表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
132/136

29



 微かに朝靄がかかる中、六台の車は静かに走り出した。

 郊外だからからか、夕べ見たとおりに民家は少なく、死者の姿はほとんどない。

 田畑が多くて見通しの良い道を進んでいく。


『この調子ならあと一時間もあれば着くな』

『もうそんなに近いんですか?』


 卓己の声にルイスが不思議そうな声を出すのを、トランシーバーが伝えてくる。

 咲良の横で運転している桐野もちらりとフロントガラス越しに遠くを見るように視線を投げた。


『ああ。もうかなり近いな。その右の山を回り込んで次の山を進むと町があって、そこから更に先、山の中に入るとうちの集落だ』

『シュウラク、は町より規模が小さい?』


 聞いた事が無い単語なのか、ルイスが言いづらそうに聞き返すと、卓己がああ、と応じた。


『集落は家が何戸か集まったものだな。集落に店は無いから、何か調達するなら下にある町で済まさないとならない。下の町もそんなに規模は大きくないから、デカいものは更に先、ここらよりもっと都会よりまで出ないと無理だが』

『卓己さんの工場は?』

『俺の工場は集落と下の町の間だ。……今はどうなっているか分からんが』

 

 卓己の工場はペットフード、主に犬用の缶詰を作る工場で、山で捕ったイノシシやシカの肉を解体するため山から近く、出荷がしやすいようにやや町寄りに作ったと咲良は聞いていた。

 集落と町は、間に川を挟んでいる。川は結構な高さのある崖の下にあり、その崖にかろうじて二車線、という橋がかけられていた。

 卓己の工場は川を挟んだ集落側だ。工場が無事なら、集落も無事だろう。

 逆に工場に異変があれば、その先にも注意が必要、という事だ。

 

『町の中心から橋は近くはない。帰巣本能だったか?町の人間があの死人になってても、家に帰る性質なら集落側に来る事はないだろう。きっと大丈夫だ』


 励ますような勇の言葉に、卓己はしばらく考え込み、いや、と否定する。


『帰巣本能とは言っても家ばかりじゃないらしい。自分に馴染みのあるところに向かう場合もあるとか聞いた。うちの工場は、町の人間も雇ってたからな。従業員が来ている可能性もある』

『……なら十分注意しないとマズいな』

『ああ』


 二人の会話を聞いている間にも、民家の数はどんどん減り、道路は狭くなっていく。

 気がつけば緩やかな坂道になっていて、山に入ったのが分かった。高速道路で向かう時は使わない道だ。

 咲良は知らない道路に落ち着かず、窓の外を何度も見ては木々の間に見知った風景が無いか探した。まだ山の奥では無いから、木々の隙間から川だったり遠くの風景だったりが見える。


「あ」

「何かあったか?」


 しばらく進んだ先で木々の間にちらりと見えた、まだ豆粒ほどに小さく見える建物に声をあげると、すぐに桐野に声をかけられた。


「小学校が見えたの。あそこ。あ、ほら」


 クリーム色の壁の小学校は、町で一番背の高い建物だ。

 町の子や周辺の集落の子の小学校だが、あまり大きくはない。咲良は通った事は無いが、年々人口が減るのと一緒に子供自体が減っているから、今では通う子供も数十人しかいないと聞いた事がある。

 祖父の家に行った時も、集落にいた小学生は二、三人だけだった。上野の本家の由香子に懐いている彼らは、由香子と親しくしている咲良にもよく笑顔を見せてくれた。

 あの子たちは無事だろうか?


「咲良?」

「何でもないよ。あともうちょっとだな、て思って」


 山に入ってから、一度も死者の姿を見ていない。裏道的な道だからだろう。死者を跳ね飛ばしたり止まる事が無いから、このままなら十分もあれば町につくだろう。

 ここに死者の姿が無いのだから、きっと町も大丈夫なはずだ。

 もう何事もありませんように。

 咲良は祈る様に両手を組んで額に押し当てた。




 だが祈りは通じなかった。

 細い山道を抜け、高速道路を使う時の道に合流して数分、細い煙が前方に立ち昇っている。火事と言うほどで勢いはない、ほとんど燃え尽きた後の、最後の煙に見えた。

 その煙を目指す様に町へと一直線に進んでいく。

 

