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おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
131/136

28



 桐野の言葉に急かされるように、全員が応接室を後にする。

 咲良は最後まで残ったが、見ていられたのは桐野が浩史に銃を向ける所までだった。

 目に焼き付ける様に浩史を見ている視界に、桐野の背が割り込み、悦子と典子に腕を引かれる。

 そのまま肩を抱かれて応接室を後にすると、直後に、パン、という乾いた音がして、咲良は身を震わせた。


「咲ちゃぁん」

「大丈夫、典ちゃん。大丈夫だから……」


 自分に言い聞かせる様に呟き、抱き上げた小町を抱え直して、足を速める。

 逃げる様に工場のドアを潜れば、暮れ行く空が目の前に広がり、大きく息を吐いた。

 つい一、二時間前には、ここでボールを投げて遊んでいたのに。

 じわりと滲んでくる涙を拭い、車へと向かう。途中で引き返してきた田原とすれ違った。なぜか手に花火のセットを持っているが、工場の中にあるワゴンを出すのだろう。

 咲良も自分の家の車へと急ぐ。上野家のワゴンの所で典子たちと別れ、小町を後部座席へと入れる。ドアを閉めた所で桐野が駆けて来た。

 

「咲良、出すぞ」

「お父さんは……」

「準備はしてきた。車を外に出してから引火させる。多分、でかい爆発が起きるから、早く逃げられるようにしないと」

「爆発?」

「ああ。ネイトが馬鹿みたいにガソリンを撒いたんだ。あの女が言ってた自家発電用のガソリンだと思うが、すごい量があったのを全部撒いたからな。早く車を出さないと巻き込まれるぞ」


 焦った様子で、急げ、と言われて、咲良も助手席に飛び乗る。と同時に桐野が車を発進させた。本当に急いでいるらしい。

 前方を見れば、同じ様に警告を受けたのか、上野家のワゴンや山下家の車も飛び出していく。

 

「恵美さん……?」


 さっきまで浩史が運転していた山下家の車の運転席には、恵美がいた。前に止まっている車にぶつかりそうになりながら、ハンドルを切っている。


「他に運転手がいないからな」

「あ……」


 浩史も山下も、久佳も、もういない。孝志も運転が出来る状態じゃない。

 だから恵美が動かすしかないのだ。

 あの車には、彼女の小さな子供たちの荷物がいっぱいに入っているから、絶対に置いていけないのだろう。明らかに慣れていない運転に、真後ろにつけると危ないと思ったのか、桐野は車間距離をかなりあけて、山下家の車に続いた。

 工場の敷地から外へ出る大きな鉄扉が、音をたてて開かれる。

 一番に出て行った車は卓己の乗る外車で、すぐに上野家、田原が運転する卓己の車、恵美、と続いて、咲良の乗っている車も車道に出た。

 最後尾のルイスが運転する車も後に続いたが、すぐに門の前で止まる。

 運転席から出てきた人影は暮れていく空の薄墨で分かりづらいが、ルイスだろう。なぜか工場の敷地内に戻っていく。

 桐野はそれを見届ける様に車を停めた。


「桐野くん?先生は?」

「道を作ってる」


 あれだ、と言われたが、ルイスが何か抱えているのしか分からない。

 じっと目を凝らして見ていると、ルイスは工場の鉄扉のすぐ脇で立ち止まり、それを放り捨てた。道というのに火をつけるのか、と思ったら、なぜか車に乗り込む。

 クラクションが鳴り、行けとばかりにライトを点滅された。


「火は?」

「分からない。だが発車させた方が安全だと思ったんだろう」


 桐野もよく分からないのか怪訝そうだが、前の車が出たのを見て、素直に発車させる。

 咲良は浩史との約束が気になって、窓から身を乗り出して、後ろを振り返った。するとルイスの車の助手席から、同じ様に身を乗り出している勇がいた。

 その手に小さな明かりが灯る。ライターだろう。

 それを投げて火をつけるのか、と思ったが、ライターは手を放せば火は消えてしまうはずだし、走り出した車からは工場の鉄扉は遠い。例えライターの火が消えなくても、手で投げて届く距離ではない。

 どうするのかと見ていたら、バチ!という音の後、勇の手元からシュッと白い光が飛び出した。

 煙を引きながら、一直線に門扉の方へと飛んでいく。


「あれはなんだ?」

「ロケット花火、だと思う、けど、」


 バックミラーを睨んでいた桐野に、昔テレビで見た映像を思い出して答えていると、遠くロケット花火が落ちた当たりから、いきなり青白い炎があがった。

 ふわりと立ち上がった炎は、次の瞬間、工場へ向かって走り出す。

 目で追うが炎の速さに追いつかない。


「咲良、スピード出すぞ!掴まれ」


 炎のスピードに桐野が叫び、咄嗟にグリップに掴まった。急加速がかかり、倒れそうになる。

 片手でグリップを、片手で天井に突っ張る様にして、強引に体勢を保つ。丘を下る道のせいで遠ざかる工場が視界から消えそうになった、瞬間。

 

