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おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
134/136

31



 沈痛な雰囲気が場を満たす。

 誰もが口を閉ざしていた中、動いたのは由香子の足元に立っていた、小町の父親であるツムジだ。

 ピク、と分厚い耳を動かしたかと思うと、ぱっと振り返る。

 由香子はつられて振り返りそうになり、銃口をルイスたちから外すのを躊躇った。

 その逡巡に気づいたルイスが両手をあげる。


「敵対しないよ。僕らも生きる場所が欲しいんだ。なるべく安全な場所がね」

「…………」

「もし女性に無理強いしたら、股間を撃ち抜いても良い。誓うよ」

「ネイト!」 


 慌てた桐野にルイスが笑う。


「何?眞。まさかそういう事する気なの?」

「するわけないだろ!」

「なら良いじゃないか、誓ったって」


 ぐっと言葉に詰まった桐野の横で、田原が反射的に急所を守る様に手で隠している。そのそばで同じ格好で固まっている遼を見て、由香子が呆れたと言いたげに鼻を鳴らした。


「遼」

「や!男なら反射的にこうなるって!竦みあがるって!」

 

 だろ?!と田原に同意を求めると、田原が高速で頷く。

 

「先生がさらっと言っちゃえるのが怖いよ?!マジで股間ネタはやめて!」

「そうかな?悪い事しないなら大丈夫でしょ?」

「そうね。同意だわ。そこの彼、田原くん?あなたが遼の友達?」

「ど、同級生っす」


 由香子に銃口を向けられて尋ねられ、田原は飛び上がりそうになりながら答える。


「誓って貰えるかしら?そっちの彼も」


 そっち、と指名された桐野は自分に向く銃口をしばらく見てから、銃を構えていた手をあげて万歳のポーズをとった。


「……誓う。同意が無い性的交渉はしない。無理強いもしない」

「お、俺も、誓います」

「オーケー。後は………」

「孝志がいるけど、あいつは大丈夫」

「なんで?」

「典子がいるから」


 即答した遼に、典子が赤い顔で殴り掛かり、由香子はああ、と納得した声を漏らした。


「お正月に言ってた子か。出てこないの?」

「怪我してるんだ。熱が凄くて寝かせてる。あ、感染はしてないよ!」


 緊張が走った由香子に慌てて言い募る。

 

「感染してない?何で分かるの?」

「それは―」


 遼が小町の事を説明しようと口を開いた時だった。


「由香ちゃん!!」


 由香子の背後から女性が走ってくる。

 彼女と並走するように走っているのは、黒色の柴犬だ。上野本家の黒柴のハヤテだろう。ツムジは軽く尻尾を振って、一人と一匹を迎えた。

 転びそうになりながら駆けて来た彼女は、咲良たちに気づいてたたらを踏む。


「ゆ、由香ちゃん?」

「親戚たちよ。萌絵も会った事あるでしょ?」

「あ、ああ!お久しぶりです」


 社長も、と言い添えた彼女の着ているシャツには、咲良も見覚えのあるロゴ―由香子の会社のロゴが入っている。会社の従業員だろう。

 集落の人間では無いが、何となく彼女の顔にも見覚えがあるから、町の方で見かけたのかもしれない。


「萌絵ちゃんも無事で良かった。それで、どうした?」

「あ!そうだった!由香ちゃん、大変なの!」


 慌てて由香子に走り寄り、萌絵は手にしていた携帯を差し出した。


「さっき集落から電話があったの。あいつが殺されたって!」


 あいつ?と首を傾げた咲良たちと違い、由香子の顔色が変わる。

 萌絵に向き直って一度口を開きかけて閉じ、唾を飲み込む。

 それから分かり切っている答えを聞く人の様に、どこか恐れた様子で尋ねた。


「……誰が、殺したの?」

「……翔太くんだって」


 その答えで、あいつ、が分かった。

 陽菜に乱暴をした男だろう。由香子は、翔太が相手を殺すんじゃないかと恐れていた。


「陽菜は?」


 唇を噛み締めた由香子に代わり、卓己が萌絵に声をかける。


「一緒だったみたい。でもそれ以上聞く前にバッテリーが切れちゃって……とにかく早く戻ってくれって」

「分かった」


 頷き、由香子は一瞬悩んでから銃を下ろした。


「……来る気があるなら、ついて来て」



 

 萌絵と二頭の犬たちと走っていった由香子を追い、車に乗り込んで発車する。

 軽いカーブの先にあった建物を迂回すると、そこにあった車に由香子が乗り込むところだった。わざわざ車外で待っていてくれたらしい。

 エンジンをかけて先導し始めるのを追い、六台の車は町を通過していく。

 

