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おきあがり  作者: 鳶鷹
四章
126/136

23



「妻は……妻に悪気は無かったんだ」


 長山が言った途端、遼が怒鳴るより早く桐野が腕を捻った。


「ぎっ!あああああ!」

「ふぇっうえええええぇ!」

「うえええぇぇ!」


 長山の叫び声につられたのか、恵美に抱きしめられていた二人の赤ん坊も泣きだす。

 慌てて恵美があやすが、腕を離されて悲鳴を止めた長山と違い、泣き止まない。


「眞」


 こら、と言いたげに、戻ってきて孝志の横に陣取っていたルイスが名前を呼べば、桐野はため息をついた。


「……言い訳はいらない。質問に答えろ」


 腕を折られそうになった長山は何度も頷く。

 恵美の方はソファに座り直した勇が手を伸ばし、莉子を受け取った。二人がそれぞれ赤ん坊をあやすが、中々声は小さくならない。

 この泣き声の中話を進めるのは難しいと思ったのか、桐野は強引に長山を引き起こすと上着を腕の半ばまで脱がせ、ぐるっと長山自身の腕に巻いて拘束した。

 

「代わろう」


 浩史が進み出て、長山の前に立つ。


「小町、来い」


 桐野に放り出されていた小町が、言われた通りに近寄れるギリギリまで接近する。浩史に接近するのはやはり違和感があって出来ないらしい。

 浩史は苦笑しながら自分は長山の後ろに回り、桐野と交代する。


「そこで待て、だ。見張れ」


 小町は言われた通りに長山の正面に座り込み、じっと見つめる。前に家で蛇が出た時に飛びかかろうとしたのに焦って覚えさせたコマンドだ。ゴーが出ない限り、飛びかかる事は無い。

 だがこのコマンドが出る相手は敵だ、と覚えているらしく鼻面に皺が寄って歯をむき出しにするから、正面にいる長山には結構な恐怖だろう。小町は柴犬らしく身体がそう大きくないが、本気の威嚇の顔は飼い主の咲良でも怖い。

 

「それで俺はどうするんだ?」

「孝志くんの方を。ナイフを抜くのに男手が必要だろう。俺は駄目だ」


 保菌者だからな、と言われて、桐野は孝志たちの所へ向かった。

 咲良もそちらを振り返れば、悦子が鋏を取り出して孝志の服を切り、患部を露出させていた。傍らの典子は蒼白になりながら、孝志の手を握っている。


「……母さん、俺は、何したらいい?」

「遼はまず自分の傷を洗って、絆創膏を貼って」


 そこよ、と言われた救急箱から田原が絆創膏を取り出し、乱暴にペットボトルの水で手を洗った遼の傷口をティッシュで拭いてから貼った。遼も文句は言わない。


「あと必要なのは綺麗な布と……アルコール、かしら。殺菌しないと……」

「車からアルコールスプレー取ってくる!」


 言うなり応接室を走って出て行く。

 遼!という悦子の慌てた声に、桐野が後を追っていった。理絵が戻ってきているかも知れないのだ。一人じゃ危ない。

 