「っ!!!」


 視界が真っ白になった。

 ついで大きな破裂音がして、衝撃に足が縺れる。

 桐野が大声で悪態をついているが、何を言っているか聞き取るどころじゃなかった。

 工場が、爆発したのだ。

 炎が空を焼かんばかりに燃え上がり、金属片や石やコンクリートのブロックが飛んでくる。頭上からは車の屋根に破片があたるガンガンという音がして、後部座席で小町が怯えた様に吠えている。

 後ろからルイスの運転する車が追い立てる様なスピードで迫ってきた。早く行け、とばかりにクラクションを鳴らされる始末だ。


「っの馬鹿!お前のせいだろうが!咲良、もっとスピード上げるぞ!」


 その声に咲良はようやく座り直し、振り向いた。


「桐野くん、あれ……」

「盛大に燃やしてやるつもりだったんだろうが、ガソリンの量が多すぎたんだ。気化した成分に引火して爆発した……間違いなく、燃え尽きる。咲良の父親も、山下さんも」

「吉田さんも」


 長山やその妻も、写真でしか顔を見なかった、夫婦の娘も。その娘に食われた死者たちも。

 全てが爆発で吹き飛び、炎に燃やし尽くされるだろう。

 天を舐める様に燃え上がり、周囲を煌々と照らす炎を、咲良は振り返って見続けた。

 丘を下り、炎が見えなくなるまで、ずっと。

 



 車列は薄暗闇を走り続けた。

 燃え続ける工場の炎は空を覆う雲で光を拡散され、長い間周囲を照らし続けた。

 爆発音に寄ってきた死者たちを避けるには十分な明るさに助けられ、六台の車は遠く遠くへと、逃げ続ける。

 道路が広いのが幸いし、二列になった車はぎりぎり接触事故を起こさずにすんだ。疲れや慣れない運転で車同士がぶつかりかける事が数度あったものの、誰も文句を言う元気もないのか、クラクションを鳴らしたら死者を集めると思うからか、静かな移動だった。

 時折、死者たちを先頭車両が跳ねるが、どの車も慣れたものだ。

 

 そうして走って走って、太陽が完全に沈んで月が顔を出す前に辿り着いたのは、広い駐車場を持つ飲食店だった。

 大分田舎に近づいたのか、周囲は畑や田んぼだらけだ。遠くの方に民家らしきシルエットがぽつぽつと見えたが、どこにも明かりは灯っていないから、定かでは無かった。

 駐車場に車を止め、桐野たちが懐中電灯を持って店の中や周囲を確認する。


「入って大丈夫だよ」


 数分ほどで戻ってきたルイスに告げられ、咲良たちは車を降りて店の中に足を踏み入れた。

 広い店内はガランとしている。椅子もテーブルも端の方に積み上げられており、少し埃っぽい。すでに廃業した店なのかもしれない。アスファルトが剥き出しの床はどこか寒々しい。

 ふしっ!とくしゃみをした小町を連れて、店の奥へと向かっていると、典子がパタパタと小走りに走り寄ってきた。


「咲ちゃぁん」

「典ちゃん………典ちゃんは槙田さんについててあげて。私は、ちょっと一人になりたいんだ」


 ごめんね、と俯けば、典子は少し躊躇った後、とぼとぼと離れていった。

 視界の片隅に映った重い足取りに罪悪感を覚える。だがそれ以上にほっとした。

 典子には遼がいる。悦子も勇もいて、卓己や孝志もいる。

 父親を失った今、親兄弟がいる典子を羨み嫉妬してしまいそうな自分がいて、怖かった。典子は心配してそばにきてくれたと分かっているのに、大事な親友を疎ましく思いそうで耐えられなかったのだ。

 

 ごめん、ともう一度胸の中で呟き、典子たちのいる方から視線を引きはがし、店の奥の冷たい壁に背中をつけて座り込む。

 膝を抱えて俯いていると、ふと温かい空気を感じて顔をあげた。

 店の中央の剥き出しの床に一斗缶が置かれていて、そこで誰かが火を焚いたらしい。赤々とした炎は見えないが、店内が少しだけ明るくなっていた。

 工場を焼いた炎とは違って、小さくパチパチと音をたてるだけの火は不思議と心を落ち着かせる。

 他の人たちも同じ気持ちなのか、数人がそろそろと一斗缶に近寄って火にあたったり、何かを話している。

 ぼんやりとその光景を見ていると、隣りでふすん、と音がして、小町が心配そうに咲良を見ていた。


「………」


 名前を呼ぶ事も出来ず、そっと手を伸ばして小町の鼻面を撫でる。

 もう、咲良の家族は小町だけだ。血の繋がった相手はどこかにいるが―アメリカにいるにしてもこの騒ぎだから亡くなっている可能性もあるけれど―彼らは家族じゃない。血の繋がっただけの、赤の他人だ。

