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おきあがり  作者: 鳶鷹
一章
3/136

2

<2>


 足を止めたのは、階段を一階まで下りた場所だった。

 右は職員室で、左は校長室の壁だ。

 咲良たち三人は顔を見合わせる。


「職員室の先生の声じゃなくて?」

「いや」


 下りてきた階段はすぐ後ろに非常口があって、そこからドア越しに雨が激しく降る音が聞こえるせいで、耳を澄ましても雨音しか聞こえない。


「私には聞こえないかな」

「私も」


 うん、と三人そろって桐野を見上げると、桐野は彼女たちではなく周囲を探るように見ている。

 いつもの無表情も近寄りがたいが、少し眉をひそめた顔は少し怖いぐらいだ。心なしか空気もぴりぴりしている。

 何となく大きな声も息すらも憚れてて、咲良は麻井と典子にこっそり視線を送ると、彼女たちも困惑しているのか怯えたような目と目が合った。


 どうしよう?

 と互いに目配せをする。

 一体何の音が聞こえたのか。そんなに緊張するような音って何なんだろう、と困惑しながら耳を澄ませる。

 ざぁっという雨音は時々大きく、小さく、けれど絶え間なく聞こえるし、時々鳴るドオンというくぐもった金属音は、風に流された雨が非常口のドアにぶつかる音だろう。

 小さなざわざわした音は、職員室から聞こえてくるもので、職員室前を通るといつだって聞こえてくる音だ。桐野がいぶかしく思うような音ではないだろう。


 唯一いつもと違うのは、生徒の声がほとんど無い事だ。

 この雨だから大多数が帰宅しているのと、いたとしても寒い廊下ではなく教室にいるのだろう。

 興味を、それも怖いほどの集中力で聞こうとする音なんて、と思った時、


 ア…ァ……


 微かに、喉につまったような、少し高い声が雨の音の隙間をぬって聞こえた気がした。

 今の、と両脇の麻井と典子を見ると、二人にも聞こえたのか、麻井は困惑した顔で、典子は少し怖がるような顔で咲良を見返してくる。

 桐野は、と見れば、いっそう眉をひそめて校長室の壁を見ていた。


「咲ちゃん」


 怖がりの典子がおずおずとくっついてくる。

 咲良も典子に寄り添うように横に立ちながら、小声で桐野に呼びかけた。


「桐野くん、今の声?」

「ああ」


 一瞬しか聞こえなかったが、妙に耳に残る声だった。


「なんなの」


 麻井も、気味が悪い、と言いながら、二人に身を寄せてきた。

 普通に考えれば校長室から聞こえる声だから校長だ、と思うのだが、校長はもっと低い声だ。式典の度に長々と話すからよく覚えている。


 だが校長以外の人間が校長室にいる、という可能性は低い。

 それというのも、校長は生徒も教師も滅多に校長室に入らせない、という噂があり、また、入った事がある、という生徒もいなかったからだ。

 一番よく聞く噂では、校長室には高価な骨董品の類がたくさんあって、それを生徒に触らせないためだという。

 校長自身も普段は職員室の一角にある机を使っているのが、話の信憑性を高めていた。


 その滅多に人が入れない校長室から聞こえた声。

 これがぼそぼそとした話し声だったら校長が誰かといるのかも、珍しい、で終わったのだろうが、人の会話というには妙な声だった。


「呻いてるっていうか……泣いてる、のとも違うし……」


 麻井が声を潜めながら言う。


「なんていうか……」

「喘ぎ声みたいな?」

「きゃあっ!」


 耳を済ませて桐野の言う事に集中していたせいで、後ろからかけられた声に三人ともびくっと肩を弾ませた。


「飯尾くん!」

「よっす」

「いきなり後ろから声かけないでよ!」


 よほど驚いたのだろう、麻井が声の主である、一組の文化委員の飯尾 肇に噛み付くように苦情を言う。

 飯尾の後ろには典子と同じ三組の文化委員である橋田 友一がいた。二人とも手にペットボトルをぶら下げているから、昇降口前の自販機コーナーに寄ってきたのだろう。

