろには桐野に殴り飛ばされた生徒たちと階段を上がってきた生徒たちがいて、のろのろと二人を追いかけてくる。足は止められない。


「咲良、左に避けろ!」


 振り向かない桐野の指示に従って、咲良も避ける。

 そんなに長い距離でもないのに、一組の前に辿り着く頃には息が上がっていた。

 桐野も疲労が大きいのだろう。少し息が荒い。

 咲良は恐怖と疲労で一組前に作ったバリケードの椅子にすがりついた。


「これで、最後の一人!」


 バリケードで狭くなった廊下で、桐野は一組の前にいた最後の一人を殴って転ばせ、二組の方まで蹴り飛ばす。

 その後ろでは、もう倒された生徒が起き上がりつつあった。すぐに最後の一人だった生徒も起き上がるだろう。


「咲良、行けるか?」

「う、ん」


 倒した相手が起き上がってくるのを警戒しつつ、桐野は非常階段のドアに手をかける。

 普通の生徒なら入学してから卒業まで、非常訓練以外では一度も使う事の無いドアを、桐野は慣れた様子で開いた。

 今日何度も使ったルートで、いつでも安全だったからだ。だから警戒せずに開けた。


「桐野くん!」


 まさかそこがもう安全ではないなんて、想像してもいなかった。



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