『くそ……ここもか』


 勇が苦々しい声を出した原因は、すぐに咲良にも分かった。

 町の入り口付近に、車が二台止まっている。互いにぶつかったのか車体は凹み、窓ガラスは蜘蛛の巣の様にひびが入り、スピンしたのか車の鼻先は変な方向へと向いていた。

 死者を警戒してスピードを落としてその脇を通って町の中へと進むと、道端にパラパラと人が倒れている。身体の下には血だまりがあったり、四肢が曲がりねじ切れている人もいた。立ち上がる素振りはない。


『……完璧に死んでるな』

『誰かがとどめを刺したのかな?』


 おや、とルイスが言うのを聞き、咲良は逸らしていた視線を戻した。

 人の死体を見るのはやはり良い気分はしなかったが、堪えて一番近くの遺体を見る。

 うつ伏せに倒れている人の頭の下が、赤茶けた色に染まっていた。アスファルトに広がって乾いた血の跡だろう。


『頭を仕留めた形跡がありません?』

『……集落の猟師かもしれん』

『卓己?』

『明らかに頭を狙って撃ってる。多分、猟銃だ』

『なら、このあたりは結構安全、なのかな』


 悩みつつ勇が言い、咲良は周囲を見渡した。

 確かに生者の姿も死者の姿もパッと見、無い。誰かが起き上がった死者をただの死体に戻したのなら、このあたりに危険はないのかもしれない。


『あの……』

『山下さん?』


 勇の応えた名前に、咲良は一瞬ビクッとしてから息を吐いた。恵美も山下だ。


『どこか、トイレとか無いですか?娘がトイレに行きたがってて……』

『なら、そこを曲がった所に町内会館があったはずだ。確かトイレはあったと思う』


 卓己が答えてすぐに、それらしい建物が見えた。

 広めの前庭らしきものがあり、奥にコンクリづくりの頑丈そうな四角い建物と小さなプレハブが建っている。プレハブの方には『祭』とペイントされているから、お神輿などの祭具が仕舞われているのだろう。

 前の道路に先頭車両から順に止めると、すぐに恵美が美優を抱いて降りて来た。

 一直線に会館に向かうのを、最後に車を停めた卓己が慌てて降りて、追っていく。

 

「大丈夫そうだな。俺たちも降りるか?」


 町内会館には鍵が掛かっているらしく、卓己と恵美がドアをいじっているのを見て、桐野が呟いた。二人に寄ってくる死者がいないからだろう。


『うーん。確かに安全そうではある、のかな。勇さんどうします?』


 ルイスの問いに勇が返す前に、上野家の車から典子が降りて来てしまった。その足で山下家の車に小走りに駆けていく。

 上野家の車にはトランシーバーを積んでいないから、ルイスたちの会話が聞こえなかったのだろう。

 典子が山下家の車につく前に山下家の車のドアが開き、悦子が莉子と悠馬を抱えて降りて来た。その場で母娘が話し始めるのを見て、勇が弱った様に『あー』と呟いた。


『……俺たちも降りますか。遼たちとも色々話さないとですし』


 上野家の車も、田原の乗ってる卓己の車も、トランシーバーを積んでいない。全員で話すなら降りた方が良い、と判断したらしい。

 咲良も小町にトイレをさせたかったので頷き、車から降りた。

 風は少し冷たく、微かに焦げた匂いがする。

 町に入った時に見た煙のせいだろう。どこが燃えているんだろう、と首を巡らせながら小町を後部座席からおろすと、小町も落ち着かなげにフンフンと鼻を鳴らして空気を嗅いだ。


「火事、大丈夫かな」

「もうほとんど消えてるだろう、あの煙だと」


 近寄ってきた桐野に促され、会館の前庭ではなく上野家の車のそばに集まっている人たちに合流する。

 