「おばさん、私は何をしたら良いですか?」

「俺も」

「咲良ちゃんはあそこの布を持って来て。田原くんはペットボトルの水を。あっちにまとめてあるやつ」


 指し示された布の山は莉子の服を作るつもりで持ってきたものなのだろう。そばに完成した小さな服やオムツらしいものが数点畳んである。

 それを抱えて戻ると、悦子が救急箱からコンタクトレンズの入れ物の様な、小さなパッケージを取り出して食い入るように見つめていた。


「おばさん?それは?」

「……縫合用の針と糸がくっついたものね。遼が病院行った時に持ってきたものよ」


 いつだったか浩史が縫合用の糸やメスがあったら良いな、と言っていたのを覚えていて、整形外科にギプスを外す機械を取りに行った時、持ってきたものだろう。

 でもなんでそれを出しているのだろう、と思い、何かをなぞるような悦子の手の動きに気づいた。


「まさか、槙田さんの傷、縫う、んですか?」

「縫わないと出血が止まらないと思う。あれだけ大きい傷だから。どこかにお医者さんがいるなら、そこまで運べば良かったんだけど……」


 医者が生き残っている場所なんて、咲良も思いつかなかった。

 特養の松高が最後に見た医者だったが、彼はもういない。今現在、医療を少しでも修めた事のある人間は、悦子だけだ。


「大丈夫、縫合は何度も補助した事があるわ。大丈夫」


 自分に言い聞かせる様に繰り返し呟く悦子に、咲良は何と言って良いか分からず言葉を探し、慌ただしい足音に気づいて顔をあげた。


「閉じ込められた!」


 遼が叫びながら応接室に飛び込んでくる。

 息を切らしている遼を、桐野が背後を警戒しながら応接室に押し込んだ。


「どういう事?」

「工場の出入り口のドアが閉められてた。あの女がやったんだろう」


 遼を悦子たちの方に押しやり、桐野は長山の前に立った。


「何がしたいんだ、あの女は?」

「つ、妻は、ただ、娘を助けたいんだ」

「娘を?病気だとか言ってたが」

「……病気じゃない。娘は、一年前に車に轢かれて……寝たきりだった」

「それとこれとなんの関係があんだよ!?」


 今にも殴りかかりそうな遼を見上げ、長山は泣き笑いのような顔になる。


「……立てるようになったんだ」

「は?」

「噛まれて、立てるようになったんだ」

「そ、れは……」

「脳の損傷が大きくて寝たきりだったあの子が、立って歩けるようになった。妻は、喜んだ」


 噛まれて起き上がった死者たちは、異常な身体能力を発揮していた。

 殴られてもすぐに起き上がり、人の喉を食いちぎる。足が折れているのに車に飛びかかろうとする個体もいた。

 あの死者たちは痛みも何もかも、まるで感じていないように動くのだ。

 長山の娘が噛みつかれてあの死者になったのなら、生きている間に不自由であった身体が動かせるようになっても不思議は無い。

 

「それは感染した結果だ。喜ぶようなものじゃない。あんたの娘は意味のある言葉を、一言でも喋ったか?」


 桐野の切りつける様な問いに長山は緩々と首を振った。


「………喋りはしなかった」

「なら、」

「だから、妻はもっとあれらに係われば、もっと良くなると思ったんだ」

「係わるって?」

「……噛まれるのは可哀想だから、食わせた」

「はぁ?!」


 数人が驚愕した様に声を上げる。咲良も声こそあげなかったが、驚いた。

 死者を、死者に食わせたのか。ゾッとする想像に鳥肌が立つ。


「娘を噛んだ男を捕まえて、食わせた。そうしたら、はじめはよろよろとしか歩けなかったのが、ちゃんと歩けるようになったんだ。それで妻は、もっと、と。娘も欲しがっているから、もっと、と」


 死者たちの空にすら噛みつく動きを、理絵はそう捉えたのか。

 う、と部屋の奥で誰かが呻いた。恵美か勇が想像して気分を悪くしたのだろう。咲良も鳥肌がとまらなかった。異常だ。

 