 怒る麻井に飯尾はケラケラ笑い、橋田は申し訳なさそうに苦笑している。


「わりわり。ほら、校長室の横だしさぁ」

「なにそれ」

「ほら、校長って浮気してっからさぁ、女連れ込んでたりして」

「はぁ!?」


 ぎょっとして大きな声を出す麻井に、しーっという動作をしながら、にやっとして飯尾は小声で続けた。


「うちの部活の先輩がさ、彼女に付き合って駅前の雑貨屋行ったらさ、そこに校長がいたんだよ」

「はあ?」

「ちょっと前に有名になったっしょ。料理だか菓子だかのブログでさ、雑貨屋の店長、本出したじゃん」

「あー……うん」


 飯尾が言う雑貨屋は、高校の生徒の大半が使う駅近くにある店で、一時期随分と噂になった。

 麻井ももちろん知っていたのだろう。微妙な顔で頷く。


「先輩の彼女が会計しようと思ったら、レジ裏で店長さんと校長が手握り合ってて。先輩たちに気づいて校長すごい慌ててたらしいぜ。手も急いで離してさ。逆に怪しいのにな」


 咲良と典子も麻井に続いて微妙な表情になってしまった。

 この様子だと飯尾は知らないのだろうが、その雑貨屋の店長は勅使河原の叔父さんの妻だ。名字が少し珍しいので誰かが勅使河原に聞き、女性向けの雑貨店だった事もあって、女子生徒の間であっという間に有名になった。


 よりにもよって、今日お通夜が行われている人の奥さんのそんな話がここで出るとは。不謹慎というか、居た堪れない気持ちで、咲良たちは三人は目を見合わせた。


「それにPTAの会長とも怪しいって話。二人っきりで車乗ってたらしいぜ。あと三年の先輩とか」

 

 そんな女性陣に気づかず、飯尾は楽しそうにゴシップを続ける。そういう話が好きらしい。

 なんともいえない気持ちで、麻井を見ると、麻井も曖昧な表情で頷いた。


「……校長のそういう話ってびみょー。そんなんどうでもいいから、早く行こうよ」

「そうだね。お昼食べる時間なくなっちゃうし」


 変な話題と話題の元の校長室から離れたくて、咲良も話を合わせる。

 飯尾も橋田もお昼、の言葉に噂話はどうでも良くなったらしい。

 やべぇと言って歩き出した。


「あれ、麻井も来んの?」

「今年四組だよね、麻井さん。あれ、でも四組って、」

「代打よ、代打」

「はあ?」


 首を傾げる飯尾と橋田に、溜め息をつきながら答えて麻井も歩き出す。


「桐野くん、行こう」


 桐野は何か思うところでもあるのか、まだ周囲を気にしていたようだったが、咲良が声をかけると頭を振って一緒に歩き出した。

 それでも皆、なんとなく校長室のそばを通る時にはそわそわとしつつ過ぎる。

 言いだしっぺの飯尾も気になるのか、不自然に大きい声で「そういえばさぁ」と唐突に話を切り出した。


「何で今日教室変更なわけ?」

「男子テニスが視聴覚室使いたいから、だって」


 嫌そうに麻井が答える。


「男テニ?あぁ、小池先生か」


 ふぅん、と橋田が納得したように頷くが、飯尾は意味が分からなかったらしい。不思議そうに友人に尋ねる。


「小池ちゃんが何かあんの?」

「男テニの顧問だろ。あの人が視聴覚室使いたいって言ったら、秋山なんかデレデレになって教室譲るよ」

「小池ちゃん美人だもんなぁ。あ、確か小池ちゃんも校長と出来てるって噂あった」


 顔良いし、スタイル良いし、と指折り数える飯尾に対して、麻井と典子、咲良も同様に苦い顔になった。

 小池は学校一若くて綺麗な女性教師だが、多くの女子生徒と少数の男子生徒から嫌われている。

 見た目が良いだけなら一部の生徒からの反感だけで済んだのだろうが、今回のように自分に甘い男性教師や男子生徒を良い様に使うせいで、外見にこだわりが無かったり美人は好き、という生徒たちからも嫌悪されていた。


「確かにキレイにはしてるけど、ちょっとどうなのって感じ」


 おかげでコレよ?

