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「帰ろう」
高い少女の声に、全員が顔をあげて彼女を見た。
声の主―灯里は乱暴に涙を拭い、握りしめた手で集落の方を指さす。
「ここにいても、お姉ちゃんたちは帰って来ないもん」
「灯里」
「それより、あいつ」
「?」
「お姉ちゃんにひどい事した、あの男。あいつをどうにかしないといけないんじゃないの?」
「兄ちゃんが殺したよ」
「圭太っ」
変声期を迎える前の高い声に、母親が叱りつける様に声をあげたが、彼は挑む様に母親を見上げた。
「俺、兄ちゃんから聞いた。あいつはいるだけで害だから、兄ちゃんが始末するって。だから安心しろって」
そう言って彼は由香子を振り返った。
「由香ちゃん、その人たちは?害じゃ無いの?」
視線の先にはルイスたちがいる。
母親は、こら、と叱りつけながら、やはり初めて見るルイスや桐野、田原が気になるのだろう。恵美やまだ子供の美優や赤ん坊たちを見る視線は優しく同情的なものがあるが、男性たちへの視線には探る色がある。
その視線を遮る様に卓己が前に出た。
「卓己くんの知り合いなの?」
「遼の同級生と、典子たちの学校の教師と同級生だ。ここまで助け合いながら来たんだ。悪い人間じゃない」
卓己の言葉にルイスが苦笑する。
「良い人間とも言えないんじゃないかな。僕ら散々銃撃ってるし」
「ネイト」
ぎょっとした顔を見せる集落の面々に、桐野が余計な事を言うな、とばかりにルイスの足を蹴飛ばす。
これじゃあルイスは受け入れられないと思われるかも、と咲良は慌てて助けてもらった事を話そうと口を開きかけたが、予想外な所からフォローが来た。
「私だって散々撃ってるわ」
ライフルを杖代わりにし、由香子が立ち上がる。目の周りは涙を乱暴に拭ったからか赤いが、視線はしっかりしていた。
「ここまで、どれくらいかかった?」
「んん?どれくらい?距離?ちょっと分からない、かな。測って無いし、キロってよく分からなくて」
「あー、アメリカだとフィート?ヤード?」
単位違うんだよね、と遼が口を添えれば、由香子がため息をついた。
「別に詳細は求めて無いわ。ただ結構な移動距離だったのは確かでしょ。何人殺した?」
「分からないなぁ。反射で動いちゃうとこあるし」
「先生たち、アメリカで民兵だったんだって。だからこういうの慣れてるんだよ。っすよね?」
遼がとりなす様にルイスを見れば、ルイスは笑った。
「慣れてるって言うか、うーん。生き残るために必要だから戦ったって感じかな?」
「それで俺たち何度も助けられてるんだ、圭太。俺たちだけだったら、ここまで来らんなかったよ」
「強いって事?」
「かなり」
ふぅん、と圭太は興味深そうにルイスを眺めまわす。
見た目は卓己の方ががっしりしてて強そうに見えるから、半信半疑なのだろう。
「いずれにせよ戦力にはなるわ。もしクソみたいな真似をしたら、股間を打ち抜いて良いって誓ったしね」
由香子の言葉に、集落の人々はさっきとは違う意味でぎょっとルイスたちを見やった。特に男性陣の反応は顕著だ。
「じゃあ、」
「集落に来てもらおうと、私は思ってる。最終的には全員で決を採るべきだとは思うけど……」
言葉尻が濁ったのは、陽菜を襲った男の事があるからだろう。
陽菜や翔太の家族たちは苦い顔や涙を堪える顔になったが、頷いた。
「……とにかく今は集落に戻ろう。話はそれからだ」
橋を渡り、集落側に施してあったバリケードを退け、由香子の車の後ろについて走ると、すぐに木々の間に卓己の工場が見えてくる。
鉄筋二階建ての工場は、二階の半分が由香子のやっているネットショップの事務所だ。前に咲良も入れて貰った事がある。ソーラーパネルがついていて、設備も綺麗で新しい。
すごいね、と一緒に行った典子が言えば、電線が風で切れて停電する事があるからソーラーで自家発電出来る様にしたんだ、と由香子は苦笑していた。冬は陽も少ないから、本当は川を使って水力発電がしたかったらしいが、川からの距離があり過ぎて断念したんだ、とも。
そのまだ綺麗な工場を流れる景色の中で見やれば、通り過ぎる一瞬に、入り口に頑丈な鎖と南京錠がつけられているのが見えた。由香子が封鎖したのだろう。
「集落に向かう道はここ一本か?」
「え、ああ、うん」
後方に消えて行く工場を見ていると運転席の桐野に声をかけられた。
振り返りながら答えると、ガタン、と車が揺れる。
それを合図にしたかのように、連続して車がガタガタと揺れた。
正面に続くほぼ一車線の道は古く、アスファルトが所々ひび割れているのだ。工場までは綺麗に舗装されているが、集落までの道は悪路が続いている。