「あ、咲ちゃぁん」

「典ちゃん」


 悦子の代わりに莉子を抱っこした典子にいつも通りに声をかけられ、咲良はほっとした。夕べ素っ気なくしてしまったのが、少し気まずかったのだ。


「昨日、あの、ごめん」

「えっ?ううん、私の方こそごめんだよぉ。なんか、心細くてぇ……」


 そう言って車の中をちら、と見るのにつられて、咲良も上野家の車を覗き込んだ。

 後部座席に誰かが寝転がり、悦子が診察しているらしいのが見える。


「槙田さん?」

「うん。感染は、してないんじゃないか、てお兄ちゃんは言うんだけどぉ、熱が、すごくてぇ……」


 孝志は誰の血にも触っていないはずだが、あんな状況だ。絶対に感染してないとも言い切れない。

 それでなくても大怪我を負っている。孝志が好きな典子には不安でたまらない状況だろう。


「あ、咲ちゃん。小町に孝志の匂い嗅いで欲しいんだけど、良い?」

「うん。もちろん」


 車の向こう側にいた遼が、ハッとしたように車を迂回して駆け寄ってくる。リードごと小町を渡すと、悦子の足元から車内に入れた。

 いきなり足元をすり抜けた小町に悦子はぎょっとして遼に文句を言うが、生返事だ。

 遼も典子も、じっと小町を見つめている。

 いつの間にか勇たちも集まり、小町が匂いを嗅ぐのを見守っていた。

 小町は孝志が座席にぐったりと横たわっているのが不思議なのか、投げ出されている手に鼻先を押し当ててから、顔の方へと移動する。

 熱のせいで眠れないのか薄目を開けていた孝志の鼻先に顔を寄せると、大丈夫かという様に、べろりと顔を舐めた。


「よっしゃ!」


 ばっと両手をあげて万歳をした遼の傍らで、典子が莉子を抱きしめてしゃがみこむ。

 小町の反応は、感染してる人間へのものじゃない。ほっとしたのだろう。

 孝志自身もそれが分かったのか、ふ、と安堵の息を漏らして鼻を小町に摺り寄せた。


「ああ、良かった。もう、どうしようかと思ったわよ……」


 後部座席から降りた悦子が両手で顔を覆うと、勇が肩を抱いた。


「あとは傷が膿まない様にしないと―小町ちゃん?」


 喝采を上げていた遼が悦子の言葉に動きを止め、典子の肩を摩っていた咲良も小町を振り返る。

 小町は孝志の耳元で動きを止めていた。

 何が、まさか、動揺する全員の視線を浴びるが、気にした様子は無い。一心に何かを聞くように耳を動かし、いきなり車から飛び出した。

 

「ワン!」


 アスファルトに着地すると同時に、吠える。

 

「小町、静かに!」


 大きな声はマズい、と慌てて制止するが、小町は吠え続ける。

 会館の鍵が開かずに結局横の草むらで美優にトイレをさせていたらしい恵美が、驚いて顔をあげた。

 横で周囲を見張っていた卓己に声をかけられ、スカートを直していた美優を掬い上げると、こちらへと駆け戻ってくる。

 小町はその間も時折遠吠えを混ぜながら、繰り返し吠えている。


「小町、静かに。皆戻ってきたから」


 逆立った首筋の毛を撫でながら、全員で身を寄せあう。どこに小町が警戒するものがいるか分からないから、迂闊にそれぞれの車に戻る事も出来ない。

 どこだ、と誰かが呟いた時、ふら、と会館の裏から人影が現れた。酷い怪我なのに痛みを感じていなさそうな無表情な顔は、明らかに起き上がった死者だ。

 足を引きずりながら出て来た男は緩慢な仕草で頭を動かしたかと思うと、今初めて咲良たちに気づいた、と言いたげに真っ直ぐこちらを見た。

 そばにいる典子の肩がびくつき、緊張が走る。

 どっちだ、と誰かが呟いた。走るのか、走らないのか、どっちだ、と。


 瞬間、男が走り出した。

 ルイスと桐野が銃を構え、卓己が手にしたスコップをかざす。

 確実に倒すために、接近を待つつもりなのは咲良にも分かった。だが、どんどん近づいてくる男に恐怖せずにはいられない。

 それでも、典子と手を取り合い、男を睨み据える。

 恐怖に目を逸らすのは、もうやめるのだ。父がいない今、自分で自分を守らないといけないのだから。

 視界の隅で桐野の肩に力が入るのが見え、撃つ、と分かった。

 だが、


「あ、え?」


 パン、と確かに発砲の音がした瞬間、男が横に吹っ飛んだ。

 側頭部から血が吹き出る。まるで横から突き飛ばされた様に、血が吹き出た側から男はアスファルトに倒れこむ。

 ビクビクと痙攣した身体は、すぐに弛緩した。じわ、とアスファルトに血が広がっていく。


「これは………」

 

 誰が、と呟いたルイスに答える様に、ワン!という犬の声がした。小町の声じゃない。

 ルイスと桐野が弾かれた様に振り返る。

 咲良たちも一拍遅れてそちらを振り返り、固まった。


 銃口がこちらを狙っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