 苦虫を噛み潰した顔で、麻井が指差す先は、渡り廊下だ。

 地面から腰高までのコンクリの風除けに、トタンの屋根。屋根と腰高のコンクリの間の空間から雨が吹き込んだのか、廊下のコンクリートは大半が湿り、場所に寄っては水溜りが出来ている。


「うわぁ……」


 運がいいのか、今は風が無いので横から飛び込んでくる雨は少ない。

 それでも上履きの裏が濡れるのは確実だ。

 視聴覚室なら本館だから濡れないのに、と文句を言う麻井に典子が、うんうんと同意する。


「走って抜ける?」

「足滑らせてコケたら最悪だぜ、これ」

「だな」


 それぞれが顔を見合わせて溜め息をつく。

 仕方なく全員で中央あたりのあまり濡れていないスペースを、列になって進んだ。


「あーもー、最悪!大体、何で視聴覚室が駄目だからって、本館の空き教室にしないわけ?」

「スライド見るって話だったから、図書室のスクリーン使うんだと思うよぉ」

「え、図書室ってスクリーンあんの?」


 旧館にたどり着いた典子が上履きの裏を足拭きマットで拭きながら答えると、飯尾が驚く。


「図書室ってでかい声駄目じゃね?なのにスクリーン?」

「去年図書委員やった時、司書さんが教えてくれたんだぁ」


 こう、と上から何かを引っ張り下ろす仕草をしながら言う。


「映写機っていうのぉ?図書室、書庫に昔の資料とかで八mm?十mm?のフィルム?があるらしくって、それ見る用だってぇ」

「おぉ!知ってる。八mmフィルムって昔の映画じゃね?前にネットでそんなん読んだ」


 へぇ、と典子が感嘆の声をあげると、飯尾は嬉々として続ける。


「すごい昔の話らしいけどな。俺らが生まれる前だから、親父世代?部屋暗くして見るらしいぜ」

「あ、そっか。図書室は遮光カーテンあったもんね。て、ねぇ、スクリーンでDVDって見られるの?」

「あれ?」


 麻井の言葉に顔を見合わせる。


「ちょとやな予感がするんだけど……」

「麻井さん?」

「まさかDVDじゃなくて、昔の、その八mmのフィルムの時代の文化祭映像とか見せられないわよね……?」

「えっ」


 秋山ならやりかねない、と全員が思ったようで一瞬静まり返った後、まさか、と否定の言葉がいくつも飛び出す。


「そんなに古いの資料にならないよねぇ?」

「でも秋山だよ、上野。今までの会議だって参考にならない話ばっかだっただろ」

「え、そうなの?」

「うん。正直、ただの秋山先生の語りっていうか……」


 怯える典子に指摘を入れる橋田。初めて会議に参加する麻井の驚きに、咲良が頷く。


「待て待て待て!大丈夫、スクリーンでDVD見られる!」


 いつの間に出したのか、飯尾がスマホを弄りながらストップをかけた。


「ほら、プロジェクター使えばいけるって!」


 飯尾の差し出すスマホに視線が集まる。


「小さすぎて見えないけど……とにかく大丈夫なのね?」

「多分」

「………」


 いずれにせよ、中身の無いような会議なのは変わらないだろうけども。

 麻井以外は同じ事を思ったし、麻井にしても嫌な予感はしているらしい。


「……とりあえず、図書室行こうか」

「うん……ご飯食べなきゃ」


 はぁ、と結局全員が溜め息をつきながら、図書室へ向かうため階段を登った。



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