 一緒の家で一緒に悲しんだり笑ったりした相手は、もう小町だけ。

 きゅんきゅんと鼻を鳴らす小町を優しく撫でさする。


「……大丈夫だよ」


 何が大丈夫かも分からないまま咄嗟に言ってしまった事を分かっているのか、小町は慰める様に咲良の手を一舐めし、ぺそりと咲良にくっつくようにして伏せた。

 片手で小町の背中を撫でながら、もう片手で自分の膝を抱いて顔を埋める。

 店の中央で誰かが話している小さな声と、時折パチリと鳴る火の音を聞くとはなしに聞きながら目を閉じていると、不意に、小町とは逆側に熱を感じて顔をあげた。


「桐野くん」

「食え」


 いきなり横に座り、ずい、と何かを差し出されて反射的に受け取る。


「これ……」


 ラップに包まれた、歪な形のおにぎりだ。温かい。

 

「上野のおばさんが持ってきたレトルトの米だ」


 視線の先を辿れば、一斗缶の上に鍋が乗っていた。咲良がぼんやりとしている間に、あそこで温めたのだろう。

 日のそばで鍋を見ていた悦子と目が合い、ぺこ、と小さくお辞儀をすれば、ほっとした様に頷き返された。


「これは、桐野くんが握ったの?」

「ああ」


 言って、桐野は自分のものらしいおにぎりのラップを外し、かぶりつく。

 

「味が無い」


 一口齧り、変な顔になって手の中のおにぎりを見つめるのにつられ、咲良もおにぎりを食べてみた。


「……塩とかつけた?」

「塩?」


 首を傾げられる。米に味をつける、という発想が無いのだろう。

 きっと桐野は米を炊いた事が無い。

 アメリカにいた頃の主食が何だったか知らないが、咲良が知ってる桐野は、弁当にコンビニのパンやおにぎりを持って来ていた。自炊すらも稀だったんじゃないかと咲良は思っている。おにぎりを握ったのも、上野家に避難していたあの日が初めてのはずだ。

 慣れない手つきでおにぎりを握っていた桐野を思い出して微笑ましさに口角が上がるのと同時に、目の奥が熱くなった。

 脳裏に思い浮かべた台所を使う桐野の姿に、浩史の姿がダブる。


 父は料理が得意な人だった。けれど昔から得意なわけでは無かった。

 結婚をして、咲良が生まれて、共働きだったから母の代わりに料理を作る事が出てきて、たくさんたくさん練習をした、と子供の頃、咲良が「どうしてお父さんは料理がうまいの?」と聞いた時に教えてくれた。

 料理は食べればうまくなったのが自分でも分かるし、何より桃花が美味しい嬉しい、と褒めてくれたからね。

 だからお父さんは料理が好きだし上手なんだよ、と。

 そう言って、大きな手で器用におにぎりを握っていた。


「桐野くん、良いお父さんになるよ」

「は?」


 このおにぎりはまだ不格好で味が無いけれど、いつかもっと上手になるだろう。

 桐野はまともな家庭で育っていないと言っていたが、こうやって人のために食事を作る努力が出来る人だ。良い父親になるだろう。

 浩史の様に。

 そう思ったら堪えきれない涙がぼろりと零れた。


「咲良?」

「大丈夫」


 ぐいっと涙を拭い、作ってくれたおにぎりにかぶりつく。

 まっすぐ前を見ながら黙々と食べすすめる咲良に、桐野は何か言おうとした口を閉じ、同じように自分の握ったおにぎりを口にした。


「味が無いと変な感じだ」

「私のは、ちょうど良いよ」

「そうか」


 ぽん、と咲良の頭に桐野の手が乗る。

 そのまま優しく撫でられるまま、咲良は少ししょっぱいおにぎりを食べ続けた。




 その夜は静かに過ぎた。

 誰もが近しい人を失ったり、傷ついたり、また自分自身が傷ついて、疲労困憊していたからだろう。

 時折、美優や悠馬、莉子が泣きぐずったが、小さな彼らすらこの環境に適応してか、大きな声で泣き叫ぶ事が無い。疲れ以外にも、大きな音をたてれば危険だと、本能で悟ったか学んだのだろう。

 静かな夜は静かに過ぎていったが、深く眠る事は誰も出来なかったのか、朝日が昇る頃には小さな子供たち以外は全員が起きていた。


「行こう。あと少しだ」



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