その上、道の両脇は木々や草の茂った斜面だから、割れたアスファルトを避けるために横に行く事も出来ない。
「だから遼はここを選んだんだな」
「?」
「この道さえ封鎖すれば、侵入者は防げる」
「あ。そっか」
単に田舎の方が人口が少ないからだと咲良は思っていたが違ったらしい。
「集落、まわりを山で囲われてるから、確かに車とかじゃ入ってくるの難しいかも」
言っている間に、ゆるゆると走っていた車が集落に辿り着いた。
「ここか」
ぽっかりと開けた土地にぽつぽつと立ち並ぶ家を見て、桐野が思わず、と言った風に呟く。
「日差しが少なさそうだな」
「多分、日照時間はそんなに長くないと思う」
集落を囲む様にそびえる山を見て咲良は答えた。
どういう経緯でこういう形状になったかは知らないが、このあまり広くないが平たんな土地があったから、昔の人はここに集落を作ったのだろう。
だが新しい家を建てるために土地を広げるのは難しく、また交通の便も良くないからと、集落からはどんどん人が減ってしまっている。
地形に沿ってぽつぽつと建っている家の半分ほどは、人が住んでいない。空き家になった家は壊すのにもお金がかかるし、とそのままになっているのが殆どだ。
普段は残った人達が面倒を見てくれたり、持ち主が年に数回ほど帰省して手を入れる家もある。
咲良の祖父の家もその一つだった。
「ここが、私のお祖父ちゃんの家」
止まった前の車を追い越す様に桐野に依頼し、一つ先の家の前につけてもらう。
祖父が住んでいた家はいつも通りそこにあった。
車から小町を降ろして、おおよそ半年ぶりの家を見上げる。
あまり大きくはない家は祖父が定年した時に買ったもので、しょっちゅう父と母と遊びに来ていた。
母の訃報も、祖母の葬式でここに来ていた時に聞いた。
あの時、母は体調がすぐれず長時間の移動に耐えられないから、と当時住んでいた都心の家に残っていた。
咲良は父に連れられて祖母の葬式に出たが、その葬式の最中、母から電話があったのを覚えている。父が出て、何かを言い、泊まる予定だったのを切り上げて帰る、と祖父と話し合った矢先、警察から母が亡くなったと電話がきたのだ。
その先の事はあまりきちんとは覚えていない。
慌ただしく家に帰り、母の葬式をし、気がついたらこの祖父の家に預けられていた。
そしてしばらくしてから、隣りの上野の本家の紹介で典子の隣りの家に引っ越し、小町を飼い始めたのだ。
今でも時々思う事がある。
あの日、体調が悪いと言っていた母を、無理にも祖母の葬式に連れてきていたら、母は生きていたんじゃないか、と。
「咲良」
桐野に声をかけられ、はっとする。
振り返れば、他の人たちたが上野家の敷地に入って行くところだった。
慌てて彼らの元へ駆け寄ると、上野家の方からも人が飛び出してくる。小学生くらいの子供と初老の女性、猟銃を背負った初老の男性、それに茶色と黒色の柴犬だ。
「もえちゃん、ゆかちゃん!おかえり」
「おかえり!」
先頭にいた萌絵と由香子に子供たちが飛びつく。
由香子は纏わりつく子供の頭を一つ撫でてから萌絵の方へ行くように誘導し、腰をかがめて駆けてきた二頭の犬たちに声をかけた。二頭はそれぞれツムジとハヤテの番だ。留守番を任されていたのだろう。
一頻り由香子が犬を構い終えるのと同時に、初老の男性が由香子に声をかけ、二人が何事か話し始めた。声は聞こえないが、翔太と陽菜の事なのだろう。表情が沈痛だった。肩を落とした男性に女性が慰める様に腕を叩く。
「誰だ?」
「木田さんご夫婦。旦那さんが猟師さんで、奥さんが塾の先生、だったかな」
桐野に小声で問われ、咲良は多分だけど、と答えた。木田が猟銃を背負っているから、桐野は警戒したのかもしれない。
その木田と由香子に遼が歩み寄って何事か言うと、こちらを振り向いた。
「咲ちゃん」
来て、と手招かれ、小町を連れて小走りに駆け寄ると、犬たちが嬉しそうに迎えてくれた。由香子の足元にいる茶色の柴犬の方は小町の母親でもあるからか、互いにぶんぶん尻尾を振っている。
興奮で動き回る小町に振り回される咲良に遼が苦笑しながら、口を開いた。
「由香子ちゃんたちに匂いの話をしようと思って。ほら、感染者の嗅ぎ分けっていう、あれ」
言われて、そういえばさっきその話をしていて中断されたままだったのを思い出した。由香子も思い出したのだろう。ああ、と呟く。
「さっき言ってたやつか。感染者を見分けるとかなんとか」
「それそれ。その、浩おじさんから聞いたんだけど、」
少し言いづらそうに浩史の名を出した遼に、思わず咲良が俯きかけた時だった。
上野家の敷地の奥から、ガァン!という大きな金属音と共に、甲高い女性の悲鳴が響き渡った。