「結構生き残りが多いな」


 桐野が道の脇を歩いている死者を見て、ぽつりと呟く。


「うん。でも、足は遅そうだよ」


 自衛隊やルイスがそうした様に弾の残数や音を気にしているのかもしれない。這いずっている死者もいるが、見逃されているのだろう。

 恐る恐る窓の外を伺っていると、前の車が停まった。


「あの建物はなんだ?」

「小学校だよ」

「さっき言ってたやつか。広いな。何かの会社と広場かと思った。集落は?」

「集落はそこの右に入って真っ直ぐ行くと、さっき言ってた、橋が架かった崖があるはずで、あれ?」


 運転席側に身を寄せて指を指すと、その先に由香子の姿があった。金属の棒らしきものを動かしている。

 多分、崖崩れなどがあった時に役所の人が持ってくる通行止め用のバリケードの鉄の棒だ。あれで集落に通じる道を封鎖しているのだろう。

 車を通すために毎回外しているのか。

 手伝った方が良いのかな、と見ていたら、突然由香子が棒を放り出し、駆け出した。

 思わず桐野と目を見合わせる。


「なんだ……?」

「なんだろう?あ、萌絵さんも出てった」


 橋の方へと駆けて行ったらしい姿に、由香子の車のすぐ後ろにいた車からルイスも出て来た。パラパラと後に続いて遼たちも車を降りる。

 咲良も戸惑いつつ、桐野と一緒に車を降りた。


「どうした」


 最後尾にいた卓己も出てきて声をかけられたが、さっぱり分からない。

 戸惑いながら首を振り、他の人たちと合流すべく足を踏み出すと、ルイスが勇に手を貸して由香子たちの後を追って行ってしまった。

 咲良たちも悦子たちと合流し、戸惑いながら後を追う。

 由香子が投げ出した鉄の棒を跨げば、正面に集落へと向かう一本の道だ。大分先に行き、もう橋の中央あたりを通過している由香子を追い、彼女たちの目的に気づいた。


 橋の向こう側、決して近づくな、と教えられていた崖への立ち入りを禁止するためのフェンスの外に、人がいる。

 咲良が前に会った時より背が伸びているが、陽菜と翔太だ。

 二人は崖の縁に立っていた。今にも落ちそうな場所にゾッとし、さらにスピードを上げる。

 橋の中央よりやや集落側で足を止めた由香子と萌絵が、両手を広げて叫んでいた。


「早まらないで戻ってきて!」


 二人の悲痛な声に、陽菜は翔太を見上げて何かを囁く。翔太は分かっている、と言いたげに頷き、こちらを振り返った。


「由香子ちゃん、俺たちちゃんと考えたんだ」

「翔太!」

「陽菜はもう、嫌だって。こんな世界で生きていくのは、嫌だって」

「あの男は、」

「俺が殺した。復讐じゃないよ。あいつが生きてたら、また誰かにひどい事をするだろうから」


 声を張り上げてはいるが、淡々と翔太は言う。


「俺たちいなくなるから、最後にちゃんとしていこうって、陽菜と決めたんだ」

「陽菜!翔太!」


 由香子の声に、翔太に寄り添っていた陽菜が顔をあげ、困ったような顔で笑い、口を開いた。だが下を流れる川と、離れた距離で何を言っているのかは聞こえない。

 こちらに聞こえてないのが分かったのか、翔太が代わりに声を張った。


「ごめんねって」

「なんで……」

「俺たちだけ楽になっちゃうから、だからごめんねって」

「だったら戻ってきて!」


 叫ぶ由香子に陽菜は困った顔で微笑んだまま小さく首を振り、翔太の肩に顔を埋める様に抱き着いた。

 翔太がその肩を抱き、振り返る。

 晴れやかな顔に、咄嗟に由香子が足を踏み出そうとするが、翔太が別れを告げる方が早かった。


「由香子ちゃん、あとの事、よろしくお願いします!」


 小さくお辞儀をしたかと思うと、翔太が陽菜を抱きすくめ、崖から身を躍らせた。

 

「っ翔太!陽菜!」


 崖の下に向かって落ちていく二人に由香子は手を伸ばすが、届くはずもない。

 二人の身体は、雨で水量が増えて激しく流れる川に飲み込まれていった。

 由香子は橋の手すりに掴まって身を乗り出したが、もう二人の姿は無い。

 呆然とその場に膝から崩れ落ちる由香子の横で、萌絵が頽れて泣き出した。なんで、というすすり泣きに答えられる人間はいない。

 呆然としている一行を正気に返したのは、集落の方から駆けて来た人間たちだった。


「由香子ちゃん!卓己くん?!」


 川を覗き込んでいた由香子の肩が震え、ノロノロと顔をあげる。

 

「おじさん、おばさん、灯里、圭太……」


 二人の男性と二人の女性に、中学生の女の子と小学生の男の子。彼らに咲良は見覚えがあった。

 陽菜の両親と翔太の両親、女の子は陽菜の妹の灯里で、男の子は翔太の弟の圭太だ。

 彼らは座り込んで泣いている萌絵と、絶望的な顔をした由香子に事情を察したのだろう。陽菜の母親が泣き崩れて夫に抱き留められる。


「おばさん、私………」

「良いの、由香子ちゃん。分かってる」

「おばさん」


 翔太の母親が強張った顔で告げる。血の気のない顔は真っ白だが、彼女は気丈だった。


「翔太が、陽菜ちゃんを連れて散歩してくる、て家を出た時に、あの子たちは戻らないんだろうなって、分かった。……分かってて、送り出したのよ」


 その言葉に陽菜の母親が夫の胸元で頷く。

 どちらの夫も無言だが彼らも同じなのだろう。陽菜の父親は娘も抱き寄せ、翔太の父親は妻の手を握り、もう片方の手で残った息子の手を握った。


「……兄ちゃん、ちゃんと陽菜ちゃんと行けた?」


 ぽつりと圭太が呟くのに頷いたのは萌絵だった。


「翔太くん、ちゃんと陽菜ちゃんの事、抱きしめてた。陽菜ちゃんも、いつもみたいに、ぎゅって、抱き着いてて………」


 それだけ言うのが精いっぱいだったのだろう。また嗚咽を漏らした萌絵につられるように、翔太の母親も涙を零した。由香子も顔を覆い、俯く。

 泣き声と川の音だけがその場を満たした。



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