「狂ってる……あんた、なんで止めなかったんだよ」


 遼が後退りそうになりながら長山を糾弾すると、長山は笑った。


「俺が、娘を轢いたんだ。預かった車のメンテンナンスをしてて、バックをしたら、家にいるはずの娘がそこにいて、それで」


 それで、と繰り替える長山の目から涙が溢れる。


「妻は俺を詰った。俺は謝った。何度も何度も、娘と妻に謝った。でも、娘は治らなかった。妻は、謝罪じゃなく行動で示せと言った。だから、妻の言う通りにしたんだ」


 嗚咽を漏らす長山に、遼ですら黙り込んだ。

 長山のした事がおかしいのは全員が分かっていたが、彼の罪悪感も分かる。

 一人娘に対する愛情と罪悪感が理絵と彼をおかしくさせた。


「……ちょっと待って」

「先生?」


 誰もが口を噤んだ中、ルイスが問いかける。


「どうやって死者を捕まえたの?」

「へ?」

「だってあいつら結構しぶといし、個体によっては走るでしょ?捕まえるの難しくない?しかも、長山さんも奥さんも感染してない。でしょ?」


 ね?と振り向かれて、咲良は慌てて頷いた。


「た、確かに、小町は反応してませんでした」

「だよね。自分は無傷で捕まえて肉を切り取る、て難しいと思うんだけど」

「……釣りと一緒だ。生きてる人間を餌にすれば、あいつらは寄ってくる。食いついた所を捕まえた。食ってる時は無防備だから」


 告げられた言葉に呆然とする。

 餌にされた人間とは、誰なのか。長山夫妻では無いのは分かっている。


「まさか、ここに来た人間?俺たち以外にも……俺たちも?」


 沈黙に肯定だと分かった。

 咲良たちは、死者をおびき寄せて安全に捕まえるための餌だったのだ。

 だから泊まる様に勧めたし、断った後も長くここに留めようとしたのだろう。


「それで、あんな薬……」


 呻いた悦子にルイスが首を傾げる。


「そういえば、あの時なんで叫んだんです?」

「台所でゴミを見つけたの。睡眠薬の空のシート」


 あの時、ポケットに手を入れた悦子を咲良は思い出した。

 携帯電話が、と言ったのは、ポケットにゴミを入れたのを理絵にバレない様にだったのだろう。


「薬のシートの名前に何となく見覚えがあって。もしかして、と思って遼にネットで調べて貰って分かったの。スープに入ってるかどうか分からなかったけど、お父さんたちがお皿持ってるのを見て、つい咄嗟に叫んじゃって……孝志くん、ごめんね。私が大きな声出さなければ、こんな事にならなかったのに……」

「大丈夫です。眠ったまま餌にされるよりは、全然」


 汗をかきながらも笑い、痛ぅ、と零した孝志に、悦子が慌てて遼を振り返った。


「もう話は良いでしょ。これを抜いて縫わないと」

「あ、ああ、でもアルコールスプレー用意出来なかったんだけど……」

「あの、除菌するためのアルコールのやつ、少しだけなら私持ってます」


 それまでソファに座って話を聞いていた恵美が立ち上がり、鞄から手のひらサイズの小さなボトルを出した。


「美優を公園遊びさせる時にって買ったやつで、手の消毒くらいには使えると思います」

「ありがとう。助かるわ」


 悦子は受け取った物を咲良に渡してくる。


「おばさん?」

「私が手袋をしたら、そこにかけて。あと先生の手にも」

「先生も、ですか?」


 ルイスを振り返ると、頷かれた。


「ナイフを抜く役だよ。僕が一番力があるだろうからね」

「咲良ちゃんはあとこれを」


 差し出されたのは縫合用の針と糸が入った小さなパッケージだ。


「合図したら中身に触れないように蓋を開けて。取り出すのは私がするから。田原くんはペットボトルの水を用意して」

「あ、はい」

「遼は孝志くんを前から押さえて頂戴。桐野くんは後ろを」

「了解」

「分かった」


 二人が位置につくのと同時に、悦子は裂いた服を丸めて内側の綺麗な所を表面に出すと孝志の口の前に差し出した。


「噛んでおいて。声は出して良いから」

「はい」


 蒼褪めた顔で頷いた孝志に頷き返し、悦子とルイスが手袋を嵌める。咲良は言われた様に差し出された二人の手にアルコールを垂らした。


「……じゃあ、先生。抜いてください」


 孝志の背後に回ったルイスが、肩に刺さったナイフの柄を握る。

 

「いくよ」



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